モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「八月の光/著 フォークナー /訳 加島祥造」の感想

 社会派小説が読みたいな

この本を買った時、巷ではアカデミー賞の授賞式で「ラ・ラ・ランド」がコールされた時に、実は『ムーンライト』でしたテヘペロという前代未聞の出来事があった頃。その影響を受けた私は社会問題を取り上げた海外小説を読みたくなったのでした。

アマゾンで買ったから気にしてなかったのですが、けっこう分厚くて656ページもあるんですよ。(汗)

ワインオープナーは知っているがフォークナーは存じ上げない。そんな程度の知識で読めるのかどうか…。

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作者紹介ページによると彼は空軍にいたそうです。戦地に赴いたかどうか分かりませんが、相手の顔が見えないところから攻撃する場合はPTSDになりにくいと、前にゾンビ日記で読んだ気がします。「残酷だったらどうしよう」なんて考えたりしてページをめくりました。(はじまりぃはじまりぃ〜)

八月の光

するとハイタワーが言った。「では、なぜ君は他の者たちが下町で楽しんでいる土曜日の午後も工場で働いているんだね?」

「分かりません」バイロンは言った。「それがまあ、僕の生き方なんでしょうね」

「そしてこれがわしの生き方なのさ」と相手は言った。『しかしいま僕は、それがなぜなのか知っている』バイロンは考える。『その理由はこうなんだ、人間というものは現に持っている面倒な問題には耐えられても、これからぶつかる問題には恐怖を感じるものなんだ。だから慣れた面倒ごとにすがりついて、新しい面倒ごとに入ってゆこうとしないんだ。そうさ。人間ってのは、生きてる人たちから逃げだしたいなんてよく口にする。だけども本当に人間に痛手を負わせるのは死んだ人たちなんだ。死んだ人たちってのは、一つ場所に静かに横たわっていて人間には手を出さないけど、それでも人間はやはりこの死んだ人たちからは逃げられないんだ』

騎馬隊はいま轟いて過ぎ、夕闇の中へ静かに消え去った、そして夜がすっかりおりている。しかし彼は書斎の暗いなかで、なおも窓辺にじっと坐っている。角の街燈のランプはゆらぎつつ光を放つ、そのために、延びたカエデのちぎれた影が八月の闇の中でかすかに揺れるようだ。遠くから、ごくはっきりと、だがごくかすかに、彼の耳にあの教会での合唱の調子高い声が伝わってくるーーきびしいと同時に豊かな音、惨めでまた誇り高い響き、それが音調の潮(うしお)のように静かな夏の闇の中に高まり、低まる。

物語の始まりは、リーナ・グローヴという妊婦が自分の前から姿を消した「ルーカス・バーチという男を尋ねて三千里」という話で幕を開けます。途中で出会ったアームステッド夫妻はこの娘は捨てられたことに気付いていないのだと哀れみ、普段は怒りっぽいアームステッド婦人も自分のへそくりを彼女に渡すという人情話があったりして、リーナはバーチがいるというジェファンスンという街を訪れるのでした。

ここまでの個人的な感想としては「放浪記っぽいな」という感じで、詩的表現は少なかったと思います。

 

舞台はジェファンスンに移ります。

ここからの視点は「バイロンバンチ」という単純労働者から語られます。

禁酒時代でありながら新人の労働者「クリスマス」は町の外れにある農園屋敷に住むバーデンという女性からウイスキー仕入れて売りさばいています。工場の連中はクリスマスに群がり、金を稼いだクリスマスは仕事をやめ、その穴をブラウンという別の労働者が埋まるのでした。

バンチは酒を飲むこともなく、週の6日を工場で過ごし、一度宿に戻ってシャワーと簡単な食事をとってから、土曜日の夕方にラバに乗り30マイル離れた田舎へ行き、礼拝の行われる教会で合唱隊を指揮します。そして真夜中にジェファンスンへと戻るというのが彼の一週間でした。そこへ、自分と似た名前の「ルーカス・バーチ」という別人を尋ねてリーナ・グローヴが現れ、バンチは一目惚れしてしまいます。

この時点で登場人物が多過ぎるので私の頭はパニック状態。楽しむ暇などありません(笑)

さらに登場人物が増えて、バンチが通っている教会の神父は「ハイタワー」という名前で、小柄な妻と暮らしていたのですが、婦人連が「妻とはこうあるべきです」というような、あらゆる生活態度の指摘をするので妻は気を病んで礼拝中のハイタワーに殴りかかったりしました。

最終的にその妻は知らない男と泊まったホテルから投身自殺をしてしまい、教会にはハイタワーと給仕係の黒人女性が残されました。それにマスコミが食いついて、黒人女性と二人きりになるために保険金をかけて殺したとか、KKKから脅迫を受けて給仕係が逃げ出すとか色々あって、ようやく上記の引用文へ繋がります。

 

「なぜ、そこまで黒人が悪者として扱われるんだ?」と疑問を持つ方もいるかもしれないので、共通理解のために一つ紹介。

ジム・クロウ法 - Wikipedia

ジム・クロウ法(ジム・クロウほう、Jim Crow laws)は、1876年から1964年にかけて存在した、人種差別的内容を含むアメリカ合衆国南部諸州の州法の総称。

  • 結婚 白人と黒人の結婚は禁止された。なお4世代前までに黒人の血が一人でも含まれれば(16分の1)、純粋な黒人と同様『黒人』として扱われた。
  • 交際 結婚していない黒人と白人(結婚自体既に禁止されているが)は一緒に住んではならないし、ひとつ部屋で夜を過ごしてもならない。この犯罪には12か月以上の禁固刑、もしくは$500(当時)の罰金が科せられた。

生活のいたるところに制限がかけられ、こうした差別が後にキング牧師の運動へと繋がるわけですが、ここでは物語に関わる交際や結婚について抜き出しておきました。

 

さて、話を戻しますと、まぁ先ほども書きましたが、詩的表現があまりないので読んでいて少し退屈な感じはあったんですけど、ここで一気にカッコいいラインが出てきて安心しました。

リスクを抑えるためにチャレンジよりも日常に埋没していく労働者と、悲劇的な事件があっても町を出て行かない神父が会話を交わし、暗闇を蠢く波音を高いと低いで表現しています。

現実と精神世界が繋がっているような風景で「夜の海」が持つ、永遠に不安なのではないか、あるいはいつか朝が来るのではないかという少しの希望を感じます。

 

この後の物語はというと、バーデン屋敷が火事になり、それに気づいた農夫が屋敷へ向かうと中にはブラウンがいて、農夫が二階へと行こうとするのを拒みます。それでも農夫は人命救助のために階段を駆け上がると、バーデン婦人の斬首死体が見つかるのでした。この騒動をバンチはリーナに話した時に、ブラウンが彼女の恋人のルーカス・バーチであることが発覚。

警察は犯人に1000ドルの懸賞金をかけたところ、ブラウンが犯人はクリスマスだと自供します。彼の話によるとクリスマスは黒人の血をひいていて、いつか人を殺すと常日頃から口にしていたというのです。警察はとりあえず処分を保留にし、クリスマスの跡を追うのでした。

第5章からはクリスマスの視点で物語が語られます。

彼の中には白人にもなれず、黒人にもなれない。それでいて、白人になるためにお前らとは違うというような黒人に対する差別感情を持っているのでした。この呪いのような、常に薄皮一枚下に破壊的衝動をたぎらせている狂人は、自分に対して祈りを捧げたという理由でバーデン婦人を殺しました。その後、バンチが夜の海を不安の塊に感じたように、クリスマスは黒人街を黒い穴と感じるのでした。

第6章はクリスマスの幼少期が書かれています。

それは五歳の時の出来事で、歯磨き粉を食べてみたくなったクリスマスは27歳の栄養士の女性の部屋にこっそり忍びこみます。すると、部屋の中にその女性と男性医師のチャーリィが入ってきてエロ展開が始まります。

しかし、性に目覚めていないクリスマスは隠れながら歯磨き粉を食べ続け、限界に達した時にゲロを吐いて隠れていることがバレてしまい、『この小鼠!』と栄養士に罵られるのでした。

以下、この情事をバラされることを恐怖に感じている栄養士とのやりとりです。

女が自分に何を要求しているのか彼には分からなかった。打たれてから解放されるのを待っているだけだった。女の声はつづいた、熱心に、緊張して、早くーー「一ドルだよ。わかる? うんと買えるよ。一週間も、毎日何か食べられるほどだよ。来月、もうひとつおまえにあげてもいいんだよ」

彼は動かず、口をききもしなかった。彫り出されたもの、大きな玩具、といった様子ーー遊び着をきて小さく、静かで、円い頭と円い目をした人形。彼はまだ驚きと衝撃と怒りに捉われていた。ドル貨を見ながら、彼はあのいやな味の練歯磨のチューブの群れを目に浮かべているかのようだった、それらが積みあげられた材木のように、限りなく、恐ろしく続いているのを見るようで、彼の全身は激しい反発の渦にまきこまれたかのよう。「僕、もう欲しくない」と彼は言った。『僕はもうほんとに欲しくないんだ』と彼は思った。

彼はいま顔をあげて相手を見る勇気がなかった。彼女の長く慄(ふる)える息を感じ、聞きとることができた。 さあぶたれるぞ と彼は瞬間に思った。しかし女は彼を揺すりさえしなかった。ただ彼をしっかり押さえただけで、揺すりはせず、まるでその手もまた、次にどうしたらいいのか分からないふうであった。その顔がごく近くに来たので、彼は自分の頬に相手の息を感じた。いまその顔がどんな表情なのか、彼は目をあげなくともはっきり分った。「言いつけな!」と彼女は言った。「じゃあ、言いつけな! このチビの黒ん坊小僧! この黒ん坊小僧!」

 クリスマスにしてみれば悪い事をしたら殴られると思っているから、純粋に一ドルはいらないと断るわけです。一方でこの栄養士の女性からすると、いつこの子供が周りの人間に喋ってしまうのかが時限爆弾のようでいて、お金をあげるから言わないでという態度に出ました。

しかし、栄養士はお金を渡すことができず、クリスマスはぶたれるよりも傷つくような差別を味わったわけです。

サザエさんのマスオが『いやだなぁ。見てたのかい? カツオ君。仕方ないなぁ』って日常的に強請られてるのを考えると、より一層、この時のクリスマスの純真さが分かりますね。

それと、このシーンを読んだ時に「ハンター✖︎ハンター」14巻に出てくるビノールトを思い出しました。

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どれほど善い事をしても、差別感情がある人間は決して認めようとはしない。それを幼少期に味わった人間はまともに生きることができなくなってしまいます。

なぜならその社会通念上の「まとも」とは白人やブルジョアに対して下僕のように生きることを意味するからです。つまり、理性的な真人間として生きるには傷つき続ける茨の道が待っているのです。

 

この後の展開は孤児院にクリスマスを引き取りたいという申し出があり、その男はクリスマスという名前は神を冒涜しているからお前は今日からマッケンカン(名字)だと言って連れて帰ります。

しかし、この男は神に対していかなる背徳行為も許さない原理主義者で、クリスマスが聖書を床に置いただけで鞭で叩くクソサディストだったのです。

また、女房はそんな夫に対して機械のようにしか喋れず、家の中は常に閉塞感があり、毎日が修羅場のようでした。

その厳格な洗脳の影響もあってなのか、クリスマスが黒人の青年に混じって、黒人の少女と性行為をするというシーンでは、いきなり少女に殴る蹴るの暴行を加えるという狂人性を発揮するのでした。(大人になったらバーデン婦人を殺す未来が君を待っている)

夫人はいつも彼に親切をつくそうとしていて、それは十二年前の十二月の最初の晩からそうであった。あの時は馬車が着いたとき、彼女は露台(ポーチ)で待っていたーーそれは忍耐づよくて、しおれた姿、女性らしさを示すものといえばきっちり巻いた白髪まじりの髪とスカートのほか何ひとつなかった。それはまるで、無慈悲で一徹な男によって彼の意図や彼女の自覚を超えた何ものかに変型され次第に圧殺されてゆくというよりも、彼女が鈍くて軟弱な金属のようなもので、それが絶えず執念ぶかくたたかれたたかれして細く薄くなってゆき、しまいには灰のようにかすかで青ざめた鈍い希望と哀れな欲望の滓(かす)でしかなくなっている、といったふうであった。

これが216ページ。

詩的表現はちょいちょいあるんですけど、いちいちあーだこーだ書いていると賽の河原でジェンガやってるみたいになるので端折りますけど、上記引用文はマッケンカン夫人がどのような人物なのか比喩表現を用いて分かりやすく書かれていたので人物像の補足として抜き出しました。

一応、クリスマスの味方であると。(でもクリスマスは夫人がこっそり用意してくれた夕飯をぶちまける荒技を披露していました←マジでなんなんだよ)

 

それから、夫人は自分のへそくりをクリスマスに与え、クリスマス(18歳)はその金で鉄道の乗り換えに使う小さな町に通うようになり、コーヒーを奢ってくれた給仕女イザベル(30代)と恋に落ちます。

淫欲まみれのクリスマスにはらわたが煮えくりかえったマッケンカンは、ある晩跡をつけたところーー

マッケンカンはあおむけに倒れていた。いまはごく平和な顔つきだった。眠っているように見えたーー無骨な頭をして、安息のなかでさえ不屈さを見せ、その額の上の血さえ平和で静かだった。

クリスマスは椅子でマッケンカンを撲殺し、マッケンカンから「淫売婦!」と罵られたイザベルはヒステリックを起こしていた。

この後、クリスマスはマッケンカンが乗っていた馬に跨り急いで家に帰って、へそくりをポケットに突っ込むやいなや、ヘトヘトになっている馬に跨った。

乗馬用の鞭ではなく、掃除に使う箒の柄の部分で馬を叩き、もう歩けないよぉと馬が動かなくなったところで頭を叩いて撲殺しました。

 

私は思った。こいつはクソだと。

 

クリスマスは沸点が低く直情的で、自分が侮辱されたと感じるとすぐに暴力を振るうんですよ。まったく感情移入できません。笑

ただ、現代でもDVを受けて育った子どもが大人になってDVをするという負の連鎖がありますけど、差別を肯定するという社会通念がクリスマスを腐らせていることを忘れてはいけませんね。

 クリスマスはお葬式ムードのイザベルに結婚しよう!と言って駆け落ちルートを提案するのですが、彼女は衝撃的な一言を発します。

「畜生め! この阿呆! あたしをこんな騒ぎに引きこんで、ーーあたしがいつも白人なみにしてやったというのに! 白人なみにだよ!」

これを言われたクリスマスの心はというと。

「ちぇっ、俺はこんな女のために人殺しをやったんだ。俺はこんな女のために盗みまでやったんだ」

あの、フォークナーさん。今のところ光が見えないんですが…

 

そうして、クリスマスは飢えと性欲を満たしながら逃亡生活をつづけ、33歳の時にバーデン屋敷の存在を知るのでした。

バーデン婦人は黒人に対して分け隔てなく施しを与える人で、屋敷は駆け込み寺のような存在でした。公的機関と手紙のやり取りをし、教育を必要とする人には学校を紹介するなど、社会の中に黒人の居場所を作る活動を行う人格者でした。

その屋敷にクリスマスは侵入すると食べ物を食い漁り、昔に食べたことのある味に似てるなぁと食レポをしたり、バーデン婦人をレイプしようとしました。(おいっ!)

父は言ったわ、『このことを覚えておきな。おまえのおじいと兄がここに埋められているのだ、殺されてな、だがそれは一人の白人にではなくて呪いによってなのだーー神様がおまえのおじいや兄やわたしやおまえのことを考えるよりもずっと前に、一つの人種すべてに与えた呪いによってな。その罪のために白人種の宿業と呪いの一部になって、いつまでも永久的に忘れるでないぞ。それはわたしにも宿っている。おまえの母にも、まだ子供ではあるがおまえにもだ。生まれてきたものもこれから生まれてくるものも、白人の子供たちすべてには、この呪いがかかつておるのだ。誰もそれから逃れることはできないのだ

なんだかんだあって、バーデン婦人とクリスマスは一緒に住む(屋敷と小屋とで離れてはいるけど)ことになります。

どうしてバーデン婦人がこのような活動を続けるのかといえば、自らの出生もまた恵まれたものではなく、お爺さんと兄は黒人の投票権を巡って軍人に殺されたという過去があり、そのお墓がこの屋敷の近くにあって、この場所から離れられないのでした。

クリスマスとはこのような歴史の影を共有しているので、料理を皿ごと壁に投げつけるなどの傍若無人な態度をとっても根気強く接します。そのうちクリスマスにも恋愛感情が芽生え婦人が妊娠します。

 

二人とも運命や宿命と戦っているのですが少しズレてるんです。婦人は歴史の影と戦って権利や地位を築こうとしているのですが、クリスマスは瞬間的な反発で個人を守っているだけなんです。

このギャップが悲劇を招くわけです。

婦人はクリスマスを大学に行かせ法律を学んだあとに法律事務所で働いて欲しいと願うのですが、クリスマスは結婚や子どもによって自分の運命が決められてしまうことに抵抗します。絶望した婦人は『二人とも死んだほうがいい』と考え、ある晩クリスマスに懺悔をするように言ったあと、二発の弾を装填した銃を取り出します。ーーが、クリスマスだけが生き残る。

13章から現在に戻りバーデン屋敷放火殺人事件の犯人捜査へと続きます。(あー長かった。)

しかしそんな人間は見当たらなかった。彼女はまったくひっそり暮らして近所づきあいはしなかったから、彼女が町に残したものーー自分が生れて流れ者他国者(よそもの)として死んだとき、この町に残したものといえば、いわば驚嘆と憤激といったものだけであって、これだけでは町の人間たちが満足するわけはなかった、たしかに彼女は最後になって感情のバーベキュー、ほとんど「残虐なる饗宴(ローマン・ホリデイ)」といったものを町に提供したのだが、町の人間はそれぐらいでは彼女を許しはせず、平和に静かに死なせておきもしなかった。

この文章は町の雰囲気を表しているとともに、彼女が尽力した黒人の権利の獲得だとか呪いとの戦いが全く理解されていないことが分かります。これが少し切なく感じました。

個人の必死の抵抗は無理解な人々の偏見や確証バイアスに負けてしまう。人間が見たいものしか見ないのは、今も変わらないかもしれませんね。

 

この事件を担当する保安官の名前はワット、助手はバフォドいう名前。この二人と二匹の警察犬でクリスマスの行方を追います。

一方で、バンチはブラウンに会いたいというリーナの意思を尊重して、屋敷の小屋に連れて行き自分はテント暮らしをしだします。(捨てられた哀れな女であるリーナに心を惹かれるバンチに対してハイタワーは愚かだと言いつつも、神に祈ったり…)

 

彼はべつに驚きを感じなかった。もう時間は、光と闇の領域は、とっくにその秩序を失っていた。ふと瞼を閉じ、一瞬とも思える時間の後で目を開けば、予告もうけずに光と闇のどちらかが入れかわっている、といった感じだった。その一方から他方へ移るのがいつのことか、彼にはわからなくなっていた、自分が横になったのさえ知らず、眠りこんだのはいつか、覚めたのもおぼえずに歩きだしたのはいつか、彼には分からなかった。

ここだけ読んだ人からすれば、闇とか光とか厨二臭いナルシズムなポエマーに感じるかもしれません。

これはクリスマスの中に流れる白人と黒人の血について書いているわけですが、白人からは黒人と呼ばれ、黒人からは白人と呼ばれることにより情緒不安定に陥っているのでした。

さて、そんなクリスマスが逃亡中に何をしたのかといえば黒人専用の教会に押し入って、公衆の面前で神父の首を絞めるという奇行でした。

私には逃亡中に新たな犯行を重ねるというこの展開が意味不明すぎて理解に困るのですが…

まぁ、恐らくですよ、恐らく黒人が神に祈ること自体をクリスマスは白人として許せないのではないでしょうか。だから、黒人の血が流れている自分もバーデン婦人に祈りなさいと言われた時に拒否したのではないかと。

 

フォークナー「何となく書いたんだけどお前がそう考えるのならそれもいいんじゃないかな」

 

みたいなことはないでしょう。

それで襲撃した後に眠くなって起きた描写がさっきの引用文に続くわけです。

 この後、クリスマスはモッタウンという町で歩いていたところ身柄を拘束されます。1000ドルの懸賞金がかかっているわけですから『エネミー・オブ・アメリカ』みたいに目の色変えた人々が町に溢れていて、なんの価値もない泥とヒゲでできた男が町に1000ドルをもたらすぞ!と浮かれているのでした。

その模様を目撃した一人の爺さんがいて、クリスマスに駆け寄るや否や杖で殴りつけました。周囲の人間が慌てて止めたのですが、なんとこの爺さんはクリスマスの祖父であることが分かりました。

名前はドッグ・ハインズといい、厳格な宗教家で、神を冒涜する人間に対して徹底的に罵倒するという攻撃的な人間性を持っています。(クリスマスに遺伝してるぅ)

彼の娘(クリスマスの母)がこっそりサーカスに遊びに行った時に黒人の血を持つ自称メキシコ人の男と一晩過ごしてクリスマスが誕生。その後、クリスマスの晩に孤児院の前に捨てられたわけです。

それから30年もの間、ハインズ老夫婦はクリスマスの安否のことなど知りませんでしたが、殺人事件を犯したことを知っていてもたってもいられず、バイロンとハイタワーの居る教会に駆け込んできました。 

「彼(クリスマス)は自分が彼女を殺したことは認めていません。それに警察が彼を犯人とする証拠といえばただブラウンの言葉だけですけど、そんなものは無効に等しいんです。だからあなたが、あの晩は彼と一緒にここにいたと言っても変じゃあないんです。ブラウンの話だと彼が毎晩あの大きな家に入ってゆくのを見たと言いますけど、あんな晩には彼はきまってここに来ていたと言ってもいいんです。人々はあなたを信じるでしょうね。とにかく、信じたくはなりますよ。彼があの女の人と夫婦みたいに暮した末に彼女を殺したなんていうことよりも、あなたの話のほうを信じたがるはずです。それにあなたは年をとってます。彼らはあなたを傷つけるようなまねは何もしないでしょう。それにあなたは彼らの仕打ちには慣れていますしね」

初対面で何を言うかと思えば、ハインズ婦人はクリスマスのために偽証してくれとハイタワーに言うのでした。 もちろんハイタワーはふざけるなと一蹴します。

それで、この翌日にリーナが出産するという展開になるんですよ。いきなり。

バイロンバンチは医者を手配するためにラバに乗り、もしものことを考えて先にハイタワーの家を訪れてリーナの元へ行ってくれと告げ、医者の元へと走るのでした。その最中に、彼女に必要なのは医者でもなく、自分でもなく、ブラウンであると悟るのでした。

そこで、保安官に相談して少しの間だけブラウンを彼女に合わせてほしいと頼むのでした。ブラウンはそのおかけでリーナのいる小屋に連れて行かれたのですが、適当な会話(1000ドル手に入ったら〜という皮算用)をした後トンズラします。

バイロンの心中は穏やかではありません。自分は好意を抱いた女性のために行動しても何も残らないのにブラウンはそれを捨て去った。これに怒りを覚えた彼はこの町に別れを告げる決心と、返り討ちにあうのを覚悟して自分よりも大男のブラウンを殴ることにーー。

二人の戦いは二分と続かなかった。バイロンは折れたり踏みにじられたりした茂みの中に横たわり、顔のあたりに静かに血を流しながら、下枝の折れる音が続いてそれが遠のいてあたりが静かになるのを耳にしていた。いま彼はひとりきりでいる。彼はいま特別の痛みを感じない、さらにいいことには、いま何をしようとか、どこへ行こうとかいう切迫した忙しい気持を感じないでいる。彼はしばらくすればまた世間と時間の中に戻れるだろうことを知っていて、ただ静かに血を流して横たわっている。

案の定返り討ちにあい、ボロボロになったバイロン。自分が望むものは何一つ手に入らず、ジェファンスンで生きる労働者としての地位もなくなる。

その傍でブラウンは煙を吹いて走ってきた汽車に飛び乗って逃走。

さらに、パカパカ歩く馬車のオヤジからクリスマスが殺されたことを聞かされたのでした。

 

あの、フォークナーさん。いい加減、光をくれないと長い苦痛でしかないのですが…

 

クリスマスの最期について続きます。

モッタウンの留置場でハインズ婦人が面会に訪れた際、ハイタワーという神父が助けてくれると言ったのをきっかけに事態は急転。ジェファンスンへと移送される瞬間を見計らってクリスマスが逃走するのです。

 

ここでまた登場人物が増えます。

パーシィ・グリムという25歳の青年で、彼は空虚な自分を愛国心と軍人としての虚栄心で満たしていました。

愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である - NAVER まとめ

ふとここで、サミュエル・ジョンソンの言葉が私の脳裏をよぎりました…

 

そんな彼もクリスマスの一件を嗅ぎつけて、当初はーー

「法律は守らせねばならない。法律は国家だ。市民が勝手に人間を死刑にする権利はないんだ。それで我々、ジェファンスンの軍人は、それを防がねばならん」

ーーと、割とまともな事を言っていたのですが、ハイタワーの家の中に隠れているクリスマスを見つけると…

 グリムは死体の上にかがみこんでいた。彼が何をしているのかと近づいて、一同は男がまだ死んでいないのを知った、そしてグリムのしていることを見たとき、彼らの一人は咽喉のつまった叫びをあげ、かべのほうへよろめいていって嘔吐しはじめた。グリムもまた、血だらけの大ナイフを背後に投げすてながら飛びさがった。「これで、きさま、地獄に行っても白人の女にいたずらできないぞ」

グリムはテーブル付近に隠れている人影を認知すると同時に5発の弾丸を発射し、それは的確に身体を撃ち抜きました。そのうえで、直接的な表現はしていませんが恐らくクリスマスの性器をナイフで切り落としたと推測できます。

クリスマスは薄れゆく意識の中で、自分の中に流れる白人の血はこれで平和になったと、また黒人の血は憎悪を抱いて一同を睨みつけ絶命するのでした。

先ほどまで理性的かと思えた白人が無抵抗の黒人を撃ち殺すという描写は、現代のアメリカでもあり得ることなので、何とも言えない気持ちになりました。

 

✳︎2017年5月18日のニュース

 

また、司法の場で裁かれるべき事件が、一人の警察官が抱いた憎悪感情によって未解決になったことは社会にとっても不幸と言えるのではと考えます。

 

さて、この続きからはハイタワーの視点で語られます。

おさらいですが、彼の妻は死にましたし、雇っていた黒人たちは迫害を受けました。さらに通りすがりに発見した妊婦の赤ちゃんは助かりませんでしたし、偽証をする事も拒みましたし、しまいには自分の家の中が凄惨な殺人現場となったわけです。

彼の中に溢れかえったのはひたすら絶望でした。

神父でありながら誰一人として救えなかった。もともとこの憎しみの連鎖の元凶が自分の信じている宗教にあるとすれば変えなければならない。しかし、それもできずに豚のように太って、ひたすら絶望に打ちひしがれるのです。

これでハイタワーの出番は終わります。

 _(:q 」∠)_←ハイタワー

 

「いやいや、嘘でしょ?光がない!」

 

しばらくして僕が言った、『さぁソルスベリーに来た』、すると彼女が言うんだ、

「『なんです?』それで僕が言ったよ、

「『ソルスベリー、テネシー州のさ』、そして振り返って彼女の顔を見た。ところがその顔はもう驚きたくて待ちかまえてたというふうだったね、そして驚くことが出てきたと知ったら、それをうんと楽しもうという気でいる顔さ。それでいまがその時だというわけで、いかにも彼女らしく驚いたもんだ。だってこう言ったものなあ、

「『あら、まあ。人ってほんとにあちこち行けるものなのねえ。アラバマを出てから二ヶ月もたたないのに、もうテネシー州にいるなんてねえ』」

「八月の光」のラストはトラックドライバーがたまたま乗せた二人の男女と生まれたばかりの子どもの話で終わります。

これはバイロンとリーナとブラウンの子どものことですが、私が読んだ限りでは『光』と呼べるものは、憎しみや呪いにも似た人種差別を受け止めたバイロンが、この親子を必ずブラウンの元へ送ろうという強い意志を持った事と、天真爛漫な性格のリーナがふと口にした世界の広さと移動の自由だと思いました。

 

おわりに

かなり端折ってあらすじを書きました。

この作品はリーナ→バイロン→ハイタワー→ブラウン→クリスマス…と各パートごとに物語の主人公が変わるので人名が覚えられない私には、とても読むのが難しかったです。それぞれのキャラには今に至るまでの歴史があって、年表かと思うぐらいに長く、それが独特の文体で綴られて656ページにもなっているのです。(私みたいな薄っぺらな人間なら3ページぐらいで終わるでしょう。「ご自由にお持ちください」の紙ですよ)

また、背景には人種の問題があるから、何気ない日常が存在しないというか、存在しても簡単に壊れてしまう感じがして、私は物語の世界観に入れませんでした。差別の概念がなく飛躍した論理(黒人の血は黒いというような)が宗教化している世界なんです。どの登場人物も攻撃的であり疑心暗鬼というか…。

しかも、主人公と言っても過言ではないクリスマスが傍若無人だから感情移入ができなくて、読んでいて嫌ぁーな気持ちにしかならないんです笑

 

アメコミにはダークヒーローというジャンルがあるじゃないですか?

クリスマスというキャラクターはフォークナーが生み出したその魁なのではと思いました。だからと言って、ジョーカーみたいなカリスマ性はありませんし、エゴイズムの塊ですからとっつきやすさがない。しかも、クリスマスという名前なのに白人に性器を切り取られて絶命というのは凄惨すぎて言葉が出ない…

それでも人種差別の問題は目をそらすべきではなく、一人一人が直視する必要があると感じます。

あえて言うならやなせたかし先生の「アンパンマン」に出てくる『ロールパンナちゃん』がクリスマスの系譜を継いでいると思います。他は鬼太郎とか、犬夜叉とか、おおかみ子どもとか、子どもでも安心して読める作品は色々とあるのでそこで抗体をつけてからこの作品を読んで欲しいと思います。

でないと光が見えなくて、逆に絶望の海を見せるためだけの存在(自分よりも下の存在を指差して『ああなりたくないよな』という道徳的にイカレた自己固定観念)にしか思えなくなります。それぐらいこの作品は読む者の体力を奪います。

でも、それがこの世界のリアルであって、奴隷制度を文明に組み入れた人間という動物に対する正しい認知なのだと思います。

善意と邪神がどうのこうのと説いたところで差別は人を救えない。これが全てだと。

また何かの機会があれば読み返したいと思います。(おわり) 

 

 

八月の光 (新潮文庫)

八月の光 (新潮文庫)