モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

8月15日 光を望む日陰

00-06 DAH

06-12 ×

12-18 ×

18-24 HHH

 

A. 北海道地方-1-0-0-0=1

 

D. 中部地方   -1-0-0-0=1

 

H.九州地方    -1-0-0-3=4

合計回数        -3-0-0-3=6

 

00:50 福井県嶺北        10/2.8 ①

00:59 網走地方            10/2.9 ①

04:01 大隅半島東方沖 40/3.6 ①

20:16 奄美大島近海     20/3.3 ①

20:59 鹿児島湾            10/2.1 ①

21:31 熊本県球磨        10/2.8 ①

 

今日は曇りだった。

東京の方では大雨が降ったとか。

一方で頭の中のアイデアは枯れている。

そこで「本当だろうか?」と疑ってみることにした。なんというか、薄暗い感じのものが多かったし、同じようなものばかりでは飽きる。

そうやって角度を変えたところショートショートが一本できた。終わりかけの歯磨き粉を振り回して出したみたいなところはあるがもう少しできるかもしれない。

 

中国に軍艦を払い下げたのもウクライナだし、お金ないからってなんでも売るのやめてほしい。

 

今日のJamTheWorldは語り部の西尾静子さんが3月9日からの空襲体験を語った。5、6歳の頃に体験し心を壊し、60歳になるまで語れなかったという。

3月9日は19歳のお姉さんと一緒にいて、憧れのお姉さんと過ごせることにワクワクしていたそうだ。空襲が始まってバリバリという音が聞こえると、今の墨田区にある防空壕へと避難した。そこには就学前の子供や女性が多くいたという。

鉄の扉で隔絶された空間でも、外の火の煙が隙間から中に入ってきて、今で言う一酸化炭素中毒の初期症状を発症していたそうだ。

その時、外から女性の声で「開けてください! お願いします!」という声が聞こえたが、中の大人は開けようとしない。

「開けてください!開けてください!」

西尾さんはぐったりしながらも子供心に『これで大人は開けるだろう』と思ったが、それでも中の大人は決して防空壕の鉄の扉を開けようとはしなかった。

とうとう女性は叫び声に近い声で「開けろぉ!開けろぉ!」と叫びだしたが、それでも扉が開くことはなかった。

なぜ大人は扉を開けなかったのかずっと考え続け、自分が大人になってからようやく、扉を開け火の手が回れば中にいる70人近い人々が死ぬ。その中にいる子供たちを何としても守るための苦渋の決断だったのではないかと理解したそうだ。

そして、外の空爆の音が鳴り止んだ翌日の朝、大人が扉を開けようとしたが扉は開かない。力を込めて扉を開けると、そこには生きたまま焼かれた人々が炭化して積み上がっていたという。

 

もしだ、もし、意識がはっきりとしていたとしたら、生きながら焼かれる人々の断末魔を聞き続けることになったのではないか…

私はそう考え、なおのこと戦争は生存者の心に呪いをかけるものだと感じた。

 その呪いを解くにはやはり語るしかないのではないか。悪夢が無くなることはないかもしれないが、一日でも安らげる眠りが増えるのではないか。

もちろん、精神衛生を保てないから何もかも忘れたい人もいるだろう。口を閉ざさなければ永遠にその日を彷徨うかもしれない。

それでも聞く耳を持つことは歴史を共有するだけでなく、凄惨な体験をした個人の心に微々たる安らぎを与えるのではないか。

人間は集団で生きることが宿命づけられている。心に影を落とした人間に優しい社会でなければ、その社会は簡単に壊れるだろう。