モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

3月3日の山頭火

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薬終了。。

ここ最近、手の震えは減ったと思っていたんだが、どうやらまた少し震え始めた。

関東は火曜日あたりに梅雨入りするらしく、今も湿度の高い空気に包まれている。
雨が降ると傘を持つのが煩わしくてかなわない。寒くもないのに手が震えてたのでは、なおのこと嫌になる。

死について考える回数はどうだろうな。
日々、目にするニュースの中では博物館のように動かない死が羅列され、見る者に問題を投げかけている。
それは社会の構造や理不尽、或いは災害に対する防災意識などが主であるが、自分の死に限っていえば、得られることというのは多いよりは少ない。
自分の死は常に身体の中で動いているので、静観するのは難しい。だからこそ、禅のようなものが必要なのだろう。
仮に死がゼロであるならば、果たして五感で感じられるかどうかさえ疑問だ。

私は時々、Kindle青空文庫の書籍を読んでいるのだが、種田山頭火氏の「旅日記」にある『3月3日』の詩が頭から離れてくれない。
どうにも謎めいていて、自分では解決できない漠然とした悩みを持つ私にはとても興味深いのだ。
酒好きな友人Kに会ってしまった後の、「死に場所が 、死に時がなかなかに見つからないのである !」というラインの解釈が難しい。
と、いうのも山頭火氏の死因を見てみると、仲間たちと酒を飲んだ後に動かなくなり、酔いつぶれたと勘違いされたが実は脳溢血だったという。
それを踏まえて考えると、自殺するために酒を飲んでいたのではないかと思えてくる。
この妙な違和感がどうにも離れてくれないのだ。

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