中二病とされるキャラは自分が理想主義であることを自覚しているからピエロを演じる。
その一方で現実主義の目線も併せ持っているので、自分の言葉の強度を信じているというパーソナリティーだと。
ほほぅ…
にわかなので私はそんな読んでないっす。
「男が女性の声を使う」ということについて、『なぜマツコデラックスが売れて俺が燻っているのか分かった気がする』と伊集院さん。
同じ言葉でも誰が言うのかで受け止められ方が違うということだ。
生きにくさと自己否定の中で作品を作り続けていた太宰は、キャラクターを憑依させる書き方を身につけたと思われる。
創作する世界に没頭した中で創られたものは人を惹きつける魅力がある。
高橋源一郎さんが選んだ女性目線で描かれた太宰作品は「恥」
メルヘン少女和子は戸田の書いた小説の中に自分と瓜二つの主人公が描かれているのを知り、「どうして私の事を知っているのだろうか」と好奇心を抑えられなくなり作者の元を訪れることにした。
先生は貧しい方だから自分も身なりを汚して行く。
ところが、戸田は金持ちでイケメン。
汚い格好をしている自分を惨めに思いつつも、なぜ私の事を知っているのでしょうか?と和子は尋ねる。
この顔である笑
メルヘンの世界を粉砕された和子は
「小説家なんて、つまらない。人間の屑だわ。嘘ばっかり書いている」という名言を残すのだった。
巧みに女性を描く太宰治について、二人の評価は以下のようなものだった。
破滅的であるというのは振れ幅の大きい人間だ。常人に当てはまることが100%当てはまるとも限らない。
書くことが精神安定剤であったはずが、テーマ設定を誤った場合、死に拍車をかけることがあるのだろうか。
多彩な表現力を身につけるには、物事を多角的に捉えることが重要だと思うが、10代の女子が書いた日記を見たからといって、万人が万人その書き言葉を自分のものにはできない。
単なる興味ではなく、生きるために他人の感覚を自分に取り入れている感じもする。
その細胞が体内で広がっていって、自由自在に動かしているようなね。
極限状況にあった彼らが死に物狂いで伝えようとした「知」は、すぐに役立つ実学などではありませんでした。それは「マルティン・ルターの伝説」であり、ラヴェルの「水の戯れ」であり、ドヴォルザークの「新世界」でした。何かを教え、語り継がなければ、「人間の尊厳」も「文化としての日本人の系譜」も息絶えてしまうという死に物狂いの動機。こんな思いに支えられてきたのが本物の「知」ではないでしょうか?
翻って現在、私達が置かれている状況はどうでしょう? 「すぐに役に立たない分野は廃止を」「社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組め」等々の掛け声の下、教育機関の再編成が推し進められていると聞きます。旧態依然とした横並びから脱し、グローバル化や大学ごとの特色を出すために努力することは、私も大切だと思います。ですが、上記のような「教える情熱」「学ぶ情熱」を押し殺すようなことだけはあってはならないと思います。
高橋源一郎さんと又吉直樹さんのお話を聞きながら、そんなことを感じました。そして、私自身も「100分de名著」を、人々の「学ぶ機会」「学ぶ情熱」に応え続けられるような番組にしていきたいという思いを新たにしました。政権放送ばかり繰り返すNHKの中にも、まともなプロデューサーがいて良かった。
「面白い番組をありがとうございます」と言いたい。