モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

お前がヒヨドリだと知っているからボケは成立するのだ

日が落ちると一気に寒くなる。
乾燥した空気の冷めやすさたるや。

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本日は通院日。
待合室のパキラを観察。
でけー。
やっぱり三つ編みにしないとオシャレな感じが出ない。
つまり、家にあるパキラは波平である。
まさかこんな所で名前が決まってしまうとは…(お前のさじ加減だろ)

医師との話は「どうしたら罪悪感が消えるのか?」という内容。
鬱あるあるとしてはポピュラーである。

自分で言うのも何だが、私は他人をあるがままに認知し、そこから見て取れる特徴から背景を推察する。
だから、人種も性別も関係なくそこに存在するのだと判断する。
私は他人や世界については広く捉える人間だ。
しかしながら、自分を評価する際には目標に届かなければ無価値に思うし、目標を達成したからといって調子に乗るのはクズに思ってしまう。
多様性が重要だと言いながら矛盾した、価値判断を持っているのが、生きるうえでの煩悶に拍車をかけるのだ。

これについて医師に話したところ、一口に「生きる意味」と言っても答えは様々だと言われた。
生物学的に言えば子孫繁栄だろうが、人間社会においては色々な考え方があると。
そのうえで医師は「生きる意味を見つけることが生きる意味だと思う」との見解を示した。
メビウスの輪のような話である。

それを受けて私は、答えのない問いを繰り返すと我々の頭はおかしくなるとフロイトが言っていたので「答えのない問いを繰り返すことは精神衛生上良くないことなのか?」と質問した。
医師は必ずしも良くないわけではなく、この先は哲学や宗教になると答えた。

人間の生きる意味は「哲学か宗教の中に答えがある」
或いは「ない」という着地点で時間となった。

話が長くなったので、「道なき道を行く」という言葉の「道」を「意味」に変えれば医師の考え方。
「道なき道」に含まれる「無い」を踏まえて「行く」を考えてるのが私です。


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かーらーすーなぜ鳴くのぉー

ヒヨドリだよばぁぁぁぁかぁぁぁぁぁー

\(^o^)/知ってるぅぅぅ