ようやく読み終えた。
全522ページもある分厚い本だから、手首が痛くて仕方がない…笑
また、映画が公開された際のインタビュー記事や対談も載っているのでかなり読み応えがありました。(そりゃ、手首もおかしくなりますよ)
いかに宮崎駿がこの世界を見ているのかが分かる名著です。
主に「人間」と「自然」を中心にまとめてみたいと思います。
生きろ。の意味
この本の約半分は「もののけ姫」で構成されています。キャッチコピーは有名ですね。
2015年の今現在、中東では連日のように空爆が起きています。
この本の中の至る所で70年前の戦争やイラク戦争が語られていて、「生きろ。」という言葉には力強さと共に人間の呪いのような不気味を感じます。
もののけ姫の中で描かれる「生きろ。」とは一体どのようなものなのでしょうか。
『矛盾するモノが同居し、形容しがたい存在がところかしこに存在する』
作品の舞台は室町時代から鎌倉にかけての設定です。
侍と農民が明確に区別されたのは明治政府が戸籍を定める際に職業の区分を引いたからだそうです。作物を育てながら戦うわけですから、そりゃ刀狩りしますよね。
「アシタカ」→大和民族に滅ぼされている失われた民。タタリ神の呪いの痣で差別を受けて村を追い出されるも、勇敢に運命と戦い、人間と森を愛する
「サン」→犬神モロに育てられた人間。人間の否定として描かれる
「モロ」→慈愛と絶望を持つ犬神。サンを愛し、人間であるサンを醜く思っている(矛盾を抱える)
「烏帽子御前」→何も恐れずに進む鉄の女。立場の弱い人間に愛を持つ。
私は室町時代の「む」の字も知らないダメ人間ですが、このキャラクター設定の関係性って不思議な引力が働いているように思います。
差別を受けた主人公が恨みよりも愛を持って、グラグラ揺れながら均衡を保っている。
本の中で室町時代の経済を動かしていたのは女性で、蚕で絹糸を作り反物を折って可動産を作り出していたと語られていて、男性は不動産である土地の奪い合いをしてヒャッハーだったそうです。(私も母系社会であった民族が男尊女卑に走って自滅したのだから、もう一度母系社会に戻すべきだと思っていたのでとても興味深く読んでしまいました)
烏帽子は弱気人々の為に経済を動かしていますが、それは同時に森を切り開くことにつながります。
物語を理解するうえで重要なのは、古代と現代の「自然」に対する認知の乖離でしょう。
パヤオの脳みそをパッカーンしてみましょう。
- 自然は残酷で凶暴である
- 豊かさだけを取り上げるのは間違っている
- 善悪で語ろうなんてちゃんちゃらおかしい
- 人間の都合に合わせて自然を残すのは間違い
- 昔の人々は人間界とは違う世界が自然の中にはあると思っていた(自然崇拝の概念)
- ラテン化して自然破壊を繰り返すようになった
- 現代人が理想としている姿こそ悪魔だと思うんです。byパヤオ
烏帽子御前に見るように「人間は自然に住んでいながら不自然にしないと生きていけない」ということですね。
現代も人間と自然は破滅的な共生関係にありますが、答えはこう書かれていました。
「解決は話し合いしかありません。最も困難な道です」
恐らく誰しもが知っているはずなのに、これができない。
武力によって戦争は終わったでしょうか?
終わるはずがありません。戦闘機にパイロットは乗っておらず、会話さえできないのですから。
戦争とは言葉を捨てる行為だと私は考えました。
人間でありたいが故に言葉を捨てたくはないし、戦争をしたくないのです。
これさえ誰しもが知っているはずなんですけどね。
子どもたちについて
この本を読むと、いかにパヤオが常に自分の座標を確認して生きているかが分かります。
「この世界の、この国の、この社会のどこに自分はいるのか?」ということです。
それを繰り返すからこそ自分の中に深い見識に基づいた哲学を持っているのでしょう。
そして、その哲学は美術館という場所と保育園を作りました。
- 子どもの未来はつまらない大人です。その瞬間しかない子どもの時期をできるだけ幸せにしてあげたい
- 子どもの時期というのはいかに世界を抽象的に捉えるかが重要で、それを粘土で表現したりする。それなのに九九なんてものを一番覚えにくい時期に教えてつまらせていく
- 字を覚えるにつれて観念に囚われていく
- 健康な野心を持ちなさい
- 年寄りの灰色の世界は子どもに救われる
先月だったでしょうか、腹を立てた年寄りが乳幼児を傘で突くなんて事件がありました。
園児の声は騒音だとして保育園の建設に反対したり、防音壁の設置を求めたりして、灰色の世界の人々はダークサイドに堕ちていっているように思います。
ジャンポール・サルトルの「他人は牢獄である」という言葉を想起します。
どうにか子どもたちを「ショーシャンクの空」ばりに脱獄させてあげなければなりませんね。
ちなみにジブリ美術館が撮影禁止なのは「カメラから子どもたちを解放させるため」だそうです。
ナウシカ →滅びた世界
もののけ姫→生きろという外からの伝言
千と千尋 →他者から生き方を学ぶ
風立ちぬ →生きねばという決意
こうして映画の核を並べてみると、パヤオは滅びる性質を持った人間をいかに肯定できるかを何回も何回も試行錯誤しているように思います。
そして、それを「つまらない大人」になる子どもたちに託している。
灰色の道の上で人々が殺し合いをしようとも、解決方法が話し合いしかないことを分かっていて、いかに幸せにできるかを考える…それが宮崎駿という人間なんですね。
この本は名著ですわ。