モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

誰が望んだ未来なのか。

「現在」はあなたが望んだ「未来」ですか?


2011年3月11日から5年が経ちました。

あの衝撃的な出来事は全身の血が沸騰するような感覚と全身の血が引く感覚とが合わさった、まさに体内で津波がおきたような感覚です。
地上で起きた大災害とは関係なく、いつものように朝日が差すと、絶望的な現実が浮き彫りになりました。
地震津波により破壊された大地の上に降り注いだ放射能に対して、被曝国の国民でありながらあまりにも無知でした。
言葉を失うほどに。

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たったそれだけの量にもかかわらず、豊かな自然は放射線管理区域へと姿を変え、農民たちは代々受け継いできた土地を自分たちが使うわけでもない、たかが電気の為に奪われました。
生活のいっさいがっさいを奪われた人々は何の心の準備もないままに、人生をやり直さざるを得なくなりました。
考える猶予なんてありません。今をどう生きるかという状態です。
核家族化が進んだ現代において、何のツテもなく生きていくのはサバイバルに違いありません。
愛する人達と過ごした空間は汚染され、空き巣に荒らされ、野生生物に侵食されていく。
それが大規模な範囲で起こっているわけですから、個人は自尊心を砕かれないようにするだけでも手一杯です。
そんな人々に対して、加害責任を問われるべき国は長期的な補償ではなくオリンピックをやるといい、多額の税金を投入してスタジアムを建設すると言い出した。
「投資はするが補償はしない」というスタンスは変わらず、談合で作られた道路と同じようにどんどん建物を作るのでしょう。
放射性廃棄物をコンクリに混ぜる案も浮上しているので、気をつけなければなりません。

「なんでこんな人間たちが国会議員をやっているんだ?」と考えたり、何もかもが許せなくなったのは私だけではないはずです。
では、こんな馬鹿げた現実は一体、誰が望んだ未来なのでしょうか?

忘却

原発事故の加害者たちが安全PRをし、「事故を忘れさせたい人々」と「すぐに忘れる人々」が居るなかで、どうやら私は忘れたくない気持ちが強かったようです。
原発事故の情報が出てこなくなったと感じて、2013年の6月から東電会見のメモを取り始めました。
原子力緊急事態宣言」が発令されているのに、国民はその会見をテレビで見ることができないなんておかしいと思いませんか?
昨日もJヴィレッジ、福島会場、東電本店を繋いだ会見がありましたが、テレビ局の人間が質問することはありませんでした。
毎年、この時期になると大手メディアはツアーのように原子炉建屋内部の取材をします。
私は思うのですが、果たして彼らの中に「原発事故の原因究明をしよう」という目で取材している記者がどれだけいるのでしょう?
もちろん、内部の映像を記録に残すことは有意義ですし、作業環境を見せることも必要だと思います。
しかし、定例会見を見続けていないと分からない情報がたくさんあります。
会見の中では去年の末に4月になったら溶接型タンクが足りなくなることが指摘されていました。現在その通りになって、フランジ型タンクに高濃度の処理水を入れています。
原発事故の加害者に対するインタビューであることを意識しないまま、東電がアピールしたい部分だけをカメラに移して放映することは危険だと思うのです。
テレビ局にしてみれば定例会見の映像なんて、画変わりのない退屈な画面にしか見えないのでしょう。
でも、それは質問する人間がいないからなんですよね。

事後検証の必要性

先日、テレ朝が深夜に放映したテレメンタリーで、どうしてメディアの人間は被災者を残して逃げたのかを特集していました。


事後検証を行うという点で評価できると思います。

ざっと内容をまとめると、東海村の事故があった際に知識もないまま不十分な装備でスタッフを放射線にさらした過去があり、その際に社内規定が設けられたそうです。

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取材可能エリアを毎時10マイクロSvに制限し、それ以上の場合は電話取材にとどめるということでした。
会社として社員を守るために設けられたということは理解できます。

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当時、政府は同心円でエリア設定を行いましたが、放射性プルームは風に乗ってやってきますから安全の確保は容易ではありません。

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オバマ大統領は早い時期に自国民に対して半径80km圏外に避難を呼びかけました。

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原発事故状況下での取材は線量計が必要不可欠ですが、サーベイメーターはなく、ポケット線量計も電池切れの状態。
不確定要素が多い為にテレ朝の上層部は社員の生命を優先して撤退命令を出したのでした。

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テレビ局には被災者からの悲痛な叫びが続々と届きました。
こうした現状に、一部のスタッフは線量が低い箇所での取材はできないかと上層部に直談判しました。
しかし、上司が首を縦に振ることはありませんでした。

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それでも行かなければならないと思った
河本健太氏は黙って取材を決行。

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被災者は安全だと思ってそこに避難しているのに、テレビ局は撤退をしている。
この状況に呵責を覚えたそうです。

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この問題についての結論はスタッフの安全が最優先ということでした。

別にフリーランス記者が偉いというわけではありませんが、一分一秒を争う状況で命と同等、或いはそれ以上の価値を持つ情報が目の前にあるのに報道しないのはあらゆる意味で「不幸」に思いました。
メディアの関係者は政府、警察、司法に続く第四の権力を持っていることを理解して頂きたいと思います。


おわりに

震災をきっかけに、馬鹿な私は頭が良くなりました。
特にTwitterと会見のメモの影響で、脳みその中で情報の圧縮技術が上がったと思います。
もしかしたらコレは私だけでなく最近のネットの特徴かもしれませんね。
ニュース記事の3行まとめなんかいい例です。

情報過多の中で何を選択して今を構築していくのかって、場合によっては中身がスカスカのスポンジみたいになりますから、見切り発車で暴言をツイートすることは無くなりましたね。

そういう時代背景もあってなのか、フリースタイルダンジョンが人気だったり。

「お前なんて中身ねぇただの社会人」

このブログは5月で開設1年を迎えます。
玉石混交の中で重要な情報だったり、面白いなと思うものは、どんどん記事にして行こうと思います。
当初の閲覧数は一桁でしたが、ありがたいことに現在は週間で1000ちょいまで上昇しました。
報道にしても創作にしても注目を浴びるべき人にスポットライトが当たらないのは不幸なので、どんどんアシストできたらいいと。それがエキストラの使命だと思うのです。