モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「悪の力」から考える満たされた世界

【様々な凶悪事件「悪」について】ゲスト 姜尚中(東京大学名誉教授) - モブトエキストラ

積ん読状態だった姜尚中さんの「悪の力」を読み終えたーー

「正義」と「悪」は誰しもが日常生活で触れる身近なモノなのに、漠然としていて誰しもが答えに困る問題です。
そのうち一方の「悪」にスポットライトを当てて、事件や文学、宗教を事例に挙げて正体を探る一冊です。


悪の性質、増殖、分布、捉え方…etc


第一章 悪意に満ちた世界
第二章 悪とは何か
第三章 なぜ悪は栄えるのか
第四章 愛は悪の前に無力か

この本は上記の四章構成になっています。
まず、現代における悪として幾つかの事件が記載されています。


川崎市中一男子生徒殺害事件。
この事件は記憶に新しく、最近では犯人少年にたいして懲役9年から13年の不定期刑が言い渡されました。
本の中で語られるこの事件に潜む悪は、加害少年が持っている悪はもちろんのこと、事件を知った社会のハレーション、つまり「憎悪」による私刑
また、自由な環境下でしか悪は発生しないとすれば、自由と悪の関係性を突き詰めて考えるべきではないかと指摘されています。
そして、世界に目を向けるとこうした社会的な憎悪をプロパガンダとして利用する武装集団のISが存在するーー。

全く違う事件であるし、具体的な説明ができないとしても「悪」であると私達は理解できてしまう。この抽象的な理解は「異常な犯人を理解したくない」からこそ起きるのだと言えると思います。
しかし、理解しなければいつまでたっても正義と悪の二項対立は終わりませんーー何が正解なのでしょう。

初っ端からこの本むずいです。


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↑これ本の帯です。
これを見て思ったんですけど、愛を笑う人はダークサイドなんですかね。
社会実験に使えそうだと思いませんか?

ああ、話ズレました。

正義の世界は秩序による制約がありますが、それによって平和が保たれています。
一方で、悪の世界にはルールなどない。
「殺してみたいから殺す」ことが肯定される世界です。
これを考えてみると、正義という宿主がいなければ悪はすぐに自滅してしまうウイルスに思えます。
本の中では「自由な環境下にしか悪は発生しない」の逆説的アプローチも書かれています。
グレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』を例に挙げている「悪は空虚を好む」というパートなんですが、興味深いので引用しますね。

神様がいないのに、この世界の中で善を信じることなんてできるのだろうか。そんなものは信じられない。でも、もしかすれば、悪があることによってなら、この世に神があるということは信じられるかもしれないと彼は言います。この言い方には、悪というものが「逆立ちされたイエス」のように表現されているのです。
さらにピンキーは、地獄こそが実存なのだという決め台詞を吐きます。

道徳や倫理の正義と悪というよりかは、宗教的な救いと罪の関係ですね。
この悪は短絡的なものではなく、理論的な悪なんですよ。
そのうえで神を信じようとしている。
発生の順番を考えると「性悪説」ですね。
そのあと、こう続きます。
ピンキーという人物から浮かび上がってくる悪とは、いったいどんなものでしょうか。彼は実在する世界の何物をも信じていませんでした。彼について「他人のさまざまな感情が彼の頭脳を疲れさせた。彼は今まで、この理解したいという欲望を感じたことがなかったのである」という描写があります。彼にとって、理解を強いられる、この経験の世界こそ、制約以外の何物でもなかったのです。
つまり、空虚の塊であるピンキーという少年が、ブライトンという町で生きていくには、その空の器を「悪」で満たしていくことしかなかった。
なぜなら、この町の行動原理は「悪」しかないから。
だから、生きるに値しないこんな世界は破壊してしまえばいいという思考に至ったわけですね。
「朱に交われば赤くなる」という諺がありますが、犯罪が肯定される町の中で善人で居られるにはどうしたら良いのでしょうか。(本の帯そのものですね)
ちなみにピンキーは自殺したそうです。

次に、根源的な悪について触れられています。
ここで役立ったのが今年の初めに放送された100de名著のフロイトの回。


死の欲動」と「生の欲動」についてはサラッと頭に入っていたので、この個人の二面性の延長線上にある社会の二面性は想像しやすかったです。
本の中ではディカプリオの「ブラッド・ダイヤモンド」が挙げられています。


身近な事例で言うと何でしょうかね。
「バレンタインに愛をこめて渡したチョコは、人権を無視したカカオ農園で奴隷扱いされてる子供たちが作った」みたいな。
資本主義については最後に触れられていますので、あとで書きます。

『もともと悪なんだから仕方ない』と言われても、納得しない人は多いと思います。
私も納得しません。それって、人間を語っていると同時に、他人が自分の性質を決めることでもありますから、「お前が決めんなよ」と思いますし、「人を殺すことがステータスってどこの暗殺教室ですか?」って思ったりします。(フロイトが言うことは最もだけど、どこかで否定したいんですよね)

そして、姜尚中さんはどえらいものを例題に挙げます。

その不条理による不条理の為の話の名は
ヨブ記


これも100de名著で見たので内容は把握してます。
人間の理解を超えた神が悪魔を使って人間の信仰心を試すという、いわば「実験」ですよね。
「お前何様だよ‼︎」って怒ったところで「神様だけど逆になんなん?無礼だろ」としか言わない感じ。
しかも「…ですよねぇ」ってこちらが折れるとハッピーエンド。
なんだこれってなりますよね。
人間よりも大きな力を持つ存在があることは理解できます。
しかし、この不条理に信仰心を持つということを肯定する手段はサドとマゾの精神世界でしかないと思います。
痛みの先に祝福があるとして、その過程で死んだとしても『信仰心が足りない』と片付けられる。
この徹底的な縦の関係って、神の持つ「正義」の存在を立証する為に、神の振りかざす「悪」を容認していると私は解釈しました。


ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に出てくるイワンこの「ヨブ記」の神を問うていると姜尚中さんは指摘します。
せっかくなので、本に書かれてるイワンの名言集を書き出しておきます。

この世界は堕落しきっている。この世界に生きる人間は、イエス・キリストの教えに値するだけの人間ではない
地上には三つの力がある。そしてただその三つの力のみが、こんな弱虫の反逆者たちの良心を、彼らの幸福のために永久に征服し、魅了することができるのだ。その力とは、奇蹟と、神秘と、権威に他ならない。
だが、ここでもお前は人間をあまりにも高く評価しすぎたのだ。なにしろ彼らは、反逆者として創られたとはいえ、もちろん囚人だからだ。あたりを見回して、判断するがいい。すでに十五世紀が過ぎ去ったけれど、お前が自分のところまで引き上げてやったのがどんな連中だったか、見てみるがいい。誓ってもいい。人間というのは、お前が考えているより、ずっと弱く卑しくて創られているのだぞ!
俺はこの神の世界を認めないんだ。それが存在することは知っているものの、全く許せないんだ。俺が認めないのは神じゃないんだよ、そこのとこを理解してくれ。 俺は神の創った世界、神の世界なるものを認めないのだし、認めることに同意できないのだ。 (「カラマーゾフの兄弟」上)
自分の理想とかけ離れた現実に対するイワンの衝動が爆発してますね。
しかもこの衝動さえも「悪」に向かいかねないのが人間の脆弱なところ。
その人間が作り上げた「資本主義」というプログラムについてこの本の中ではこう定義されています。

「悪の培養基=資本主義?」

悪というウィルスによって心身を蝕まれることを知っていながら、どうして人間はそれを助長するプログラムを作ったのでしょうか。
欲望を満たすことが経済活動に繋がっているので、その欲望が機械的な進化を求めて効率が良くなった為に悪の母数が増えたのでしょうね。きっと。
有限な人間が際限なく求めるのも「悪の力」に思います。
例えば「土用の丑の日」だって、ウナギを売りたいが為に作られただけなのに絶滅するまでウナギ食うとか病気ですよね。

この本でとくに印象的だったのは第三章で記述されたミルトンの「失楽園」です。
全く同じことを山本太郎議員の話で聞いたことがあるので一緒に書いておこうと思います。

日本で一番政治に力を入れているのは経団連なんですよ。何年も献金し続けて、自分たちに都合のいい議員を送り込んでるわけですから。これを市民社会側がやらないと格差は無くならない。
みなさんからすれば、連合の古賀会長や一部の議員は共産党が嫌いとか言ってる場合じゃないだろうって思うかもしれません。でも、共産党は国民連合政府の発表をする際に野党第一党の民主党への配慮がなかった。「政治は段取りだ」と山本太郎は何べんも言われました。本当にややこしい世界です。
↑うろ覚えの言葉ですけど、比較対象として覚えておいて下さい。

で、次、失楽園です。

人間よ、恥を知れ、と私は言いたいのだ! 呪われた悪魔でさえも、悪魔同士で固い一致団結を守っているのだ、それなのに、生けるものの中で理性的な人間だけが、神の恩寵を受ける希望が与えられているのにも関わらず、互いに反噬し合っている。 神が、地には平和あれ、と宣うているにも関わらず、互いに憎悪と敵意と闘争の生活にあけくれ、残虐な戦争を起こしては地上を荒廃させ、骨肉相い食ん(あいはん)でいる始末だ。 これでは、(もしもそれに気づけば、我々は当然一致協力すべきはずなのに)あたかもこの地に地獄の敵が人間を囲繞し、その破滅を日夜虎視眈々として窺っているのを、全く知らないものの如くだ! (「失楽園」上)

もう、現在の政治とドンピシャなんですよね。
戦争によって領地を拡大して、その後に効率化を高めて、経済が低迷したら再び領地を拡大する。この「スクラップ&ビルド」の螺旋の上に私たちは居て、現在は破壊活動が行われている真っ最中です。
それに気づいていながら、止めない理由がショボすぎる。
ナチス時代のマルティン・ニーメラー牧師の言葉にも通じます。

要するに、意図的に思考を停止することは疎ましい現実から個人の精神を守る為の回避行動なんですよね。
冒頭の方に書いた、犯人を理解したくないという一線を引くのも回避でしょう。

思考停止や抽象化することで自己防衛しているからこそ、印象操作によって騙されやすくなるって、ウイルスにとっては天国ですよね。だって、宿主が脳みそに自分のスペースを空けてくれているんですから。

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この図は、たった62人の人間が35億人分の財産を保有していることを示すものです。
世界中で中間層が破壊されて、格差が開いているわけですが、もしかして大富豪たちも中間層と同じように貯蓄する性質を持っているのではないでしょうか?
つまり、現在起きている格差というのをより具体的に言えば「執着の格差」ではないでしょうか?
恐るべきことに、資本主義はたった62人が35億人分の欲望を保有するまで機械的に淘汰したということです。
逆を言えば、資本主義のプログラムは現状たった62人で35億人を救うことができるはずなんですよね。
問題は誰がこのスイッチを切り替えるのかです。
35億人が62人を殺すことなく、また、過不足なく人々が満たされる為には何が必要なのでしょう?

本のエピローグにはこう書かれています。

悪とは、結局、何なのでしょうか。 これまで述べてきたことからわかるように、悪とは、一言で言うと、病なのです。 もう少し言うと、悪は、「空っぽ」の心の中に宿る病気です。

3.11を経験した私たちは、奪い合えば足りず、分け合えば余るという事を知っています。
大富豪の空の心を満たすには、分け合うことで幸福感を得ることができることを示すことが必要ということになります。
病んだ心はそれさえも、利益をもたらすプログラムに変えようとするでしょう。
個人が徹底的に否定と提示を繰り返すことが重要だと思いました。