モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「パニック・裸の王様」の感想

これは殿堂入りだわ


この本。やべーです。
マジでこれは最近読んだ本の中で
No. 1ッ!!

特に抜きん出ているのは触らずとも物質の質感や形態を感じることができる程の表現力。
本書には4つの話が綴られているんですが、その中から各話で見られたキラーリリックを抜粋しようと思うよパトラッシュ

パニック

彼は声をかけようとしてなにげなく課長をふりかえったが、そのまま顔をもどして口をつぐんだ。課長は髪の薄くなった頭を掻き、小指の長い爪にたまったあぶらをはじくことにこころを奪われている様子だった。イタチもやがて飼育係の足元で金網のなかを糞まみれになって走りまわるようになるだろう。飼育室を出るとき、ふと俊介は日頃なじみ深い倦怠の軽い死臭がもどって来るのを感じた。
話の内容としては、何年かに一度大量発生するネズミに翻弄される人間を描いたもので、主人公の俊介は役所に勤務しています。引用したところはネズミの対処をする為にイタチを野に放ってみるのはどうか試案する描写です。
もともと、この案を考えたのはハゲ課長なんですけどやる気の無さが伝わってきますよね。
しかも、イタチの業者と談合していて、今で言う所の甘利大臣とURみたいな感じ。
ネズミ単体では汚いものとして描かれますが、大発生して集団となったネズミはヒッチコックのような狂気として描かれます。
対照的に人間から沸き立つ腐敗臭がネズミを凌駕している感じが何とも言えません。

巨人と玩具

しかしこの表面的な陽気さにもかかわらず八月に入ると不穏な情報が流れはじめた。中小メーカーが倒産しはじめたのである。彼らには懸賞をつけたり報奨金を増したり問屋を接待したりする力がなかった。しかも商品はおなじキャラメルである。問屋は滞貨を口実に彼らの品をこばんだ。窮迫した彼らは一箱でも現金にかえたい焦燥から建値を崩してまで哀訴た。夏枯れの資金難は深刻であった。彼らは息をつこうとして口をあけたはずみにおぼれてしまったのだ。一軒が値を崩すとたちまちニュースは波及し、問屋はかたっぱしから中小メーカーを叩いた。乱売、値崩れ、倒産が全国に野火のようにひろがり、私たちは新聞の自殺者のなかに幾人かの小工場経営者の名前を読むようになった。これは欲望の限定された、底の浅い市場で起こる悲劇だった。かぎられた面積のなかでの陣取りごっこだった。いいかえれば宇宙帽(スペース・ヘルメット)が彼らを窒息させ、ポケット猿が彼らの動脈に歯をたてたのだ。
巨人と玩具というタイトルの意味は、大手製菓企業三者によるプレゼントキャンペーンを意味しています。
サムソン製菓は宇宙服を懸賞にし、ヘルクレス製菓はポケット猿を、アポロ製菓は子どもではなく親に対して奨学金をプレゼントすると打ち出します。
最初は子どもを喜ばせる為に行っていた仕事はアポロ製菓の薬物混入事件をきっかけに競争の激化、大人たちは眠れなくなっていきます。
「パニック」ではネズミの集団が描かれていましたが、今回は人間がありありと描かれています。

裸の王様

そのとき、人ごみの後ろから大田氏が顔を出した。みんなはパトロンのために道をひらき、いかに殿様がふざけた、趣味のわるい、そして下手で画であるかを口ぐちに説明した。大田氏は細巻きの葉巻を指にはさみ、ニコニコ笑いながら画を眺めた。そして、彼は彼としてもっとも正直な意見をのべた。
「たっぷり塗りこんでいますな、なかなか愉快じゃないですか」
彼はそれだけいってひきさがった。
すると、それまで黙っていた山口が体をのりだした。彼の眼には同情と和解の寛大な表情が浮かんでいた。彼はぼくの目をみつめ、よく言葉を選んで静かにいった。彼は自信を回復し、余裕たっぷりで、ののしられたことなどすっかり忘れて譲歩もし、いさめもしてくれた。
「わかったよ、君。この子供は正直に描いたんだ。下手は下手なりに自分のイメージに誠実だ。フンドシと王冠とどちらが地についたものか、それは大きな問題だけれど、とにかくこの子はアンデルセンを理解した」
〈中略〉
「君の画塾の生徒かい?」
「そうだよ」
山口はしばらくだまってからささやくように質問した。
「誰が描いたんだ?」
ぼくは講壇の隅のテーブルでひとり静かに葉巻をくゆらしている中老の男を眼でさした。
「大郎くんだよ」
山口は色を失った。彼は刺すようにはげしい光を眼に浮かべ、ぼくをみてくちびるをかんだ。
ぼくはまわりにひしめく大人たちの顔をみわたして
「この画を描いたのは大田さんの息子さんです。山口君の生徒ですが、画は私が教えています」
「…!」
「…!」

この話は両親の離婚によって心を閉ざしてしまった少年と、絵画教室の教師が本質を理解していない大人たちに反撃する話です。
絵の具の表現でも描写が活き活きとしていて、油彩画の匂いがしてきそうな文章で書かれています。
しかし、今回は先ほどまでと違って全体の構成がはっきりしているので映像化しても面白いのではないかと思います。
引用した部分はまさにタイトルとオチを表した文章。
主人公の私は既存の価値観を子どもに植え付ける事を嫌って、アンデルセンの童話「裸の王様」を抽象的に話します。
すると、大田氏の息子は王様を殿様として描いたのでした。
著者である開高氏の発想力の豊かさが表れた物語だと思います。

流亡者➖F.K氏に➖

兵士たちはしばしば私たちを嘲笑し、侮辱した。彼らは泥酔して仕事場のあたりを歩きまわり、私たちが征服されてから壁を固めているいることをさして口ぐちに笑った。彼らはほとんどが傭兵で、あらゆる地方の出身者であった。ならず者、ばくち打ち、浮浪者、色情者の集まりであり、誰ひとりとして自分の仕事に目的を見いだしている者はなかった。彼らは東にながれ、西にうろついて、戦争でぼろきれになった平野のなかを一銭でも多い賃金を支払う野心家をもとめてさまよい歩いていただけだ。自分たちの指導者に対してなんの信仰心ももっているわけではない。だから、私たちが彼らを迎い入れながらもなおもつぎの侵略者を予想して防壁を高めることに苦しむありさまを見ても、反感を抱く必要はどこにもないのだ。
三国志を常に侵略される平民の目線で描いた作品。
主人公の住む町は指導者も兵士もいない町でした。なぜ、指導者をたてなかったのかといえば侵略者がやってきては指導者の椅子につき、その半年後〜2年後には新たな侵略者がやって来るというのを繰り返していたから。
進撃の巨人という漫画では壁を信仰の対象として描かれていましたが、この町の場合は全ての人間が壁は無意味な建造物であると理解しながらも、自治体の繋がり(壁を作るという目的で繋がっている)として認識しているので毎日レンガを運び続けます。

多分、この町は読む人によって姿を変えるのでしょう。ある人からすれば日本だったり、パレスチナだったり、或いはまた別の作品を想起させると思います。
この作品はぜひ読んでみて欲しいです。
最後には血も汗も精液も砂に吸い取られた反抗的な命が砂漠に立っています。


まとめ

この本はヤバタンだった

パニック・裸の王様 (新潮文庫)

パニック・裸の王様 (新潮文庫)