モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

【100de名著】「五輪書」からのバガボンド


宮本武蔵を長年研究し続けている魚住孝至さんは、「五輪書」が、現実の中で生き抜き、時代の課題を真正面から引き受け、自らの経験に基づいて書かれた本ならではの説得力があるといいます。その実戦性、合理性から、伝統主義に傾いてしまう江戸時代には十分理解されずに埋もれてきましたが、現実に即した徹底性は普遍性を持つのであり、今こそ、再発見され、読み直されるべき古典だというのです。そこには、「自己鍛錬の方法」「専門の道の追求の仕方」「状況を見極め活路をひらいていく極意」など、現代人が生きていく上での重要なヒントが数多くちりばめられているのです。
今月の名著は宮本武蔵が書き綴った五輪書でした。私は漫画「バガボンド」のファンなので宮本武蔵の人物像について興味がありました。第一回目から今まであった宮本武蔵のイメージを崩してくれる内容で面白かったです。
いつもは一回ずつまとめていますが、今回は4回まとめつつバガボンドに流れていこうかと思います。
写真はございません。

剣豪 宮本武蔵

1582年 天正10年 米田村、現在の兵庫県高砂市に生まれる。
生家は田原という豪族で秀吉の進軍に抵抗するも敗れ、武家としての道を断たれる。
その後、武蔵は岡山県の新免無二という剣の名手の養子に引き取られ、剣術を教え込まれる。
13歳の時に有馬喜兵衛という武芸者と戦い初勝利。20代の終わりまでに60回近くの勝負に勝った。
ある時「たまたま勝っただけじゃね?」という啓示を受ける。
大阪夏の陣では徳川の騎馬武者として迎えられた後、姫路 本多家(本多の息子に剣術指導して明石城が築城された時にシムシティ笑)、小倉 小笠原家、熊本 細川家などの客分に迎えられ、政治や社会についての知識を学んだ。
62歳の時に死期を悟った武蔵は洞窟に引きこもって、1年半もの歳月をかけ五輪書を執筆。完成ほどなくして死去。

大阪夏の陣から30年が経ち、武蔵は戦争を知らない世代が増えた社会に向けて五輪書を書いたのでした。

地の巻→兵法の道
水の巻→剣術の鍛錬法
火の巻→戦い方の理念
風の巻→他流派の誤り
空の巻→実の道の極め方

「地の巻」ーそれぞれの道ー
兵法とは戦術理解であり、それは武士に関わらず、農民や商人にも当てはまる。
農民には季節を知り作物を作る農の道があり、商人には商いにより利益を得る商の道が、職人には技術を用いて物を造る工の道があるとした。
武士の道とは戦いに勝つこと。
特定の武具に好き嫌いがあってはならない。
兵法の道は大工に例えられる。
武将は棟梁に学ぶべし。

→「作業についての理解と人の配置」

「道を行う方法」
  1. 邪ではないことを思う所
  2. 道を鍛錬する所
  3. 広く諸芸にも触れる所
  4. 諸々の職業の道を知ること
  5. 物事の損得をわきまえること
  6. 諸事の真価を見抜くこと
  7. 目に見えないところを覚って知ること
  8. わずかなことにも気をつけること
  9. 役に立たないことをしないこと

第一回目の放送内容は宮本武蔵の人物像と「地の巻」に書かれている「道」についてでした。
話は逸れますが、シンガーソングライターの中村えみさんのYAMABIKOという曲が「地の書」感ハンパないのでオススメです。
歴女」と「山ガール」が合体した「五輪書のうち一つ選ぶなら地の書女子」は必聴です←誰やねん

NakamuraEmi


「水の書」ー水は器によって自由自在に変わるものー

剣術の技の基礎
  1. 太刀遣いの原理と稽古法
  2. 敵と打ち合う実践的な心得

水の巻は心の持ち様から始まります。

心を広く直にして きつくひつはらず
すこしもたるまず 心のかたよらぬやうに心を真ん中におきて
心を静かにゆるがせて 其のゆるぎのせつなもゆるぎやまぬやうに

次に書かれているのは「姿勢」についてです。
顔はうつむかず 傾かず 歪(ひす)まず 目を乱さず 額に皺を寄せず 眉の間に皺をよせて 目の玉を動かないようにして 瞬きをしないように思って 目を少しすくめるようにして周りを広く見るようにする
首は後ろの筋を真っ直ぐにして首筋に力を入れ 肩から全身は一体と思って 両肩を下げ 首筋を真っ直ぐに尻を出さず  膝から足先まで力を入れて 腰が屈まらないように 腹を張る
日常の身を兵法の身とし兵法の身を日常の身とすることが大事

  • 観の目→全体を見る
  • 見の目→対象を見る

太刀遣い 「五法の構え」
  1. 中断の構え 基本
  2. 上段の構え 打ちおろす
  3. 下段の構え 二刀の受け
  4. 左脇構え    斜めに切り上げる
  5. 右脇構え    突き

「有構無構」
その瞬間に一番自然な太刀筋を選ぶには構えないことから始める必要がある。


武蔵「この書を読んだだけで、兵法の道が分かるはずがない。書かれた事を自分が見出した理論だと思って、常にその身になって試して、工夫すべきである」

ドラえもんみたいな事を言いますね。


打ち合いの心得
「相手の拍子の裏をつく」

  1. 一拍子の打→構えができていない敵に対しては素早く先手を取る
  2. 二の越の打→打ち込もうとして受けの姿勢を取る敵には打つと見せかけて打たず、敵の刀が定まらないうちに打つ
  3. 無念無相の打→互いに打ち込む際には狙いをつけずに無心になり、敵の打ちに対応してどのようにでも打つ
  4. 入り身→敵が打つ前に自分の身を素早く敵の懐に入れる技
  5. 身のあたり→敵の際に入り込み身で敵に当たる技
今日は、昨日の我に勝ち
明日は下手に勝ち
後は上手に勝つと思い
千日の稽古を鍛とし
万日の稽古を練とすべし

剣術は殺し合いなので「いかに勝つか?」という点を徹底的に追及しているのが分かりますね。
相手の打ち込みに対応する為には「構えない」という考え方が出てきました。
冒頭の水と器で考えると、海や大河のような心持ちが必要になりそうです。

「火の巻」

「陰になる」とは敵が何を狙っているのか分からない時のことである。敵が太刀を後ろに構えたり、脇に構えたりした時、ふっと打つ気配を見せれば敵思っている心を太刀に表すものである。
陰をおさえるとは敵のほうから仕掛ける心が見えたときの心が見えたときのことである。敵が技を出そうとする兆しを抑えて、敵の止んだ拍子に自分の勝てる利を受けて先をおさえることである。

巌流島の決闘については別々のエピソードを1つにまとめた創作物が多く、信頼性の高いものとしては、武蔵が亡くなった9年後に養子の宮本伊織が承応3年(1654) 現在の福岡県 小倉に建てた石碑に記載されていると魚住先生の解説がありました。
検索してみたところ、石碑の詳細について記載してるサイトがあったのでリンク貼っときます。

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↑ふむふむ、わからん。

[解説] 両雄同時に相会し、巌流(小次郎)三尺の白刃(真剣)を手にして来り、命を顧みずして術を尽す。
武蔵、木刀の一撃を以って之を殺す。
電光な猶ほ遅きがごとし

✳︎刀の平均   二尺四寸≒72cm
   小次郎       三尺≒90cm
   武蔵          四尺二寸≒126cm

↑撲殺天使(笑)
刀のジャンルだと「大太刀」になるようですね。


吉岡一門
室町幕府 足利家につかえてきた名門道場

京都一条下り松
清十郎と伝七郎を倒された一門は多勢で武蔵に襲いかかる。
武蔵はまず当主の息子の又七郎を倒し、弓を持った相手にも勝った。
武蔵が帰ってきた姿を見た京都の人々は騒然となった。
相手にとって不利な地形になるように戦い「場の勝ち」を得たのだった。


「鼠頭牛首(そとうごしゅ)」
→敵と戦うときは鼠の頭の細心さと、牛の首の大胆さを持つと思って、まことに細やかなうちに突然大きな心になって大小を変えること。


「さんかいの替り」
→二度通じない時は戦い方を変える。
向こうが山と思ったら海を攻める。


「底を抜く」
→敵の戦う心を絶やすこと。
太刀、身、心でも抜く
一つのやり方だけだと思ってはいけない。

「枕のおさへ」
→敵が何かをしようと思う兆しを、敵がしない内に見抜いて、敵が打つという「うつ」の「う」の時を抑えて、後をさせないこと、これが「枕を抑える」心である。

最初に当主の息子を討ち取ることで組織の士気を下げ、近くの森に移動してゲリラ戦を行った模様。


晩年の武蔵
「我、事において後悔せず。」と言葉を残した。

この話を聞いた伊集院さんは「笑っていいとも」のスタッフが言っていた「準備と根回しはしますが、反省はしません」という言葉を例に出していました。
様々な道がありますが、この戦い方の応用は難しいように思いました。


「風の巻」と「空の巻」


「風の巻」=剣術における他の流派について研究することが記載された巻

他流に大きなる太刀を持事
勝つという道理を知らないで、太刀が長いのを有利と思って、遠い間合いから勝とうと思うのは弱い心である。
昔から「大は小を兼ねる」というので無闇に長いことを嫌うのではない。
我が流派では「太刀は長くなければ」という偏った心を嫌うのである。

太刀の構え・稽古の形

太刀を構えると思うのは間違ったことである。世の中で構えがあるのは敵がいない時のことである。
我が一流では「有構無構」と言って、構えはあるが構えはないというのである。
太刀の数、稽古の型を多くして人に伝えるのは、形を多くしているのだと初心の者に深く思わす為であろう。兵法では嫌う心である。
我が兵法においては自分は身構えも心も真っ直ぐにして、敵をひずませ、ゆがませて、敵の心がねじ捻るところを勝つことが大事である。
兵法のことにおいて何を「表」と言い、何を「裏」と言おうか。
芸に寄り事に触れて「極意」「秘事」とか「奥」「口」と言っているが、敵と打ち合う時には「表で戦い奥でもって斬る」ということはない。
我が兵法の教え方は、初めて道を学ぶ人にはその技のやりやすいところからさせ習わせて、早く理解ができる「理」を先に教え、心が及ばないことはその人の心が自然に解けてくるのを見分けて、次第に深い「理」を後に教えていくようにする。
世間で言うように山の奥を訪ねて、いっそう奥へ行こうと思うと、また入口へ出てしまうものである。何事の道においても、奥とされていることが良いこともあれば、口とされていることが良いこともある。
学ぶ人の知力をよく測って、正しい道を教えて自ずから武士の法の道の正しい道に入り、疑いのない心にしていくのが我が兵法の教えの道である。
個人的に感じたのは「風」は種を導くという比喩で、指導者になるのであれば広い選択肢を持つと同時に、生徒や弟子に合うものを提示できてこそ「観の目」と「見の目」を態度で表すことができると思いました。


「空の巻」には武士としての生き方が書かれている。
空という心は物事のないところ、知ることができないことを「空」と見立てるのである。もちろん「空」は無いものである。
「ある所」を知って「なき所」を知る。
これが即ち「空」である。

ある所=地水火風
なき所=未知の世界

心に迷いなく、毎朝毎時に怠ることなく、心意二つの心を磨き、観見二つの目を研いで、少しも曇りなく、違いの霧の晴れたところこそ、真実の空と知るべきである。

『迷いの雲を晴らす方法』
真実の道に達しない内は自分では確かな道だと思い、より良いことだと思っていても、心を正しくして世の中の太法に合わせてみればその人のひいきの心、その人の歪んだ目によって、正しい道から外れているものである。
正しく明らかに大いなるところを思い取って、空を道とし、道を空と見るのである。
「空の巻」は地水火風に書かれていない場合について言及してあって、「ある所を知り、なき所を知ることが空」というのは「日々の鍛錬によって浮かび上がる自己の特性を知り、無知の知に備えなさい」と私は解釈しました。
空の巻は他の巻物と比べて短いそうですが、何もない空白としてのSpaceと無限の宇宙としてのSpaceが書かれているので概念としてはキャパがデカいと思いました。五本の巻物のうち一つ選ぶなら、私は「空の巻」選びます。

以上で、100de名著のパートは終わりです。

五輪書歎異抄バガボンド


バガボンド」の何が面白いのかといえば、宮本武蔵五輪書と前回に紹介された親鸞の教えが反映されている点です。

一番、分かりやすいコマを紹介します。

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↑作品の中では「五輪書」の考えで生きている武蔵が「歎異抄」の考え方にシフトしていきます。
この場面は「天下無双」という自己顕示欲を捨てることで、自由を手に入れたはずの武蔵が、一刀斎の我執に揺さぶられて再び我執が顔を出す場面です。
0点と言われた瞬間にズルズルと出てくる感じが人間っぽくていいです。
100de名著が好きな人ならハマると思いますよ。


おまけの親鸞


空白 (Switch library)

空白 (Switch library)


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↑2012年 震災の爪跡が色濃い岩手県大船渡 長安寺で公開された際の様子が「空白」の中に載っています。
2011年に井上さんが屏風を書き上げてトラックで京都の東本願寺に送った翌日、311が発生しました。


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浄土真宗が2012年に掲げた言葉は
「今、いのちがあなたを生きている」

サルトル哲学で言えば、生きとし生けるものは、命に他有化されているわけですが、それによって存在の確証を得ています。命という概念を阿弥陀様に置き換えたら少し理解しやすくないですか。