モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

6月18日 「音楽の政治利用」という意見について思うこと

00-06 AHA
06-12 ACA
12-18 H
18-24 HAHCHHH

A. 北海道地方-2-2-0-1=5
C. 関東地方   -0-1-0-1=2
H.九州地方    -1-0-1-5=7
合計回数        -3-3-1-7=14

00:27 内浦湾            10/2.0 ①
01:14 熊本県熊本     10/2.6 ①
01:33 内浦湾            10/2.1 ①
08:12          〃          10/1.6 ①
08:50 茨城県沖         20/4.2 ③
11:49 内浦湾            10/1.7 ①
12:13 熊本県熊本     10/2.1 ①
18:57 大分県南部     50/3.3 ①
20:20 内浦湾            10/2.2 ①
20:46 熊本県熊本     10/4.5 ④
21:10 千葉県東方沖 30/3.1 ①
21:58 熊本県熊本     10/2.5 ②
22:15           〃         10/1.9 ①
22:47 内浦湾            10/1.9 ①

熊本県と内浦湾が揺れ続ける今日この頃、シールズの奥田氏がフジロックに出ることについて議論が巻き起こっている模様。
「頑張ってようやくたどり着ける舞台になんでお前が出るんだよ!」という批判の嵐を私は理解するが、小さなブースで対談をやるだけなのでは?と思う。オファーをした主催者側の説明も聞きたいところ。

一方で、音楽の発展と社会に対する批判は切り離すことはできない。
黒人奴隷という人類史に残る負の遺産はジャズやラップや或いはカポエイラといった芸術を生み出した。表現を奪われた彼らの叫びが現代の音楽になっている。
日本の演歌もまたその一つである。


これを踏まえて「音楽の政治利用だ」という批判は稚拙に思うし、逆に言えば本質を忘れて薄っぺらいラブソングを歌えることは「のどか」だと思う。
もちろんこれは音楽業界に限ったことはではないし、政治を口にすることで受けてにフィルターがかかりビジネスが難しくなるということもあるだろう。
それでも、表現の自由はちっぽけな我々一般人が持っている唯一の手段だ。
守るべきものに違いなくて、だからこそ日常的に意識し続けることが重要だと思う。音楽は忘れかけた人々に大切なことが何なのかを語りかけるメディアだと思うからこそ、表現を生業とする人たちは常にそれを意識して現在の座標を捉える必要がある。

天気予報とゴシップしか興味がなくて、間抜けな政治家に言いくるめられて印象論でしか判断できない人間がクラスター化するのなら、この国は恐るべき早さで劣化していくに違いない。