過去にとらわれ今に絶望し、未来を閉じる若者の希死感
去年の暮れに「世界から猫が消えたなら」を読んで感想を書いたのを思い出したのは、先日立ち寄った本屋の中でだった--。
お金がないのに、ついつい本屋に行きたくなってしまった私は「ご自由にお持ちください」の栞をかき集めて帰ろうとしていた。
そんな私の足を止めたのがこの本だった。
「あれ? こんな名前のウィルスミスが出演してる映画なかったっけ? なんだっけな…」
妖怪「なんだっけ」に取り憑かれた私は本を手に取った。表紙には顔の見えない男子と暗い表情の女子が描かれており、帯には「寿命を買い取ってもらった。一年につき、一万円で」「メディアワークス文庫」「電撃大賞」の文字。
普段、読まないジャンルの本を探していた私には読んでみたくなるような雰囲気だったし、目次には「終わりの始まり」というベタ中のベタが書いてあった。
このベタが「セカネコ」よりも面白いかどうかを頭に巡らして、投資することを決めた。
残念だったのはレジに「ご自由に」の栞がなかったことと、買ったところで何もくれなかったこと。店もお客も不景気ですね。
井の中の優等生が大海で劣等生になる。
とりあえず、物語の導入部分をまとめてみよう。
主人公のクスノキは冴えないクラスメイトを見下して優越感に浸る性格だった為に日常的にハブられ、いじめられていた。そんな主人公と心を交わすことができたのは、同じように成績優秀で周囲の人間を見下してハブられていた幼馴染のヒメノだった。
競争心の強い二人は互いをライバルと認め合いながらも、10歳の時に「10年後にキャッハウフフしよう」と約束。その後、ヒメノは転校してしまうのだった。
時は流れ、二十歳になった主人公は大学の授業料を払う為にビアガーデンで働く毎日を送っていた。学費を工面する為に身の回りのものは日増しに姿を消していった。次第に理想と現実のギャップに埋もれ希死感を抱くようになる。
それは、大好きなCDや本さえも売るしかなくなり古書店を訪れた時のことである。店主が「金に困っているのなら、ここを訪れるといい」と主人公に紙切れを渡す。
「寿命を買い取ってくれる」という胡散臭い話を鼻で笑いながらも、足は自然とそちらへ向かう。
店に足を踏み入れるとそこは何もない空間が広がっており、カウンターにミヤギという名の女性店員がいるだけであった。
査定してもらった結果、どうやら主人公の寿命は三十歳三ヶ月という短命で、そのうえ金額に換算するとたったの三十万円。
精神的に打ちのめされ、自暴自棄になった主人公は寿命を売ってしまう。
こうして、主人公は買取不可能な三ヶ月を監視員を務めることになったミヤギと過ごすことになった。
で、ここから感想。
まず、他人を見下す主人公と幼馴染の性格が嫌。
周りのクラスメイトが笑ってる時に「えっ?なんで笑ってるの?」みたいなシチュエーションは理解できるし、「こいつらくだらないな」って見下すのも分かる。
でも、そういう態度をとっているのだからバックラッシュ食らうのは当たり前だし…(あれ? この子、湊かなえさんの「告白」にいなかったかぇ?)
次に、意味が分からないのが監視員の存在。
「査定によって未来の可能性が分かるのになぜ監視員が必要になるの?」という設定を台無しにする疑問を抱いてしまって、私は読書に向いてないんじゃないかと自己嫌悪に陥ってしまった。
読み進めていくと急転直下な展開が。
転校した幼馴染は高校中退して先輩と結婚&離婚で実家を頼るシングルマザーになっていた。
しかも「私の人生がめちゃくちゃになったのは、手紙を送った私のSOSに気づいてくれなかったお前のせいだ! 恨んでいるし、死んでやる」というサイコなバッドエンドが繰り広げられる。
このパートについては訳がわからなかった。
それ以降は面白かったです。
とくに十四章の「青の時代」は作者のパーソナリティが反映されているように感じたし、個人的にはここの盛り上がりからのラストスパートはけっこう面白かったです。
なんなら、幼馴染の設定とかシカトして
P252『青の時代』から読んでくれたらセカネコよりも楽しめると思います。
あとは日本社会の部分で、学校が楽しくない生徒が死にたくなる現状に対して、「世界は広いよ」と言うだけでなく、具体的にフリースクール制度などの提案を大人はできているのか?とか、奨学金制度の問題や一人親家庭に対する子育て支援はどうなんだ?とか考えてしまった。
小説のフィクションが現実世界ではザラにあるという点で、事実は小説より奇なりというか…