モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

【100分de名著】第一回「堕落論」〜ゲスの極みという現実〜

「堕ちる」とは与えられた価値観から脱却し、目覚めること--

名著56 堕落論:100分 de 名著

番組では、大久保喬樹さん(東京女子大学教授)を指南役として招き、坂口安吾が掘り下げていった思想を分り易く解説。エッセイ「堕落論」だけでなく、続編となる「続堕落論」、それらの応用編でもある「日本文化私観」なども合わせて読み解くことで、安吾の思想にこめられた【日本人論】や【日本文化論】【生き方論】などを浮き彫りにします。また、第四回には、芥川賞作家の町田康さんをゲストに招き、安吾が現代の私たちに残したものを探っていきます。

 

堕落論は311後に読んだ本の中でとても印象に残っていて、今回の特集は楽しみにしてました。伊集院さんがお父さんについて語る場面や、大久保先生の「ゲスの極み」発言が見どころです笑

 

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今回のキーポイントの1つは堕落という言葉の意味について。

 

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坂口安吾芥川龍之介などと同じカテゴリーの「無頼派」の作家として敗戦直後の抑圧から解放された日本人を描きました。

 

坂口安吾 堕落論

↑「堕落論」は青空文庫で読めるので、番組中に使われなかった文章がどこなのか確認するのも面白いですよ。

 

半年のうちに世相は変った。
醜(しこ)の御楯(みたて)といでたつ我は。
大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。

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あおきむねたかの新・堕落論

今回の朗読は青木崇高さん。優香の夫であり、ブログのタイトルに堕落論を用いているイケメンでございます。

若者達は花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。

ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。

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けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずくことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。

人間が変ったのではない。

人間は元来そういうものであり、変ったのは世相の上皮だけのことだ。

アダチマサヒコ-Maccha Cafe-

アニメーションはアダチマサヒコさん。

堕落論の世界観とマッチする写術的で独特なタッチですね。

 

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大久保先生の解説によると、冒頭の和歌は「万葉集」の一部と軍歌「海行かば」を引用したものだそうです。

 

ただの半年で全く反対の生き方を日本人はするようになってしまった。戦時中までの考え方からみれば、堕落の極み、ゲスの極みですよね。それが現実なんだ、それでいいのだというのが冒頭の言葉です」

 

先生(笑)

 

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この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。

戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に使徒の余生を送らせようと欲していたのであろう。

軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変り易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。

 元来日本人は最も憎悪心の少い又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。

昨日の敵と妥協否肝胆かんたん相照すのは日常茶飯事であり、仇敵なるが故に一そう肝胆相照らし、忽たちまち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。

生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。

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今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就ついて執筆を禁じた如く、古(いにしえ)の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった

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天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。

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要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変り易いから「節婦は二夫に見まみえず」という、禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の真理に於て人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於て軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。

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平和を好む人種である日本人を統率し、戦争に駆り立てるツールとして、軍隊と天皇は機能したということですね。

使命感という名の義務を与えるかわりに自由を奪ったと私は解釈しました。

人間が人間を統率しようとするこれ自体は否定できないというニュアンスも混じっていますね。

 

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ここで伊集院さんがお父さんの話をしました。

お父さんが子供の頃(戦時中)に校庭にある天皇陛下の象徴に対して、礼をせずに素通りしたところ教師にしたたか殴られたそうです。戦後になって、遅刻か何かで同じようなシチュエーションになった時に、同じ教師が「そんなことしなくていいから早く来なさい」と言って、お父さんはとても混乱したそう。

私はこの話は思想教育(洗脳)がもたらしたホラーだと感じました。

 

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ただ、坂口安吾自身も、自分だけではどうしようもない大きな力に支配されることや、戦火に燃える街並みから滅びの美を感じていたそうです。

 

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私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。

あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。

偉大な破壊、その驚くべき愛情。

偉大な運命、その驚くべき愛情。

それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。
だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫ほうまつのような虚しい幻影にすぎないという気持がする。

特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。未亡人が使徒たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。

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人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。

人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。
戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。

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 戦後になって与えられた価値観は上辺の幻想であり、ここから脱却して自ら価値観を築く様を「堕落」と定義しました。

植え付けられた価値観に美意識があるとすれば、人間が持っている欲望を推進力として生き抜く様は「汚く」映るでしょう。

ただ、この汚さの中にたくましさが同居しているから、先ほどの統率と同じように否定はできないんですよね。

 次回に期待。

 

おまけ

ゲスの極み乙女の「ノーマル頭」は堕落論っぽいのでオススメします。