00-06 I
06-12 H
12-18 HH
18-24 BH
B. 東北地方 -0-0-0-1=1
H.九州地方 -0-1-2-1=4
I .沖縄地方 -1-0-0-0=1
合計回数 -1-1-2-2=6
04:35 沖縄本島近海 60/3.4 ①
09:52 熊本県熊本 浅/2.4 ①
10:01 オホーツク海南部 420/5.5 ②
14:22 熊本県熊本 10/1.6 ①
14:33 〃 10/3.4 ②
19:07 岩手県沖 60/3.8 ②
21:54 トカラ列島近海 10/3.4 ②
オホーツクさんこんにちは。
420kmも深いと何か未知のウイルスとか地上に出てきそう。
あるいはオホーツクという巨大なセミの幼虫が地上に…ゴゴゴゴゴ
#MunichAttack #shooter had dual citizenship https://t.co/tEG2xWBxHP pic.twitter.com/qKWyn1GFdd
— RT (@RT_com) 2016年7月23日
Timeline of the Munich shopping centre attack - how it unfoldedhttps://t.co/3PZ9IvxlEJ pic.twitter.com/CEA5OG3QyD
— Daily Mirror (@DailyMirror) 2016年7月23日
患者支援中の療法士、両手上げたが米警官に撃たれ - BBCニュース (56 users) https://t.co/5etXJZX4sH 18件のコメント https://t.co/nrXC9OLhZD pic.twitter.com/aggGKKfpFf
— はてなブックマーク::Hotentry (@hatebu) 2016年7月22日
もんじゅ許可差止訴訟。次回は9月7日10時半東京地裁103号法廷。技術能力がないと規制委員会から断罪された原子力機構。しかし、馳文科大臣は動かすと広言。そして、3ヶ月にわたり警報が放置されていたことが発覚。もう延命は許されない! pic.twitter.com/412fqdC2FG
— 海渡雄一 (@kidkaido) 2016年7月23日
「処分場建設」というが、放射能を消し去る術を人類は知らない。「分散保管」は汚染拡散だ。どちらの意見も言葉遊びはやめた方がいい→東京新聞:千葉市の指定廃棄物解除 県内分、市内管理には反発:社会(TOKYO Web) https://t.co/eRUgfIfRdX
— 海老原いすみ (@ebiharaism) 2016年7月23日
東京新聞:原子力機構 もんじゅ点検放置 2カ月間、警告も見過ごす:政治(TOKYO Web) https://t.co/fRPfh7g14s
— 海老原いすみ (@ebiharaism) 2016年7月23日
奨学金の「保証人」が危ない! 奨学金による連鎖的破産を避けるための方法(今野晴貴) - Y!ニュース https://t.co/d0CsEFKiSA
— 木村草太 (@SotaKimura) 2016年7月23日
テレビをつけても警察官が沖縄の人々を殴りつけ、ロープで首を絞める事実は放送されないが、いかに警察官がすごいのかをPRする番組は拍手で歓迎される。自分たちで取材をせずに警察から情報を貰っている記者クラブが批判できるわけがないのだ。 pic.twitter.com/5EbFOEvka3
— 海老原いすみ (@ebiharaism) 2016年7月23日
便利に操作されることが、果たして進化と言えるだろうか。
— 海老原いすみ (@ebiharaism) 2016年7月23日
どうしてこうも世の中はメチャクチャなんだろうか。
強い個人を持たなければ集団心理に惑わされ、強い個人があるが故に思考が絡まっていく。
以前、歎異抄で我々は偶然人を殺す理由がないだけだと書いた。忍び寄る混乱に覆われた時、果たして我々は冷静で誰も傷つかないままでいられるだろうか。
たとえ自分が無事であったとしても、混乱に包まれた人々が殺意をもって刃を振り下ろしたとしたら、それは「必然、人を殺す理由」になってしまうのだろうか。
夕方の報道特集でアメリカの銃規制について特集をやっていた。その中で全米ライフル協会に加入している神父は、盗人に対して引き金はひかないが、家族や自分の身を守るためなら犯人を撃つと語っていた。
銃社会において正当防衛か過剰防衛なのか法が裁く時には既に誰かが死んだ後だったりする。
死人に口なしの状況で語られる正義は、戦争に勝ったものが正しいという飛躍した論理を醸造する要因の一つではなかろうか。
我々、人間は不完全だ。
個人が清く健全であったとしても個人は容易く壊される。人は等しく汚れており、人は極めて影響されやすい。
指導者が必要なのではなく、どれだけ自分を理解できるかが他人に対する理解へと繋がっていく。