モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

7月23日 オホーツク

00-06 I

06-12 H

12-18 HH

18-24 BH

 

B. 東北地方 -0-0-0-1=1

 

H.九州地方  -0-1-2-1=4

 I .沖縄地方  -1-0-0-0=1

合計回数      -1-1-2-2=6

 

04:35 沖縄本島近海           60/3.4 ①

09:52 熊本県熊本               浅/2.4 ①

10:01 オホーツク海南部 420/5.5 ②

14:22 熊本県熊本             10/1.6 ①

14:33                 〃            10/3.4 ②

19:07 岩手県沖                 60/3.8 ②

21:54 トカラ列島近海      10/3.4 ②

 

オホーツクさんこんにちは。

420kmも深いと何か未知のウイルスとか地上に出てきそう。

あるいはオホーツクという巨大なセミの幼虫が地上に…ゴゴゴゴゴ

 

 

どうしてこうも世の中はメチャクチャなんだろうか。

強い個人を持たなければ集団心理に惑わされ、強い個人があるが故に思考が絡まっていく。

以前、歎異抄で我々は偶然人を殺す理由がないだけだと書いた。忍び寄る混乱に覆われた時、果たして我々は冷静で誰も傷つかないままでいられるだろうか。

たとえ自分が無事であったとしても、混乱に包まれた人々が殺意をもって刃を振り下ろしたとしたら、それは「必然、人を殺す理由」になってしまうのだろうか。

夕方の報道特集でアメリカの銃規制について特集をやっていた。その中で全米ライフル協会に加入している神父は、盗人に対して引き金はひかないが、家族や自分の身を守るためなら犯人を撃つと語っていた。

銃社会において正当防衛か過剰防衛なのか法が裁く時には既に誰かが死んだ後だったりする。

死人に口なしの状況で語られる正義は、戦争に勝ったものが正しいという飛躍した論理を醸造する要因の一つではなかろうか。

 

我々、人間は不完全だ。

個人が清く健全であったとしても個人は容易く壊される。人は等しく汚れており、人は極めて影響されやすい。

指導者が必要なのではなく、どれだけ自分を理解できるかが他人に対する理解へと繋がっていく。