00-06 BCH
06-12 ×
12-18 B
18-24 HB
B. 東北地方 -1-0-1-1=3
H.九州地方 -1-0-0-1=2
合計回数 -3-0-1-2=6
00:23 秋田県内陸南部 10/2.6 ①
01:42 千葉県北西部 90/3.6 ①
05:06 熊本県熊本 10/2.2 ①
17:43 宮城県沖 60/3.8 ①
20:55 熊本県熊本 10/3.1 ②
内陸部の地震が目立っている。
台風12号は熱帯低気圧になるようなのでそれがきっかけで大きな地震が来るとは思ってない。
ただ、千葉県北西部がプレートの交差点になっているので小笠原のほうが揺れて茨城県南部か千葉県北西部が70kmぐらいで揺れると嫌ですわぁ。
東京新聞:川内原発の即時停止応じず 九電、鹿児島知事の要請拒否 :社会(TOKYO Web)
東京新聞:戦時下の実態を赤裸々に 同盟通信記者の遺稿出版へ:社会(TOKYO Web)
日中戦争の勃発から第二次大戦初期にかけて同盟通信(共同通信、時事通信の前身)の北京支局員、ハノイ支局長、欧州移動特派員などを務めた大屋久寿雄(おおやくすお)(一九〇九~五一年)の「戦争巡歴」と題した未発表の遺稿が見つかり、執筆から約六十五年を経て月内に出版されることになった。
事実上のノンフィクション作品で、四百字詰め原稿用紙約二千枚の大作。自身を含む戦時下の日本人記者の実態を赤裸々につづっているほか、中国に親日の汪兆銘政権を築いた工作の詳細も書かれている。出版社は柘植書房新社。
原稿は四六年から大屋が病死する五一年までの間に書かれた。東京都武蔵野市の長男剛人(ごうじん)氏(故人)宅に長年置かれていたが、数年前からは、大屋について調べていた高橋治男・中央大名誉教授(フランス文学)とジャーナリストの鳥居英晴氏が引き取り、内容の精査を続けてきた。
「支那事変」「和平工作」「欧州戦争」「太平洋戦争」の四部構成で、大屋がスクープした三八年の汪兆銘ハノイ潜入の取材顛末(てんまつ)、第二次大戦初期のドイツの様子などが風景や人物描写、さらには自身の女性遍歴を交えて子細に描かれている。
同盟通信編集局次長だった岡村二一(にいち)(戦後に東京タイムズ社長)が、松岡洋右外相に同行してソ連、欧州を回って帰国後「ヒトラーの手のひらは実に柔らかい」と得意げに話していたなど、戦時下のメディア内部の逸話も多い。大屋は自身の名だけを「太田三吉」と変え「小説の形を借り」て執筆したとしているが、実名で登場する報道、外交、軍関係者は数百人に上る。
時代背景が頭に入ってないと内容が頭に入ってこないと思うけど、この本は読んでみたいな。
自己顕示欲の強い政治家がマリオを利用して、視聴率稼ぎのメディアがこち亀を利用してるだけ。3人に1人が高齢者のこの国は若者の未来を犠牲にして「大人帝国の逆襲」を突き進む。 #ラジオの中のどーのこーの
— 海老原いすみ (@ebiharaism) 2016年9月5日
今日の東電会見。時事中村記者→タンク総量よりも流出が懸念されるタービン建屋地下への移送量が多いことを指摘、木野さん→凍土壁の電気使用量を質問 ファクタ宮島記者→失敗による現場作業員の士気低下を懸念 おしどりさん→山側の汚染について等 pic.twitter.com/SqOyZxWjks
— 海老原いすみ (@ebiharaism) 2016年9月5日
ツイッター、日本国民全員見てると思うなよ(正論)
普通ならホームページの更新とTwitterの投稿を連携するはずだけど、会見のお知らせはTwitterを見ろといい続けてきたはずが、Twitterでも知らせなくなったっぽい。