モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

9月24日 放任主義は多様性を生まないと思う

00-06 D

06-12 ×

12-18 CBB

18-24 ×

 

B. 東北地方 -0-0-2-0=2

C. 関東地方 -0-0-1-0=1

D. 中部地方 -1-0-0-0=1

 

合計回数      -1-0-3-0=4

 

04:28 静岡県中部        20/2.7 ①

15:10 茨城県北部        10/2.7 ②

16:59 秋田県内陸北部 10/2.5 ①

21:03 宮城県北部        70/3.4 ①

 

深さ70kmきました。

とりあえず注意ですね。

 

 

うな子とかいうロリコンカニバリズムに関して思うのは、日本のメディアは国内から国内への発信で終わっていること。

端的に言うと未だにデジタルに対応できていないということ。

このロリコンカニバリズムという「性癖」は個人の世界の価値観であって、繋がる世界の価値観と大きくかけ離れている。

ちょうど昨日、菊地成孔さんのラジオで理解不足の女性が基本も知らずにコンテンポラリーダンスにかこつけて「それっぽいこと」を言っているのを冷静に馬鹿にする話をしていた。

人間は全てを理解することはできないとして、謙虚な勉強家であることが建設的な形を作れるのだと私は思っている。

そこで重要なのは様々な価値観を知り、自分の中で比較対象を増やしていること。

意味のない競争は若い芽を摘んでしまうが「比較対象を増やす」というのは感覚を研ぎ澄ます作業だ。

ロリコンカニバリズムはそれが行われておらず、人権のない作品を無造作に作ることができる神経を持っている。

「映画だってゲームだって滅茶苦茶してるじゃないか!」という反論を公共の立場にある人間が吐いたとしたらどう思うだろうか?

現代のトレンドで言えば、ドナルド・トランプやフィリピンのドゥテルテなどが公共の立場から滅茶苦茶を口にする。

自己弁護のためにルールを変える。

それが公共の独裁化であって、価値観を押し付けることで争いが起こる。

芸術は暴力を使わずに相手に価値観を理解させる現象だ。日本の中で逸脱した考え方が生存できるのは、議論を避ける公共の事なかれ主義が環境要因に思う。

デジタル文化がヘイトの拡散を上回る速度で議論を成熟させる必要がある。