モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

9月29日 らすと

00-06 AH

06-12 A

12-18 IHH

18-24 CBH

 

A. 北海道地方-1-1-0-0=2

B. 東北地方    -0-0-0-1=1

C. 関東地方    -0-0-0-1=1 

H.九州地方     -1-0-2-1=4

 I .沖縄地方     -0-0-1-0=1

合計回数         -2-1-3-3=9

 

01:33 択捉島南東沖 浅/5.2 ①

04:53 熊本県熊本     10/2.6 ①

10:24 北海道西方沖 10/3.6 ①

12:22 沖縄本島近海 40/3.9 ③

12:42 熊本県熊本     10/2.7 ②

17:58          〃          10/2.9 ②

18:58 茨城県沖         40/3.3 ①

20:57 福島県沖         20/4.6 ②

22:51 熊本県熊本     浅/2.1 ①

 

【中長期ロードマップ】台風を理由に凍土壁の評価の公開は来月に延期/予定にない所も溶けている可能性/固体廃棄物貯蔵庫の建設は11ヶ月遅れ/引留鉄鋼の南北方向の耐久性は風速30m(放置の理由は組織が縦割り...|海老原いすみ|note

2016-09-29〈質問パート〉メモとスクショ|海老原いすみ|note

 今日の中長期ロードマップは凍土壁の評価が公表されるはずの回だったから注目度は高かった。結果的に評価は出されず、現在も予定にない部分の補助工法を行っている。

内容はあまり無かったけども、スクショやメモの画像まとめが60枚を超えてしまいnoteのアプリがフリーズした。(凍土壁は凍らないのにね)

 

  

いよいよ、長年住んでいたこの家から私は居なくなる。

日増しに姿を消していったモノたち。

今、私の周りにある生活必需品は愛用のテーブルとノートとペンと、愛着のない蛍光灯(至近距離の光が痛い)

それに布団と服と洗面用具や汗拭きシート、細々としたものはプラスチックのケースに入れて「薬箱」みたいにまとめてある。

 

スマートフォンは必須。引っ越し先は図書館へ歩いて行くには遠いし、公共WiFiもない。近くの川からは水産業者の廃液の臭いがして公害にしか思えない。

ますます不便に、そして劣化していく環境にある。

引っ越しの作業のあいだ、いちいち目に付いたのが「〇〇家葬儀場」の看板だった。以前から私は『ラクーンシティ』と呼んできたが、市が公表しているデータを覗いてみると「自然滅」は県平均を上回っているそうだ。

人口が減るということは自治体が機能をしなくなることを意味するし、都心近くのベッドタウンなんかでもコンパクトシティへのデザインが叫ばれている。

 

引っ越し作業の中で様々なモノが姿を消していった。私が不必要に思ったのは、主に「過去」だった。手元に置いてあるモノは未来に必要だと思うモノ。

『果たして私自身は未来に必要なのだろうか?』と、いつぞやの希死念慮が姿を見せる。

電柱に括り付けられた名前が日めくりカレンダーのように変わるのを自分の事のように感じたのは、自分の中にこれぞと言える何かがないのだ。もし私が充実した個人であれば、看板を見かけるたびにいちいち手をあわせる余裕があったはずだ。

 

2日前から、私たちと入れ替わるように空室だった部屋に若夫婦が子供を連れて引っ越してきた。

面倒くさい挨拶回りをするのは、新しいコミュニティへ溶け込むための防御策で何より可愛い我が子の居場所を作るために、公園で声をかけるのだと私は考える。

しかしながら、彼ら彼女らの声に私が考える陰湿な雰囲気のかけらもなく、ただひたすら未来を楽しむ余裕を感じた。

まるでサルトルの小説に出てくるロカンタンのような話だが、私は自分の部屋の窓から見える百合の花が好きだった。

台風が来ようとも咲き、斜面が崩れてコンクリートを吹き付けられても咲き続ける強く美しい規則性に尊敬した。

 

もちろんもう見えなくなる。

ではこの過去は要らないのか?

私には必要不可欠な景色に違いない。