モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「君の名は。」の感想

小説ができるまで

私は新海誠監督を知らなかったので、アニメーション監督の作品を小説で初めて知るという形になりました。まずはこの小説が形作られる経緯ついてまとめておきたいと思います。

 

「あとがき」には小説の制作環境が書かれていて、アニメーション映画の修羅場の中で小説をかける時間があったのは、作画監督である安藤雅司氏のおかげだと語られています。

当初は「表現するうえでアニメーション映画という形がいちばん相応しい」と思っていたそうですが、この世界のどこかに主人公の瀧とヒロインの三葉がいる気がして、「映画の華やかさとは別の切実さで語られる必要があると感じているから、僕はこの本を書いたのだと思う」という胸の内が明かされています。

脚本と映画化については多くのスタッフと共に具現化していったそうですが、小説に関しては自宅と映画の制作スタジオを往復するなか、監督一人で書き上げたそうです。

この「あとがき」が書かれている時点で映画は制作途中。三カ月早く小説はリリースされ、この過程がアフレコ作業にも影響しそうだとも書かれていました。

後で書きますが、ストーリーの終盤ではこの「切実さ」が全ての原動力になってますから、小説版が映画よりも三カ月先に世に発表されたというのは感慨深く感じました。

考えてみると「君の名は。」はヒロイン三葉の心的成長から書き出されているんです。これは個人的な考えですが、新海誠監督の中で小説が三葉で映画は瀧なんだと思うんです。未来で待ってる感がそう思わせるのです。

  

第一章「夢」

第一章は4ページの短い詩小説です。

最初に読んだ時はとてもセンチメンタルで一つの物語を二人称で語られているのが特徴的だなぁと感じました。春の匂いと別れの切なさが朝に溶けてますね。

読み終わってから回帰すると、9ページは248ページが強調してから249ページに続いているんですけど、私は9ページをそのまま249ページにリンクさせてみて『いい最終回だった』って感傷に浸ります。笑

具体的に文章にしてみるとこうです。

 

ぼんやりとした花曇りの白い空。百人が乗った車両、千人を運ぶ列車、その千本が流れる街。

気づけばいつものように、その街を眺めながら

私は、/俺は、 誰かひとりを、ひとりだけを、探している。(9ページより)

ほんの一メートルほど先に、彼女がいる。名前も知らない人なのに、彼女だと俺にはわかる。しかしお互いの電車はだんだんと離れていく。そして別の電車が俺たちの間に滑り込み、彼女の姿はみえなくなる。

でも俺は、自分の願いをようやく知る。

あとすこしだけでも、一緒にいたかった。

もうすこしだけでも、一緒にいたい。

停車した電車から駆け出し、俺は街を走っている。彼女の姿を探している。彼女も俺を探していると、俺はもう、確信している。

俺たちはかつて出逢ったことがある。いや、それは気のせいなのかもしれない。夢見たいな思い込みかもしれない。前世のような妄想かもしれない。それでも、俺は、俺たちは、もうすこしだけ一緒にいたかったのだ。あとすこしだけでも、一緒にいたいのだ。(249ページより)

 ほら、もうこれだけで絵が浮かんできませんか?

ここで「夢でお会いして以来ですね!」ってオードリー春日を思い浮かべてぶっ壊すあなたはサディストだと私は確信します。

アニメーションの美しさに関する評価をよく耳にしますけど、文章表現としても儚さやセンチメンタルの濃度がギリギリのとこまできてるのではと感じます。

反復法はやりすぎると、くどいし飽きます。

悪い例は西野カナで、会いたすぎるあまり様々なネタに使われています。何事も程々にしなければなりません。

ただ、記憶の儚さについては『博士の愛した数式』に代表されるように、忘れないために必死なんですよね。

この物語では、その必死さと青年期のがむしゃらさが相乗効果で引き立てていると思うのです。

 

「ドーナツの穴だけ下さい!」みたいな洒落ではありませんが、第一章の時点で二人の記憶は消え失せていて、胸に空いた穴の引力だけが自分を補完する誰かを知ってる。そして、自分だけがその人を補完できると確信してる。(星新一の鍵もいい話だよねと脱線しそうになる右脳を左脳がぶん殴る)

自分だけが知ってることが「あの人だって絶対そうだ」という意識だった場合、相思相愛、以心伝心、一心同体という強い繋がりになるんでしょう。

 

 ええ、わかっています。私も「4ページに対して感想の量が若干多いのでは?」と怖くなってきたので第二章に移ります。

 

第二章「端緒」

第二章は主人公の瀧が三葉と名乗る謎の女性(この時点では誰やねんさん)から髪を結っていた紐を受け取るというシーンから始まり、急角度でラブコメディへと変化します。センチメンタルの在庫はなくなりますが、後に時空を超えて輸入しますので安心してくれて結構です。笑

 

主人公の瀧は宮水三葉の身体になり、読者は瀧の視点から三葉がどんな人間なのかを知っていくことになります。

三葉(神社の家系である宮水家の長女。父親は婿であり政治家)は友人のサヤちん(放送部)とテッシー(土建屋の息子)と共に何もない田舎町に不満を抱いて毎日を過ごしている。面白いのが口数の少ないテッシーが読んでいるのがオカルト雑誌ということ。テッシーも刺激が足りてないという無言のアピールをしてるのです。

あと、巫女としての務めで「口噛み酒」を行うシーンがあるんですけど、監督の性癖が出てるなぁと思いました。

では、口噛み酒が性的なアイテムになるのかといえば私には該当しません。

というのもこの時、アフリカの部族が同じように咀嚼した芋だったか、バナナを発酵させて酒を造っているのをフラッシュバックした為にマイレージが貯まっていたからです。(この文章いらねーな)

 

褒めすぎると気持ちが悪いのでマイナス点を書きましょう。

引っかかったのは、神社の家系から政治家が出ていることです。政教分離の観点から利益相反(ある特定の組織や団体の為に行われる)になる可能性が疑われる。糸守町のオンブズマンはきっちりと目を光らせる必要があると思います。←政務活動費ですね

 

第三章「日々」

第三章では三葉が立花瀧の身体になり、彼がどのような毎日を送っているのかを知っていきます。

彼の友人は司と高木の二人。

テッシーとはまるで違う男子の生態を知り、三葉は一挙手一投足にときめくわけです。

人格が入れ替わっていることに気づかない周囲の人々は、画伯レベルの絵を描いていた三葉がいきなり上手な絵を描いたり、政治家の娘であることに陰口をたたくモブに詰め寄るのをみて驚き、反対に粗暴な瀧が破れたスカートを縫う女子力を発揮したことに驚くのでした。

二人は次第に単なる夢ではなく入れ替わっているということをだんだんと理解して、文章を書き残していくようになります。

これはまさに交換日記そのもので、恋愛シミュレーションゲームみたいな進め方だなぁと感じました。

三葉の身体を借りて瀧は「お前は誰だ?」「この人生はなんなんだ?」と書き残します。これは読者に対する投げかけにも受けとれますね。

74ページには、いわゆる「朝チュンシーン」が活字で「鳥さんたちがーー」と再現されていて笑えます。あと細かいところだと「スマホ」ではなくちゃんと「スマフォ」と書かれていたり。まぁ当たり前といえば当たり前ですけどね…。

 

入れ替わりの頻度は週二回から三回で、眠ることにより引き起こされて、入れ替わり中の記憶は身体が元に戻るとすぐになくなってしまう。瀧は繰り返しているうちに目覚ましのベルの音で三葉の部屋だなと分かるようになります。

三葉の日常を送るなかで、母親を亡くしていることや、三葉の祖母に「ムスビ」という全ての繋がりを包括する考え方を学びます。

御神体へ口噛み酒を奉納するシーンは後半で重要なムスビになってますし、三葉の妹である四葉がふいに言った「わーい、あの世やぁ」っていうのが笑えます。

起承転結でいうとここまでが「承」の終盤あたりです。しかし、目次を見て改めて構成を考えると三章と六章が分厚い。

『起承転、起承転、起結』みたいな感じでしょうか。

この三章の終わり方もいいですよね。

バイト先のイタリアンレストランで働く奥寺先輩のことが好きだったはずの瀧は、いつの間にか三葉のことが気にかかるようになり、奥寺先輩に見透かされているというラブコメディは続く…と思いきや!みたいな。

 

第四章「探訪」

 電話をしても「現在使われていないーー」

入れ替わることもなくなった瀧は、自分の記憶を元にスケッチした風景をもとに三葉に会いにいくことに。

そう、これが西野カナ状態ですね。

金曜日に学校をズル休みして土日を入れた3日間を使うことに。駅に向かうと司と奥寺先輩も同行するイベントが発生。

しかし、手がかりは自分の記憶だけなので二人は役に立たないという…笑

「諦めかけたその時!」という展開はベタですけど、ようやく判明した三葉の故郷である糸守町がまさか隕石の衝突で廃墟になっているとは思いませんでした。

この裏切り方はカッコ良いです。

『小説は一人で書いた』という言葉通りであれば、128ページにある名前の書き方は上手い演出だと思います。

ある意味、死亡者名簿をめくる手は瀧と読者をリンクさせる必要があるので、そこに名前があることの衝撃がマックスになるように設計したのではと勘ぐってしまいました。

以前、ハンターハンターで有名な冨樫先生が「面白くなるのであれば、愛着のあるキャラクターでも殺す」という事を言っていたんですが、三葉はヒロインですからね。映画の中で殺して蘇生させるのって時間的な縛りもありますし、観客を納得させる整合性も必要があるので難しいことやってるなぁと感心してしまいました。

 

話を戻しましょう。瀧は絶望の淵に立たされながらも、とある場所が脳裏をよぎります。それは婆ちゃんと四葉と訪れた御神体。

救済アイテムの名は口噛み酒!

そう、三葉に会いたすぎて震えた彼は、三葉が噛み砕いた白米とDNAがまじった酒を瀧は飲み干すことを思いついたのです。放課後にリコーダーを舐め回すよりも重罪ですね。

瀧くんおめでとう。あなたは西野カナを超えました。仮にそれがアフリカの部族の酒だったらどうする?

 

第五章「記憶」

さて、第五章から変態助平社長パートの在庫がなくなり、ナルシスノスタルジックが入荷しますよ。

酒を飲んでトランス状態になった彼の頭に、今は亡き三葉の母(二葉)が優しい声で三葉に語りかける声が聞こえる。

仲が悪くなる前の父親も「二人は、父さんの宝物だ」と喜びます。そして、三葉の誕生と引き換えに母は病に倒れ、帰らぬ人となるのでした。

妻を救うことができなかった夫は絶望に蝕まれ、妻に似た娘は呪いのように感じて家を出ました。

それを境に祖母と三葉と四葉の生活が始まり、同時に三葉は自分は捨てられたというトラウマを抱えるのでした。

この心の傷は、目覚めた時に訳もなく流れる涙にかかっていますね。それと、一つだった存在が二つに分かれて現世に落ちるというのはティアマト彗星の隠喩です。

そして場面は変わり、隕石が落ちる夜に三葉とサヤちんとテッシーは彗星を見る約束をしていた。それを目の当たりにした瀧は「そこにいちゃダメだ。逃げろ!」と叫ぶーー

 

第六章「再演」

強い思いが通じたのか、三葉の身体と入れ替わることに成功した瀧。

神様が変態助平社長の味方をしたことにPTAの鬼女様方は怒り狂うかもしれませんが、私はセーフの判定を下します。

千載一遇のチャンスを手にした瀧は、どうにかして隕石の衝突によって死んでしまう五百人余りの人々を救えないかと考える。絶対に信じてもらえないと思いながらも婆ちゃんや四葉に隕石が落ちると話したが案の定信じてもらえない。それでも、必死で説得を続けるとサヤちんとテッシーは半信半疑ながらも話を聞いてくれることに。

瀧は隕石による被害が予想されるエリアから避難させたいと告げる。ここで類い稀なる才能を発揮したのがテッシー。

避難作成に関してはテッシーが主人公でいいと思います。彼は周波数を利用して防災無線をジャックした後、含水爆薬によって人為的な山火事を起こすことを提案。笑

(この166ページの思いが244ページで実現するという友情展開に胸熱ですょ)

 

そして、瀧は救急車や消防車を手配するためには三葉の父を説得する必要があると付け足した。

きっと、三葉の父親なら少なからず説得できるという自信があったのでしょう。

でもどんなに頼んでも、お前は病気だの一言で会話を拒んでいるようにも見えます。

思わず頭にきてしまった瀧は胸ぐらを掴んでしまい、「お前は誰だ?」と言われて何だか嫌だなぁ、嫌だなぁという稲川淳二の呪いをかけられるのでした。

説得は失敗しましたが、避難作戦を失敗させるわけにはいきません。隕石が衝突するエリアから人を遠ざける為に声かけを行っていると、四葉「昨日は急に東京に行ってしまうし、お姉ちゃん、このところずっと変やよ!と言われるんです。

これを聞いた瀧は自分の身体の中に三葉がいるとしたら御神体の近くに三葉がいるのではないか? 三葉の父親を説得できるのは三葉しかいないと考え、テッシーからチャリを拝借するのであった。(のちに、このチャリが壊れてしまうだなんてテッシーはまだ知らないーー)

 

さて、ここで整理の意味も兼ねて入れ替わりについて私なりの解釈を書いておきたいと思います。

まず、三葉は17歳の時に隕石で死んでいます。この時、瀧は中学生で父親との慣れない生活を始めた頃でした。ニュースで隕石の話題はチラ見しましたが、特に気にもとめてませんでした。また、同時期に満員電車の中で三葉という知らない女性から呼び止められて、あまりの必死さから結い紐をもらい受けます。

それから月日が経ち、高校二年生になってから現在の瀧の入れ替わりが発生するのです。

つまり、3年前に三葉は東京で瀧に組紐を渡した後に被災して亡くなっているのです。瀧はそれを知らないままその組紐をミサンガとして使っていました。

そして、三葉と同じ17歳を迎えた時に組紐の力が働いて3年前の三葉が3年後の瀧の意識に憑依するわけで、RADWIMPSの前前前世とはそういう意味なんですね。

 

では、話を元に戻します。

口噛み酒を飲んだ瀧の身体に三葉が入れ替わり、最期の日の記憶を思い出します。

東京に行って、瀧は自分のことを全然知らなくて長かった髪を切ってから、当日の夜を迎えた。巨大な彗星が二つに分かれて、片方が落ちてからの記憶はない。

斜面を下った先にあったのは変わり果てた糸守町の姿。一瞬の呆然の後、氷のような恐怖に包まれる。

私は狂ってしまったのか?

私は壊れてしまったのか?

私はーー死んだの? と冷静になっていく。

この状況を把握するまでの記憶の整理は311を経験した人ほどリアルに、まるで自分のことのように感じると思います。

 

ここで場面は瀧の視点に移ります。

三葉にとっての最期の夜を変えるため、テッシーのチャリで爆速しているシーン。「昨日」何があったのかを思い出す。

そこには、自分と同じように学校をサボって、わざわざ遠く離れた東京に向かう彼女の姿がありました。

自分が設定した瀧と奥寺先輩のデートを見届けようと、もしかしたら喜んでくれるのではないかと。

そしてまた、彼女は自分と同じように電話は通じず、見れば分かるという確信だけを頼りに探し回っていた。

そして、ようやく見つけたのがまだ中学生だった頃の自分。

電話が通じるわけないんですよね。

 

回想シーンが終わり、急斜面から滑落しそうになった瀧は緊急離脱して無事でしたが、テッシーのチャリは犠牲になりました。(マモレナカッタ…笑)

テッシーにとってはサヤちんとにけつした思い出が詰まっていたに違いまりません。この自転車に感情移入して泣く人がどれだけいることか…(いねーよ)

瀧は「ごめん、テシガワラ」と呟いたあと、中学生の自分がそっけない態度をとったことで彼女を傷つけたことに胸を詰まらせるのでした。

 

( ・´ー・`) まぁ、恋は盲目ですから仕方ありませんよ。

 

がむしゃらに走る瀧は三葉の名前を叫びます。すると、変わり果てた町と恐怖の中にいる三葉の耳に届くのです。

同じ場所にいるのに会えないもどかしさの中、黄昏があの世とこの世を繋いだ瞬間、目の前に三葉の姿が見えるのでした。(お互い自分の魂が体に戻った瞬間です)

そして、瀧は自ら大罪を告白。

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読者は口を揃えてこう言うでしょう「お巡りさんこの人です」と。

ここで少しのラブコメが繰り広げられ、変態助平社長はこう言います。

「お前さあ、知りあう前に会いにくるなよ…分かるわけねえだろ」

これは確かに正論です。ただ、この言葉の裏に「ドジっ子キャラのお前のミスをカバーしたんだぜ?」という嫌味があるとしたら人間として嫌だなぁ嫌だなぁと稲川淳二が瀧‼︎と叫ぶと思います。

 

ここで、ミサンガとして使っていた組紐を三葉に返すイチャイチャイベントが発生します。目の毒なので早く202ページに移りましょう。

本題に戻って、瀧は避難計画の内容を三葉に伝え、そしてまた忘れてしまわないようにお互いの手のひらに名前を書こうと提案します。

しかし、黄昏時は過ぎ去ってあの世とこの世が離れてしまいーー「お前は、誰だ?」と自問自答するのでした。

 

第七章「うつくしく、もがく」 

第七章は瀧から避難計画を受け継いだ三葉の奮闘が描かれています。

ティアマト彗星が肉眼で見える距離まで迫るなか、三葉とテッシーは町をブラックアウトさせて防災無線のジャックを始めるのでした。

ちなみに、一人でスタンバイしているサヤちんは泣いてます。夜の放送室に浸入してくれたことに友情を感じながら、町民の命がかかっているからできるだけ長くアナウンスを繰り返してと伝えます。

そして、含水爆弾が爆発。

それと同時にアナウンスが開始されました。友情を感じられずにいられませんね。

アナウンスの内容は変電所の爆発とそれに伴う山火事の危険性を伝えるものでした。避難場所は隕石の被害を受けない糸守高校。

三葉とテッシーも大声で逃げろと叫びます。このシーンで印象的なのは、口数の少なかったテッシーが三葉よりも大声で「逃げろ!」と叫んでいるところ。

 

テッシーは三葉のことが好きなんでしょうね。自転車を壊したと言っても、脊髄反射で怒りをぶちまけることもありませんでした。

うわぁ…テッシー。お前…せつねぇ。笑

 

アナウンスを聞いて逃げる人の傍らに、お祭りを満喫している人々の姿が。

それを目にしたテッシーは行政の避難誘導が必要なので町長を説得してこいと、変態助平社長の名前が思い出せなくて混乱している三葉に言います。

三葉は思い出せない大切な人のためにも失敗できないと思いを強くするのでした。

 

テッシーのチャリの次に犠牲になったのは、一人でアナウンスし続けたサヤちんでした。

扉が開く音がした後、サヤちんの魂の叫びをかき消すように役場の職員が「ただいま、事故の状況を確認しています。町民の皆さまは、慌てず、その場で待機して、指示をお待ちください」とアナウンスした。

 

流星が二つに割れていくその下を三葉は必死に走ります。足がもつれて、顔面をアスファルトに打ち、かすれゆく意識の中で聞こえたのは瀧の声。名前を忘れないように名前を書こうという声でした。

痛みをこらえながらゆっくりと開いた手のひらに書かれていたのは「すきだ」

これは三葉の名前を忘れかけた瀧が必死で書いたメッセージでした。

 

この228ページには死亡者名簿の時と同じテクニックが使われています。深海監督の感動トラップに気をつけて下さい。

 私は泣いてません。ラブコメ展開からの感動ならば「愛してるのサインを書くんじゃないか?」という予想をしてました。

3年前に死んでいたという裏切りは読めませんでしたからこれでイーブンですね←私はこういう読み方をする人間です。

 

この「すきだ」は二人にとって最後の交換日記です。

自分のことをすきだと言ってくれて、自分のために必死になってくれる名前の分からない誰かがいるということが、この上ない強さに変わります。

これじゃあ、名前、分かんないよー。

そしてもう一度、全力で、走り出す。

もう何も怖くない。もう誰も恐れない。もう私は寂しくない。

やっとわかったから。

私は恋をしている。私たちは恋をしている。

だから私たちは、ぜったいにまた出逢う。

だから生きる。

私は生き抜く。

たとえ何が起きても、たとえ星が落ちたって、私は生きる。

いやー。これは「すきだ」に対する返歌ですよね。

代入するとこうです「もう流星も怖くない。もう父親も恐れない。親友がいる私は寂しくない。やっとわかったから。私は恋をしている。私たちは恋をしている。だから私と君は、ぜったいにまた出逢う。だから生きる。私は生き抜く。たとえ死んでも、私は生きる」

瀧が西野カナを超えたように、三葉も西野カナを超えましたね。

 

第八章「君の名は。

何もかもを忘れてしまった瀧は自分がピエール瀧なのではないかと思い、石野卓球さんを探し始めます(ボケてすいません)

 

大学生になった瀧は就活をしていました。

高木は二社から内定をもらい、洗練されたメガネでお馴染みの司は8社から内定をもらっていました。

変態助平社長はゼロです。

奥寺先輩はアパレル業界で働きながら婚約者もできてハッピーエンドルートをまっしぐらに進みます。

先輩との会話の中で、高二の頃に訪れた岐阜県糸守町の話をしますが記憶は曖昧です。

隕石が落ちた時、偶然にも避難訓練があって町民は落下地点の同心円にいなかったという奇跡の夜。

どうして自分がそこまで感心を寄せていたのか分からないけど、まぁいっか。

そうして二人はバイトをしていたイタリアンレストランで食事をして別れました。

季節が変わった12月のある夜に、カフェの中で就活のスケジュールとにらめっこをしている瀧の後ろから懐かしい二人の声がーー。

君のは。テッシー!笑

ぜったい助演男優賞ですよね

糸守町のラーメン屋のおじさんも、いぶし銀でカッコよかったけどこの演出は素晴らしいですね。いざという時に頼りになるオカルトマニアという個性も珍しいですし。

 

おかっぱの女性がサヤちんだったのか、その隣の男性が本当にテシガワラだったのかは分かりません。

雨は雪へと変わり、降り積もる情景は妙にノスタルジックに記憶の積載を魅せます。

その後、瀧は何とか手にした就職先で働きながら必死に毎日を過ごします。

朝に流した涙の意味を考える間も無く「あと少しだけ」を願っている。

 

そして、ラストシーン。

冒頭に書いた「夢」の続きです。

反復法で「あと少しだけ」が多様されていますが、数えてみると御神体の場所で二人が直接会って会話をしたのは17回ぐらいなんですよ。

本当に少しだけの時間でしたが、その会話のなかで瀧が三葉に今度はお前が3年待っててと約束してるんです。

 

やっと逢えた。やっと出逢えた。このままじゃ泣き出してしまいそう、そう思ったところで、私は自分がもう泣いていることに気付く。私の涙を見て、彼が笑う。私も泣きながら笑う。予感をたっぷり溶かし込んだ春の空気を、思い切り吸い込む。

そして俺たちは、同時に口を開く。

いっせーのーでとタイミングをとりあう子どもみたいに、私たちは声をそろえる。

ーー君の、名前は、と。

 

おわりに

 

昨日の私よ!書いたぞ!

でも、推敲&添削できる体力はない_(:q 」∠)_ぐへぇ

 

映画の主題歌はRADWIMPSが担当しましたが、私の頭の中に流れたのは山崎まさよしさんの「僕はここにいる」です。

 

読む人によって頭に流れるBGMが違うと思います。誰か読み終わった人にアンケートとって欲しいなぁ(ぼやき)

 

あと記念にフラッシュバックした作品を並べておきます(何の記念だよ)

 

 彗星と星新一をかけたわけではありませんが、ハウルの動く城に関しては「未来で待ってるから!」というソフィの姿が浮かんできました。

彗星とか流星って独特な切なさを持っているなぁと思います。

何だろ…うーん。分かりません。

 

 

9月29日 らすと - モブトエキストラ


 三葉の故郷を隕石が襲ったのは10月です。

なぜ10月なのかといえば「神無月」だからでしょうねきっと。

そして、私にとってもこの10月は長年住んだ家を引っ越して新しい場所での生活を始めた転機です。

その気持ちを書いたのが本書を読む前の9月29日。

読み終わって驚いたのは10月1日、この作品の映画プロデューサーが川村元気さんで、自分もまた「人間にとっての記憶」について考えていたこと。

「だから何だよ?」という声に耳を傾けて何でもないよと流してしまうことは簡単だ。

自分の思ったことや、気付いた何もかもが無価値であって、お前の代わりはいくらでもいると吐き捨てられた時に自我を捨てて上書きされることが人生ならば、おそらく私たちは本当の意味で誰にも会えないんと思います。それこそ、あの世とこの世で離れ離れになった二人のように同じ場所にいても誰にも会えない。

 

固い言葉で言うと絶望に対していかに抵抗権を行使するかが、今の時代だと私は感じていて、サブカルチャーに目をやるとMCバトルが流行ったり「僕だけがいない街」が流行ったりする。

川村元気さんの「世界から猫が消えたなら」もそうですけど、今の時代の人々は誰がどうにかしてくれる時代はもう来なくて、自分で変えていかなければならない事に気付いてると思うんです。

政治に目をやると、バブル世代が勝手に決めたことに従えという無責任が続いていますし。

映画「君の名は。」が大ヒットしてるのは、自分を変えようとしている人たくさんいるということだと思います。

新海誠監督が書くつもりがなかったこの小説は確実に多くの人に影響を与えるでしょう。

特に中学生や高校生がこの小説を手にとって読んだとしたら、根拠もないのに自分の未来に憧れを持つと思います。

この小説には「夢はぜったい叶う」なんてちんけな言葉は使われていません。

恐怖と絶望の中でアスファルトに顔を打ちながらも未来を信じて走り抜ける青春が、鉄の塊みたいな都市の中でどうにか必死に生きてる毎日に衝突する物語です。

もし、誰かの誕生日に贈るプレゼントに迷ったらこの一冊をオススメします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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