モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

わがまま

今日は朝から曇り空で病院に着く頃には降り出していた。私と入れ替わりに男性が出るようだったから、ドアを開けて待っていた。「ありがとうございます」と言われた。

もう、こうしたことも無くなる。

今日は最期の通院日だった。

 

なぜ入り口の近くに観葉植物が置かれているのかといえば、多くの場合は強盗や盗難があった場合に犯人の身長を特定するための比較対象として置かれている。

しかし、この病院のパキラときたら天井に付くほど成長していて今挙げた価値観では役に立たない。

力強く絡み合った幹は運動会の綱引きに使われる綱のように逞しく、白い柄が入っていた。

クーラーの乾いた風は葉っぱに良くないはずなのに、なぜこのパキラが元気なのか私には分からなかった。与えられた価値とは違う価値を持ったこのパキラのことが、私は羨ましかったのかもしれない。

 

特に話すことはなかった。

引っ越し作業で疲れているだとか、残った薬をどうするかとか。空っぽな会話しかできなかった。

医師は目標を持ったほうがいいとか、また具合が悪くなったら来てくださいと言っていた。もし、逆の立場だったとしたら私も同じようなことを言っただろう。

ありがとうございましたと感謝をして診察室を後にする。

窓の外の雨はさっきよりも激しくなっていた。名前を呼ばれて精算していると、窓口の女性が「こちら、領収書と処方箋…あっ、領収書だけですね」と言った。この人はいつからここにいて、同じ作業を繰り返していたのだろうか。

「今日で終わりなんです。お世話になりました」

私の通院は幕を閉じた。

 

後悔とは違うが、もっとわがままに生きていたら、いつかの煩悶や自殺願望は眼中にないほど些細なものだったのかもしれない。もっと、視野が狭くて、自分のことしか考えない人間だったら、生きることは簡単だったかもしれないと。

自分の事より他人を考え、多くのことを知ろうとし、命令に対して従順になれない私はか細いくせして反抗的で、じわりじわりと毎日を自殺していた。

 

もう身体に鉄のような重さはない。

青空を灰色に変えるカーテンも最近は見てはいない。もちろん薬は飲んでいない。

では、何が変わったのか。

「檻の中にいる必要はない」と知ったのだ。様々な考え方を知ったのだ。

 

現代は海の中に沈められた水槽の中から見てる偽りの自由だ。

私はそれを知ったのだ。

鬱を飼うとはそういうことだ。