モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「想像ラジオ/著 いとうせいこう」の感想

あの人の走馬灯が聞こえる

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この本は以前から読みたいと思っていたけど、ハードカバーの1500円が高くて買えなくて、田舎の図書館には無くてそのままで、私の中では時が止まっていた。

それが書店に行った時に、本棚の端から人差し指で背表紙をなぞりながら平行移動してたら出会ってしまって。

河出文庫から本体価格450円という価格破壊!

『ありがてぇ、ありがてぇ… 買いますとも!買いますとも!』

 

第一章

目次を見て気づきましたが、章ごとにタイトルが無いんですね。この本は。

それに手に取るととても軽い。

まぁ、これは本の丁装、紙の材質にやるところが当たり前に大きいんですけど。

これは読み終わった感想になりますが、私にはこの本の軽さが、まるでどこまでも鳴り響く魂の軽さに思えてくるんです。

 

では、一章について。

いとうせいこうさんがどのような文体で小説を書くのか見当がつかなかったんです。先に言っておくと、私の中の記憶の蓄積だと「天才テレビ君」と植物が好きな「ベランダー」と文化放送の「ラジオ」と「フリースタイルダンジョン」でカルチャーを育てるHIPHOPのパイオニア

でも、私の中で大きい影響を受けたのは原発事故直後のステージの映像。

 

 

蛇足になるので言葉は要らないと思います。

そんな事を思いつつ、ページを開いたところ正直に言って読みにくかったんです。題名にあるようにラジオが母体にあって、そこにはマイクの前で何かを必死で伝えようとしている1人の男がいて、それを視覚化するにはマイクから聞こえる「喋り言葉」で表記するしかないんです。

ですから私は活字として読むのを諦めて、声に出して読むことにしたんです。

音読するなんて滅多にないですけど、この本はそうしないと私には読めませんから仕方ない。

 

どうやらマイクの前で話すこの男の名前はDJアークというらしい。

本名は芥川冬助。海沿いの小さな街の米屋の次男として生を受けます。

音楽事務所でマネージャーをやっていたけど、地方の小さなライブハウスは資本力のあるグループが経営するライブハウスに客を持っていかれてしまって衰退しました。グループが運営するライブハウスはいい気にさせるだけのカラオケ屋で、若い奴らが搾取されるのを見ていられなかったし、それを放っておく社会に疑問を持って芥川は仕事を辞めます。

現在38歳、年上の妻 美里とジュニアハイスクールの寮に入っている息子の草助がいる。

仕事を辞めて故郷のこの街に戻って、マンションに引っ越して来たーーー

 

彼にはその辺りから記憶が無くて、今は杉の木の上からラジオをやってる。隣にはハクセキレイがいて。

非現実的な中でラジオは始まりました。

このラジオは決まって深夜二時四十六分に始まるけど、想像力が電波だから誰がいつどこでも聞けるようになっているんです。

そんな中でリスナーとやり取りをしていると、中学の頃の同級生である前田陽子から津波に呑まれた芥川君の姿を見たというお便りが…。

それはともかく、私は今日の午後、たぶん芥川君だろうと思う人の姿を見ました。つかまっていないと立っていられないほど部屋が揺れて揺れて、それが泣き出しそうなほど長く続いたあと、私はあわててラジオをつけた。すると速報で津波の高さは六メートルだという。そのくらいなら足の悪い母親をおぶって山の方に少し行けば大丈夫だと思って、私は二階の自室から階段を降りて父に声をかけ、奥の部屋のこたつのそばで腰を抜かすようにしていた母にありったけの服を着せて表に出た。

〈中略〉

右手にある五階建てのマンションのベランダに、赤いヤッケを着た男の人が見えた。海の方を見ていた。その人が芥川君だと思ったのは、前日近所の同級生に芥川君が東京から帰ってくると聞かされていたからで、どこに引っ越してくるのかは知らなかったけど、小さな町だし、だいたいはあそこあたりだろうと無意識に見当をつけていたのでしょうね。

なぜあなたが逃げないのか、よくわからなかった。六メートルと最初に情報が出回ったからか。長く東京にいて避難訓練なんかしなくなっていたからか。あなたは外の誰かに声をかけているようにもみえた。私は長く気に留めていられなかったので、父を励まして時田牛乳の角の細い道に入って、駐車場で両親を車に乗せて坂を登った。

〈中略〉

芥川君、それからずいぶん長い時間が経った。知らないうちに、私の体もずぶ濡れになっていた。振り返って下を見た時、赤いヤッケの人が高い場所に持ち上げられ、ぐるぐる回るのをちらりと見た気がした。それからしばらく水の中に見えなくなった。私も水に呑み込まれていたのかもしれない。無我夢中だったので記憶は連続していません。ただやがて赤いヤッケは右手の川だったあたりの上にあらわれて凄い速さで移動していた。

そして杉の木が山を覆っている方向に赤いヤッケが流されてゆき、ついに木の一本に引っかかってあちらこちらに引っ張られるのを見たと思う。水が引いてからも何度か私はその赤いヤッケの人に目をやった。いつ見ても動かなかった。私自身も何かに体を打ちつけられ、しびれて動けなかった。そのまま日が暮れてしまった。何時間もあなたはその姿のままでいました。

芥川君、それがこんなに饒舌にしゃべっているとわかって、少しほっとしました。早く地上に戻ってきてください

引用文としては文量が多いと思いますが、主人公の所在地とせいこうさんの文章表現がどんな感じなのか知ってもらいたいので抜き出しました。

注目すべきはこの証言。芥川君a.k.a DJアークが最期に何をしていたのかといえば、津波の避難警報が聞こえる中で妻の美里を探していたということが分かるんです。

前田陽子は目の端に芥川の姿を捉えつつ避難を続けるも、自分たちもいつの間にか波の中にいて、生命体とは思えない芥川の姿を見ながら日が暮れた。

低体温症で前田陽子は亡くなっていると私は推定します。心にわだかまりが残るのは、前田陽子は芥川のことが好きだったんじゃないかということ。

子供の頃は互いの父親が友人関係だったそうだし、無意識のうちにどこに住んでいるのか気にかかっていた。そのうえ、自分の生命も危機的な状況でずっと芥川を見ていた。

文章に前田陽子の夫は登場しないし、逆に前田陽子は芥川が結婚していることを知らなかったからこそ、逃げずに妻を探していただなんて想定していない。

昔好きだった人が惨たらしく死んでいくのをずっと見ている気持ちを考えると切ないんですよ。

「早く地上に戻ってきてください」っていうのも、前田陽子は自分が死んだとは思っていない…

もちろん私の考え過ぎかもしれません。

でも、一章を読んでこれは今までに読んだことのない、走馬灯が電波する物語なのだと理解しました。

自分がどうなったのかも定かでなく、妻の美里が無事なのかどうかも分からない。それでもDJアークは取り乱すこともなくラジオを放送し続ける。

しかも、ちゃんと曲もかかりますから、radikoのタイムフリーを超えていますね。

その気になれるようにリンクを貼っていきます。

 

 

ザ・モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」

 

タウン・ラッツ「哀愁のマンディ」

 

フランク・シナトラ「私を野球につれてって」

 

ブラッド・スウェット&ティアーズ「ソー・マッチ・ラブ」

 

 

アントニア・カルロス・ジョビン「三月の水」

 

第ニ章

場面は変わって震災から一年後の世界。

第二章はボランティアから帰ってくる車内で繰り広げられる5人の会話がメインとなっています。

主にストーリーテラーとなる作家の私(Sさん)と、ベテラン写真家のガメさん、それに運転手のコー君と、ボランティアでリーダー格の青年であるナオ君と木村宙太の5人。

Sさんというのは「せいこう」の「S」なんじゃないかと思ってしまう。それは耳が悪い描写がとてもリアルで、耳と目を悪くしているせいこうさんの実体験なんじゃないかというのが理由です。

鼓膜の切開は一秒ほどで済んでしまった。私には器具を見る暇はなかった。じっとしているうちに、耳の奥がガサッと一度いっただけだった。そのあと、女医はまた例のアリクイの鼻めいた細い管で耳を吸った。

はい、手術終わりました。薬を何種類か出しておくので飲んで下さいね。あとは水泳以外、何をやってもけっこうです。もう聴こえるでしょ?

確かに聴こえは改善した。外界の音は少しくぐもってはいたが、蓋をされたように聴こえなかった時とはまるで違っていた。私はそれから処方された抗生物質などを律儀に飲み、一日に数度、抗菌剤や合成副腎皮質ホルモンの液状になったものを、横になってアンプルから右耳に入れた。点眼のように、それを点耳(てんじ)と呼ぶことを私は初めて知った。

感覚って千差万別だから言葉や活字で伝えるのは難しいと思うんですけど、材料になるような細かい部分で表現している文章って体験しないと書けないと思うんです。

これもまた私の想像ですけどね、せいこうさんは昔から小説を書こうとしていたけど書けなくて、この歳になってようやく書けたってラジオで言ってたから、歳をとることによってリアリティのある文章が書けたんじゃないかと思うんです。

 

話を戻します。ガメさんはSさんの先輩で、口うるさかった父親と違って人間の器が大きな、いわば理想の父親だった。

ガメさんがしたのは自称霊能力者の女性とハワイのシャーマンが広島の慰霊祭に参加した時の話だった。

僕はその時思ったんですよ。日米両国のシャーマンたちの共同の祈りによってようやく霊は融和的に慰められたとも言えるし、どちらの霊も誇りを傷つけられて唸りをあげていたとも言える。けれど、それは頭で考えればの話だ、と。何にせよ、もしも霊が存在するなら、彼らは戦後六十年ほどして、今までににないやり方で慰めようとする者があらわれたことに一様に興奮して金切り声をあげているんじゃないか。

僕はね、Sさん、その樹の上の人が金切り声では決してないけれども、何かを言っていることはあり得ると自分が霊魂の存在を信じているわけではないくせにね、それでもやっぱり思うんですよ。というより、君の話を聞いていたら実際あの広島の朝の時のように遠くから聴こえる声が耳の奥に届いた気がしたんだね。

ただしあの時と違ってそれは一人の男の声だったよ、Sさん。一瞬、電波が悪いところで電話をしてるみたいに言葉めいたものが切れ切れで聴こえた。妙に明るい調子だった。

被災地をボランティアで回ったときに、あちらこちらで「声が聴こえる」なんて話もあった。

 3人の会話を聞いていたナオ君は心の底からイライラしていた。被災地でボランティアをしていると、なにをどんなに頑張ったところで「あんたになにが分かるんだ」という意見に出くわす。

ナオ君はその現実を知っているから、被災者の気持ちを知った風なことを話しているのが癪に触った。死者の声が聞こえるだとかいう自称霊能力者のインチキがどれほど遺族の心を傷つけると思っているのか。

例えば原爆が投下された広島でそういう話をするのと、震災の傷跡が癒えていない被災地で口にするのとでは大きく意味が違う。そんなものは被害もなく帰る場所もある人間の自己満足だと切り捨てた。

狭い車内の中で異なる意見がぶつかり合うので、これは最悪のムードと言ってもいい。

それでも木村宙太は食い下がって、例え自己満足と言われようと、誰がどのような感情で生きているのかを考えずに行うボランティアに鎮魂の意味があるのかと返した。

車内の誰もが、被災者の現実とサポートする側の現実がどのように存在するのが適切なのかを考えていた。

それは運転手のコー君も例外ではなくて、実は何回か会話に入ろうとしていたけどタイミングを見失っていて、皆んなが静まり返った最後に口を挟むことになってしまった。そして、さっきから耳の奥で曲が聴こえると彼は言うのだった。

 「信じて下さい。聴こえてんのはアントニオ・カルロス・ジョビンってボサノバの巨匠の『三月の水』って曲で、原題は『waters of march』ゆうて、『三月の雨』とか訳されてたりするんやけど、ボサノバが好きな人はあえて『三月の水』って直訳することもあって。それの、エリス・レジーナって歌姫とジョビン本人がデュエットしてる、ガチに定番なバージョンなんです。

考えてみたら、皮肉なタイトルにもほどありますよ、被災地からの帰り道に。けど、何回もかかってます。繰り返し繰り返しです。

ナオ君と宙太さんが話しだした頃、その曲を紹介してる人の声がまずうっすら聴こえたと思うんです。ガメさんがいうように一人の、男の人の声やった。あ、ほら、また曲が始まった」

しかし、私にはそれは聴こえなかった。

「ラジオ、か」

と言うのが私には精一杯だった。

ここで読者は「なぜ、生きているガメさんやコー君にラジオが聴こえるんだ?」と考えることになります。

その答えは第五章ではっきりしますので、この時点ではスルーしときます。

 

第ニ章は現実世界の視点から書かれています。滝口悠生さんの表現で言うなら「死んでいないもの」の話ですね。

当事者はどうやって折り合いをつけるべきかを悩み、サポートする側も悩み抜いて、決断して前に踏み出していく。

車内のムードが最悪の中で「三月の水」が鳴り響くのは印象的です。

私はこの曲を聴いたことあるんです。

 

TBSラジオ金曜24時放送『菊地成孔の粋な夜電波』シーズン10[Vol.24]…『ノンストップDJ⇒゚*・゚三月の水*・゚・♪』 >> 2016年3月11日 通算250回 #denpa954 - Togetterまとめ

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 TBSラジオでやっている菊地成孔さんの粋な夜電波の中で特集されたのを聴いたんです。 文章の朗読(音源が見つからないので内容はツイートから推察して頂きたい)の後にノンストップで「三月の水」をかけ続けました。

「想像ラジオ」でこの曲が流れた瞬間に私はこの放送をフラッシュバックしてしまいました。「togetter」のリンクを開いてもらえると分かるんですけど、この放送の中に『リアル想像ラジオだ』ってツイートしてる人もいて、今更ながらに少し感動してしまいました。

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第三章

第三章。真夜中2時46分、杉の木の上でハクセキレイの相棒と一緒にDJアークは再びラジオを始める。

今回のお便りは53歳の男性リスナーから。名前はキミヅカタケオさんといって、宿泊施設が津波に襲われてしまい部下のサクラギの安否が分からず、とにかく情報が欲しいので助けて欲しいというもの。

DJアークはキミヅカさんと中継をしながら、手探りで暗闇を進むのを実況してもらう。キミヅカさんは四階から二階に降りるのを説明しながら歩く。

話の内容からすると三階付近の床まで水で濡れているようで、二階は全てが流されて一階に続く階段もなければ、自分以外に誰かがいる気配もしない。

ここで匿名希望の女性から中継が入る。

「了解しました、アークさん。努力します」

よろしくお願いします。さて、もうひとつの中継先は匿名希望の、どうやら女性らしいんですが、電話が、つながっているようです。

こんばんは。

「こんばんは。いえ、こんばんはかどうか私にはわからなくてごめんなさい。こちらは深い闇です。冷たい水の底へと私はたぶんゆっくり落ちています。あたりは漆黒の広がりです。といっても、私に確かな視界は目の前一センチもありませんから、暗がりは顔に貼りついているだけかもしれません。でも、その狭い暗がりの外に無限の暗がりがあるだろうことが、私にはわかっています。

あの、私、こんなレポートでいいのでしょうか」

匿名希望さん。

「はい」

僕に言えるのは、あなたの声がしっかり聴こえているということだけです。それでもよかったら、しばらく続けていただけませんか。

「ありがとう。DJアーク」

無限の暗闇が近づく中でその女性は、自分の声を受け取ってくれる人がいることで自分の存在を確かなものにします。

何も見えない中で恐怖と落下する感覚に苛まれる彼女にDJアークは曲をプレゼント。

 

マイケル・フランクス「アバンダンド・ガーデン」

 

曲の後、DJアークは一向に連絡をくれない奥さんとの馴れ初めを話します。

大学のサークルで奥さんは音響をやっていて、その姿を見て大変な仕事だと理解する。奥さんは「役者は間違いが愛嬌にらなるけど、あたしたちには廃業につながる」という名言を残しています。

 

【広瀬すず】 裏方dis 【とんねるずのみなさんのおかげでした】 - Togetterまとめ

 

広瀬すずさんに「想像ラジオ」を一冊、誰かプレゼントしてあげてください。

 

DJアークはその後も最愛の妻と息子の話を続けて、引っ越して来た町ごと破壊した神様を肉の塊に変えたいほどの怒りをマイクの前で撒き散らします。

すると、木の下まで来ている父親と兄の浩一の声が聞こえます。

早く降りてこい、三人で家に帰ろう!と父は言いますが、この番組以外に美里との連絡手段がないから見つかったら降りるということで一旦帰ってもらいます。

 

次のお便りは82歳の大場ミヨさんと大場キイチ夫妻から。重要な指摘。

「けれども、私はそれを第一に言いたくて…手紙を書いているのじゃなく、アークさん、もっと重要なのはあなたの奥さんに連絡が取れないのは喜ぶべき…ことだと言いたかったのです」

え、どういうことですか?

「ああ………」

「主人はもう疲れました。寝かしてやってください。DJアークさん」

あ、はい。でも今のひと言は、一体……?

「続きを代わってお便りします。もう皆さん、ご理解なさっていると思います。あなたの奥さんはわたくしたちの側にはいらっしゃらない。だから連絡が途絶えているのです。それがせめてもの救いだ、とわたくしどもはこの部屋の中で言い交わしておりますよ、DJアークさん」

僕の奥さんが…僕らの側にいない?

ということは…。

想ー像ーラジオー。

DJアークが理解していないのに、想像ラジオは「基本的にこの世を去った方々にだけ聴こえ、参加出来るマスコミ」だと大場夫妻は指摘します。年の功とはこのことですね。

美里が生きていると分かっただけでDJアークに力がみなぎってきます。

一曲かけたあとで、三章の冒頭のキミヅカさんに再び中継を繋ぎます。

「そしてある瞬間、足の下の方からもアークさん、あなたの声がしているのがわかったんです。小さな音量です。遠くからです。でも確かに自分の耳元で鳴っているのとまったく同じ声です。

〈中略〉

私は支柱の最も下を握ってその場にうずくまり、深い闇に右手を降ろしました。アークさんあなたの声がかすかにする方ににです。すると、ゆらゆら揺れる冷たい手に触れた。私は迷わずそれを握りました。誰かの左手でした。おそろしいとはまったく思わなかった。なぜなら相手は我々の放送リスナーだからです。姿は一切見えません。闇の奥です。懐中電灯があの青い矢印をぼんやり照らしているだけです。

私は今も狭い踊り場でうずくまり、その人がこれ以上沈んでいってしまわないよう、じっと手を握っています。残念ながらサクラギではありませんが、こうしているとまるでわたしこそが沈みつつあり、つないだ手で救いを与えてもらっているような気にもなります」

「DJアーク、ここで私からも中継します」

はい。あなたの声ですね。そうだと思っていました。やっぱりあなただ。

「ええ。キミヅカさんを届けてくれてありがとう。彼と手をつないでいるのは、黒い水の奥にたった一人でいた匿名希望の私です。お互いの指先が冷たくて笑い出してしまいそう」

あはは。僕までくすぐったくなってきました。

では、本当にここで音楽を。

コリーヌ・ベイリー・レイで『あの日の海』。

想像して下さい。

 

コリーヌ・ベイリー・レイ「The sea」 

 

 私はここで泣きそうになったんですよ。

このパートではラジオを介して人々が繋がっていく様子が描かれています。

ラジオを聞いていなければ他人で、こんなドラマもあり得ない。重要なのは「DJがリスナーの声に耳を澄ましている」ということです。

私は中毒と言っていいほどラジオが好きな人間なので、面白い番組とそうではない番組の違いが分かります。業務的に曲をかけて、通販の商品紹介をしたりだとか、面白い俺の話を聞け!とか、オシャレなアタシがアンタラに情報を教えてあげる!みたいな、DJがリスナーとキャッチボールをしない番組は全く面白くないですね。そういう意味でこの「想像ラジオ」はリスナー参加型という理想的なスタイルでラジオをやっています。

 

死んだ人間が孤独から救われることがあるのかどうか分からないけど、男性はサクラギではない誰かの手を握りしめて離さずにいて、女性はそれが私だと分かって笑ってるんですよね。

 

私にとってラジオは世界の広さを教えてくれるものだから、個人の世界にコミットしてつなぎ合わせ、この状況を作り出したことに感動してるのかもしれません。

 

第四章

第四章は第二章の続きでストーリーテラーはSさんです。

Sさんは恋人と思われる女性と会話をしていて、ボランティアの話や車中で交わされた話を彼女に聞かせました。

女性は杉の木の上でラジオをやっている男の話を聞いて、ネットで見かけたクロアチアの首都ザグレブにある糸杉の話を思い出します。

そこは政府が管理している庭で、その木の上に夜毎たくさんの人の青い魂が現れるというのです。糸杉は死者の象徴とされており、クロアチア人は殺されたセルビア人の魂ではないかと内心怯えているとかで。

「つまり、お互いに自分たちが流浪の境地に追いやった相手の言葉に耳が追いつかないと感じるっていうか、受け止めきれない。相手の気持ちを理解しきれないと思う罪の意識があるからこそ、その言葉に耳をふさいでしまうんじゃないかっていうようなことが書いてあって」

「そうか、なるほど」

「もちろん内戦と災害では話がまるで別だけど、樹上の人って意味でも、その魂の語ることを受け止めきれないでいるって意味でも、わたしはその内容を早くあなたに話したいなと思った。つまり、ザグレブにもあなたがいるって。それが妙な例を出す形で先走っちゃったみたいなんだけど」

 

その後、彼女は妹の義理の父の話をします。熱中症で倒れた後に元気を失って、その後に震災が起きてからはうつ病になってしまう。

計画停電も始まり、妹はイヤホンを耳に詰めている父を見てずっとラジオを聞いているのだと思っていた。でも、そのラジオに電源は入っていない…

「むしろ僕は彼もまた、死者の声を聴こうとして、そのことばっかり考えているんじゃないかと思った。で、聴こえないでいる。実際に聴こえてくるのは陽気さを装った言葉ばっかりだよ。テレビからもラジオからも新聞からも、街の中からも。死者を弔って遠ざけてそれを猛スピードで忘れようとしているし、そのやりかたが社会を前進させる唯一の道みたいになってる」

「お義父さんはその流れにイヤホンひとつで抵抗してるってこと?」

「少なくとも集中して耳をふさいでるように思う。外界からも、自分の中にある罪の意識からも」

生きている側の問題は「たられば」から何を学ぶのかということと、それから逃げ出して思考停止になり忘却に身をまかせてしまうこと。

第二章の冒頭で書かれていたけど、Sさんには想像ラジオは聞こえないんです。なのにその着眼点を持ち続けている理由は、実は話し相手の彼女は震災の半年前に亡くなっているんです。

つまりは彼女に対する罪悪感と悲しみを持ち続けているから、彼女の声が聞こえるんですよ。(ずいぶんと昔に「居酒屋ゆうれい」という映画を見たことがあるんですけど、なんか思い出してしまいました) 

Sさんはそういう感情を持っているから、まるで何もなかったかのように振る舞うこの国の空気が腹立たしくもあり、切ないんです。

「亡くなった人はこの世にいない。すぐに忘れて自分の人生を生きるべきだ。まったくそうだ。いつまでもとらわれていたら生き残った人の時間も奪われてしまう。でも、本当にそれだけが正しい道だろうか。亡くなった人の声に時間をかけて耳を傾けて悲しんで悼んで、同時に少しずつ前に歩くんじゃないのか。死者と共に」

「たとえその声が聴こえなくても?」

「ああ、開き直るよ。聴こえなくてもだ」

Sさんは彼女と会話をすることで、生き残った人間と死んでしまった人間の距離感を考える。

これは普遍的な問題でもあるし、現代日本の社会問題でもありますよね。

Sさんのラストバースは以下のもの。

「会いたいね」

「いつ会えるかな」

「今はまだちょっと分からないな」

「会いたい?」

「うん、会いたい」

「じゃあね」

「うん、またね」

ああ、それと、Sさんは仮にそのラジオが聞こえたらボブ・マーリーの「リデンプション・ソング」を樹上にプレゼントしたいと言っていました。

果たして、DJアークに届くでしょうか。

 

第五章

第五章はモーツァルトの「レクイエム」から幕を開けます。DJアークの登場です。

毎晩2時46分にラジオをやっている感覚は、ずっと同じ時間を繰り返しているようだと語ります。それと、身体が痒いとも。

リスナーは増え続けていて、同じ時間の中で記憶とストーリーを紡いでいきます。再び大場キイチさんが登場して「あなたは土地の氏神のようになってきているように思う」と褒めてくれたりして。

 

 

松崎しげる愛のメモリー 1977」

 

第二章で生きている人でも想像ラジオが聞こえるのはなぜか?という疑問がありましたが、ここで全体像がようやく分かります。

そう考えると今まで僕が想像力こそが電波と言ってきたのは不正確で、本当は悲しみが電波なのかもしれないし、悲しみがマイクであり、スタジオであり、今みんなに聴こえている僕の声そのものなのかもしれない。つまり、悲しみがマスメディア。テレビラジオ新聞インターネットが生きている人たちにあるなら、我々には悲しみがあるじゃないか、と。だから亡くなったけれども悲しみを持つ余裕が今はないという人には僕の声は残念ながら届かないし、逆にひょっとしたら生きて悲しんでいる人にもこの番組は届く。

届く、と思いたい。

想ー像ーラジオー。

この部分を読んで「前田陽子は死んだ説」についてもう一度考えてみたんですよ。

故人に対して悲しみを抱いている場合は、ラジオが聞こえるということがあるという事が分かりましたから、生きていてもおかしくない。「早く地上に戻ってきて」という言葉を考えれば、生きていると考えたほうが自然ですね。

でも「私自身も何かに身体を打ちつけられ、痺れて動けなかった」と証言していますから津波に呑まれている可能性は高いし、浮力を持った瓦礫が身体に当たっている。そのまま夜を迎えたと考えると、低体温症になっていてもおかしくないですよね。

 

うーん……難しい。笑

 

マウリツィオ・ポリーニストラヴィンスキーペトルーシュカ〉」

 

前田陽子の安否は分かりませんが、DJアークの父と兄ちゃんは生きています。

183ページに再び父が木の下に来る場面があって、DJアークがいる地域には放射能が降って、何年も人が入らないかもしれないと告げます。

父親にしてみればどうにか息子の遺体を回収して、連れて帰ってあげたいのに、地面はぬかるんでいるし高い木の上に彼はいるのだし、何より救助が来ないかもしれない。

とても残酷ですけど、現実に遺体が分からず悲しみを抱えている遺族はいるんですよね。読んでいて苦しいです。

一方、木の上のDJアークはそれより奥さんと息子がどうやって今を生きているのかが気になって仕方ない。

リスナー達もその熱意と願いを察して、DJアークが耳をすます時間を許すんです。

普通のラジオだったら放送事故ですけど、ニコ動のコメントみたいにリスナーのコメントが共有化されているから問題なく番組は進みます。死んでしまった人々の人間臭さと温かさが伝わってくる場面で、ここはぜひ読んでもらいたいです。

そのコメントの中には、いくら耳を澄ましても生きている人々の声は聞けなかったというものがあったのですが、DJアークはどうにか成功しました。

「思っている以上に時間は経っていて、美里は懐かしそうでもあった」ということから、第二章の時間と同じだとすると少なくても一年は経過していることになります。美里と草助の気持ちの整理がつくまでにかかった時間とも読めますね。

草助の声は低くなっていて、繰り返し生前の父がどのような人物だったのかを母に尋ねている。

何よりうれしかったのは草助の声が低くなっていて、その音域に一族の特徴がよく出ていたことで、はっと気づいた時に鳥肌が立ったし、熱いものがこみ上げた。

そして僕は発熱し始めている。体の境界線がすべて空気に溶け去って、こうしてしゃべる言葉も風に吹かれて自分のものでなくなっていく気がします。

 

まるで「風葬」のように体は軽くなっていき、あの世とこの世が繋がった瞬間を待ちかねたハクセキレイも飛び立った。

DJアークの番組が終わると悟ったリスナー達は最後のコメントをします。

「もちろんだ」「まかせておけ」「あ、なんならこのまま僕が番組続けますよ。若輩者ですが」「方船ノ…ミコトよ」「さよなら」「さようなら」「じゃあまた」「さよなら」「パチパチパチパチ」「喝采」「パチパチパチパチパチ」と、旅立つ芥川冬助に心からのメッセージを送るのでした。

 

頼もしいリスナー諸君。ここで皆さんに贈る最後の一曲です。

想像ネーム・Sさんからのリクエストでボブ・マーリー『リデンプション・ソング』。救いの歌。胸にしみる名曲。1980年。ボブ・マーリーが脳腫瘍で亡くなる前年に出たラストアルバムの、まさにラストソング。

今まで聴いてくれてどうもありがとう。

本当にさようなら、みんな。

もちろん最後の曲紹介は、僕の番組らしくエコーたっぷりで。

では『リデンプション・ソング』、どうぞ想像して下さい。

あ、その前にジングルを今までにない大音量で一発。あはは。

想ー像ラジオー。

 

ボブ・マーリー「リデンプション・ソング」

 

こうして芥川冬助の長い物語が幕を閉じました。

遺体が見つからなかった家族の別れは、自分たちにしか分からない精神世界の中で行われていて、死者にとっては一瞬でも自分のことを考えてくれることが孤独からの救済なんですね。それは暗闇の中にいた匿名希望の女性が別のリスナーに救われたように、赤の他人であっても嬉しい。

第二章に出てきたナオ君は勝手に忖度して自己満足になることを全否定していましたが、だからと言って想像することを止めてはいけなくて、死者の声に耳をすますことが重要なんですね。

ええ、聞こえなくても、その人がどんな人であったのかを考えるだけでよくて。

そうやって、生人と死人は一緒に歴史を紡いでいくのだとSさんが答えを出したように。

魂を解放すれば私たちのリクエストが「想像ラジオ」でかかる日が来るかもしれませんね。

 

おわりに

残酷に立ち向かうとても優しい物語。

走馬灯が電波して悲しみを取り去る。

DJはいつの間にかいなくなり、新たなDJが現れる。

始まるのはいつも同じ。

夜中の2時46分。誰が何処にいようとも、声を聞こうとする人がいる限り、伝えようとする人が現れる。

 

DJアークは素晴らしいライブハウスを作りました。

この一体感は温かい。エヴァンゲリオンの「人類補完計画」とか現代日本の「全体主義」とか自民党の「改憲草案」みたいな気持ちの悪いものではなくて、平成狸合戦ぽんぽこ『いつでも誰かがきっと側にいる。思い出しておくれ素敵なその名を』みたいな。

会えなくなってしまっても、その人の存在や生き様が前に踏み出す原動力になってくれる。あなたは私の胸の中で生きているなんてキザだから口にしないけど、でも事実だから数えきれない人が心の中で呟いていることでしょう。

今年、活動再開した宇多田ヒカルさんの「道」なんてまさにそれですし。

 

それと、ほめるだけでは感想としてどうかと思うので気になった点を2つ。

①登場人物の口調が同じで分かりにくい

②前田陽子

喋り言葉がベースだから読みづらさは仕方ないとしても、口調が変わらないのは不自然に思いました。

「ハガキやメールが来ないからスタッフが用意したんじゃないか?」なんてね( ・´ー・`)

あとは前田陽子の生死がはっきりしなくてモヤモヤします。(私だけでしょうか)

 

まぁ、長々と書いてきましたが読んでよかったです。せっかくなので最後にセットリスト書いておきます。

 

  1. ザ・モンキーズ「デイドリーム・ビリーバー」
  2. タウン・ラッツ「哀愁のマンデイ」
  3. フランク・シナトラ「私を野球につれてって」
  4. ブラッド・スウェット&ティアーズ「ソー・マッチ・ラブ」
  5. アントニア・カルロス・ジョビン「三月の水」
  6. マイケル・フランクス「アバンダンド・ガーデン」
  7. コリーヌ・ベイリー・レイ「The sea」
  8. モーツァルト「レクイエム」
  9. 松崎しげる愛のメモリー1977」
  10. マウリツィオ・ポリーニストラヴィンスキーペトルーシュカ〉」
  11. ボブ・マーリー「リデンプション・ソング」

 

想像ラジオ (河出文庫)

想像ラジオ (河出文庫)