【「日本スゴイ」ブームの実態とはなんなのか?】ゲスト:早川タダノリ - モブトエキストラ
先日の「JamTheWorld」の特集で面白そうだなぁと思って購入しました。
私は基本的にラジオばかり聞く人間なので、最近はテレビ番組をほとんど見てないんですけど、ブーム以前から放送されていたテレ東の「和風総本家」は職人や技術者が国際交流して影響を与え合う部分があって面白いなぁと思ってました。ただ近年の「スゴイ系」番組は視聴率を取るためなら何でもするという放送局の邪(よこしま)な感情と、宗教性を帯びた視聴者がハウリングしているのが気持ちが悪く感じます。
また、昨今ドナルド・トランプに関連して「ポピュリズム」について言及するニュースをよく目にしますが、自分の国ではどうなのかという視点も持つべきだと思い、この本を読んでみようと思ったわけです。
このビジュアルよ笑
作者の早川氏は戦前、戦中に出回った各種のプロパガンダ資料を収集するのが趣味で、現在は編集者として勤務しているそうです。
早川タダノリ (@hayakawa2600)さんはTwitterを利用しています
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大まかな内容はラジオで語られていたとおりで、本の構成は当時に出回っていたスゴイ系の本を紹介しつつ、ツッコミを入れて現代と比較するという流れです。
私は歴史が苦手ですし、興味のない人物の名前を覚えるのも得意ではないから難読でしかありません。笑
しかしながら、普段は目にすることのない資料を見ることができるので貴重ですし、堅苦しい歴史というものを噛み砕きつつ、噛み付きながら「スゴイ」の仕組みを分解していくのです。
ある意味でダークファンタジーとも呼べるかと。
この「日本精神」本の出版ブームからわずか数年後には日中戦争が全面化し、戦時意識を徹底させ戦争協力を強いる国民精神総動員運動が始まる。出版を通して皇国臣民としての精神的土壌を耕されたうえで、人々は、総力体制を受け入れ、積極的に加担するようになっていったのだった。昨今の「日本スゴイ」本ブームが何かの前触れでなければいいのだが、残念ながらそうした楽観的な期待はいまのところもてそうにない。
- 立派な日本人(個人)のエピソード
- 海外で活躍する日本人(個人)のエピソード
- 日本の美術工芸品や工業製品について海外からの称賛
- 日本人ほは肉体的にも西洋人(白人)にも劣っていないことを「証明」
- 日本がもっている世界一の記録集
早川氏の分析によると賛美は以上の5タイプに分けられるそうです。
今のテレビ番組は進化していないというか、これを金型にしているのではないかと思えてきます。
個人的にスゴイ系のよく分からないところは、なぜ優れた個人の功績を自分のモノとして考えるのかということです。
全く別の個人の性質と自分の性質は違いますから、獲物を横取りするグンカンドリみたいな発想は無理があると思います。
或いは、今も昔も同じ精神構造にあってそこからブレイクスルーできないのが現代日本の弱点なのかもしれませんね。
そもそも「真日本主義」 の規定からして(例によって)何でもありなのである。
「真日本主義は日本精神に依ってゐる。日本精神は、日本国家の根本的特質たる、皇室を中心として万世一系の天皇に依り(略)日本民族の精神に他ならない」(一五ページ)
「真日本主義は、家族的民族主義であり、道義全体主義である」(一六ページ)
「真日本主義は民族的な信と誠を本としてその生命を存し、此の民族本然のまことを実践し、奉公の精神を致すものである」(一七ページ)
このように「真日本主義は」で始まる規定がいくつもあることから、高松が恣意的に選んだ好みの概念をどんどんぶち込んだカテゴリーだったことがわかる。
こうした熱情的な日本賛美を基礎としながら、この本の全体を通して描かれているのは高松式〈最強の日本国家改造計画〉の青写真なのだった。
上記引用文は高松敏雄『真日本主義国民改造と道義大亜建設』(刀江書院、一九四一年[昭和十六年])に対するつっこみパートです。
イデオロギーを書きなぐったような文章は、正直よく分からないのですが一点だけ分かったことがあります。
以前、自民党の改憲草案でなぜこんなに家族にこだわるのだろうか…と考えても分からなかったんですけど、上記の部分を読んで理解しました。
要は、神とされる天皇の子どもであるから、日本民族は一つの家族であるという前提があって、だから外国人は家族ではないし、家長制度において下の者が上の者に逆らうことは許さない。その結果「嫌なら出ていけ!」という思考になると。
発祥がフィクションであろうとも、ここには一貫性があるんですよね。
あと驚いたのは「学校は児童を日本的に鍛える道場である」という考え方の先に、教師が乾布摩擦をさせる時に女子児童に自分の身体を擦らせるという行為があったこと。
現代だったら職権乱用というか、完全にアウトですよね。でも当時はそれが教育だから許されていたわけです。
集団登校が軍事教育であって、ソフトボール投げは手榴弾の飛距離を伸ばす為に行われていた(以前、スポーツジャーナリスト の玉木正之さんも言ってたなぁ…)ことだとか、選挙年齢の引き下げは翼賛選挙実習だったとか、考えさせられる部分は非常に多いです。
無知な子どもを洗脳して思い通りの選挙結果を作り出すわけですから独裁政権に近いですよね。
↑参考例に北朝鮮のシステムを説明してるCNNの記事を貼っておきます。
個人の自由や幸福追求権に対する締め付けの反動なのか、少年犯罪がうなぎのぼりという、現在の犯罪件数がいかに改善しているのかを痛感します。
皇民としての精神的な思考を植え付けることを「錬成」と呼んでいて、命令に従う人間を作るために朝礼や掃除の時間が用いられていたというのは知りませんでした。これを踏まえると、魔法学園の生徒が戦うみたいなアニメって延長線上にある気がしてきますね。(それともまた別にルーツがあるんでしょうか?)
この「皇国教育」について、私には坂口安吾が言っていたくだらないカラクリにしか見えませんでした。
というのも「教える」というのは自分の下にカーストを作る行為でもあって、それが日常のなかで慣習or宗教化しているのなら整合性が取れなくても何も問題がなく、教わる側も本来の教育がどのようなモノなのかも分からないから、通過儀礼として捉えるしかない。
これによって「保身のシステム」は完成されていると思うのです。
礼儀作法はカースト上位の人間に対して下の人間が服従することなので、学校で学ぶことは『服従心』なんですよね。
「もっと自信を持て!」と言われてもスゴイ系のルーツに個人の自由を殺して服従心を植え付ける「負のスパイラル」が根本的な原因で、「奉公の精神」が現在のブラック企業に受け継がれているという社会問題があるわけです。
あとがきにはこう書かれています。
べつに自分がスゴイわけでも何でもないのに、なぜか自分が褒められているかのように感覚してしまう「日本スゴイ」現象ーーそれはハッキリ言って「大きな勘違い」で、視聴者自身は全然スゴくないままなのだーーその快感のなかで、みすぼらしい自分の現実の姿を忘れ、〈日本人としての誇り〉とか〈皇国民としての使命〉といった大義を担う存在へと動員されていくところに、大きな陥穽があるのではないだろうか。
(中略)
試みに衆・参両院の国会議事録を〈日本人としての誇り〉で検索してみると、一九四五年(昭和二十年)以降百十八件の発言がヒットするが、そのうち、戦後五十年の九五年(平成七年)以降だけで九十五件を占める。最近二十年で「日本人としての誇り」なるものが大量に使用されたということではなく、為政者にとってたいへんにニーズのある概念として浮上してきたということを、心の片隅に小さくメモしておいていただければ幸いである。
以前に戦争体験者の方の話に触れる機会があって、当時の人々の認識として戦争が自然災害のような位置づけにあったというのを知ったんです。
「この世界の片隅に」はそれが顕著だと思うんですけど、その結果、日本は戦争を構成していたものが何なのかというジャーナリスティックな目が不足しているように思うんです。戦争は人間が起こすものだから必ず理由がある。教育はそこに光を当てて問題提起をすべきだと改めて感じます。
ただ、大人でも戦争を学ぶのって勇気が要るんですよね。そこに残酷があるのは見なくても分かりますから。
学校の授業で「映画」というカテゴリーを設けるのはどうでしょうか?
血生臭いものを子どもに見せ続けるのは毒が強いですから、それこそ「この世界の片隅に」とか「火垂るの墓」で当時の日常を知ったり、「アメリカンスナイパー」のような近代の戦争を扱った映画を見せることで考えるきっかけになると思うんです。(文科省の新たな天下り先ではなくて)
18歳選挙権が決まって教師の方々は大変だと思いますが、生徒の知的好奇心を伸ばすような教育であって欲しいと思います。
色々と長ったらしいあれこれを書きましたが、とにかくこの本は現代に続く慣習のルーツや教育のあり方など多くのことを考えさせるものでした。
一点だけ不満を言うと、本文と引用文のフォントが似ているから一見すると分かりにくいです。もし文庫化することがあるならもっと分かりやすくして欲しいですね。
本書に関する感想は以上です。
本は思想のタイムカプセルなのでは…?
で、話は続くのですがーー
愛国者を醸成していたのは日本だけではないんですよね。
ブルータス1月号で「危険な読書」という特集を組んでいて、博物学者の荒俣宏さんと映画評論家の滝本誠さんが対談していたんです。その中でちょうどそんな話が出ていたので合わせて紹介したいと思います。
荒俣:かつてレイ・ブラッドベリが書いた『華氏451』は最終的に本を守るには人間の頭の中に記憶するしかないという話で、有川浩の『図書館戦争』の武力で図書館を守るというゲーム的なパターンとは違って。それでも最近読んでぶっ飛んだのが、『戦地の図書館』という本ですよ。どうも本は本当に戦争と関係していたって。第二次世界大戦中、アメリカが出征する兵士のために無料で本を送っていたという「兵隊文庫」の話。
滝本:兵隊文庫、横長の変形サイズのペーパーバッグで丸めてポケットに。
荒俣:あれがかつて神田の洋古書店に山のようにありましたよね。進駐軍が引き揚げた後、ああいう店に入ってきて。一冊一冊めくりながら、私もけっこう探したもんだけど、実はあの本がとんでもない「戦略兵器」であったと書かれてあって、なるほどそういうことだったのかと。これを読むと本のすごさがわかりますよ。当時アメリカは「本は弾丸と同じ効果がある」と考えたわけ。しかも弾丸はただ人を殺すだけだけど、こっちは士気を高めたり、国を愛したりするような、あらゆる広がりを持った兵器なので、ひょっとすると武器よりすごいんじゃないかという概念に達したわけですよ。ナチが片っ端から弾圧したのに対抗して、アメリカでは「じゃあ俺たちは徹底的にばらまくぞ」と。このアイデアはものすごいと思う。
滝本:ウチは田舎だったんで、あまりそうした恩智はなかったな。
荒俣:そのおかげで私たちが戦後、洋書を買う金もない時代に進駐軍がどっさり残してくれたものをよだれを流しながら見たもんですけれども、つまり戦争が終わった後も兵器の威力があったわけ。最近、この類いの戦後の読書史の研究が進んでいて、アメリカを中心に戦後の団塊世代がガンガン書くようになってる。小野耕世さん訳の『有害コミック撲滅!』も面白かった。僕らは子供の頃、学校にマンガを持っていくとやり玉にあげられて「マンガなんて読むんじゃねぇ」と言われたんだけど、この本を読んで初めて、あれがアメリカのマッカーシズムの一種だったとわかった。「25セントコミック」って子供たちがハマっちゃうメディアなんですよ。内容はかなり血なまぐさくて、人を殺したり、女を陵辱したりなんてのも出てくる。今も例えば『スパイダーマン』なんかけっこうリアルじゃないですか。ましてや『バッドマン』なんてひねくれ者で、出てくる悪人がある意味で差別を受けた、かわいそうな人たちばっかり。子供があれを読んで「悪にも一理ある」みたいな考えになっちゃってはいけない、となったわけですね、親が本当に毒ある悪書と思ってしまい、「マンガと共産党の本はどちらも人間を狂わせる」と学校やPTAで吊るし上げた。だけど日本の私たちも似たような状況で「マンガ避難民」だったけれど、アメリカでは子供自身がマスメディアに反論していた点が違う。
知識が豊富な方の対談は面白いですね。
「本は弾丸と同じ効果がある」というのは、教育と洗脳が表裏一体であることを意味していると感じます。
カタツムリがロイコクロリディウムに侵食されるように、人間は言葉に侵食されていくのかもしれません。
まぁ、恐ろしい。
ナチスからの刺客!!キャプテン・アメリカの悪役まとめ - NAVER まとめ
ちなみにアメコミ作品の「キャプテン・アメリカ」にはナチスと大日本帝国関連の悪役が出てきます。
もともとは愛国心を醸成するシステムの一部だったことなんて、興味がなければ知ることもないでしょうね。
人間は言葉に侵食される生き物だという性質を権力者が理解していたとして。だからこそ、無意識に刷り込むことがプロパガンダの重要な点であるとすれば、読者が自ら能動的に解読、理解してページをめくる「本」というメディアはヤバくないですか?
電源を必要とせずに、知識があれば読めるのは利点であると同時に、危険な思想を閉じ込めておけるタイムカプセル。
その究極が聖書であって、約束の地を目指すユダヤ教が聖書の通りにするにはパレスチナを滅ぼすことになるというディストピアが現実にあるんです。
本を読んで免疫力を高めないと本に毒される。
本ってヤバいですね。
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