モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

4月5日 悪化

00-06 CB

06-12 H

12-18 ×

18-24 ×

 

B. 東北地方 -1-0-0-0=1

C. 関東地方 -1-0-0-0=1

 

H.九州地方  -0-1-0-0=1

合計回数     -2-1-0-0=3

 

01:54 茨城県北部 10/2.8 ①

01:55 福島県沖     80/3.8 ①

08:30 熊本県熊本 10/2.4 ①

 

首脳会談が近づくとミサイルを飛ばす北朝鮮。毎度のことながらその軍事費を国民の生活水準を上げるために使えばいいのにと思う。

一方でシリアではサリンが撒かれたというニュース。欧米はアサドが化学兵器を使ったと言い、アサドとロシアは反体制派の弾薬庫に化学兵器があったのだと言う。どちらにせよ人を殺しすぎだ。まるで人々が武器の実験台のために存在するような振る舞いは非人道的だ。

日本国内に目をやると、住民に放射線管理事業者と同等の被ばくを許容するのはどう考えてもおかしい。

テロ対策についても現行法で対処可能であるのに一般人の権利を制限する共謀罪を可決させようとする宗教政府もおかしい。

どうして悪化することが分かっていながら人々は選挙に行かないのか。

 

 

AKGトリビュートができるまで|海老原いすみ|note 

 

最近は体調不良で脳はしきりに「死のう」と言うが、自分から意識を離して何かを創っている時はそれを感じない。自分から遠ざかるほうが楽だというのはどういうことだ。

 

そういえば今月の100分de名著では三木清の「人生論ノート」という本が特集されている。

解説はアドラー心理学で有名な岸見一郎さん。第一回では幸せと幸福の違いについて解説されていた。

岸見さんのモットーは「哲学は人生を変えるものでなければならない」ということで、ご自身が心筋梗塞で入院して仕事も無くなった際に今回の名著について考えたという。

三木清という哲学者は治安維持法で獄中死するのだが「人生論ノート」に記されているまどろっこしい言い回しは当時の検閲を意識したものではないか?という解説があった。

本文について詳しくは書かないけども、私の解釈では「幸せ」と「幸福」は「目標」と「理想」に対応していて、根本的には幸福追求権(もちろん他の権利も含まれる)を行使して目標を達成することが幸せであって、そのために個人の自由を確保すべきだと理解した。

先に生まれた人間が後から生まれてくる人間に制約を課してあぐらをかいているのは不幸だし、それを野放しにするのは災厄だと思う。

よく「時代が変わっても子どもは変わらない」と耳にするが、人間の普遍性をどのように個人が考えて、社会に反映させるのかというのは永久の課題なのかもしれない。