モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「水いらず/著 サルトル 訳 伊吹武彦・白井浩司・窪田啓作・中村真一郎」

実存主義という考え方に感銘してサルトルの本を読もうとしたのですが、図書館にあった本はホコリがかぶっていたし、紙も変色してるうえ字が小さくて読みにくかったので読まないまま時が過ぎました。(薄志弱行とは私のことです汗)

それでも一冊ぐらいは持っておきたいと考えて本書を購入しました。あえてどんな内容なのかを知ることなく購入する闇鍋スタイル。

きっとサルトルのことだから衝撃を与えてくれるでしょう。(サルトルのサの字も知らないくせに)

 

水入らず(Intimite') 訳 伊吹武彦

いや、まさか最初からこんなに頭を悩ますことになるとは思いませんでした。

本の感想を書くたびに書いていますが、名前を覚えられない私は登場人物が多い作品が苦手です。これは読んだ印象ですが、私の頭を悩ませるその理由は文法の違いというよりも、サルトルは頭に浮かんだ風景を文章に書き起こすスタイルだから分かりにくいのではないかと思いました。

例えばバラエティ番組でひな壇に座る芸人がワーワー喋っても、テロップの色を変えることで視覚情報として音声を補助することができます。しかしながら、頭に浮かんだ風景をそのまま書くor描くと、その世界の中のキャラ達が前提条件や設定を共有していたとしても、説明がなければ観客は分かりません。同じ口調で活字にされるとなおのこと誰の言葉かも分かりにくい。ただ、ある意味こうやって分かりにくくすることで、パン屑をちりばめて読者や視聴者の読解力や理解力を高める作用はあると思います。

でも、さっきも書いたようにおいどん分からんとです!そんな活字上でクロストークせんといてください!サルトルさん!

 

ということで登場人物を紹介しつつ内容を整理していきたいと思う。

 

リュリュ

→この物語のヒロイン

この人は性交渉に嫌悪感を抱いていて、世間一般的な男女の交流に興味を示しません。でも、それに相反して彼女自身は第三者の目から見て魅力的に見えるという特徴を持っています。

 

リュリュの夫アンリー

→そんなリュリュの心を射止めたのはインポのスイス人であるアンリー。恐らくは画家です。

 

リュリュの女友達リレット

→をふくよかな体型をしていて、リュリュの顔を見るたびにアンリーの何がいいのか分からないと意見する。

本当に愛しているのか? 愛していないのに一緒にいるのは罪だと言って、リュリュの価値観を変えようとする。

 

ピエール

→リュリュを自分の所有物にしたがる男。

ポール・ロワイヤル村(どこだよそれ)でエロいことをしているらしい。

 

ラビュー

→去年までリュリュと不倫してた男。

顔に黒いブツブツがあり、リレットはラビューを「リュビュー(人間の屑)」と呼んでいた。

 

ルイ

→リレットの前の恋人。

オシャレ好きな助平でリレットを捨ててどっか行った。 

 

フレネル

→リレットのイマカレ。

 

ロベール

→リュリュの弟

 

テクシエ夫婦

→リュリュ宅の隣人さん

 

 

主要人物に混じってモブキャラがいるので脳みそパンクしました。

私の解釈でストーリーのあらすじを書きますが、リュリュはアンリーに飽きていてたまに浮気をする女性(人間の愛し方が分からない)で、友人のリレットはアンリーを愛するなんてどうかしているから、どうせならピエールとくっつけと諭す。

その後、アンリーがリュリュの弟に暴力を振るったことを引き金にリュリュは別れを決意する。しかし、アンリーという存在を忘れることはできないからテクシエ夫婦の助けを借りて一人暮らしするみたいな。

 

んー。面白くはない。

というか、分かりかねる。

アンリーがインポであることを他人は馬鹿にするけど、リュリュはそれを「純なんだ」と理解しているんです。彼女自身も言ってみれば不感症であるから、汚れに汚れた「大人」という存在ではなく、自分とアンリーは「純粋」なんだという理解で。

純粋なまま生きていくのは難しいから2人でいたけど、2人でいると切なくなるのでどうにか自立しようとするという話だと解釈しました。

以前に今村夏子さんの「こちらあみこ」を読んだから私はこう解釈できたんですけど。

フランス文学すぎて分からんですばい。

 

壁(Le mur)訳 伊吹武彦

 こちらは水入らずとは打って変わって、重厚感のある文章でした。

まずは登場人物からまとめます。

 

パブロ・イビエタ(主人公)

→ラモン・グリスをかくまった罪で投獄される

 

トム・スタインボックス

→外国人部隊に入っていたことを理由に捕まる(獄中の会話で6人を殺したと話していた)

 

ファン・ミルバム

→兄のホセが無政府党員であることを理由に投獄された少年

 

主要人物が3人という親切設計。

「壁」のあらすじはファシストに捕まり銃殺を言い渡された3人が獄中の中で夜を明かすというもので、迫り来る死を前にした人間たちの心理描写が書かれています。

とくにエグいのは「少しでも楽に過ごせるように〜」と地下室に入ってきたベルギー人医師が本当はファシストに命令されて死にゆく人間を観察する役目であることです。戦時中の人体実験はよくある話ですけど、この地下室において死にゆく人間を助けることのできる医学は存在しないんです。価値がない。

印象に残ったところが以下の文章。

われわれはこの男を見つめていた。ファン少年もじっと見ていた。三人とも彼を見つめていた。彼は生きているのだからだ。彼には生きている人間の身ぶり、生きている人間の心配があった。生きている人間が当然ふるえるように、彼はこの地下室でふるえている。従順な、栄養のいい肉体を持っている。われわれはもうほとんど自分の肉体を感じてはいなかったーーいずれにしてもおなじ仕方では感じていなかったのだ。わたしはズボンの股のあいだをさぐってみたかったが、その勇気がなかった。わたしはじっとベルギー人をながめた。両足をのばしてふんぞりかえり、筋肉を自由に支配している彼ーーあすのことを考えることのできるかれ。ところがわれわれは血の気のない三つの影法師のようにここにいる。われわれは彼を見つめ、彼の生命を吸血鬼のように吸っている。

彼はとうとうファン少年に近づいた。何か職業的な目的でこの子の首筋にさわろうとするのか、それとも憐憫の情に駆られたのか。もしあわれみによって行動したのだとすれば、そのひと晩のうち、あとにもさきにもそれがただ一度のことだった。彼はファン少年の頭や首をなでた。

〈中略〉

わたしにはこれから何がおころうとするのかよくわかっていた。トムにもわかっているにちがいなかった。しかしベルギー人はただあっけにとらえて父親のように微笑している。しばらくすると少年は大きな赤い手を口のところへ持っていって嚙みつこうとした。ベルギー人はさっと身をひき、よろめきながら壁のところまで後じさりした。一瞬間、彼は愕然とわれわれを見つめた。われわれが自分とおなじ人間ではないことをとっさに理解したに相違ない。わたしは笑い出した。すると看守の一人は飛び上がった。もう一人は眠っていた。開いたままの目が白かった。

翌朝、銃殺されることが決まった3人は土色の顔をして、冬だというのにびっしょりと汗をかいて、なかには失禁していることに気づかない者もいる。

メモを取りながらその光景を観察していたベルギー人医師の目にはファン少年が哀れに映って近づいたところ、自分達を助ける気など毛頭ないのだと見透かしたファン少年に噛み付かれそうになるんです。

明日のない運命は今までの価値観をまるで無意味なもののように感じさせ、その中で「壁」は銃弾にもしない安全圏として、または明日のある人間と3人とを分かつ存在として使われています。

 

興味深いのはこのような極限の環境では幻覚を見ること、まるで自分の身体が自分の身体でないような感覚に陥ることが正常であるように描かれていることです。日本で言うところの「走馬灯」と「幽体離脱」がこれにあたるのではないでしょうか。死という衝撃を緩和するための防衛策なのかもしれません。

さて、先ほど書いたように「エグい医師」はここでも朝が近づくたびに時計を読み上げるという死神みたいな仕事をやってのけるのです。まさに下衆の極み!

とうとうどこからか銃声が聞こえてきて、いよいよその時がやってきます。

トムは二人の兵士にはさまれて出ていった。もう二人の兵士はそのあとについていった。腋の下と脛を持って少年を運んでいく。少年は気絶しているのではない。目を大きく開いている。そして涙が頬を伝って流れている。

わたしが出ようとすると副官はとめた。

「おまえはイビエタだね」

「ええ」

「おまえはここに待っておれ。今すぐ呼びに来る」

これは胸をえぐられる文章。

少年は屈強な男たちに抱えられて、抵抗する力もなく涙を流すしかないのです。それを見て主人公も部屋を出ようとしたところを副官に呼び止められる。

このあとの展開がその「壁」にかけるわけではありませんが「青天の霹靂」なんですよ。

呼び止められた理由というのはラモン・グリスの居場所と引き換えに死刑は免れるという司法取引で、主人公はラモン・グリスの居場所を言えば助かる運命になるのです。

しかし、主人公にとってはスペインの将来も無政府主義も命も何もかもが無価値な心理状態であって、それでも自分の中にワナワナと湧いてくる反抗心が嘘をつかせるのです。

「あの男の行くえは知っています。あの男は墓地に隠れているのです。地下墓所のなかか、でなければ墓掘りの小屋に

 これは主人公にできる最後の抵抗で、自分に指図をする人間どもがラモン・グリスがいるはずもない場所を探し回るはめになることを目的としていました。

そう嘘をついたはずなのに、主人公は銃殺されず、他の囚人の中へと入れられるのです。

一体なにが起きたのか…?

その囚人の中に知人のパン屋のガルシャがいて、ガルシャは政治に興味がないというだけで捕まったのでした。

そして彼の口から今朝、墓場にある墓掘りの小屋に隠れていたグリスが殺されたと告げられるのです。

あたりがぐるぐる回りだした。気がつくとわたしは地面にすわりこんでいた。わたしは涙が出るほど笑って笑って笑いこけた。

全くデタラメの嘘をついたはずなのに、偶然の一致によって自分は銃殺されずに済んだというオチです。

笑って終わる部分は、不本意ながらも全く無価値だったはずの命が息を吹き返したように感じました。

正直者が馬鹿をみるなんて言葉がありますが、主人公は政治に興味がないというパン屋さえも無政府主義者として捕まえるような理不尽なファシストに対して、何の罪もない子どもを壁の前に立たせて、肉の塊になるまで銃を撃つような奴らに対して「正直な嘘」をついたのではないでしょうか?

もし、ラモンの潜伏先をそのまま喋っていたら、それが嘘になって殺されていたでしょうから。生きるか死ぬかの状況であっても抵抗権の行使することで命は息を吹き返すのだと私は解釈しました。

 

まぁ、そうなると「ラモン・グリスの抵抗権はどうなるんだ?」という疑問が湧いてきますが、友達を身代わりにしたまま助けにこない走れメロスだと思えば残酷に「まぁ、いっか」と片付けることができるでしょう。

 

部屋(La chambre) 訳 白井浩司

「水入らず」をそれほど理解できなかった私にも「壁」は理解できたので、このテンションのまま「部屋」も分かるっしょ!と調子に乗ってごめんなさい。

今までに読んだ何よりも意味不明なストーリーが繰り広げられるとは…

 

登場人物。

 

ダルベダ夫妻

→ダルベダ氏は娘のエヴがピエールという男と結婚したのが気に入らない。

婦人はそんなめんど臭い話よりも砂糖が多めにまぶしてあるトルコ菓子を食べるほうがいい。

 

ピエール(主人公)

→精神的に不安定な男性で常人には何を言っているのか理解されない。

黒い部屋を好み、何もかも黒でないと気が済まない。

 

エヴ(ヒロイン)

→両親の反対を押し切ってピエールとの生活を選んだ女性。

 

大まかな流れは両親が娘を連れ戻すというありふれたものです。

「おいおい、たった4人しか登場しないというのにどうして分からないんだよ」と思うでしょう?

それを説明します。

 

まず父親であるダルベダ氏がどうして娘を連れ戻そうとしているのかと言えば、ピエールの病状について医者が「3年以内に精神錯乱に陥る」と診断を下しているからです。だから早く別れろと。

この親心はまだ理解できます。

それに対してエヴは知人の婦人を例に出して、彼女は子どもを亡くしたことを受け入れられずまるで生きているかのように振舞っている。それとピエールと何が違うのか?と反発するんです。

ああ、なるほど愛しているんだなと思ったら理解できなくなります(゚∀゚)

 

前半の会話に興味深いダルベダ婦人のセリフがあります。

「いいえ、そのことではないわ。あの娘は、あたしたちが想像しているのとは別のことで、あの人に執着しているのよ」

世間一般的な「愛」とは別の何かによってエヴはピエールに執着しているという分析です。さっきまでトルコ菓子をボリボリ食っていたとは思えない笑

 

「あいつは何をほしがっていたんだ」とピエールがきいた。「そのことを、おまえに話したにちがいない」

エヴはちょっとためらったが、乱暴に答えた。

「あなたを閉じこめたがっていたのよ」

ほんとうのことをものやわらかに言ったとき、ピエールは怪しむのだった。ピエールの疑惑をまぎらせ一掃するには、狂暴な打撃のように、真実をぶちまけるにかぎるのだった。エヴは嘘をつくよりも、ピエールをむごいめにあわせるほうが好きであった。ピエールを欺き、そしてピエールがエヴの言ったことを信じているとき、どうしても軽い優越感をいだいてしまうのだったが、同時にエヴは自分に嫌悪を催すのだった。

エヴも独特な考え方をする人だということがわかります。私なりの解釈で表すと「理解しがたい憧れに対し、まるで自分がピエールにとって唯一の理解者であるのだと装っているのではないか?」ということ。

この後、ピエールの視点からエヴについて語られるシーンがあります。

「ぼくはおまえが好きだよ、アガト。だけどぼくには理解できない。なぜしょっちゅう部屋にいるんだ

エヴは答えなかった。

「どうしてなんだい」

「あたしがあなたを愛してるってこと、ご存じでしょ」と、素っ気なくエヴが言った。

「そうかなあ。なぜぼくを愛せるんだ? おまえをぞっとさせてるはずだよ。ぼくは狂人だもの」

ピエールはほほえんだ。しかし急にまじめな顔つきになった。

「おまえとぼくのあいだにはひとつの壁がある。ぼくはおまえを見ている。おまえに話しかける。でもおまえは別の側にいる。ぼくたちがおたがいに愛しあうことを何がじゃまをしているのだろうか。昔はもっと易しかったね、ハンブルクにいたことは

「そうね」エヴは悲しげに答えた。いつもハンブルクであった。ピエールは一度もほんとうの過去を話したためしがなかった。エヴもピエールもハンブルクに行ったことはなかった。

 ピエールは誰も自分のことを理解できるとは思っていなくて、それはエヴも例外ではないという認識であることが読み取れます。

では、その「理解できないこと」が何かと言えばピエールには妖怪のような像がやってくるのが見えるということです。

それを追い払うためにピエールは厚紙の断片を寄せ集めて蜘蛛に似せた3つのお守りを作ります。

これが意味不明すぎて…

  1. 落とし穴にたいする力
  2. ヴォルテールの顔

…が描かれたものなのですが「これはもう役にたたない」ってピエールが言うんです。読者に紹介した直後にですよ。

無意味だという。

とすると、「当時のフランス社会を隠喩したのでは?」と考えられなくもないですが、私にはさっぱりですよ( ´_>` )ハッハッハッ

その後、怒涛の謎ラッシュが読者を襲います。

それは地にはうごとく静かに飛んでおり、うなり声をたてていた。それが依怙地(いこじ)な顔つきをし、目の縁の石から睫毛(まつげ)がはえているのを知ってはいたが、的確に想像することはできなかった。像は、まだ全く生命力のあるものではなく、肉のはがねや湿った鱗が、大きな体の上についていることを彼女は知っていた。指先の石が剥げている。掌をごそごそさせている。エヴはそれらすべてを見ることはできなかった。ただ重たげで、醜悪な、人間の女の格好はしているが、石のように隙間のない頑固な感じの巨大な女たちが、ごく身近かをすべっていくように思われた。〈あれがピエールの上にこごむ。ーー両手が震えだしたほど、エヴははげしい努力を続けたーーあれがあたしの上にこごむ…〉。そのとき恐ろしい叫び声が、突如エヴの心を凍らした。〈像がピエールにさわった〉。エヴははじめて目をあけた。ピエールは頭を両手でかかえてあえいでいた。エヴの体からは力が抜けていった。〈まるで遊戯だわ〉。エヴは後悔をしながら考えた。〈単なる遊戯だわ。一瞬間も、あたしはまじめに像の存在を信じやしなかった。ところがそのあいだ、ピエールはほんとうに苦しんでいたのだわ〉

ピエールはぐったりとし、息づかいが荒かった。瞳孔を奇妙に開き、汗をたらしていた。

???? …(苦笑)

わかりませんので像についてまとめます

  • 「まだ」生命体ではない
  • 唸り声をあげる(後に飛行機の爆音みたいと例えている)
  • 人間の女性の形をしているらしい
  • 鋼の肉体(身体は石っぽい)と鱗がある
  • 巨大である

難しいですが頑張って解釈してみます

  1. 「水いらず」のリュリュと同じように、この物語のピエールは性交渉をしないんです。エヴが寝ているピエールに近づいても拒否する。これを踏まえると「まだ生命体ではない」というのは「胎児」のことを指しているのではないか
  2. 黒魔術の悪魔ではないか
  3. 病気の症状
  4. チェスの駒が出てくる描写があることから、巨大化したチェスの駒ではないか。またダルベダ氏が来た時に「フォーク」に言及する場面がある。フォークというのは一つの駒で相手の複数の駒をチェックすること。ダルベダ氏の価値観が2人の価値観をチェックしていると解釈できるのでは?

頭に思いついた3つの仮説を書いてみましたがどれも違う気が…笑

というのも、どうして今まで像を感じることができなかったエヴが突如気配を察知することができるようになったのかが全くわからないのです。

何か心が通い合うシーンがあればこの解釈は正しいと自信を持って言えるのですが、内容がぶっ飛んでいるので手応えがありません。この場面からすぐラストにいくわけですが、とりあえず私は「エヴがピエールの価値観に近づくことができた」と理解したんですよ。

そうしたら…

しかし、苦悩は消え去らなかった。一年、冬、春、夏、そしてもう一度めぐってくる秋のはじめ。ある日、ピエールの顔つきは朦朧とし、顎には締まりがなくなるだろう。目は半分だけ開かれ、涙をたらしているだろう。エヴはピエールの手の上にこごんで、唇をつけた。〈その前に、あなたを殺しましょう〉

ゾワゾワ感がパナい!

結婚した時にはすでに白痴の症状はあって、医師からは3年以内に精神が錯乱すると言われていたわけです。

私はてっきりそれを乗り越えていくものだとばかり思っていたのですが、精神が錯乱する前にエヴはピエールを殺すと決意して物語が終わるんです。

それで、全く解釈が変わりました。

ピエールが見ていたものというのはエヴの殺意による強迫観念ではないかと。

つまりです、この世界のどこにも自分の理解者はいないのだと考えていたピエールからするとエヴが部屋にいることが不思議だったわけです。そのうちエヴが自分を殺すのではないかという強迫観念が浮かび、像という幻覚を見るようになったと。

エヴは常人からは感じない魅力を放つピエールを理解しようと努めていましたが、そのうち彼を騙すことに優越感を覚えます。また、ピエールとの肉体的接触はできませんから性的快楽よりも「彼を騙す快楽」のほうが上位に位置すると考えられます。とすると、エヴは像が見えた演技をしたと解釈できます。

つまりラストシーンはこうです。眠っているピエールの横でエヴは医師の診断から逆算して、秋のはじめのある日にピエールの前にしゃがみ、手にキスをした後に殺そうと考えたと。この解釈があっているとすれば、石像の行動とエヴの行動がイコールで結ばれます。

 

ピエールを殺すことが最高の快楽…

 

サルトルは一体なにを考えていたのでしょうか。自分が女性に捨てられてしまうことが恐怖だったのでしょうか。

わかりません。わかりませんとも。

 

エロストラート

しかし、これが最後です。人間は愛さなければなりません。そうでなければ、人間どもは、あなたにあれこれつまらぬことをやらせておくのが、関の山です。ーーとわたしはあなたに申します。ところで、わたしのほうはあれこれやりたくないのです。わたしはもうすぐ拳銃を手に取り、通りへ降りるでしょう。わたしはやつらに抗して人があることを成就しうるか否かを知るでしょう。さようなら。わたしの出会うのは、あなたかもしれない。そのときわたしがどれほどの喜びをもって、あなたの脳味噌を飛び散らかすかを、おわかりにはならないでしょう。さもなくんばーーもっともありうることですがーー翌朝の新聞をお読みください。あなたはそこに、ポール・ヒルベールと名のる一個人が、エドガー・キネ通りで、憤怒に駆られて、五名の通行者を射殺したことを、読むでしょう。あなたは、だれにもまして、大日刊新聞の記事の値するところを、よくご存じです。だから、あなたは、わたしが「怒って」いないことを理解なさるでしょう。反対に、わたしはきわめて平静です。   敬具

ポール・ヒルベール

主人公のポール・ヒルベールはアナーキストと判断されて警察から暴力的な取り調べを受けたことのある男で、人間は物質的象徴によって精神的優越を得る生き物と考えています。その点で主人公は拳銃を手に入れたことで優越感(銃で娼婦を脅して部屋の中を歩かせるという性的倒錯者)を得るのでした。

また、先ほどの「部屋」に出てきたピエールよりも強い意味で『誰とも価値観を共有したくない』という考えと『吐き気がするほどヒューマニズムが嫌い』と考えています。

上記の引用文はその主人公がとあるフランス作家に宛てた手紙の後半です。

 

このあとの展開は6発の弾丸でいかに人間を殺すかを部屋の中で考え、通りに出たあと「どうして既に死んでいるこいつらを殺さなければならないのか?」 と考えながらも、太った男の土手っ腹に3回発砲し、逃走中に肩に手をかけた誰かに向けて2回発砲。

その後トイレに逃げ込み、扉の向こうで自分を捕まえようとしている誰かの息づかいを感じながらも、自分に向けて引き金を引けずに「太った男はケガをしただけで2発の弾丸も当たってない」という楽観論を頭に描いて扉を開けたところでストーリーは終了します。

 

今回のストーリーは攻撃的ですね。

なんというか、価値観が違う集団の中に身を置くことで必要のない被害妄想を抱いて攻撃的になるということは現代でもあり得ると思います。価値観のオセロゲームの中に身を置いたとき、いかに自我を保つかというのが論点であって、この主人公は拳銃に頼るわけです。最後は自分を殺す分の弾丸しか残っていなくて、それでも自殺をせず、拳銃を投げ捨てて扉の外に出る。

この最後の解釈が難しくて「銃に頼らなくとも自我を保つことができた」と見るか、あるいは「人々の価値観に服従した」と見るかで全く違うと思います。

自殺をしなかったということを踏まえると、自己否定ではなく自己肯定であると言えます。また、銃を乱射した犯人がこのあとどうなるのかと言えば、当然取り調べを受けることになります。

つまり「銃を使わずに自己主張することを決意したのでは?」というのが私の解釈です。

道を歩いているだけで撃たれるなんてたまったもんじゃありませんね。

 

一指導者の幼少時代() 訳 中村真一郎

 

サルトルは私を殺そうとしているのではないか?と思うぐらいに冒頭から名前のラッシュが凄まじい。

 

泥棒どもが、トンネルの夜に、お父さまとお母さまを、ベッドに盗みに来て、そのかわりに、この二人を置いていったのかもしれなかった。

主人公のリュシアンは女の子のように可愛いらしい風貌をしているから自分が女ではないという確信はなく、だとすれば両親が本当なのかも疑わしいと考える。

これは他人が価値観を定義づけるというサルトルの法則ですね。問題はこのあと抑制された反動でリュシアンの中で破壊願望が目覚めるということ。(ザワザワ…)

リュシアンはそこつものになった。彼はおもちゃの組立てぐあいを見るために、全部こわしてみた。彼はお父さまの古い剃刀で椅子の腕木を裂いた。彼は客間のタナグラ人形を落として、中空か、なかに何かはいっているか知ろうとした。散歩するときは、杖で木や花の首を飛ばした。そのたびに、彼は心からがっかりした。物はばかだった。それはほんとうのところ、存在していなかった。お母さまはよく、花や木を指して、「なんていう名」ときいた。しかし、リュシアンは首を振って答えた。「なんでもないよ。名なんかないんだ」。そんなものは皆、気にする値打ちなんかなかった。ばったの脚をちぎるほうが、ずっとおもしろかった。独楽のように指のあいだでふるえたから。そして、おなかを押しつけると、黄色いクリームを出した。しかし、それでも、ばったも鳴き声をたてなかった。リュシアンは、痛いときには鳴く動物、たとえ牝鶏(めんどり)を苦しめたかったが、なかなかそばへ行けなかった。

最初は木を叩いていたのが花を千切るようになり、その破壊衝動は動物に向けられていきました。タイトルからしてこの時点でホロコースト臭がするのは私だけでしょうか… リュシアンやめるんだ。

それとバッタのグロテスクな感じは万国共通なのでしょうか。サルトルもバッタを捕まえて謎のクリームを浴びた経験があるとしか思えない。

 

その後のリュシアンは、自分が夢遊病なのではないかと考え、いとこのリリに自分を見張ってくれと頼むもリリは爆睡。そこで何もかもを見通す「神」という存在ならば自分の存在を証明してくれるのではないかと考えたが、神がどこにいるのかも分からないのでやめた。また、リュシアンの父は工場の社長であったから、いずれ自分も社長になれると考えたりした。

聖ジョセフ学校では便所の落書きに他人の悪口が書いてあり、リュシアンは当初笑っていたが「リュシアン・フルーリエはのっぽのアスパラガスだ」という自分に対する落書きを見つけてから平静を保てなくなる。

フルーリエ家は皆、大きくて頑丈な家系であったため、リュシアンは自分の背が高いことを意識していなかったし、逆に背の小さな人間が嘲笑されるのも何とも思わなかった。その矛先が自分に向けられた途端、長所が短所になるという逆転現象が発生。他人に価値観を奪われる感覚に陥り、家の中にいても誰かに見られているように思ってしまうのでした。

(このあと母親が風呂に入っているのを除いたり、屋根裏から家政婦が鏡の前で笑っているのを除いたりします。ゴディバ夫人のパターンだったら、リュシアンお前、目やられてっZO)

その後、どうにか自我を保つために人体解剖学を勉強し、兵士の友達と比較しても優越感を持っていました。しかし、数学が苦手なリリに勉強を教えようとしたらリリの母親から拒否され、ベルト叔母さんから「お前は自惚れるなと言われたんだよ」とdisられ意気消沈。自惚れるほどの自我はなく再び自分が誰なのか分からなくなります。 

そこへ、ベルリアックという転校生のキャラが登場。数学は学年ビリですが、タバコの転売と女を紹介することで成り上がりました。リュシアンはコンプレックスを彼に打ち明けると「ぼくたちは家族コンプレックス(母親に興奮する変態)を持っているのだ」と意気投合。

これによりリュシアンは初めて「無意識」へと没頭することができるのでした。

しかし、ベルリアックは落伍者という位置に価値を持つ人間であったので、この友情が誤解の上に成り立っているのだとリュシアンは気づきます。(ベルリアックは金を返さねぇ) 

 

いよいよ、自分が誰なのか分からなくなったリュシアンはベルリアックの友達であるベルジェールという美男子に出会います。

物語はここで急展開を迎えます。

なんと、このベルジェールはサド侯爵に影響を受けた変態だったのだ!(お巡りさんこの人ですレベルの…)

詳しいことは書きませんが男色ゾーンに突入し、とうとうリュシアンは自分の正体に気が付いたのです。

リュシアンは、自分だけが、この春のなかで、怪しげでいかがわしいように思われた。「宿命の坂をころがり落ちていくのだ。と彼は思った。ぼくはエディプス・コンプレックスから始まり、そのあとで、加虐性肛門性欲になり、今はどんづまりに、男色家だ。どこで止まるんだ」。たしかに彼の場合はまだ非常に重大だというわけではなかった。ベルジェールの抱擁にたいした喜びを感じなかったのだから。

鉤括弧の使い方も独特な詩的表現で着飾った変態文章をご覧ください。

この文章からしてリュシアンは性欲ではなく、承認欲求を満たしたと読めなくありません。しかし、このあと男と寝たという過ちに苛まれたリュシアンは「あいつと寝たんだぜ!ワイルドだろう?」とベルジェールが口を開くまえに殺そうと考えます。(どうかしてるぜ!)

彼の姿を探しますが、神経衰弱を患ったベルジェールはベルリアックとともにパリへと向かったという噂を聞き「まぁいっか」と。

このあとの展開はギガールという男と知り合って政治集会へと行くようになり、モーという女と知り合って恋人になるも満たされず、その中でユダヤ人への差別に目覚めるのでした。

しかし、リュシアンの反ユダヤ主義は、違う種類のものだ。容赦なく清らかに、刃のように、自分から突き出ていて、他人の胸を驚かすのだ。「それは、と彼は思った。それは、…それは、神聖だ!」

とうとうリュシアンが自己を確立した時の思考回路といえば、まるで当然のごとく太陽があるようにこの世界は自分の両親が出会う前から自分を待っていたんだというもので、その山本リンダを軽く飛び越えたこの世は私のためにあるという論理が最後に帰結するのが以下の文章。

それから、父の仕事を思った。彼はそれを受継ぐのが待ちきれなかった。そしてフルーリエ氏がじきに死なないだろうかと自問した。

大時計が正午を鳴らした。リュシアンは立ち上がった。変形は完了した。そのカフェのなかへ、一時間前に、一人の優しい不決断な若者がはいってきた。出ていったのは、一人の大人、フランス人の指導者の一人だった。リュシアンは、フランスの昼の輝かしい光のなかに、散歩をしるした。学校通りとサン・ミシェル通りの隅で、彼は文房具店に近づき、ガラスに姿を映した。彼は顔の上に、ルモルダンの顔にある、無表情さを見たかった。しかし、ガラスはあまりこわくない、かわいい小さな、頑固な顔しか反映していなかった。「ひげをたてよう」と彼は決心した。

これが物語の最後です。

恐れていた通りの結果といいますか、自分だけの価値観によって自分が確立されるという実存主義事反作用を人種差別や選民思想、またヒトラーを隠喩して表現したのではないかと感じました。

でも、私には本当にアンチテーゼとして書いたのかどうかが分からないんです。

例えばこの作品と似ているものとして、芥川龍之介の「羅生門 」を挙げたいのですが、あれは「生存」という評価値に対して善悪が関係なくなる話だと私は捉えています。つまり「生きる上では仕方がなかった」ということです。

「一指導者の幼年時代」の中には娼婦や人肉の缶詰、同性愛といったアイテムが出てきます。これが羅生門における老婆に該当するのではないでしょうか。

そうなると人種差別をせずにいられないリュシアンという人間を肯定せざるを得なくなってきます。気をつけなければならないのは、この点における肯定は性質を認知する一方で、その意見は間違っているとカウンターしなければならないこと。 

この記事を書いている現実に目をやるとフランスでは大統領選挙の真っ最中で、移民の受け入れに否定的な極右政党「国民戦線」が支持率を上げています。

また、リュシアンが父親から工場を引き継ぐように党首のマリーヌ・ル・ペン氏は世襲なのです。

 

日本では「世襲制♬昔から決まってたことぉ♬」とレキシが「KATOKU」を歌い、議会では選民思想を持つ議員や官僚が支離滅裂を繰り返してヤバイ保育園を議論したり、反対意見を封殺するための共謀罪などの法案が可決されようとしています。

こういったどうかしている現実に生きていると、フィクションを書いているはずの本が役割を失ってしまうというブラックジョークがあったりして。

先人たちが『こうなったら嫌だよね』と揶揄したものが『賛美』に受け取れられてしまうような現実にあったとしても、それを変えるために実存主義は存在していると思うので、「サルトルファシズムを容認してる」だとか「猿の惑星の国王だ」とか言う人がいたら注意したいと思います。

 

おわりに

本の最後に解説が載っていて、目を通してみたら私の解釈はそれほど間違ってなかったです。ただ、エフェーズのディアーヌの寺院とかフランスの歴史を理解していないと意味不明な点がちょいちょいあるので、フランスに詳しくなったらまた読み返したいと思います。

また「部屋」については社会の価値観に合わせてしまうと個人に不幸が及ぶ場合があって、その悲劇を乗り越えた先に希望があるのだと示したようです。全体主義に個人の価値観が侵食される日本ではこの考え方に納得する方は多いと思います。

最後に、この本の中でどれか一つ選ぶなら私は圧倒的に「壁」です。薄汚い地下室の不衛生な臭い感じられる表現は秀逸でした。解説によるとサルトルの自信作に違いないということでした。

だからこそ、なおのこと翻訳者の方々がいかにサルトルの書いた文章の鮮度を落とさずに日本語に翻訳するか苦悩したに違いないのです。

 

ほんと、ありがとう!(軽っ)

 

「よくぞ翻訳してくれました」と心からのお礼をもってこの感想文を終わります。

水いらず (新潮文庫)

水いらず (新潮文庫)

 

 


 

 

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