モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「砂の女/著 安部公房」の感想

 絶対面白いと思った。

この本を読みたいと思った理由は砂に埋もれていく家から脱出するというあらすじに心を掴まれてしまったからです。「脱出」って映画っぽくもあり、ゲームとしてもジャンル化しているので絶対面白いだろうと思ったんです。

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安部公房さんのことを存じあげない私は紹介ページを読んで驚きました。先日ようやく読み終わったサルトルと同じタイトルの「壁」で芥川賞を受賞しているというではありませんか。こういう偶然があるから読書は面白い。

いざ、物語の世界へーー。

 

砂の女 第一章

季節風が吹きつける、海に面した部分は、砂丘の定石どおり、盛上ったような急傾斜で、葉の薄い禾本科(かほんか)の植物が、すこしでもなだらかな部分をえらんで、細々と群がっている。だが、部落の側を振り返ると、砂丘の頂上に近いほど深く掘られた、大きな穴が、部落の中心にむかって幾層にも並び、まるで壊れかかった蜂の巣である。砂丘に村が、重なりあってしまったのだ。あるいは、村に砂丘が、重なりあってしまったのだ。いずれにしても、苛立たしい、人を落着かせない風景だった。

しかし、目指す砂丘にたどりついたのだから、これでいい。男は水筒の水をふくみ、それから口いっぱいに風をふくむと、透明にみえたその風が、口のなかでざらついた。

………………………………………………

八月のある日、昆虫採集をすると言って家を出たきり戻ってこない夫を心配した妻が捜索願を出しましたが見つからず、新聞広告も出しましたが見つかりませんでした。警察は昆虫採集を趣味にしている人間には所有欲が旺盛だったり、排他的だったり、盗癖だったり、男色だったりと特殊な人間も多いので、何か罪を隠すために行方をくらましたのでは?だとか、この世が嫌になって自殺したのでは?と、あらゆる可能性を考えて調査をしましたが、結局7年間が経過し死亡認定されるのでした。

第2部はその男の視点から書かれていて、上記引用文はその風景がよく分かる部分を抜き出したものです。

『吹き抜ける」ではなく『吹きつける』というワードセンスと三点リーダの使い方からは、海辺の不快な砂混じりの風を感じずにはいられません。

高校の時にビーチコーミングという定期的にゴミ拾いする授業があったのですが、弁当の時間に風上にいた友達が白飯に「のりたま」をかけた瞬間に風が吹いて、風下の私たちがのりたまだらけになった記憶が蘇りました。笑

話を戻しますが、主人公のいる村は砂丘に侵食されつつあるかなり特徴的な地形にあるようです。

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図にすると恐らくこんな感じ。

この後、海と反対側に張り出した場所に幅二十メートルあまりの楕円形の穴を発見するのでした。

暗がりの底に、棟の一方の端を、斜めに砂の壁につき立てるようにして、小さな家が一軒、ひっそりと沈んでいた。まるで牡蠣(かき)のようだと思う。

いずれ、砂の法則に、さからえるはずもないのに…

面白くなってまいりました。

書き忘れてましたが(カキだけに)主人公がどうしてこんな砂しかない場所に来たのかというと、ハエという昆虫は環境に対する適応性が高いので砂しかない過酷な環境だからこそレアな種類がいるのではないかと考えたのでした。ハンミョウが歩いて止まってを繰り返すのは、自分を捕獲しようとする小動物を疲れさせて逆に食べるためだとか、まぁトリビアもパナいので「ぼくのなつやすみ」のガチ勢だという認識で差し支えないと思います。

このガチくんが家を見つけた時に村の爺さんが現れて、あんたは調査に来た県庁の人か?としつこく尋ねる場面があって、そこでガチくんが名刺を取り出すシーンがあるんです。爺さんたちは学校の教師であることを確認して納得するんです。私もそこでガチくんは国家が認めたガチであることに納得しました。笑

しかし、そこまでガチなのに泊まる場所を確保しておらず爺さんの家に泊まることになるのでした。この世界にはるるぶ楽天トラベルもございません。

 案内されたのは、部落の一番外側にある、砂丘の稜線に接した穴のなかの一つだった。

稜線よりも、一本内側の細い道を右に折れ、しばらく行ったところで、老人が、暗がりの中に身をこごめ、手を打ちながら大声で叫んだ。

「おい、婆さんよお!」

足もとの闇のなかから、ランプの灯がゆらいで、答えがあった。

「ここ、ここ……その俵のわきに、梯子があるから……」

なるほど、梯子でもつかわなければ、この砂の崖ではとうてい手に負えまい。ほとんど、屋根の高さの三倍はあり、梯子をつかってでも、そう容易とは言えなかった。昼間の記憶では、もっと傾斜がゆるやかだったはずだが、こうしてみると、ほとんど垂直にちかい。

〈中略〉

それより、婆さんなどというから、よほど年寄りかと思っていたのが、ランプを捧げて迎えてくれた女は、まだ三十前後の、いかにも人が好きそうな小柄の女だったし、化粧をしているのかもしれないが、浜の女にしては、珍しく色白だった。それに、いそいそと、よろこびをかくしきれないといった歓迎ぶりが、まずなによりも有難く思われた。

まるでその風景を見てきたかのような文章に驚きました。すごい描写力であると共に無駄な文章がないんです。小説ってこうやって書くんだなぁと勉強になります。

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*イメージ図

内部は湿っていて、腐りかけた畳があります。奥に部屋があるようですがよく分かりません。

 

さて、主人公は爺さんに今夜泊まる場所まで案内されたわけですが、その場所はどうやら普通ではない。上記引用文の中には多くのヒントがちりばめられています。

  1. 昼間と夜で砂丘は形を変えるということ
  2. 爺さんが婆さんと呼ぶ人物が三十前後の若い女性であること
  3. 海辺に住んでいるのに色白であること

 1についてはこの後すぐ説明が出てきて、海から発生する霧によって砂が水分を含み固まっていくことが原因のようです。それによって夜に固まった砂がキノコの傘のようになって、昼間になると水分を失って部屋の中に落ちてくる。だから主人公は部屋の中で傘をさしながらご飯を食べて、その後砂を掻き出す作業を行うことになります。

また、そのなかの会話で女が「砂が家を腐らせる」という言葉を言うんです。主人公はガチですから砂というのは「防腐剤の役割はあるかもしれないけど腐らせるなんてあり得ない」と反論するのですが、女は砂が腐らせて土ができたと。

???

「この特殊な環境によって本来、婆さんであるはずの女は美貌を保っているのではないか?」という仮説を私は立ててみました。色が白いというのはずっと穴の中にいるからでしょう。

 

さぁ、スーパーひとしくんは私がもらった!

 

「大変だね、あの連中も。」

シャツの袖で汗をぬぐいながら、男の口調は好意的だった。青年たちが、彼を手伝っていることに対して、ひやかしめいたこと一つ言わず、きびきびと。仕事に集中している様子に、好感がもてたのだ。

「はい……うちの部落じゃ、愛郷精神がゆきとどいていますからねえ……」

「何精神だって?」

「郷土を愛する精神ですよ。」

「そいつはいいや!」

男が笑うと、女も笑った。しかし、笑ったわけは、自分でもよく分からなかったらしい。

村八分」という日本の闇が見え隠れします。爺さんたちは県庁の人間を拒んでいたわけですから、何か隠したいものがあるのではないか?とも考えられます。

とすると「この女」こそが隠したいものである可能性は否定できません。

誘拐したのでしょうか…∑(゚Д゚)こえっ

 

作業中の会話で「どうして砂防堤を作らないんだ?」と 男が女に質問すると、「女は村としてはこちらのほうが安上がりだから」と答えます。男は非効率な政策によって人間を縛りつけていることと、それを受け入れる女にも腹が立ち、作業が馬鹿らしくなってふて寝しました。

その間、女は一晩中砂を運び朝を迎えます。

腕時計の針は、もう十一時十六分をまわっている。そう言えば、この光線の光は、もう真昼の色だ。ほの暗いのは、ここが、穴の底で、まだ日差しがとどかないためなのだろう。

あわててはね起きる。顔からも、頭からも、胸からも、つもった砂が、さらさらと流れおちた。唇と、鼻のまわりには、汗でかたまった砂が、こびりついていた。手の甲で、こそげおとしながら、こわごわ、またたき繰返す。熱くほてった、ざらざらのまぶたから、とめどなく涙があふれだした。しかし、涙だけでは、めやにに塗りこめられた砂を洗いおとすには、まだ不充分だった。

一滴の水をたよりに、土間の水甕(みずがめ)にむかって歩きだす。ふと、イロリの向うで寝息をたてている、女に気づいた。男は、まぶたの痛みも忘れて、息をのんだ。

女は裸だったのだ。

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水で顔を洗い、喉を潤したあとガチくんは改めて女をガン見するのですが、裸の女の上に砂が降り積もって彫刻のようだったから、性欲どうこうというよりは「なんやコレ」が強く、早く虫を探さねば!と地上に出ようとしました。

しかし、昨晩まであった縄梯子はありません。それでもどうにか屋根を登っていけないかと移動しますが、砂の壁によって行く手を阻まれ、そのうちサラサラと流れ落ちて左肩を負傷するのでした。(ツイキャス中に木から落ちた間寛平さんと、左肩を負傷した稀勢の里を応援せずにはいられません。と時事ネタを入れてみる私)

 

パニックを内に潜めながらも、男は冷静を装って寝ている女を起こします。(色白だったのは化粧で詐欺っていたことが判明)女は恥じらってうつ伏せになりますが、そんなの関係ねー!とばかりに早く梯子を出してくれとわめきます。それでも女は首を横に振るだけだったので、インテリ昆虫マニアのガチくんは脳みそをフル回転させ一つの答えにたどり着きました。

  • 縄梯子は上からかけるものであり下からかけることはできない
  • 村の誰かが外した
  • 女の了解のもとに行われたと考えるのが自然であり、女は共犯者である

女はまぎれもなく共犯者だったのだ。当然、この姿勢も、はじらいなどという、まぎらわしいものではなく、どんな刑罰でも甘んじようという、罪人、もしくは生け贄の姿勢にちがいない。まんまと策略にかかったのだ。蟻地獄の中に、とじこめられてしまったのだ。うかうかとハンミョウ属のさそいに乗って、逃げ場のない沙漠(さばく)の中につれこまれた、飢えた小鼠同然に…

主人公は全くもって理不尽な拉致監禁罪に苛立ちながらも、どうにか脱出の糸口をつかもうと女に会話を投げかけますが、生活に順応しようとする女は食事や砂のことしか語りません。

主人公は日常業務として砂を掻き出す女を尻目に、まともにタバコの一本も吸えないこの部屋から脱出するため、砂の壁を下から少しずつ掘って、重力に従って上が崩れてを繰り返せば縄梯子がなくとも階段を作ることができるのではというプランを考え実行に移すことにしました。

 

ここで私は思うのです。

『なんて夢がないんだ』と…笑

 

ただ、砂は勾配を作らず安定を求めるようにサラサラと流れるだけでした。

 

ふと、人の気配を感じて振り向くと、いつの間にやら女が戸口に立って、じっとこちらをうかがっているのだった。さすがに、気まずいらしく、あわてて片足をひき、助けを求めるように、ちらと視線を泳がせる。その視線をたどっていくと、彼が背にしていた東側の壁の上からも、頭が三つ、行儀よく並んで、こちらを見下ろしているのだ。すっぽり手拭をかぶっていたし、口から下は隠れているので、はっきりしないが、どうやら昨日の年寄りたちらしくもある。とっさに男は身構えたが、すぐに気をとりなおし、無視してそのまま仕事をつづけることにした。見られていることが、むしろ男を仕事にかりたてた。

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 ふとした瞬間、視線に気付くこのホラー感!うまいですねぇ。

4対1の状況にも物怖じせずに脱出しようとする男の強さも感じさせます。

ただ、その直後に崩れてきた砂に埋もれて意識を失います。

 

第二章

 男は監禁され、熱中症になったうえに、砂に埋もれて火傷の一歩手前という、踏んだり蹴ったり泣きっ面にモハメドアリの状況で第二章はスタートします。

女に看病されながらも、だからといって許す気持ちは無論なく、脱出方法を考えていました。ここで確認できたことといえば、砂堀りが思った以上に重労働であることと、自分が負傷しても村の人間は助けようとしなかった事の二点です。

そこで仮病を演じる作戦に切り替えてみるのでした。(理系らしい考え方やで)

 

それでもカブは抜けません!

 

本気で心配しているのかどうかは、怪しいとしても、すくやくとも野次馬的な好奇心だけは、もぎ忘れた柿の実くらいには熟しきっているにちがいない。結局、なりゆきとして、教頭が、捜索願の書式を問いあわせに、警察を訪れる段取りになる。こみあげてくる、たのしさを、神妙な顔の裏に、しっかりとしまいこんで……《姓名、仁木順平。三十一歳。一メートル五十八、五十四キロ。髪はやや薄く、オールバック、油は使用せず。視力は右〇・八、左一・〇。肌はやや浅黒く、面長。目と目が寄って、鼻は低い。角ばった顎と、左耳の下のほくろが目立つ以外、ほかにこれといった特徴なし。血液型はAB。舌がもつれたような、まどろっこしい話ぶり。内向的で、頑固だが、人づきあいはとくに悪いというほうではない。服装はたぶん、昆虫採集用の仕事着。上に貼付(ちょうふ)した正面写真は二か月前に撮影のもの。》

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イメージ図「理系ベジータ

 しかも自己中で怒りっぽく早口で喚き立てる昆虫オタである。ハンミョウはどこだ!ハンミョウはどこだ!って笑

 

さて、この主人公は肩を脱臼したふりをしながら呻き声を上げ、女に新聞が読みたいな(捜索願が社会面に載ってるかも!)と要求。女は「あとで聞いておきましょう」と言いました。

その夜、男は夢をみます。10人あまりの男女に混じって闇のカードゲームをする内容で、親役が最後に残った1枚を男に渡したのはカードではなく、ふやけた手紙だったという意味深なオチで目覚めました。そしてその朝、本当に新聞があるという展開を迎えます。

日付は8月16日の水曜日。

新聞をめくりながらも、どのようにして女が新聞を手に入れたのかを考えます。結局、失踪記事も尋ね人の広告も見当たらず、縄梯子が降ろされた形跡もなく、あったとしても砂が痕跡を消してしまう。女に尋ねるしかないと判断しました。

「いえ、出たりなんかするもんですか。偶然、まえからたのんでおいた、防腐剤を、農協の人がとどけに来てくれましてね……それで、ついでに、おねがいしてみたんですよ……でも、この部落じゃ、新聞をとっている家なんか、ほんの四、五軒しかありませんものねえ……わざわざ、町の販売店まで、買いに行ってくれて……」

文が長くなるので割愛しますが、主人公はなぜ自分の家なのに表に出ようとしないのかと疑問を投げかけます。しかし、女は「こいつ何言ってんだろう」的な感じで、なぜ目的もなく表を歩かなければならないのかと返事をしました。男は頭にきて、犬だって檻にいれられたままでは気が狂ってしまうじゃないかと意見をぶつけます。

ここで、女は「本当に、さんざん、歩かされたものですよ……ここに来るまで……子供をかかえて、ながいこと……もう、ほとほと、歩きくたびれてしまいました……」と返事をしました。

子どもがいるとすれば、奥の部屋ということになるのでしょうか?

そもそも生きているのか…(ざわざわ)

 そんな疑問は女にとってはどうでもよく、元気を取り戻した男に対して「脇腹をくすぐる」というスキンシップを仕掛け、男は思わず悲鳴をあげる。それを見て女は笑う。思わず男はギクリとして、仮病が見透かされているように思えてならないのでした。

 

さて、ここで新聞に何が書いてあったのかをまとめてみます。何か重要なことがあるやもしれません。ミステリー大好きっ子は隅々まで見るのが鉄則ですよ。

《日米合同委、議題を追加か?》《交通麻痺に、抜本的対策を!》《玉ねぎに、放射能障害治療の有効成分》

法人税汚職、市に飛び火》

《工業のメッカに、学園都市を》

《相つぐ操業中止、総評近く、見解発表》

《二児を絞殺、母親服毒》

《頻発する自動車強盗、新しい生活様式が、新しい犯罪を生む?》

《三年間、交番に花を届けた、匿名少女》

東京五輪、予算でもめる》

《今日も通り魔、二少女切らる》

睡眠薬遊びにむしばまれる、学園青春》

《株価にも秋風の気配》

《テナーサックスの名手、ブルー・ジャクソン来日》

《南ア連邦に、再び暴動、死傷二百八十》

《女をまじえた、泥棒学校、授業料なし、テストに合格すれば、卒業証書》

《十四日午前八時ごろ、東亜建設で建築作業中の横川町三〇の東亜住宅建設地で、作業中の日ノ原組ダンプカー運転手田代勉さん(二八)は、くずれ落ちた砂の下敷きになり重体、近くの病院に収容したが、まもなく死亡。横川署のしらべでは、十メートルの砂山をくずしているうち、下の砂を取りすぎたのが原因らしい。》

以上が新聞に書かれてあったことです。

まるで現代の新聞かと思ってしまう見出しもちらほらありますね。ちなみにこの本が発行されたのは昭和五十六年二月二十五日なので、戦争の残り香や第五福竜丸事件を反映したのではないかと思います。ただ「権力は腐敗する」というのはいつの時代も同じようで、近年では兵庫県議会議員や富山市議会議員の汚職が取り上げられ、現在は都議会のドンをやり玉に挙げて小池百合子氏が旋風を巻き起こしていますが、その傍でマレーシアの原生林を違法伐採した業者から木材を調達しているという腐った事実があったりします。

東京五輪・新国立競技場の合板使用で緊急調査を要請-環境団体 - Bloomberg

こういう人間の普遍的な浅ましさや汚さを「砂」というものが地獄に見立てているようにも映ってしまいます。

 

主人公は自分と同じようにして圧死した作業員の存在を知り、プランを変えることにしました。その少しの未来を考えるために、まるで走馬灯のように今までの自分を、つい昨日までの自分を、灰色の日常を過ごす自分を頭に思い浮かべるのでした。

めくるめく、太陽にみたされた夏などというものは、いずれ小説か映画のなかだけの出来事にきまっている。現実にあるのは、硝煙の臭いがたちこめる新聞の政治欄を下に敷いてころがる、つつましやかな小市民の日曜日……キャップに磁石がついた魔法瓶と、罐詰(かんづめ)のジュース……行列して手に入れた一時間百五十円の貸ボートと、魚死骸から湧く波打ち際の鉛色のあぶく……そして最後が、疲労で腐りかけた満員電車……誰もがそんなことは百も承知でいながら、ただ自分を詐欺にかかった愚かものにしたくないばっかりに、その灰色のキャンバスに、せっせと幻の祭典のまねごとを塗りたくるのだ。むりやり、たのしい日曜日だったと言わせようとして、むずがる子供を小突きまわす、みじめな不精ひげの父親たち……誰もが一度は見たことのある、電車の隅の、小さな光景……他人の太陽にたいする、いじらしいほどのあせりと妬み……

素晴らしすぎて寒気のする文章。

詩的表現を用いて当時の社会を表現しつつ、視覚効果としてその日常が風化し砂になっていくかのように三点リーダを多用していますね。

大量消費社会の幕開けとなった、高度経済成長の都市の内実を砂の中から見ている男。「鉛色のあぶく」は水俣病の隠喩ですね。

一方で、虚像に向かって行進する人間の一人であることに嫌気がさし、職場の誰にも砂丘に行くなんて言わずにここに来たことが恨めしくもあるというグチャグチャの心でもあります。(完成度超高いんですけど。変態だ。変態だ。)

 

主人公には一つの希望がありました。 

それは唯一、本心を明かすことのできる同僚の存在。じつはというと、自分が今どこにいるのかを記した同僚宛ての手紙を机の上に置いてきたのでした。その強迫観念が夢に現れたということです。

その手紙が発見されれば自分を捜索してくれるはずだから、それまで仮病を演じるというのが一つのプラン。もう一つのプランは穴の上の男たちに対して、女の身柄と自らの自由を取引するというものでした。問題はこれをやってしまうと仮病が100%バレるということです。

男は一刻も早くここから脱出するために、リスクを承知のうえで後者を選びました。案外簡単に女を簀巻きにすることができた主人公は男たちが砂を取りに来たタイミングで、女に向かってロープを垂らした瞬間に交換を持ちかけました。

「おかあちゃん、早いとこ、たのむよお!」

それは息子とみられる幼さの残る声でした。

男はロープを掴み引きあげろと命令し、しばしの沈黙の後にロープは引き上げられ、男の身体に重力がかかります。

しかし、その途中で無重力になり身体は砂に叩きつけられました。

返事のかわりに、男たちは、あっけないほど無造作に、モッコを引きずる音だけを残して、立去ってしまった。

「なぜだ?……なぜ、そんなふうに、黙ったままで行ってしまうんだ?」

それはもう、自分だけにしか聞こえない、かすかな悲鳴だ。男は、ふるえながら身をこごめ、手さぐりで、こわれた採集箱の中身をかきあつめる。アルコールの容器に、ひびが入っていたらしく、手をふれた瞬間、すみきった涼しさが、指のあいだにぱっと拡がった。男は、声を殺してすすり泣いた。べつに悲しくはなかった。まるで他人が泣いているような感じだった。

感情を置き去りにして反射的に身体が泣いているシーン。ストレスを軽減するための防御手段として涙を流すことってあり得ると思うんです。それを考えるとリアルに思えてくるというか、もはや潜入レポートにしか見えなくなってきました。

主人公は男たちが何かしらのリアクションをするだろうと思っていたのですが、配給のタバコと新聞紙と焼酎をドサっと誰かが投げただけで何も反応はありません。

女から情報を聞き出そうと、今までに自分のような人間が連れて来られたことはあるのか、また、脱出した人間はいるのかと尋ねました。女の話によると砂しかないこの部落は経済的に体力のあるものから居なくなり、最近では砂を掻き出す作業員を確保するために絵葉書屋のセールスマン(過労で死亡)と若い学生が連れて来られたと話しました。脱出した人間といえば、以前に夜逃げをした一家ぐらいしか思い当たらないと答えます。

「愛郷精神」という鎖で繋がれた奴隷労働は常人の心を折るには十分な破壊力を持っていますが、それでも主人公は自分が最初の脱出者になってやると決意するのでした。

 

その後、家を破壊して梯子を作ろうとした主人公にやめておくんなましと女が抱きついて、バランスを崩して胸元がはだけて急角度のエロ展開へ。

それでも男は冷静で、自分の妻のことを思い出していました。その回想シーンで淋病だということが発覚。

『おいおい、これはマジでサルトルの展開じゃないかっ⁈』と変なところでドキリとさせられました。

しかもこの後の展開は、奴隷労働を拒み続けたため、止められた水の配給に耐えかねて仕方なく砂を掻き出すというもので、他人の定義づけた価値に合わせなければ死んでしまうという理不尽とつながっているのです。実存主義の入り口へようこそ。

「さあねえ……」老人は、世間話の席から腰をあげるような、さりげない調子で、「まあ、なにぶん、よろしくお願いいたしますわ……わしらに出来るだけのお世話は、いたしますから……」

「待て!冗談いうな! おい、待ってくれよ!……後悔するぞ!……あんたには、まだ、ぜんぜん分かっちゃいないんだ!……たのむ……待ってくれってば!」

しかし、老人は、もう振り向きもしなかった。重い荷物をかつぎでもするように、すくめた肩から立上り、三歩あるくと、その肩が見えなくなり、四歩目には、すっかり視界から消え去ってしまった。

「爺さんってば、砂隠れの忍びだってばよ!」ってナルトだったら言うでしょうね。(いわNe-Yo)

このあと主人公は打ちひしがれつつ、ヤスリのような風の中で労働をし、もはや労働でしか自分の存在を感じなくなるのでした。

男は、暇をみては、こっそりロープの用意をしはじめた。着替えのシャツをほぐして、撚(よ)り合わせ、それに女の死んだ亭主のへこ帯をつなぐと、五メートルほどになった。

 んっ⁈

読み落としたのでしょうか。ここで女の亭主が死んでいることが発覚。

主人公はロープを作りながら、女との会話のなかで情報を収集し、朧げながら覚えているここへきた時の風景と照らし合わせ、頭の中で地図を作っていきました。(理系を舐めるなよ!と言わんばかりに)

そして、作戦を実行に移すことにしました。女は夜に働き昼間は寝ているので、朝方に脱出し身を隠しながら村を出なければなりません。

そのために主人公は風邪をひいたふりをして薬を手に入れ、作戦を決行する夜に身体を拭いてくれる女ににじり寄ってできる限りの愛撫(二時間)をし、女が疲労とエクスタシーを感じた時に、薬を焼酎で飲ませるという、まるで性犯罪目的の医学生みたいな荒技で女を夢の中へと井上陽水

すぐさまブヨブヨに腐食した屋根の上に登り、遠心力をつけるため、ロープの先に鋏をつけて穴の淵に埋められた俵めがけてビックバンアタック。

何回も繰り返してようやく鋏が引っかかり、ロープが千切れやしないかビクつきながらもなんとか地上へと這い出ることに成功。(ちなみにこれまでに46日が経過していました)

地下へと続く奴隷の穴を目にした主人公の心象風景を表しているのが以下の文。

そんな生活がありうることも、むろん理解出来なくはなかった。台所があり、火の燃えている竃(かまど)があり、教科書をつんだ机がわりのリンゴ箱があり、台所があり、囲炉裏があり、ランプがあり、火の燃えている竃があり、破れた障子があり、煤(すす)のたまった天井があり、台所があり、動いている時計や止まっている時計があり、鳴っているラジオやこわれたラジオがあり、台所と、火の燃えている竃があり……そして、それらの間にちりばめられた、百円玉と、家畜と、子供と、性欲と、借用証書と、姦通と、線香立てと、記念写真など……恐ろしいほど完全な反復……それが心臓の鼓動のように、生存には欠かすことのできない反復であるとしても、心臓の鼓動だけが、生存のすべてではないこともまた事実なのだ。

これまた完成度の高い文章で作者の脳みそのシワが欲しくなります。

かまどが何回も出てくるのは、明け方の砂混じりの靄に身を隠しながら主人公が ニコ生orツイキャス実況してるから。文章の前半では少なくとも三軒の家について書かれていて、後半ではそこからは見えない、今自分が這い出てきた穴の中の日常について触れているわけです。

「姦通」というのも印象的で、爺さんは主人公が逃げ出さないように「わざと女がいる穴に閉じ込めた」ということと、「女の命よりも労働者の確保」を優先したという二点が込められています。

だから主人公は上から穴を見ていることが恐怖でしかないんです。でも、その一方で辺り一面に広がる砂しか存在しない荒涼とした大地の美しさに心をときめかしながら、『ここを観光地にしようと言った絵葉書のセールスマンは本心からその言葉を言ったのではないか』と考えるのでした。

 

主人公は監視に見つからないように迂回ルートを歩きながら女のことを考えました。

主人公が来てから労働時間が二時間も早く終わるようになったと言っていたことを、自分の姿を写す鏡を欲しがっていたことを、外の世界を知るためのラジオを欲しがっていたことを、どうしてそれでもここに残っているのかをーー

おまえを、ここに引きとめておくものの、正体を、皮膚病のかさぶたを剥ぐような根気で、つつきまわすことにした。われながら驚くほどの、ねばりようだった。はじめは、はしゃいで、裸を雨にうたせたりしていたおまえも、ついに追いつめられて、泣きだしてしまった。あげくに、ここを離れられない理由は、ほかでもない、以前台風の日に、家畜小屋と一緒に埋められてしまった、亭主と子供の、骨のせいだなどと言い出す。なるほど、それならば、納得もいく。すこぶる、実際的だったし、今までおれに言いづらかった気持も、分からなくはない。とにかくそのまま信じることにした。早速、翌朝から、睡眠時間をけずって、骨さがしに当てることにした。

〈中略〉

だが、おまえの、その不幸そうな、うちひしがれた表情は、嘘を言っている、というよりは、はじめから教えるつもりなど、少しもなかったことを、あからさまに示していた。骨も、要するに、口実にすぎなかったのだ。おれにはもう、腹を立てる気力もなかった。そして、それ以上、貸し借りにこだわるのはやめにした。そのことは、おまえだって、納得しないわけにはいかないと思うのだが……

一瞬その女がとても哀れな存在に思えても、実は後ろ手に『ドッキリでした』というプラカードを持っているのだから同情したら穴から出ることは不可能なんですよね。(旦那が死んだかどうかは分かりませんが、穴の外に息子と思われる人間はいるみたいですし)

 

そんなことを考えながら歩いていた机上の空論者は迂回したつもりでいたのに、靄が晴れた瞬間に自分が村の真ん中にいるというおバカさんであることを痛感します。(途中で砂は足音を消してくれるから好都合だとか言ってたのに…笑)

こうなったらもう最短距離を行くほかに手段はなく、主人公は一気に走り抜けることにしました。それに気づいたのは放し飼いされている犬どもでした。主人公も必死ですから、戯れるように噛みつこうとするのを鋏で突き刺しながら走ります。(ナイフ縛りのバイオハザードかよ)

もう少しで村を出られる。その矢先にアクシデントが発生…

道の手前に、小さな溝があった。その溝の中から、姉弟らしい幼い子供が二人、あわてて這い出してきた。気づいたときは、もう遅かった。ロープを脇によけるのが、せい一杯だった。三人、一と塊りになってころげこむ。溝の底に、樋のようなものがあり、板が砕ける鈍い音がした。子供が悲鳴をあげた……ちくしょう、なんだってそう、大げさにわめきやがるんだ!……力いっぱい、はねとばし、這い上がったとたんに、懐中電燈の光が三つ、横にならんで、行手をさえぎっていた。

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明け方にシザーマンとエンカウントする子ども(笑)

そりゃ泣くだろうよ。

このあとも主人公はフルスロットルで走りました。追っ手との距離は5〜70mまでひらいていましたが、疲労困ぱいのその身体を砂は簡単に引きずり込んで、ひざ下まで埋まってから、抜け出せずに下半身が埋まってもはや死ぬしかない状態になったとき、死刑囚以下の最期を迎えるのに耐えきれずに叫び声をあげました。

「たのむ、助けてくれ!……どんなことでも、約束する!……おねがいだから、助けてくれよ!……おねがいだ!」

待ってましたとばかりに、近くにいた村の男たち(6人ぐらい)が主人公を救出!とみせかけて、再び奴隷の穴へとぶちこみました。もう、夢も希望も砂の中に埋まってしまって、吐き気がするほどの疲労感しか残っていませんでした。

第二章の終わりは脱出に失敗した惨めな自分を女にさらし、女がそれを弁護するように、まだ誰もうまくいったことがないんですよとうるんだ声で言って、その声が耳に残りながらも、妻は今頃何をしているんだろうかと力なく考えるのでした。

 

第三章

ある日、男は裏の空地に、鴉をとらえるための罠をしかけてみた。それを《希望》 と名づけることにした。

罠の仕掛けは、砂の性質を利用した、ごく簡単なものである。やや深めに掘った穴の底に、木の桶を埋め、小さめの蓋を、三か所ばかり、マッチ棒ほどの楔で止めてある。その楔のそれぞれに、細い糸が結んである。糸は、蓋の中心の孔(あな)を通して、外の針金と連絡している。針金の先には、餌の干魚が、つきさしてある。さて、その全体が慎重に砂でかくされ、外から見れば、砂の摺鉢(すりばち)の底に、餌だけが見えているという仕掛けなのだ。

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脱走に失敗した男は、擬態するために従順を装いながらも糸口を見つけようと、飛んでいるカラスを生け捕りにして、伝書鳩のように手紙を外へ送ろうとしていました。(この時点で同僚に対する「希望」は無くなっているようですね)

また、脱走したときに縄梯子がかけられたままの穴があったことを思い出し、もしかしたら自分達も同じ待遇を受けられるのではないかと女に話しますが、それは何世代も前から住んでいる家庭だと反論されました。それでも諦められず、夜に砂の回収に来た男たちに交渉してみることにしました。

「そうだねぇ……」老人は、頭の中で、古い書類を整理しながら喋っているような、間のびした調子で、「そりゃあ、かならずしも、出来ん相談じゃあるまいねえ……まあ、例えばの話だが、あんたたち、二人して、表で、みんなして見物してる前でだな……その、あれをやって見せてくれりゃ、理由の立つことだから、みんなして、まあ、よかろうと……」

「なにをやるって?」

「あれだよ……ほれ、雄と雌が、つがいになって……あの、あれだなぁ……」

まわりで、モッコ搬びの連中が、どっと、気違いじみた笑い声をたてた。

おいおい、変態鬼畜じいさんよ!

 服従心を植え付けると同時に労働者を確保するために、公衆の面前で性行為をすれば縄梯子をかけてやるという取引でした。

この後の展開が地味に面白く、主人公はもうそれしか方法がないならと、後ろにいる女を連れてきて行為に及ぼうとします。変態の中には女も混じっており、狂気性を帯びた雰囲気に包まれます。

しかし、逃げるつもりがない女は本気で嫌がって、主人公のポークビッツを蹴り上げて、労働で鍛えた腕を振り下ろし、主人公をフルボッコにしました。(笑)

「なんて救いのない世界なんだ!」と思わずにはいられません。

 

衝撃的すぎるエッチなお祭り「飛鳥おんだ祭」 - NAVER まとめ

✳︎こういう祭りあったよな…もしかして鳥取県じゃないか?と思って調べたのですが奈良県でした。

 

主人公にとって唯一の救いは《希望》の中に水が貯まっていたことでした。

毛細管現象を起こした砂が地下水を吸い上げていることが判明し、うまくいけばこの堪え難い渇きから解放されるかもしれないと研究を開始。そのためには気象状況の把握は必要不可欠だったので、ラジオのために内職をしている女を手伝ったのでした。

三月のはじめに、やっとラジオが手に入り、屋根の上に、高いアンテナをたてた。女は、幸福そうに、驚嘆の声をくりかえしながら、半日、ダイヤルを左右にまわしつづけた。その月の終わりに、女が妊娠した。さらに、二た月たって、大きな白い鳥が三日にわたって西から東に飛んでいったあくる日、突然女が下半身を血に染めて、激痛を訴えだした。親類に獣医がいるという部落のだれかが、子宮外妊娠だろうと診断を下し、オート三輪で、町の病院に入院させることになった。

✳︎「二た月」って書いてあります。

 

目標のラジオが手に入ったと思いきや、どこの誰かも分からない人間の診断で妊娠した女が入院することになりました。

半年ぶりに縄梯子がかけられ、生活と脱出の二者択一を迫られます。

 

べつに、あわてて逃げだしたりする必要はないのだ。いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。それに、考えてみれば、彼の心は、溜水装置のことを誰かに話したいという欲望で、はちきれそうになっていた。話すとなれば、ここの部落のもの以上の聞き手は、まずありえない。今日でなければ、たぶん明日、男は誰かに打ち明けてしまっていることだろう。

逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである。

これが主人公 仁木順平のラストバース。

さらに最後は国からの失踪者認定でこの物語は幕を閉じるのです…

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このゾッとする感じはどこから来るのでしょうか。主人公が見つからないことについては最初にわかっていたはずなのに。この気持ちの悪さについて考えてみたいと思います。

 

妻の仁木しのは物語の冒頭に警察の視点から語られる事件の概要の中に一瞬出るのと、主人公の回想シーンと最後の書類の名義にしか出てきません。

その少ない登場シーンの中で印象的なのは、淋病の感染を恐れてコンドームを外したくない主人公と、それでも子どもを欲しがる妻の会話です。

それを踏まえてラストに目をやると、居なくなった主人公の身を案じながら、捜索願いを出している妻と、名前も分からない女との間に子どもができた主人公という現実があります。

女の名前が分からないというのは恐らく、鏡とラジオというアイテムの手前ある個性が必要とされない労働者という意味合いを強める演出に思います。その反対に妻の名前が最後に分かるのですから。

あと、もう一つは価値観を上書きしようとする他人に反抗するのとは別に「そこに存在する目的を持ってしまった」(砂漠の中でも水が手に入る技術)という残酷だと思います。

主人公が女を愛しているかどうかについては見解が分かれると思います。

具体的に言えばーー

  1. 愛する女性には性病を感染させたくないから性行為に消極的だったのだから、どうでもいい女だからこそ子どもができた。
  2. 縄梯子をかけるために子どもを作ることにした。
  3. 女が好きだから脱出せずに子どもを作った。

ーーの3つの見方ができると思います。

 

これが判断するのが難しいんですよ。

当初の主人公は誰がどうなろうと自分さえ助かればいいと考えていた「カンダタ」で、女を置き去りにしたし、逃走中に犬を鋏で突き刺し子どもを蹴り、さらには縄梯子のために公衆の面前でSexしても良いと考えていたわけです。

女との共同作業でその人間性がそう簡単に変わるでしょうか?

子どもを蹴ったんですよ? そんな主人公が身篭った女が赤ん坊を抱えて帰ってくるのを待つなんてどうにも腑に落ちないのです。

そう考えると、灰色の都市生活に戻るよりも地獄のような奴隷労働のなかで生み出した装置を誇示したいのだと考えるのが自然ではないかと思うのです。

もちろん、女の存在が自分に潤いを与えるものだと分かっているでしょうし、女の言っていた嘘か本当か分からない家族の死別が本当で、家族を欲しがった可能性も否定できません。

それでも私には主人公の中にある冷徹さが拭いきれないのです。

だって、好きなもの虫ですよ?

「虫」を1つのアイテムとして見ると感情がないじゃないですか。

つまり、主人公は砂漠という過酷な環境に適応した虫になったというのがゾッとした理由だと思います。

 

ただ、爺さんが女を婆さんと呼んだ理由は分からずじまいです。

仮説として「爺さんは死んだ夫の親で嫁を婆さんの代わりにしていた。主人公を生け贄にして爺さんは自由になった」と考えてみましたが「頭がおかしい」が正解でいいんじゃないかと思います。(笑)

 

没シュート乙

 

解説 ドナルド・キーン

このように『砂の女』を分析すると、安部氏に対して不親切を極めることになる。『砂の女』はいわゆる観念小説ではなく、優れた芸術作品であり、神話的な広がりもある。女が村人たちの前で男とセックスすることを断る場面や男が鴉の罠の中で水を発見する場面は読者の記憶の中で生長しつづけていくので、再び原作を読むと、ほんのわずかの言葉でできたこれらの描写に驚く他はない。

もう一つ忘れてはいけないことは安部氏の文体である。文体の一番の特徴は、比喩の豊富さと正確さであろう。別の次元で、二つの観点から振り返ってみると、あらゆる現象の本質が分ってくる。

砂の女』は安部氏の創造力によるフィクションである。(主人公は安部氏と同じ月日に生まれたが、私小説だといいかねる。)同時に、日本いや世界の真相を最も小説的な方法によって描いている。われら二十世紀の人間が誇るべき小説の一つである。

(昭和五十五年十二月)

 自分で素晴らしい映画を見つけたとしても、それよら先にスタンディングオベーションをしている人々がいるのはよくある話。偶然にも私は『砂の女』という超絶技巧が駆使された名作に出会い、私が生まれるよりも先にドナルド・キーンさんが的確に解説を書いていることを、全てを読み終えた今知りました。

現代では誰が書いたかも分からないニュースの見出しだけを信用した人々が発端にフェイクニュースだと騒ぐ現象が巻き起こっていますが、私はドナルド・キーンさんのこの解説は適切だと思いますし『砂の女』は今年読んだ本の中で一番おもしろかったです。

良い小説は読解力を成長させるのだという揺るがない確信を持ちました。

 

砂の女 - Wikipedia

 ウィキペディアで調べてみたら映画化されているのですね。

リメイクするのは相当なハードルがあって容易ではないでしょうが、私だったら鳥取砂丘ポケモンを捕まえに来た男を拉致するパロディでコント作ります(笑)

 

 

砂の女 (新潮文庫)

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