モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

8月5日 起き上がり小法師

00-06 ×

06-12 CH

12-18 A

18-24 ×

 

A. 北海道地方-0-0-1-0=1

C. 関東地方   -0-1-0-0=1

 

H.九州地方    -0-0-1-0=1

合計回数        -0-2-1-0=3

 

07:55 茨城県北部        60/4.1 ③

11:22 トカラ列島近海 浅/3.0 ①

16:01 宗谷地方南部    10/2.5 ①

 

ベランダに蝉がひっくり返っていた。

いつからこうなっていたのかは定かでないので、「もう少し早く発見できたら死なずに済んだかもしれない」と思いながら近づいたらモゾモゾと動き出した。その姿は「おい人間!助けてくれぇい!」と言っているようにしか見えなかった。

指を差し出すと躊躇せずにしがみついた。金属はツルツルしているから掴めないらしい。起こしてやってしばらくすると飛んでいった。

指を差し出されるのを待っている蝉が日本中にいるんだろうなと思った。

 

ついに出荷され始めたぞ…(ゴクリ)

コイは何でも口に放り込むから目下、危険な外来種として認知されているが、もしGM動物がアウトリークしたら自然動物に与える影響は計り知れない。

さんざん食い荒らして交配して、寿命が短い特徴でもって絶滅するというのもゼロではないと私は思う。

沈黙の春」どころじゃないのではと。

 

今日の報道特集歌丸師匠がカッコよかった。

焼け野原の中で人々を大爆笑させている噺家に憧れて落語の道に入ったというのは以前に耳にした。今日の放送ではその原体験というか、忘れようのない記憶が語られていた。仲代達矢さんの口から語られたのも一歩間違えてたら死んでいたような話。

一方で昨日の報ステでは、戦争体験をどのように継承したらいいのかという難問を取り上げていて、その一つの形として1人の高校生が被爆体験を一枚の絵にする試みを放送した。

思うんだけども、人間っていうのは精神衛生を保つために、悪いことはできるだけ早く忘れて、良いことだけを考えるほうが健康だと思う。サッカーのエースストライカーは失敗の残像を忘れることがゴールへの良識だったりする。(いわゆるマインドリセットってやつ)

しかし、社会を形成する上で「忘却」は同じ失敗を繰り返す材料に他ならない。

なのになぜ忘れたいのかといえば「苦痛」だからだ。生き残ったことに罪悪感を抱いたり、日常生活に支障をきたすフラッシュバックをする。つまり、戦争体験ってのは死ぬまで続くと言える。

人それぞれ感覚や現実の捉え方は違うし、活字や映像にするとどうしても情報量が落ちるという問題もある。だから最優先すべきは体験した本人が「遺す」ということだと私は思う。

そして、どんなコピーも劣化することは避けられない。戦争体験を継承するうえで問題はそこだと感じる。一言で言えば「落ちた情報量を何でカバーするのか」

この世界の片隅に」はその問題をアニメーションで埋めたから若い世代にもリーチした。「原体験」という死の匂いの濃度が濃いものよりも、物語の裏を考えさせる構成の作品もありだと思う。

もちろん、戦争をテーマに選ぶとなるとそれ相応の責任や、当然批判にさらされることも少ない。(戦争で金稼ぎかよ!みたいな)

何が言いたいのかと言えば、苦痛に満ち満ちた世界観に自ら足を踏み入れて、まっすぐキャンバスと向かい合ったあの高校生は素晴らしかったという話。