モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「人間をお休みしてヤギになってみた結果/著 トーマス・トウェイツ/訳 村井理子」の感想

2018年、最初に読む本はヤギ人間の本です。

f:id:ebiharaism:20180108195035j:image

先日本屋に行ったところ、この本の前で足が止まりました。タイトルだけ見るとネットのスレッドみたいな印象を受け、買う気は起きませんが、「イグノーベル賞「ガーディアン」の書評にまんまと釣られ、本のページをめくるとマジでぶっ飛んでいたので購入という流れです。
スマホアプリのゴートシミュレーターをやっていた私にとっては「ヤギ人間」という言葉に親近感が湧いたというのも若干あったりして…(すぐ飽きたけど)
目次の次のページには以下の一文が記載されています。

満足な豚であるより、不満足な人間であるほうがよい。満足した馬鹿であるより、不満足なソクラテスのほうがよい。ーーJ・S・ミル『功利主義論』(一八六三年)

何がぶっ飛んでいるのかを読み解いていきたいと思います。

第一章 魂

著者、トーマス・トウェイツはデザイナーであり、四年前に大学院の卒業制作をまとめた「ゼロからトースターを作ってみた結果」が評価されて有名人になりました。
自分はただの一発屋だと自覚し、夢も職もない人生から脱却する為に「人間が四肢で歩いていた時代の外骨格を製作し、草を消化できる人工胃腸の開発をする」と英国の医学研究支援団体にメールを送ったところ、支援を得られることになります。とりあえず人間と同じように、首が短いなど共通点が多い「ゾウ」をモデルケースに模索。しかし、首の短いゾウは長い鼻を持っており『こんな物どうやって作ればいいんだよ!』と行き詰まり、動物に詳しいシャーマンに相談することにしたのです。←シャーマンって(笑)

シャーマンのアネット
「だってね、象になって何をするというわけ? 特にないわよね。アンタがいる環境では、象なんて完全にエイリアン状態でしょ。もしアンタがアフリカの狩猟民族だったら、そうね、それもアリでしょうね。でもアンタは狩猟民族じゃないし、ロンドン出身。似た環境に暮らす動物しか無理よ。アンタが住んでいる場所の近くで、自由に動き回っている動物にしかなれないってこと」
〈中略〉
「似た環境って言えば、鹿のほうがずっとアンタに近いと思うんだけど」彼女は僕の身体をじろじろと見た。「でもねえ、鹿でもアンタにはワイルド過ぎるわ。そうねえ……。ヒツジはどうなのよ」
彼女は僕について考えながら、少し沈黙した。
「いや、ヤギだわ」
ヤギ。……ヤギかよ‼︎
僕は心から安堵した。なぜってヒツジにはあまりなりたくない気がしたから。そしてヤギを提案してくれたアネットは間違ってはいないという確信からくる感謝の気持ちもあった。ヤギだよ……僕のレベル的にはヤギがぴったりだ。

「ヤギかよ‼︎」から「ヤギだよ……」までの心境の変化の早さったらないですね。ジャストフィット感。しかもこれには根拠があって、著者が小さい頃に手を使わずに鉢植えの葉っぱを食べたという記憶があったという…笑
ヤギ人間の素養があったという事ですね。
ラスコー洞窟の壁画にあるバードマンは勃起しているという記載があったので、そういうのが好きな人の為にナショナルジオグラフィックのリンク貼っときます。
監修者が解説!ココが見どころ「世界遺産 ラスコー展」 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

アネットによるとーー

  1. シャーマンは動物を追いかけて狩るためにその動物になろうとした。
  2. 狩猟は動物との協定であり、動物の命を殺める際には正しく振る舞う必要がある。その為にシャーマンは自分の中から人間性を追い出して動物になろうとする。

「擬態」と「鎮魂」の二つの要素があることが分かりますね。 

アネットがトーマス氏にレーン・ウィラースレフという人類学者の女性の話をします。ウィラースレフはシベリアの森の奥で十八ヶ月にわたってユカギール族と一緒に暮らし、『Soul Hanters』を書きます。その中でオールドスピリドンという狩猟者について記しており、彼はヘラジカの耳を帽子につけて、ヘラジカの脚の皮で自分の皮膚を覆い、雪の中を移動するヘラジカのメスとその子供に近づきますーー。

ちょっと理解しがたいのは、オールドスピリドンの、動物との遭遇に関する記述である。オールドスピリドンはメスのヘラジカについて「うら若き美しい女性が私を手招きしているように見えた。もしあの二頭について行けば自分自身が死ぬことになるとわかったから、撃ったのです」と証言しているのだ。オールドスピリドンはヘラジカになっただけではなく、ヘラジカの方も同時に人間になっているのだ。アネットやユカギール族、その他のシャーマン的な人々の世界では、人間とそれ以外の生きものを隔てる境界は、僕が慣れ親しんでいるものよりあいまいなのだ。

ヘラジカ男の主張が私にはよく分からないです。「食料が必要だから撃った」と言うなら理解できますが、「ついていったら自分自身が死ぬと思ったから撃った」って、じゃあついて行かなければいいだけの話だし、正当防衛が成り立ってないですよね…。うーん。
この後さらに理解を超えます。

ウィラースレフはその著書で、西洋で教育を受けた僕のような人間の思考における、自己と他者に関する基本的前提は、いまだにルネ・デカルトと、彼の一六四一年の著書『省察』に記された有名な思索の影響下にあると書いてある。

ヤギ男を目指すトーマス氏はここで、デカルトとハイデッカーがそれぞれに考えた存在の証明を比較します。

  • デカルト論「私が経験したと思っているすべての現実は、悪意に満ちた悪魔によってもたされた幻想なのかもしれない。しかし疑うためには、何かが起きていなければならず、それゆえ、疑っている「私」は存在しているはずだ。我思う、ゆえに我あり
  • ハイデッカー論「何かについて考えることなく思考することは不可能なので、『私』は『論理的思考のできる心』ではなく『世界ー内ー存在』である」

デカルトもハイデッカーも知らない私にはとても分かりにくいのですが、デカルトは不特定多数の幻想の中でも疑う事で自我を保つことが存在の証明というか、パスカルの「考える葦」に近いものを感じます。
一方でハイデッカーは、デカルト論を起点が幻想だったら成り立たないと否定し、私という存在は思考よりも先に世界と内面と物理的に証明できる(赤ん坊に思考能力無いもんね)と考えたのではないかと私は読みました。つまり、自分があって世界があるという西洋的な考えと、全体の中に自分がいるという東洋的な考えの違いですね。(そういえばこの間、100分de名著の「ソラリス」を見て似たような感想を持ったのを思い出しました)
12月25日 残り400MB - モブトエキストラ

ヤギ男の本だと思って買ったのに、こんなに深いことを考えるのか?と思うと同時に、これがまだ一章なのです。読み応えがあるってばよ。

アネット「ところでアンタは、コスチュームを作るだけのプロジェクトにするの? それとも人間が動物の親類のようになって、彼らとのギャップを埋め、動物と同じように感じることができる方法を見つける努力をするの? アンタはそれを決めなくちゃいけないわ。だってそれさえ決めればなにもかもがシンプルになるもの。そこではじめて霊的な行いとなるのよ。それが本当の学びなのよ」

プロジェクトの核心を突くアネットの言葉に、トーマス氏はロンドンへと戻ってから古くからの友人であるサイモン氏を連れて「シャーマン的旅へのお誘い」というワークショップに参加。そこではマキシンというシャーマンが退行催眠のような施術を行います。内容は、慣れ親しんだ場所を現実と非現実の入り口とする「世界軸」として、上の世界に行ったり、下の世界に行ったりするというもの。
しかし、シャーマンの儀式で用いられる煙は現代社会における「ドラッグ」が多く、例外なくトーマス&サイモンは覚醒と倦怠感に悩まされるのでした。笑

第2章

トーマス氏は科学的根拠から、ヤギの知覚の問題にアプローチすべきだと考え、ヤギにおける行動学のエキスパートであるアラン・マックエリゴッド博士に会いに行くことにしました。
博士は虐待されたヤギを保護する「バターカップ」で研究していて、そこはヤギにとっては楽園と呼ぶべき場所でした。
博士と簡単に挨拶を済まし、成り行きを説明するとヤギに関する様々な知識を教えてくれました。ただ、ヤギにも性差があってオスとメスどちらのヤギになりたいのか?と質問され、トーマス氏は種族と性別を一変に超えることの大きな問題を考えつつもーー

「世界最大の生物医学研究基金が、ヤギとセックスするデザイナーに資金提供」なんて感じで、メディアも大騒ぎしてくれるだろう。その見出しであれば、僕だってその記事を読むだろう。

と、一発屋ならでは嗅覚でキャッチコピーを考えるのでした。

 f:id:ebiharaism:20180108195147j:image

↑これはパンというヤギの神だそうです。こんな邪悪な行いを私は初めて見ました。笑

こんな具合に、人間とヤギの知能を埋めるにはどうすればいいのかをずっと考え続け、人間特有の能力である『シナリオを生み出す』という行為は過去を思い出し、未来を予想する『精神的時間旅行』だと定義しました。

ジュリアン・カミンスキ教授(マックエリゴッド博士の同僚の一人)とヤギのことについて話していた時、彼女はこう言ったんだ。「私達にもはっきりとはわかってないけれど、彼らはもしかしたら時間から身動きが取れない状態なのではないかと思うんです。将来のことも、過去のことも、あまり考えることができない状態です。なぜかというと、彼らには"エピソード記憶"がないから。だからたぶん、ヤギはその場その場で判断しているんじゃないかと思うんです」

この話は面白いですよね。だって基本的に時間って不可逆的なものじゃないですか。時間という尺度で待ち合わせをしたり、エピソード記憶やビデオや音楽プレーヤーみたいな記憶媒体として機能する時にしか使わない。だから、自然界でサバイブするには今と未来しか必要なくて、失敗した事なんかは脳で覚えるよりもゴキブリみたいに遺伝子に情報を書いたほうが効率がいいのかもしれませんよね。そういう意味では、現代人が過去の記憶を脳みそからスマートフォンで管理しているのは理にかなっているのかもと。

それともう一つ。

たとえば四十六歳の音楽家、クライブ・ウェアリング。殆どの人が体内にヘルペスウィルスを保持しているが、それが活発になると神経を通じて顔に辿りつき、唇に強い痛みをもたらす。しかし、まれに逆方向に行くことがある。神経を通じて脳に辿りつき、脳炎を引き起こし、頭蓋骨のなかで脳を腫れ上がらせる。これが、一九八五年に彼の身に起きたことだ。風邪を引いたと思った彼は(医師もそう思ったらしい)、ベッドで安静にすることにした。医師が何が起きているのか気づいた時には、側頭葉内側部はすでに感染して損傷し、海馬が破壊されていた。結果として引き起こされた炎症によって、彼は今現在の、その瞬間に永遠に閉じ込められることになり、新しい記憶を形成することができなくなってしまったのだ。病に倒れる以前の人生については思い出すことができるけど、彼の短期記憶はたった三十秒しかもたなくなったのだ。
〈中略〉
彼は音符を読むこともできるし、ピアノの前に座らせれば演奏だってできる。一瞬一瞬が繋がり、流れていき、そして作品の最後まで演奏することができるのだ。だが彼は、部屋の中にピアノがあるのをはじめて見たと言うのだ。

奥さんとのコミュニケーションはノートに同じ文字を書くことで成り立ち、数珠繋ぎにどうにか会話しているそうです。
三十秒しかもたないから、「新しい一秒+古い二十九秒」の連続なのでしょうか。切ないですね。
ただ、この話は人間も「時間から身動きが取れない状態」になれる可能性があるという意味で書かれていて、トーマス氏はこの後、経頭蓋磁気刺激(TMS)を使えば一時的に「脳仮想病変」になれるのではないかと考え、ロンドン大学ユニバーシティカレッジでTMSを研究しているジョーデブリン博士の元を訪ねます。(その際に、もしかしたら二度と言葉が話せなくなるかもしれないと考えたトーマス氏の彼女が一緒に来ます←彼女は女神)
読んでる時に「いやいや、ロボトミーじゃないんだからさ…」と呟いてしまったんですけど、TMSは軽度のロボトミーみたいなもので、脳内に四センチほどの深さの磁場を発生させるのだそう。これを使ってブローカ野に一秒間十パルスの刺激を与える実験が始まります。
その結果、言葉が一瞬止まるんですけど、仮に言葉が話せなくなったとしても実験結果はヤギ男から再び人間に戻って言語化できないと意味がない事に気付きます…。笑
デブリン博士は技術開発を待って、五十年延期してみたらどうかと提案しますが、「僕はジジイのヤギになってしまう」とトーマス氏は悩むのでした。

ヤギ男の条件設定が難しすぎますよね。
ターザンみたいに赤ちゃんがゴリラに育てられたり、オオカミに育てられたりみたいな事をやったとしても、実験結果を言語化できないから無意味ですし。
そういえば何年か前に、スターウォーズの作中で使われる言語で子育てしてる人がいて、海外で批判されてましたよね。あれってどうなったんだろ…(知らないなら言うなよって)
それにしても人間から言語を切り離すってかなりの難易度ですよ。

第三章 体

これまで人間とヤギの違いについて考えてきたトーマス氏はいよいよ実験用の外骨格の制作に取り掛かります。
そのために協力を仰いだのが獣医科専門大学であるロイヤル・ヴェテリナリー・カレッジのジョン・ハッチソン教授です。会話の中でハッチソン教授が象のスペシャリストであることに気付いたヤギ男は自分のことが恥ずかしくなりましたが怯むことはありません。

「ちなみに僕の夢はギャロップすることなんでーす」
ギャロップ? うそだろ、ギャロップなんて、すっごく、難しいよ……」

ヤギ男は宙に舞うのが夢でしたが、現実的な肉付けをすればするほど無謀な挑戦であることが際立っていきます。
そこで、外骨格を作成するためにヤギを解剖して設計に反映させることにしました。意外なことにハッチソン教授は競走馬やユキヒョウなどの大型動物の解剖をしたことがあるのに、ヤギの解剖をしたことがなかったのです。トーマス氏はバターカップと交渉して一頭のヤギの遺体を研究のために譲ってもらうことに成功。さらに自身は移送に必要となるカテゴリー2の運送業者のライセンスを取得。それと並行して、義肢装具士であるグリン・ヒース医師と補綴の専門家であるジェフ氏の協力を得ることに成功。

f:id:ebiharaism:20180108195350j:image

バターカップで命を終えたヴィーナスはヨーネ病という疾患により、腸壁が厚くなって栄養吸収できなくなり安楽死させたそうな。(ケタミンバルビツレートの混合剤を注射)
そんなヴィーナスを二日間に渡って解剖することが決まり、まずハッチソン教授は解剖用のメスで皮を剥ぎました。この時点で完全にトーマス氏の腰は引けており、カラー写真でにばっちり載っています。(獣医師になりたい人は加計学園なんて入学してないでこの本を買うべし)それと同時に目の前で文字通り丸裸になったヴィーナスの、まるで機械のような繊細な筋肉の造形美に感銘を受けるのでした。

ハッチソン教授は、ボストン・ダイナミクス社が国防総省国防高等研究計画局から資金を得て作った四足歩行ロボットを見たことがあるかと僕に尋ねた。うん、見たことあるよ、すっげぇ怖いやつだよね、あれ。
「そう、四足で走り回るロボットを作る試みで、やっとそれが可能になってきたんだが、これは百年以上にわたるロボット工学研究のたまものなんだ。そしてあれは、ゼロから設計された。制限要因だってある上に、実在する体に馴染む装具を作るということは、あのロボットの設計以上に難しいことになるだろう」

ビッグドッグ - Wikipedia

四本足のジャイロセンサーの塊みたいなロボットですよね。米軍って何考えてるんでしょうか。(戦争することしか考えてなさそう)

話を戻しますけど、ヤギって肩甲骨を外すことができるから高いところから下に着地できるのだそうです。外骨格を作ったところで、筋肉がなければ力を伝達したり、吸収することができないという問題があるわけです。それは確実に義足とかのレベルを超えてますよね。

第四章 内臓

ヤギについてほとんど考えることがなかったので意外だったのですが、牛と同じようにヤギも複数の胃袋を持っているのだそうです。

  • 第一胃は「ルーメン液」というバクテリア、真菌、原虫といった微生物が含まれた茶色い液体があり、植物に含まれるセルロースを分解する。
  • 第二胃は第一胃の上に存在する少し小さな胃袋で、噛んだ草を一時的に貯めておくバッファとして位置付けられる。また、第一胃と第二胃が内部発酵室の役割りを果たしている。
  • 第三胃は第一胃で溶かされたものが運ばれてくる胃袋で、ふるいにかけて小さなものを第四胃に送る。
  • 第四胃は人間の胃袋にあたるもので、人間と同じように酸で分解する。

以上がヤギの消化工程です。ヤギ男を夢見るトーマス氏は大きな袋にルーメン液と草と葉っぱを入れて微生物を培養し、袋を僕の胴体に縛り付け、噛んだ草を吐き出し、もう一つの開口部から揮発性脂肪酸を出して自分の胃で消化できるようにすればアルプスでの生活は安泰ではないかと考えました。しかし、ルーメン液は未解明な部分が多く安全性の問題があるのでやめたほうが良いと指摘されてしまいます。
そこで、セルラーゼ酵素を使って草の中にあるセルロースを糖に変えることができれば寄生虫のリスクは無くなると考えました。ただ、セルラーゼ酵素を入手するには適切な手続きが必要でした。「僕だって研究者でしょ」とトーマス氏は楽観視していましたが、「象の研究って聞いてたのにヤギになっているのはどういうことですか?」と、テーマ設定が変わったことを資金援助してくれる団体に説明していなかった点が今になって分かるのでした。
ここら辺は事務的なすったもんだなのでギャロップで進みます。

僕の新しい計画は、草を噛んで、昼間から牧草地を駆け抜けている間、それを「第一胃」で保管し、そして日中に吐き出した草を、夜間にたき火と圧力鍋を使って「水蒸気爆砕処理と酸加水分解」で調理し、食べ、消化できるようにするというものだった。

これって「料理」というより「現象」に近いですよね。しかも、本来は体内で起こる現象だから味覚を必要としないじゃないですか。ヤギ男の場合は胃袋の内容物を口から摂取するわけで、これ不味かったらどうするんでしょうね。
そんなこんなで次の章。

第五章 ヤギの暮らし

友達のサイモンと撮影担当のティムを連れて、スイスのヤギ牧場へと向かいます。
農場の写真の下にはヨーレローレロヒホーと書いてあり、イジリー岡田を想起させますね。(おめーだけだよ)
一同を迎えてくれたのは牧場主のセップさん、妻のリタ、職員の男性の三人。
宿泊場所は牧草とヤギの臭いで満ち満ちた納屋で、それはヤギ男にとって理想的な環境でした。

しかし、いざ行動してみると急斜面での移動は腕立て伏せをしながら歩くようなもので、緩衝材の入った脚の中でも指の皮がズル剥け確定の厳しさだったのです。

f:id:ebiharaism:20180108193719j:image
そんな奇妙な光景をリタさんはゲラゲラ笑い、ヤギもまた塩対応でトーマス氏を追い越しました。どうにか群の中まで移動すると、ヤギ番号18番が迎え入れてくれたのです。なぜか分かりませんが私は少し感動しました。

僕は人生最高に食欲をそそらない食べ物をガツガツ食べた。焦げた草のシチューだ。特に甘みも感じられない。だからと言って栄養があるというわけでもないらしい。僕はヤギダイエットという新しいビジネスを思いついたが、あまりにマズくてほとんど商売にはならないなと思った。

 ♢♢♢

農場に戻ると、リタが母屋でのディナーに招待してくれた。こんなにありがたいと思ったことはなかった。そこはとても快適で、くつろぐことができた。リタは大鍋一杯のヤギのシチューを作ってくれ、パンとヤギのチーズと一緒に食べた。僕はカニバリズムを楽しんだわけだ。

あかんやんけ!笑
私はてっきり、もっと長い間ヤギと生活を共にするのだと思ったのですが、汗を掻くと一気に体温が外気にもっていかれるので無理だったのです。それでもトーマス氏はアルプス越えを果たし、イタリアまで行ったのでした。(おわり)

f:id:ebiharaism:20180108193624j:image

そうなんです。序盤であんなにページを割いていたのに、核となるヤギとの生活はあっさり終わってしまうのです。
行動が基本なので活字にできない部分もあるのでしょうけど、文体がヘラヘラしてるから大変さが伝わってこないんです。笑
ちなみに最後のページは実験に協力してくれた全ての人々への感謝の言葉で終わっています。ヤギになれたかどうか、ヤギから人間に戻った気持ちについての言及もないので物足りなさが残りました。

訳者あとがき

トーマスを、トーマスたらしめる理由は、なりきる動物を選ぶところにもよく出ている。最初に選んだ象を、いとも簡単にあきらめるのだ。サファリで象を間近に見て、大きすぎ、ヤバイと気づく。いや、わかっていなかったのかと、訳していてさすがに驚いた。挙げ句の果てに「だって、象にはなりたくなくなっちゃったんだもん」と、軽く開き直ってみせる。なんなのそれ、わがままなの? 本気なの? 訳す手が何度止まったかわからない。結局、象をやめてヤギに決めるわけだが、その経過にも、凡人の私は唖然としてしまう(意味がわからない)。でも、トーマスは本気だ。

翻訳を担当した村井理子さんは「ゼロからトースターを作ってみた結果」の翻訳も担当していて、そんな村井さんでも翻訳に戸惑ったというのは面白いですね。
学術的な話って堅苦しくて退屈に感じるじゃないですか? でも、トーマス氏の文体は話し言葉だから分かりやすいし、やたら「()」を多用するんです。
これ、実は私もよく使う手法なんですけど、「()」は注釈や修飾の意味合いだけでなく、内心を詰め込むツールとして使うから自由度が高いんです。それもあって、
「第一章」では「宗教」「哲学」
「第二章」では「人類史」「脳科学
「第三章」では「解剖学」「物理学」
「第四章」では「生物化学」
「第五章」では「ヤギ男のドキュメンタリー」
という、興味のある人間しか知らない分野をエンターテイメントの形でパッケージに収めているのは器用じゃないとできないと思います。それに行動力がすごいんですよね。「ヤギになる」っていう目的に対して、なんでこんなに突き進むことができるのかって。だからこそそこらへんの心境をもう少し書いて欲しかったなぁというのが率直な感想。

おわりに

今年の干支はヤギ年ということで(嘘つけよ)、本書を最初に読む本に選んだわけですが正解だったと思います。カラー写真も多くて、読んでる感じとしてはブログを読んでる感覚に近かったです。
先ほども書きましたがトーマス氏に行動力があるせいか、不思議なことに文章に中弛みがないんです。普通、プロジェクトうんぬんの話って行き詰まって研修者や技術者が頭をもたげるシーンがあるじゃないですか?

「一体、これからどうすればいいんだ…」みたいな。

トーマス氏の場合は基本行き当たりばったりというか、思いついたら即行動のスタイルだから「発想を転換したから今までの要らないやぁ」みたいな感じで執着しないんですよ。こういう柔らかい頭が新しい発明を生み出すんだと思いました。
廃棄パンからビールを製造、英国の食品リサイクル 写真12枚 国際ニュース:AFPBB News
ちょうど数日前に食品廃棄物になるパンの耳を再利用してビールを醸造するという記事を読んだので、「人工第一胃」に親近感を抱きました。笑
いずれこのヤギ男の挑戦がきっかけで何かが生まれたら面白いですね。

本棚に並べておいて損はない本に出会えてよかったです。 おしまい

 

人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)

人間をお休みしてヤギになってみた結果 (新潮文庫)