モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「人知れず表現する者たち」と「Reborn〜再生を描く〜」の感想

先日、Eテレでとても興味深い番組が2つ放送された。
1つは
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259586/index.html
「人知れず表現する者たち」の第二弾

もう1つは
http://www4.nhk.or.jp/etv21c/
事故で脳に損傷を負ってから描きたい欲求に駆り立てられてしまうディジュリドゥ奏者であり画家のGOMA氏を被写体にしたドキュメンタリー「Reborn〜再生を描く〜」だ。

まず、「人知れず表現する者たち」というのは生まれつき他人とコミュニケーションが取れない人々が『芸術』というアウトプットを使って、言葉が通じなくとも存在を証明することができることを見せてくれる番組で、今回は自分でも理由は定かではないが描くことに目覚めた人々にも焦点が当てられていた。
見ていて感じたのは、彼ら彼女らは驚くべきスピードで主観と客観とを切り替えていた事だ。サッカーで天才的なパスセンスを持っている選手は「ピッチが上から見える」と口にする事が多いが、恐らくその才能を芸術に活かした形だと私は思う。ただ、サッカーは反復練習によってある程度試合で再現できるし、ゴールという終着点は同じだ。芸術の場合は評価が千差万別だから人に見せる恐怖がある。だから『人知れず』になってしまうのだろう。番組ではその部分をフランスだったか、海外の展覧会に絵を飾って『人知れる絵』に変えるシーンがあって、ブレイクスルーというか、見えない壁が消えた瞬間に見えた。分かりやすく言えば、障害は個人ではなく社会にあるという事だ。
とくに印象的だったのは、同じ世界観の中で新しい作品を生み続ける姿勢だ。没頭し続ける唯一無二のパワーはマンネリを感じさせないのだ。なかでも何年もかけて一枚の絵を書き続ける男性はすごいなぁと感じた。設計図が存在しない感覚の世界で常に完成度を求めているのだから『変な人』だなんて言うほうが感性がつまらない。
静かな人たちの中には地獄の釜みたいなグツグツと煮えたぎる生と死があり、芸術によってその二者択一で『生』を選び、そのうえで性を見つめて、残酷な世界の中で美を見出している。
孤独は人間を蝕むが、天才にも昇華する起爆剤だ。

今週された「Reborn〜再生を描く〜」は、8年前の追突事故をきっかけに脳に損傷を負ったGOMA氏の葛藤を描いたドキュメンタリーだ。
意識を取り戻した二日後から、描きたい欲求に掻き立てられ、娘さんの使っていた絵の具で絵を書き続けた。それ以来、一日の大半は絵を描くことに使っている。
この絵というのがとても綺麗で、葛飾北斎富嶽三十六景の波の内部から世界を見たような、内側から外に飛び出すイメージのアートに感じた。画報は点描画で、右手の小指を使って等間隔に筆で点を落としていた。
『点描画』とは少し違うが、私は『ドット絵』が好きな人間でその特性上、曲線ができないから不細工に感じる事が多々あったのだが、GOMA氏の絵はとても勉強になると思った。背景は一色で、グラデーションになるように点を落とす。そしてその境界では白の点が輪郭線として存在しているから、眩しいばかりの光に感じる。見ていて、このテクニックを今度、ドット絵に取り込んでみたくなった。

話を戻そう。
GOMA氏は若き日にアボリジニの元を訪れディジュリドゥの修行をし、外国人で初めて大会で準優勝した。その写真と動画もあるのだが、全く記憶がないというのだ。自分に似た他人にしか感じられず、困惑してしまう。さらに事故の後遺症で左手には痺れが残り、過度に集中すると失神してしまう。所構わず襲ってくる恐怖に違いない。
しかし、生み出された絵にはその恐怖は描かれていない。それどころか暖かく感じる。目覚めた時に頭に残っている光景を絵にしているそうだ。
失った記憶は後悔をもたらすかもしれない。それでも明確に今の自分が所有する鮮明な記憶は、後悔に苦しむ心を『こっちにおいで』と手招きしているように思えた。

番組では脳を研究している海外の博士にGOMA氏を診断してもらった。その結果、後天性サヴァン症候群だと診断された。日本では高次脳機能障害と診断されていたため、本人にしてみれば困惑する材料が増えただけだった。
博士はGOMA氏と同じ後天性サヴァン症候群の人を紹介してくれた。
一人は音楽家で、脳に損傷を負った5日後に友人宅にあったピアノが弾きたくて仕方ない衝動に駆られた。それまでピアノなんて弾いたことはなかったが、頭の周りに白と黒のブロックようなものが浮遊していて、その通りに鍵盤を弾くとメロディになっているという。それでも後遺症で片耳の聴力は衰えているそうだ。
その言葉を聞いてGOMA氏は自分と彼とを重ねていた。悩みを打ち明けられる存在を見つけたような表情にも見えた。
ピアノとディジュリドゥがセッションする光景は面白かった。
もう一人は家具販売の傍ら、数学を研究し幾何学模様を描く男性。彼は強盗に頭を殴打され脳に損傷を負った。先ほどの男性と似ている症状で、彼の場合は映像で言うところの処理落ちとかラグが発生して、世界の輪郭線が強調されて見えるらしい。そして数学の知識もないのに線を引き続けて幾何学模様を作っていったという。
「君が点なら僕は線だね」
「君の絵は原子を感じる」
二人は会話を通じて、お互いの共通点を理解していった。過去の自分が死んでしまった悲しみに心を閉ざしたくなる感情や、それを乗り越えて新しい出会いに感謝したり、生まれてきた子ども達を愛する気持ちなど人間的な理解が映し出された。
「後天性サヴァンを一言で表すと何ですか?」とGOMA氏が質問すると、彼は「自由だ」と答えた。誰にも邪魔できない空間は自由そのものだそうだ。
最後に会ったのがレインマンの監修を務めた博士で、記憶を失ってしまう恐怖を吐露するGOMA氏に対して「最近の研究では後天的サヴァン症候群で得た才能は忘れる事はありません」と言った瞬間、GOMA氏は涙を流した。
高次脳機能障害だとか後天性サヴァン症候群だとか、名前を言われたところで未来は見えないし、自分が気を失った時に周囲の人に迷惑をかけたり、家族との暮らしが心配でたまらなかった。その心配と恐怖が少し和らいだそうだ。
「傷つけてしまいましたか?」と心配する博士に「いいえ。生まれ変わりました」と返答したのがとても印象的で心が温まった。
番組の最後、GOMA氏の作品を見た手塚プロダクションが「火の鳥を描いてくれないか」というオファーをして、GOMA氏はそれを描き上げた。
従来の感覚の『光に包まれた火の鳥』ではなく、それは『光の世界を生きる火の鳥』だった。
チョーカッケーの。パネーの。

この記事を書いている現在は番組が放送された翌日の朝で、J-waveを聴きながら書いている。今さっき偶然にもGOMA氏の曲が流れた。
パネーなぁ。