モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「厭な物語/A.クリスティー他」の感想

前から読んでみたかった

私は前からこの本を読んでみたかったのですが、後回しにし続けて最後までアマゾンのカートの中に放置し続け、今回ようやく購入しました。
何といってもこの表紙よ!

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ドーン!
人形の画そのものはGetty Imagesのものみたいですが、このデザインに蛍光ピンクのタイトルというのがセンス良いですね。
収録されてる作品の一つも知らないし、知ってる作者も阿笠博士a.k.aわしじゃよ新一カフカしか知らないので、どれだけ気持ちを悪くさせてくれるのか楽しみでした。
が、しかしーー
うーん…。

とりあえず簡単に感想を書いていきたいと思います。

「崖っぷち(The Edge)/著 アガサ・クリスティー/訳 中村妙子」

俺の名前はジェラルド・リー。幼馴染のクレア・ハリウェル(清楚キャラ)と一緒に過ごしてきたが、豪邸に住む俺は美人のヴィヴィアン(美人だが心が汚れてる)と結婚してクレアのルートを諦めた。
ある日、母親の具合が悪いと言って実家に帰ったはずのヴィヴィアンは下衆不倫しているところをクレアに見つかり、気が付いたら発狂していた。いつバラされるのか、怯えるような毎日から抜け出すために別荘へと引っ越そうとしたら、クレアに崖の上に呼び出しをくらい、自分の口から正直にジェラルドに話しなさいと諭された。耐えきれなくなったヴィヴィアンは投身自殺。
清楚キャラのはずのクレアは片思いの幼馴染を取った敵に『ざまぁみろ!』という感情を抱くと共に、『なんという事をしてしまったんだ!』という良心の呵責が押し寄せて発狂するというバッドエンドを迎えた。


名探偵コナンっぽく紹介してみましたが、基本的に鬼女の心理戦がメインなのでジェラルドの存在が薄いです。クレアは幼馴染だからジェラルドが好きで、ヴィヴィアンはジェラルドの財力が目的です。分かりやすい設定ではありますが、カッコイイシーンが一つもないので、どこに惚れ要素があるのか最後まで分かりませんでした。
時代背景にイギリスの家柄を重んじる、社会風土があるので、成り上がりを果たしたヴィヴィアンがしがみつくのは理解できます。でも、個人的に「大奥」とかそういう作品が好きではないのでページをめくりながらも私の心は冷めてました。
個人的には休場連発の稀勢の里のほうが崖っぷちだと思います。(笑え!ドッカーン!)

「すっぽん(The Terrapin)/著 パトリシア・ハイスミス/訳 小倉多加志

ーーこれは何だろう? この音は?……
ヴィクターはあんぐり口をあけたまま、鍋の急な側面に向かってしきりに足を動かしているすっぽんを見つめていた。すっぽんは口をあけて、一瞬ヴィクターをまっすぐ見たかと思うと、首をのけぞらせてもがいたが、あけた口が沸騰する湯の下に沈んだーーそれで終わりだった。ヴィクターは近よると、湯の中にだらっと伸びた四本の足と、尾と、頭を見た。それから母親を見た。

これは何かと言うと毒親支配下にあるヴィクター少年が心を通わせたすっぽんが、晩のおかずのシチューの鍋に放り込まれた瞬間です。
フルスロットルの絶望シーン。
殺意の波動に目覚めたヴィクター少年は母親に瞬獄殺を決めて親殺しのラストシーンを飾るのでした。
最近、「池の水抜いちゃいました」を見た私の頭の中にはわりと鮮明なすっぽんの画像が浮かんで、このすっぽんが生きたまま鍋に放り込まれるのは尚更グロテスクに感じられました。

ヴィクター少年が「わざわざそんな事しなくてもいいじゃないか」と言って、母親は「カニだってこうやって殺すだろう」と答えるのですがなんかモヤモヤします。

人道的なロブスターの殺し方 スイスの場合 - SWI swissinfo.ch
スイスでは食材となるロブスターに対してできるだけ苦痛を与えずに調理する事を目的とする法案が可決されたそうです。昆虫食というものも導入され始め、この方法が虫にも適用されたらややこしそうです。

「フェリシテ(Felicite)/著 モーリス・ルヴェル/訳 田中早苗

貧しく、美人でもなく、若くもないフェリシテという女性が、慎ましやかな暮らしをしながら、生きていくために身体を売って生活していました。ある日、そんな彼女の目の前に一人のブルジョワが現れ、それ以来毎週土曜日に会話をしながら食事をする事になります。結局、最後は別の女性と結婚することになったブルジョワがフェリシテに感謝の言葉と共に別れを告げ、(結婚をイメージするためにフェリシテを利用していた)フェリシテは老いと孤独に怯えて終了という流れです。
現代にも通じる話だなぁと思いつつ、もっと恐いルートでブルジョワなんて最初から居なかったらどうする?」と考えたら気分が暗くなりました。笑
要は、フェリシテがマッチ売りの少女みたいに『こんな人が現れたらなぁ』という空想に溺れているだけの話だったら、ストーリーが動いているように見えて何も進んでいない。この場合は余計に老いと孤独が恐くなるのではと…。

「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ(Night They Missed the Horror Show)/著 ジョー・R・ランズデール/訳 高山真由美」

この話はアメリカ人の意味不明な部分を凝縮したような話で、白人と有色人種の差別感覚をオチに使っているのが特徴です。気分を害する人は多いと思います。
なのであえて詳しくは書きませんが、物語の冒頭はムシャクシャしてる青年二人が道端で車に轢かれて原型が分からなくなってる犬の死骸を自分達の乗ってる車に繋いで引きずり回して遊ぶことからスタートします。
ほら、意味わかんないでしょ?

「くじ(The Lottery)/著 シャーリイ・ジャクスン/訳 深町眞理子

この作品からは星進一さんの匂いを感じました。

六月二十七日の朝はからりと晴れて、真夏のさわやかな日ざしと温かさに満ちていた。花は一面に咲き乱れ、草は萌えたつ緑に輝いていた。十時近くになると、村人たちは郵便局と銀行とのあいだの広場に集まりはじめた。住民の多い町などでは、くじを引くのに前後二日もかかり、そのため六月二十六日から始めなければならないところもあるくらいなのだが、全住民合わせてもほぼ三百人にしかならないこの村では、その行事全体を通じて、ものの二時間とかからない。だから、朝の十時から始めても、まだ、村人たちが午餐(ごさん)をとりに家へ帰るのに、じゅうぶんな余裕を残して終わらせることができるのだった。

最初のこの文章を読んだら、澄んだ空気の中で長閑な風景が広がっているのを誰しもが頭に浮かべるでしょう。私もその一人でしたが『あれっ?』と。
村人が集まってくじを引くというのは、たいてい地域自治体の役員を決めるとか、そういう時かなと思ったんですけど、でもそれって『投票』で決めるものなんですよ。つまり『くじ』で決めるというのは基本的にネガティヴで『やりたくないこと』を決める時の手段だと気付いたんです。しかも、一つの村単体ではなくて広範囲に行われているというのが気になる点で、この冒頭の文章は明らかに空気が変化している状況を描いているんですよ。
結局、どんな物語なのかといえば村人全員が輪になって、くじで選ばれた村人を投石で撲殺する風習を描いたものです。笑
一部の村人からはやめようという声が上がっていたのですが、長老のサマーズ氏が聞く耳を持たないんだもんなぁ。

『Ku Chi Be Ra Shi 口減らしぃ〜(滝川クリステルっぽく読んで下さい)』

「シーズンの始まり(Otkrytie sezona)/著 ウラジミール・ソローキン/訳 亀山郁夫

この話はタイトルの時点でオチが分かりました。人間を狩った後にカニバリズムのシーンを描くかどうかは作者によって分かれるでしょう。私だったら描きませんね。

「判決 ある物語(Das Urteil:eine Geschichte)/著 フランツ・カフカ/訳 酒寄進一」

この物語は「すっぽん」と似た毒親ジャンルです。
「すっぽん」の場合は少年が母親を殺しましたが、この作品では父親に精神の自由を奪われた息子が、老いた父親に『死んじまえ!』と言われてその通りに身を投げるという末路を辿ります。親という存在が絶対的な存在であり続けることは「変身」とも通じますね。

「赤(Red)/著 リチャード・クリスチャン・マシスン/訳 高木史緒」

この作品は4ページという短い作品(ギュッとしたら3ページにできるぐらい)でありながら、個人的にはどストレートの構成でした。
自分の子どもが車の後ろに掴まっているのを知らず、引っかかったまま車を走らせてしまった父親が、ボロボロになった娘をカンバスの袋に収め、精神をようやく保ち、パトカーに乗るまでを描いた話です。凄惨な内容ではありますが、読み進めるにつれてボヤけたストーリーの焦点が合っていくという構成がまさに父親の心とリンクしていて、とても上手に思います。ただ、車の後ろに引きずるというのは先ほどの「ナイト・オブ・ザ・ホラー・ショウ」と似ていますよね。気になって確認したら同じ1988年の作品だということが分かりました。
引きずるのが流行ってたのかね?
分からん。

「言えないわけ(Like a Bone in the Throat)/著 ローレンス・ブロック/訳 田口俊樹」

ポール・ダンドリッジの妹に三日間性的暴行をし扼殺したウィリアム・チャールズ・クロイドンは独房の中から反省を装った手紙をポールに宛てて書き、情状酌量にコントロールしようとします。ポールはその通りにクロイドンを赦し、釈放されるのですが、これはポールが自分の手でクロイドンを殺すための手段だったのです。椅子に拘束されながらもクロイドンは殺害した時の性的興奮の情景をポールに話しこう言います。

「なあ、ポーリー、復讐は愉しいかい? 世間で言うほどそれは甘いものかい?」

精神的優位性が逆転するという事で言えば、一番最初の「崖っぷち」と比べると面白いかもしれませんね。

「善人はそういない(A Good Man is Hard to Find)/著 フラナリー・オコナー/訳 佐々田雅子」

一家が車でフロリダに行く前に、祖母が新聞に目を落とすと連邦刑務所から半端者が脱獄したという記事があり、行きたくないなぁと思っていました。
結果的に車が崖から落ちて事故になり、生死の境目の真ん中で一家はばったり半端者たちに遭遇し、全員が銃殺されたという話です。
マーフィーの定理をそのまま小説にしたような話です。

「うしろをみるな(Don't Look Behind You)/著 フレドリック・ブラウン/訳 夏来健次

ジャスティン・ディーンという印刷刻印店に勤める35歳のハゲ男が、ハーレーというイケメン客にその腕を買われ偽札造りに手を染め、偽札の流通を仕切るブル・マロンに目をつけられつつ、何だかんだ無事で、本を読んでるあんたを殺せたらダイヤをやるとハーレーが言っているので悪く思うなみたいな、長いチェーンメールっぽい小説です。
私が中学生の時だったか、夫を殺されたヤクザの奥様が犯人を追っているというチェーンメールがあって、このメールを誰かに送らなければ犯人と判断してGPSを使って殺しに行くというものがあったのを思い出しました。
「そんな解析能力あったらとっくに犯人捕まってるだろ」
「なんで真剣な調査が性善説なんだよ」
「大規模な遠回りだなぁ。おいおい」
色々と突っ込みどころはありますが、私にメールを送った友達はブルブルしていたに違いありません。
そういう「ボケを楽しむ作品」が一番最後だったので、ちょっと残念でした。

おわりに

いくつか面白い作品はありましたが、総合的に見ると物足りないアンソロジーでした。
当時は最先端の作品でも、文明が発達するにつれて無理が出てくるというのは小説に関わらず様々な作品に通じると思います。こうした劣化を防ぐには「普遍的なものを描く」か「物語の設定を限定する」かの二者択一しかない。そのうえでいかに面白くできるかという問題になってくるわけですが、時代によって当然言葉遣いも変わってくる。だから昔の作品を楽しむ場合は読者が言葉足らずであったり、言葉の意味を頭の中で変換して楽しむという作業が必要になるんですよね。多分、歴史家の人で文献を読むのが好きな人はそれが楽しいのでしょうけど、読むのが面倒くさいうえに面白くない(自分の好みではない)作品は救いがないんですよ。笑
江戸時代に天狗にさらわれた人のお話が面白すぎて紹介された途端に価格高騰「天狗の仕業か」「めっちゃ読みたい」【追記あり】 - Togetter
(そういえば二月に天狗にさらわれた少年の話が一部で話題になりましたね)

正直、面白いよりもつまらない分量のほうが多かったです。

表紙のデザインがカッコいいから買ったのに違ったなぁ。後味が悪い…。
「厭な物語」ってそういう意味じゃないですよね?

 

厭な物語 (文春文庫)

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