モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

春は恐ろしい(散文)

春という季節はどうしてこうも私たちの命を危うくさせるのだろうか。

 

全く先が見えない社会の中で消費税が上がったらどうしようとか。それ以前に怪我や病気をしたらお終いみたいな生活もある。人身事故で電車が止まったという情報を見るたび、私はつい被害者に感情移入してしまう。

 

近日中に携帯ショップに行く事になった。今使っているiPhoneは3G回線にも適応しているものなので、2022年には使えなくなる。そのお知らせが来てしばらく放置しておいたのだが、その中のクーポンの期限が4月30日までらしい。春は高校生が携帯を契約する季節なので混雑が予想される。ガラケーから機種変更してずっとiPhoneを使ってきたが、バカみたいに高い値段になってしまったのでAndroidに変えざるを得ない可能性が大きい。メールアドレスはそのままだとしても、アプリの再構築とパスワードが面倒で帰ってこれるか分からない。

 

思い出や記憶を蓄積する媒体を変更するというのはとてもストレスがかかる。引越し、転勤、車の買い替えだとか、それなりに費用もかかる。私は適応障害みたいなものなので、なおさら強いストレスがかかるのかもしれない。

今あるデータをどうしようかと考えているうちに、昔に飼っていた犬の事を思い出してしまった。昔と言っても6、7年前だ。

 

この記事の文章にまとまりがないのは、今とても悲しい状態で書いているからだ。

例えば少しシリアスな話でセカンドレイプという罪がある。これは傷つけられた被害者の思い出したくもない事件の詳細を、必要以上に報道、公表する事による二次加害の事を言う。これと同じように、亡くなった故人やペットのデータをぞんざいに扱う事は二次加害なんじゃないかと思えて、鬱に追い打ちをかけるように悲しみと空虚な気持ちが込み上げてきたのだ。

 

この悲しみを振りほどくのは私には難しい。

考えすぎる事と優しい事が呪いのように私を引きずり込んで行く。

コミュニティや文明を維持するために、他者の死や悲しみに寄り添う事は必要不可欠な事だ。

しかし、今ある私の悲しみは、悲観して寿命を縮める呪いであって、何かを生み出すものだとは思えない。多くを考えすぎて認知が歪んでいるのだろう。

申し訳ないが、メンタルクリニックに行っても治らなかったのは、この呪いは自分自身が強く「生きたい」と願わない限り解く事ができない。この世の何処かに理解者がいるのではないかと考えるのも疲れてきた。

 

昨日と今日が同じ状態であっても、未来を悲観して、認知が歪むだけで、電車が止まる。それに気付いているのは、生還者と発病者だけだ。

春は恐ろしい。

 

  1. 不安である人間の傍に自由。
  2. 契約を交わし拘束された人間は安定。
  3. 他者が自分を定義するのではなく、自分自身が定義づける事が自由を生む。
  4. 過去から学び現在を未来に投資する事がより良い未来の実現に繋がる。

あるとすれば、これが唯一の処方箋。