モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

7月7日 演説

00-06 DCH

06-12 H

12-18 ×

18-24 CH

 

C. 関東地方 -1-0-0-1=2

D. 中部地方 -1-0-0-0=1

H. 九州地方 -1-1-0-1=3

合計回数     -3-1-0-2=6

 

02:17 長野県南部             10/2.5 ①

03:52 千葉県東方沖         50/4.4 ②

05:34 福岡県北西沖         10/3.1 ②

09:56 熊本県熊本            10/3.1 ②

19:02 栃木県南部            90/3.3 ①

21:02 熊本県天草・芦北 10/2.6 ②

 

全く、七夕のことなんて忘れてた。

海外のニュース

代表では活躍できない呪いにかかった天才も嫌気がさしたんだろう。

日本は真逆に突っ走る。

巨匠。R.I.P

国内のニュース


なかった事にさせてはいけない。

アメリカでは教育現場での著作権使用を認めようという共通認識(フェアユース)があるが、OECD加盟国の中で一番、教育に投資しない国この日本という国では…。

アパマンショップ式か。

国策漫才と当事者の声

おしどりさんとれいわ新選組ツイキャスを交互に見たんだけど、とても面白かった。

文字制限があるからTwitterには書けなかったけど、マコさんの心の中には、本当なら自分達が弟子を育てないといけない申し訳なさと、そんな自分達の為にお師匠さんが来てくれた嬉しさの葛藤があって、一瞬涙を流したんです。そしたらそれをケンさんが拭いてあげるっていうシーンがあって、それが一番印象に残った。

 

れいわ新選組の方は、まず視聴者数の桁が違った。ストリーマーの中でツイキャスというメディアがどれほど使われているのか分からないし、そのツイキャスの中で政治カテゴリーがどれだけ人気があるのかも分からないけど、累計で5000人は超えてたのはスゴいと思う。

それで演説は山本太郎さん、野原さん、辻村さん、安冨さん、三井さん、渡辺照子さんの順だったかな。

山本さんは経済政策について。

野原さんは社会の中で宗教はどうあるべきかという話と、ヒューマニズムを忘れた公明党と喧嘩させて欲しいという話。

辻村さんは自然環境と公共事業のあり方と、都市生活の利便性を高める為にこれ以上地方に痛みを押し付けるのは間違っているという主張。

安冨さんは、イギリスやアメリカでは今でも街の中で馬を見かける事がある。かつて日本でも、人と馬が都市で共存していたが姿を消してしまった。という話から始まり、都市から排除された生き物や感覚や記憶を取り戻す為に、子どもを中心とした都市設計をすべきだと訴えた。牙も爪もツノもなく、敵意を持つ者から逃げる事しかできない馬という生き物を小学校で飼育したらどうだろうという提案は面白かった。

三井さんは三井住友銀行を退社後に、老後の生活の事も考えて一部上場企業のセブンイレブンのオーナーになったら、人手不足に陥った瞬間から365日休みがなくなったという体験を語って、本部に休ませて欲しいと言うと契約違反だという警告文が届いて、裁判をやっても負けるという収奪システムについて説明した。

このシステムは40年前からあったものの、当時のオーナー達は自社株を与えられた事で沈黙してしまったのだという。

他の候補者の中にもコンビニの問題について言及する人はいるけど、彼らは代弁者であって、自分は苦しんでいる仲間の為にも当事者として出るのだと熱く語っていた。「沈黙は白紙委任状と一緒だよ。何でもかんでも生産性と言うならば、社長も財務省もAIにしようじゃないか。自分達ばかり守るんじゃないよ!」という言葉が良かった。

最後の渡辺照子さんは、ホームレスの状態で出産して、2人のお子さんを育てたという話の導入の時点で濃厚。派遣労働を17年続けてある日突然クビになり、その後は厚生労働委員会参考人質疑に呼ばれて意見陳述をしたけど、与党議員は興味なさそうにしていたという体験を語った。

もう待っていられない。政治家が勉強するのではなく、当事者が政治家になってみんはで変えるしかない。みんなが幸せにならないと幸せとは呼べない。どんな意見も私はパワーに変えると、先ほどの三井さんに負けない熱量で語っていた。

 

戦略的に言えば「それぞれに主張があって、色々な人々にリーチできる」という見方ができると思うけど、やっぱり他の党の候補者と違うのは、「当事者」であるから『時代の証言者』なんですよね。

別の言い方をすれば『街角の声』そのものであるし、それぞれの主張を重層的に見ると、都市と地方と野生をベースに、資本主義と人間の付き合い方の問題があって、そこからまた派生している。明確な答えが出ないとしても、当事者が議会に存在すれば『明確な問題』として考え続ける事ができる。ただの椅子取りゲームではなく、それぞれに問題を抱えた主権者達がオーダーメイドのシートを作っているという事をとても感じた。

立候補者は少なからず、得体の知れない何かと戦う恐怖があるはずなのに、れいわの候補者達は人知れず今まで戦ってきた(内面の葛藤や無意識に存在する差別を含めて)から、国会の中でたった一人で牛歩をしたり叫んだりして戦っていた山本太郎という男と同等の強さがある。だから、誰かが落選したとしても意志を貫く強さを持ってるように見えた。

決して演説が上手くなくても、本心と自分のストーリーを語るから、街角の人々はその候補者に自分を重ねるのだし、寄付=自分を宿す行為だと思う。つまり、この2億円は2億の痛みが社会に存在するという証。これは熱い。