モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「人間の建設/著 小林秀雄 岡潔 」の感想(認知の外からワッカンネ)

乗船8%の泥舟

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消費税が増税されるという事で、先日本屋さんに行きました。新聞は8%なのに私達が好きな書籍は10%のダメージを食らうなんて納得できません。ただでさえ、書籍はセールが無いわけですからこれまで以上に売れなくなるのは目に見えています。大手新聞社はノアの箱舟か何かに乗ってる選民思想を推進力に、幻想の世界をクルージングしているのかもしれませんが、実際は魑魅魍魎の嘘つき達が乗船した泥舟でしょう。
のっけから気が重くなる話で書き出しましたが、今回手に取った本は全く私が知らない2人の対談本です。何が購入のキッカケになったのかといえばカバーに書かれた次の文章です。

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有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。
〈中略〉
日本市場最も知的な雑談といえるだろう。

「天才」だそうです。ビートたけしさんにしても松本人志さんにしても、才能を使い果たした現在は時代錯誤の価値観を振りかざす人になっていて、露出度の高いタレントや芸人における「天才」は期間限定の現象に感じます。なので、今の段階ではこの本の売り文句が本当なのか私は若干疑っています。ただ、本当に天才だった場合、忘れられない一冊になるのは間違いありません。
しかも「430円+税」というお手頃価格!
新潮社さんありがとう!…と言いたいところですが、新潮46の優生思想はクソだし、最近ではTwitter百田尚樹のヨイショ企画やって「あ、本当にこの出版社は終わったな」と思います。
結果・翌日中止←新潮社、百田尚樹『夏の騎士』で狂気のキャンペーンをはじめる - Togetter
素晴らしい作品には何の罪もありません。感謝すべきは、作家さんと編集者さんや装丁に携わった方々ですね。
では読ませて頂きます。

人間の建設の感想

学問を楽しむ心

2人の対談は自動車の中でしていた話の続きから始まります。
学問が好きになるような教育をしていないのは、小中高等学校の先生方が「学問を好む」ということを解っていないからで、難しい事を面白いと思えるものよりも、試験目当ての勉強が現代の教育になっている。その根底には社会が学問の権威を認めていないからだというのが主旨です。

私がこの文章を書いてる今現在、ノーベル賞ウィークでリチウムイオン電池の研究をした吉野彰さんが科学賞を受賞しました。何年も前に発明された事が社会を変えるスケールとなり、リチウムイオン電池は多くの製品に使われています。こうした事を見ていると本当に基礎研究は重要だと思いますし、短期的に結果を出すものにしか予算を付けない政府の姿勢はどうかと思います。ポスドクの問題も深刻ですから、学問の地位が低い事を指摘する一文は現在にも通じてます。

無明ということ

P14
岡 人は自己中心に知情意し、感覚し、行為する。その自己中心的な広い意味の行為をしようとする本能を無明という。ところで、人には個性というものがある。芸術はとくにそれをやかましく言ってる。漱石も芥川も言っております。そういう固有の色というものがある。その個性は自己中心に考えられたものだと思っている。本当はもっと深いところから来るものであるということを知らない。つまり自己中心に考えた自己というもの、西洋ではそれを自我といっております。仏教では小我といいますが、小我からくるものは醜悪さだけなんです。

前半は認知バイアスの話ですね。その認知バイアスを中心に作られた自我や個性は醜悪だという事が書かれてます。
あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」に対する抗議を例にすると分かりやすいと思います。渦中の少女像についてマスコミは今も「慰安婦を象徴する少女像」と呼んでいますが、この像は戦時性暴力を焦点に平和を願う像として作られました。これは日本、韓国のみならず、世界の男性社会に問いかけるものだと思います。
例えば、包丁が凶器として使用され多くの人間の命を奪っているのを理由に「包丁は人間を殺すために作られました」とテレビで言ったら、「それは違う。包丁は美味しい料理を作る為に作られたんだ」と多くの人が反論するでしょう。しかし、この少女像の場合は無理解が多数派なので今もなお誤った認識の言葉で伝えられています。
私自身、この騒動がなければ像に関して深く知りませんでしたし、同じ像を量産して設置する事を不気味に感じていました。だから人のことを言える立場ではありませんが、あいちトリエンナーレの会場で取材をしている報道機関が今も少女像を作った作者の本心を伝えないのはどうかと思います。

終戦記念日に「少女像」について考える:朝日新聞GLOBE+

「キッタネー少女像」エヴァでおなじみ貞本義行先生の慰安婦像へのコメントをご覧下さい | BUZZAP!(バザップ!)
エヴァの貞本さんが「キッタネー」と呟いていましたが、こうした無理解の集積が自我であり、醜悪で汚いのだという解釈になりますね。

数学も個性を失う

P33〜34
岡 世界の知力はどんどん低下している。それは音楽とか絵画とか小説とか、そんなところにいちばん敏感にあらわれているのじゃなかろうかと思うのです。音楽だって絵画だって、美がわからなくなっている。いまの音楽なんて、あれは肉体の本能の満足というようなものになってきていないか、南洋かどこか知りませんが、土人の踊りからとり入れたようなものです。

この2人の対談が行われた日付が分からないのであれですが、岡潔さんの言葉を読んでいると「あいつらにはどうせ分からない」という嫌な感じが時々あって、上記引用文にはそれが顕著に現れてます。途中まで納得しながら読んでいましたが、文末にぶっこみやがりました。←どんな日本語だ
夏目漱石なんかも朝鮮半島の人々を自分達よりも下の人間であるという認識でしたから、岡さんもそうした価値観を引きずっていたのかもしれません。
もし、岡さんがオールブラックスがハカを踊るのを見たらどう思ったのか気になります。「あんなものは〜」と言うのでしょうか? 異なる人種、異なる宗教でも団結できるという印です。

【ラグビーワールドカップ2019】「ハカ(Haka)/カマテ」|オールブラックス ニュージーランド代表 ||ウォークライ|ニュージーランド×カナダ|プールB - YouTube
私からすると知性の劣化の原因として、一番分かりやすいのが知識の独占だと思うんです。だから、難しい言葉しか使わない岡さんもまた「世界の知識の低下」を構成する一つに感じました。

科学的知性の限界

P35
小林 私がおうかがいしたいのは、そういう数をもととした科学の世界、そういう方程式の世界を、たとえばアインシュタインの考えていた世界はこういうものであると、言葉にすることはできないのかということです。
岡 なかなかできないでしょうね。できれば、だれかやっているでしょうね。

P38〜39
数学は知性の世界だけに存在しうるものではない、何を入れなければ成り立たぬかというと、感情を入れなければ成り立たぬ。ところが感情を入れたら、学問の独立はありえませんから、少くとも数学だけは成立するといえたらと思いますが、それも言えないのです。

P44
小林 わかりました。そうすると、岡さんの数学の世界というものは、感情が土台の数学ですね。
岡 そうなんです。
小林 そこから逸脱したいという意味で抽象的とおっしゃったのですね。
岡 そうなんです。

小林秀雄さんが数学について説明を求めても、岡さんがバッサリ閉じる。「対談」というよりも「言葉のドッヂボール」。(これテレビだった放送事故に思うんですが…)
なぜ言葉にできないかというと、数学の体系に矛盾がない事を立証するためには、感情的な同意が必要なのだそうです。「知性は感情を納得させる事ができない」というマニアックな話ですね。それを読み取る小林さんの理解力に驚きました。
残念ながら私にはよく分からない事だらけで、トークテーマの多くが私の興味の範疇外にあるために、理解の取っ掛かりもなく、読み進めても正直面白くありませんでした。
凡才の私には天才を理解できないというのは受け入れるとして、ここからは巻末に収録されている茂木健一郎さんの解説について触れていきます。

「情緒」を美しく耕すために 茂木健一郎

『人間の建設』は、「声に出して読みたい対話」なのである。
繰り返しそれに接しても飽きることがないという意味において、『人間の建設』は一編の「音楽」に似ていると言ってもよい。
〈中略〉
数学者と批評家の対談と言えば、世間通常の意味で言えばいわば「異分野」の交流である。そこには、別々の文脈の中で培われてきた知性が向き合うという興趣がある。最初はざらざらと違和感の音を立てていたものがやがて融合していくという、ダイナミックな「アウフヘーベン」の醍醐味がある。
〈中略〉
生命の本質は、不断なる生成。そうして、脳による創造性の出発点は、一つの「情緒」。だとすれば、私たちは「情緒」を育み、耕し、抱くことに心を砕かなければならないだろう。
現代の混迷の中で、私たちはいかに「情緒」を美しく耕すことができるのか。二人の先人が範を示してくれている。
(平成二十二年一月、脳科学者)

https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/aufheben-means-aufheben2

私はてっきり解説してくれるのだと思っていて、「ダイナミックなアウフヘーベンというフレーズが出てきた瞬間に「小池百合子みたいな事を言わないでっ!」と突っ込んでしまいました。(平成22年だからこちらの方が先だけど)
アウフヘーベンとは矛盾するふたつの考えを融合させて新しい考えを見出すものです。『人間の建設』というタイトルにはピッタリの思考かと思いますが、茂木さんの文章もよく分かりませんでした。
岡潔さんが言っている事を私なりに解釈すると、人間は過去に作られたものを用いて創造を繰り返しているが、問題解決の本質は認知バイアスの外側から新しい概念や発想を発見する事である。という話。そして、小林秀雄さんが言ってるのはトルストイを悪く言う奴は許さないと言うこと。
茂木さんの「情緒を耕す」とは無意識の質を高めるという事だと解釈しました。
しかし、これだと「美しく」が邪魔をします。美しいというのも経験則ですから、認知バイアスの外側に出られない…。

\(^o^)/ワッカンネー!

 

おわり