モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

《再掲》【永続敗戦論とは?】 ゲスト:白井隆

安保法制について議論が活発化されてきました。
「存立危機事態or明白な危険」が具体的にどのようなケースなのか?について政府は一切明確にしておりません。
しかし、来週にも衆議院で裁決するとの話も出ています。

また、最近になってもう一つ取り上げられているのが新国立競技場の問題です。
普段は意見が割れる読売、産経、東京新聞も、責任をたらい回しにする文科大臣や元総理や都知事の姿勢について批判しています。

この二つの問題に通ずる日本の政治姿勢を読み解くヒントになると思い、以前に書き起こした堤未果氏と白井聡氏の対談を再掲する。
読むのめんどくせーよという方はyoutubeに音源があるかもしれないので検索してみて下さい。



(2014.8.6 OAより書き起こし)

「永続敗戦論」とはどんなもので、 いまの日本をどう形作ってきたのか。戦後日本を痛烈に批判する『永続敗戦論』の著者、若手政治学者、白井聡さんにお話を伺います。

堤→「永続敗戦論」というタイトルを見た時に70歳ぐらいの作家さんなのかなぁ?と。

白井→はっはっは(笑)

→実際、お会いするとお若いですね。

→今、36です。

「永続敗戦論」というのはどんな思いを込めたのですか?

→そうですね…思いというか、ある種の危機感ですね。このまま、この国と社会はどうなっちゃうんだろうと。いわゆる「失われた20年」と言われてから『ずっと傾いてきてるんじゃないか?』とだんだん、みんな実感してきて、そこで2011年311が起きたわけですね。
あそこで大きかったのは地震津波もそうですが、原発事故ですね。
これはマズい。この国こんなおかしなことになってるんだなと気付かされた。ある意味、極端な言い方をすれば「こんな政府が続いていたら殺されちゃうよ?」と、「生きていけなくなりますね」と。そういう危機感ですね。
じゃあ、そのマズいという根源はどこにあるんだろうと考えてみると、歴史を長いスパンで考えていかなければならないと思い至ったんです。

→なるほど。3.11がこの本を書いたキッカケの一つだったと?

→そうですね。

「敗戦」という言葉に直されましたが、日本は「敗戦」ではなく終戦記念日と呼ばれてますよね?

→はい。

→この「敗戦」「終戦」の最大の違いとは何でしょう?

→歴史を長く見て、根源を探って45年の敗戦に行き着いたんです。要するに「敗戦」「終戦」にごまかしたんですよね。言葉の遊びみたいなものでして。
その違いが何かというと、戦争は終わったんだというイメージが日本人の中にはあるんですよね。
その証拠に8月15日を敗戦記念日とは呼ばずに終戦記念日と呼んでしまっている。

→そうですね。

→戦争というのは自然災害とは違うわけです。明らかに人間のやることですから。
では、なぜこんなことがまかり通ったのか?と。その効果は何なのか?と…
結局、間違った国家指導をして自国民に大量の犠牲者を出したし、近隣諸国、交戦諸国に対しても大きな犠牲を出して、それは誰に責任があったのか?ということが「終戦」になると曖昧になってしまう。

→責任の所在が?

→そうです。

→そうなると、当時の為政者が責任をうやむやにする目的で…ということ?

→そういうことになります。そこらへんが大変ややこしいことになるんですが。『そんなこと言ったって、全く責任をとらされなかったワケじゃないじゃないか!』という話はあるわけです。
いわゆる極東軍事裁判によって、東條英樹以下、A級戦犯と呼ばれる人達は戦争の責任をとらされて首を括られたわけですね。だけれど、あくまで「侵略戦争をやった」という事に対して責任をとらされたわけですね。
そのほか、B級、C級戦犯に関しては捕虜の虐待だとかで裁かれたという人達がいます。これら色々、責任をとらされた人達がいますけども、日本の国家指導を誤ったことについて責任をとらされた。その項目で責任をとらされた人間というのは公式に一人もいないんですよ。
僕はそこが日本の戦後という時代が、根本的に間違えて始まったという根源だと思います。

→そうは言っても、その状況の中で為政者は責任をうやむやにしようとしたとしても、それだけではないですよね?
別の国との関係があったり、そのあと高度経済成長に入ってしまったとか色んなファクターがあると思うのですが?

→うやむやになったというのは日米合作の話なんですよね。合作といっても圧倒的にアメリカの考え方、やり方が非常に大きな影響を及ぼしたわけですが、アメリカからすれば戦争が終わった直後から冷戦構造というのが始まった。
アメリカは日本を民主化するというのもありましたが、それ以上に対ソ連ですよね。共産主義圏に対して有用な前線基地という位置付けに変わってきたわけですね。これが一番重要です。
アメリカからすると、そういう日本を一体、誰に統治させるのか?と。
基本的に政治勢力は二通りであって、「保守勢力」これはすなわち、少し前までファシストだった。もう一つは社会主義者」たち。
アメリカからすればこの二択で、ではどちらがマシかというと、社会主義ソ連好きな人が多いからこれだけはダメだと。あとは保守層しかないわけです。
この人たちは元ファシストで、どうしようもないんだけれど「これしかねーからしょーがねーか」という事で、アメリカは彼らを戦後も日本をまた統治させようと選んだ。
普通に考えれば「この人達があれだけの失敗をした戦争をやって、なんでまた偉そうな顔してんだ?」となるわけですけどそうならなかった。

→消去法でこちら側になったと。そこで、敗戦の事実を認めさせないことで、為政者側にいた指導者たちを…

→その人たちが引き続き統治をする為には「敗戦」ということが、できる限りごまかされなければならなかった。だから「敗戦」から「終戦」へ、ある種のイメージ修正がされたということもありますし、それが実態となっていくのは高度経済成長を通じてなんですね。経済的な意味で負けを取り返すことに成功をした。
例えば1970年代あたりから、日本人と当時のソ連、中国の一般人の生活水準を比べた場合、日本のほうが圧倒的に高くなるわけですよね。となると、どっちが戦勝国で敗戦国なのか分からない状況が出てくる。焦土から復活して繁栄するという、敗戦から勝利へと…

→上書きされたような?

→物語を戦後、日本人は作ることができたわけですよね。

→そうすると戦後の総括は経済が右肩上がりになった事でまたうやむやになったんですね。

「曖昧さ」がまさに完成したといえます。

→背景に米国の思惑があり、地政学的な重要性がありますよね?
そこで固定されたのは日米関係ということもあると思うのですが、敗北を認めないということが続くとしたら、日米関係もずっと続くということですか?

→まさにそうですね。ここがなかなか、ややこしい話になるんですが。対米関係については「負けた」という事は認めすぎるほど認めている。
政治的既決というのは、今、非常に危機的な形で現れつつありますが、アメリカには金輪際頭が上がらないという事になったんですね。
それは考えてみれば当たり前の話で、戦後の日本を統治してきた保守層は、いわばアメリカに免罪してもらうことで、引き続き権力の座に留まってきたワケですから頭が上がるワケがないんですよね。
今、どうなっているかといえば、アメリカに頭が上がらないばかりか、ある種アメリカに封建することのみによって、日本を統治することを認められている状況です。

→安全保障の問題もありますよね?

→そこもまたややこしい話になります。
私は今、ずいぶん日本の勢力の悪口を言いましたが、それでもまだ吉田茂に始まった保守勢力の考えはそれなりにあったんです。つまり、自前でしっかりした軍事力を作ろうというのは常套的に無理であるし、親米軽武装という「吉田ドクトリン」を国是にしてやってきたわけです。
その問題はかなりありますが、今の政権がやろうとしている、アメリカの傘の下で軍事大国化しようとしてるよく分からない路線は辻褄が合わないんですよ。

→なるほど。安全保障をもう一度、考え直すにしても、引きずってきたものをそのままにするというのは矛盾していると?

→引きずりつつ劣化しているというのが現状です。

→冷戦構造が崩れた今についてはどうでしょう?

→冷戦構造なんてとっくに終わっていて、言ってみればこの国は20年以上も宙に浮いた状態にあることに気付かないといけません。

→先ほど仰った「永続敗戦時代」というか。

→それでやっていける時代というのが、実はもう20年以上も前に終わっている。にも関わらず、引き続きそれでやっていこうとしているので、宙に浮いていると僕は言うのですけど。
要するに冷戦構造が健在だった時代のアメリカからすれば、日本を庇護したり、場合によっては歴史認識などでそうなのですが、甘やかすということをずっとやってきたわけです。とにかく日本という国が社会主義陣営に走り出されたら最悪ですから、絶対そうならないように可愛がってきた。

→目的が「その時」にはあったと?

→そういうことです。ところが、やらせている内に日本が経済的に強くなりすぎたという事もありましたし、日米貿易摩擦というのが起こるわけですけども。
アメリカが日本を庇護してあげる具体的な理由がもうないんですよ。
となると、アメリカは国家の根本方針として、日本にどういう態度を取るのかといえば「食べ頃によく育ったなぁ」と。
「子豚がまるまる育ちましたよ」と。これを美味しく頂く番になるわけです。

→今まで手塩にかけて大きくしたというか…

→昨年、お亡くなりになった堤清二 - Wikipediaさんが、晩年のインタビューで仰ってましたが「今後アメリカの衰退がますます明らかになってくる中で、その衰退のツケというのを全部アメリカに回してくるだろう。本当に大変な時代になります」と仰っていました。

→もし、永続敗戦レジュームというのが実はとっくに終わっていて、影のようなものが惰性で残っているとしたら、実は日本がもう一度目覚めるチャンスにはならないのでしょうか?

→チャンスといえばチャンスなんでしょうけど、この期に及んで目覚めなければ終わりますねという恐ろしい話だと思います。

→白井さんのご著書の中で3.11がある種の日本のブレイクポイントだったと書かれてますけど、どういったことでしょう?

→衝撃ですよね。というと、まぁ、今こうやって東京でラジオ放送をやって、日常生活ができてますけど、こんなの単に運が良かっただけで、もう少し運が悪ければ…って考えたくもない話ですが、例えば地震で道路が寸断されて、サイトへのアクセスができなくなってたらとか、或いは当時の発電所の所長が能力の欠ける人物であったらどうなっていただろうかとか。
その際に、あの事故はもっともっと酷いものになっていたわけですよね。誰も近づけないという状況になって、当時の管首相が言ったように東日本は終わるかもしれないという事態ですよね。そうなったら、東日本というか、日本全体終わるんじゃないのって感じですけど、ホントそうなっててもおかしくない。そういう意味で私達は殺されかけたと言うべきだと思います。
そこの驚きというか、震えに立ち返って考える必要がある、この社会をちゃんと見る必要があるんじゃないかと僕は思います。

→白井さんからご覧になって、その危機感があまりにも薄いんじゃないかと?

→そうですね。

→例えばそれは、永続敗戦レジームがメンタルの中ではずっと続いているということでしょうか?

→そうですね。メンタリティ…

→「考えない」とか。

→また別のファクターを挙げるとすれば、消費社会化というのが進みすぎた結果だと思います。

→システムをもう一度作り直すことで議論も生まれますし、そこで思考停止から解き放たれるというか。その時に日本にもたらされるものとは何でしょうか?

→あの、とりあえずどういうふうにして、今後この国は生きていけばいいか、少しは見えてくると思います。
少子高齢化や年金の問題など、様々とんでもない問題があると言われてますが、その中で政治家たちがどういうことをしようとしているかといえば、非常に古典的な手段で内部的な危機を外部的な危機にすり替えているという。
「中がヤバくなってるから戦争しちゃえっ!」と。昔ながらの手段で。

→どこの国でもオーソドックスな手段ですよね?

→だから、内側にある問題をしっかり見据えて、それをみんなが直視すればちゃんとした知恵が出てくると思います。
それだけのポテンシャルが、この国にも人にも社会にもあると私は思います。

→戦後の検証、歴史を紐解く、そして一人一人が自分の頭で考えるようになると?

→そうですね。それこそ小泉純一郎氏が原発に対して言ってることと同じですよね。
やめると決心すれば、あとは知恵が出てくるだろうと。僕はその通りだと思います。

→白井さん大変貴重なお話ありがとうございました。文化学院大学助教白井聡さんにお話を伺いました。  
                                      書き起こし以上

【おまけ】