秋の読書週間ということで新しい本を求めて書店へ行きました。
どれが面白い本なのか分かりませんからいつものように何となく見渡して、手にとって「違うなぁ、うーん…」なんて思いながらローラー作戦をやってました。
ニーチェの格言みたいなのをまとめたものが文庫本サイズで売られているのと、「へんないきもの」の最新作が図鑑になっていて惹かれました。(表紙はハダカデバネズミ)
お金が無くなってしまうので読んだつもりになって華麗にスルー。
オススメコーナーに足を運ぶと「3月のライオン」の横に「四月は君の嘘」が並んでいたり(ダジャレかな?)、相変わらずモニターから流れ続ける「君の名は。」があったり…
ビジュアライズされている作品が多いことに気づき、きっと映画化されるであろう作品を買おうと思ったのでした。
目に留まったのはマイナビ文庫から出版されている「サムウェア・ノットヒア」という作品。
ここで注目すべきは『小説家になろうで大反響』という一文。読書が好きな方ならご存知かと思いますが「小説家になろう」というサイトに掲載されている上位作品のほとんどはSFファンタジーのジャンルで、好き嫌いがはっきり分かれるものが多いです。
そんな中で競り勝ち、多くの読者に感動を与えたというのであればFCバルセロナのスカウトマンでも買うでしょうし、主人公が美術教師というのも芸術の秋にぴったりです。加えて言えば主人公が左利きっぽいので面白いに違いない。(謎の確信)
そうやってまんまと私は本を買ってしまったのでした。
うつくしいもの
雷に打たれたような衝撃の中、俺はたしかに、世界を感じていた。
ーーそのとき、そのには、世界の全てがあったのだ。
まずはプロローグ。
物語は夏が来るたびに主人公が思い出す情景から始まっていて、この時点では「あいつ」としか書かれていませんが、ある女子生徒に心を奪われたことが分かります。
「世界の全てがあったのだ」というのはワンピースのありかを指し示していますね←ボケてみた
全てが過去になった後で
主人公の沖澄は絵描きの傍ら美大で講師を務めています。(言葉遣いからして粗暴な性格に感じる)
自身の個展の会場で、元教え子であり小学校の図工教師をやっている藤堂に、包みの中にある一枚の油彩画について尋ねられます。
その絵は「ここではない何処かへ(SomeWhereNotHere)」と名付けられ、グラデーションを構成した黒い背景の中から差し伸べられた御手が描かれて、その手が釘に貫かれて完成しています。
この絵が本来持っていたであろう希望や救いを完全に否定し、作者の痛烈な悲嘆。訴え。叫び。を表していると沖澄は評価しています。作者を訊かれた沖澄は自分の幼馴染の上木田零子であると答えるのでした。
このことから、回想シーンは昔の彼女の姿であり、絵の意味から推察するともうこの世にはいないことが伺えます。
上木田零子という少女
このパートでは物語の登場人物の相関図が分かります。
〈沖澄家〉
父、母
長男 栄一郎(主人公)、次男 啓司(真面目な性格でサッカー部に所属する中学二年生)
〈上木田家〉
父 一郎、母 涼子(40歳)
長女 零子(猫背、長髪、美人、吃音、他人といると気分が悪くなる、絵の才能は天才)
先ほどワンピースでボケてみたら主人公がまさかの栄一郎で驚いたんですけど、まぁそれは置いておいて…
彼の性格が本当に粗暴なんですよ。零子が寝ているベッドを蹴って起こしたり、鼻をつねったり、学校の美術同好会の担任に食ってかかる。(こんな性格だから友達がいないんですけども…)
この性格と挿入される詩的表現が合わない気がするんです。
手を伸ばしても届きそうもないほどに高い大空。実際にそうしてみるも、やはりその指先ひとつさえ触れることができなくて。
鮮やかな蒼穹。胸がすっとするような青。高校生最後の夏の空と思えば、その色彩さえもいつも変わって見える気がした。
いつかこの色を、カンバスの上に表現できたらいいなと、おもう。
かざした手の中に空を握りしめて、俺は小さく笑った。
高校生最後の夏だからセンチメンタルになるのは理解できますが、私にはジャイアン気質の彼がこんなセリフを言うことが信じられないんですよ。
これは私が粗暴でありながら絵が上手いパーソナリティの人間を思い描けないだけなんですけど、あえて言うなら中尾彬ですかねぇ…
あっ、でも左利きではないよなぁ。
そこで左利きの芸能人を調べてみたところ、玉木宏さんが左利きらしいので、玉木宏とジャイアンを足して2で割れば主人公が出来上がりという比喩表現が正しいと思います。(実写化おめでとう!)
ひとりはいやだと彼女は言う
話を元に戻しましょう。
一方の零子はといえば以下のような思考回路を持っています。
- 絵は私を救ってくれる存在である
- 私が苦しいという事は今まで描いた絵は失敗作だ
- 失敗作の絵を見て喜ぶ人に腹が立つ
零子は言葉少ないキャラクターですが、社会不適合でもちゃんと生きれるようになりたいという強い意志を持っています。
だからこそ、自分の中のハードルを超えていない作品を評価されても素直に喜べないのだし、失敗作を喜ばれているようで腹が立つのでしょう。
個人的にはぶっきらぼうで他人と上手く付き合えない主人公よりも、零子の人格のほうが親近感があります。
零子が背中を丸めている描写が何回か出てくるのですが、裏を読めば胸を張れないという意味であって、空を飛ぶイカロスの絵を描いているのは性格を強調しているなぁと感じました。
そして彼は階段を上がる
閃き。光。ヒカリ。ひかりが、ない。
空だけではない。海だけでも川だけでもない。街にも、丘にも、この世界には、ひかりが足りていないのだ。
〈中略〉
己の中の、その新鮮なる驚きの刹那、一面。それをそっくりそのまま、表す。込める。
自分は今、描いているのだ、という思いがあった。
喜び。
絵を描いていてそれを感じるのは、ずいぶんと久しぶりのような気がする。
〈中略〉
俺がこの世界に生まれた意味は、俺がこの世界を生きる意味は、きっとそこにあるのだと、この細胞一つひとつが、全力で叫ぶ。
その余韻が続いているのか、世界が妙にクリアに見える。
何もかもが新しく見える。何もかもが鮮やかに見える。アンテナが開きっぱなしになっている。
一心不乱に絵を描く零子の姿に感化された栄一郎は覚醒して脳みそのドーパミンが止まらなくなってしまいました。
頭に描く理想図とは違って、自分の絵には光が足らないということに気づきそこから一気に未完成の風景画を仕上げるのでした。
教室の中を強い風が吹き抜けます。
ふと零子のほうに視線を落とすと、何を考えているのか分からない美少女が言葉の理解を必要としない無機質な美を放っていて、フォーリンラブ状態へと確変リーチ。
これが冒頭の回想シーンになるわけですね。
雷に打たれたような衝撃を受けると同時に覚醒栄一郎は、今目の前にある風景を描くことは零子への愛情を表現することになるので一生ないだろうと自分に言い聞かせるのでした。(好きって言っちゃえyo)
絵を描き終えた栄一郎は昼食の買い出しへ行き、帰ってくるとーー
零子「…お、置いて…か、ない、で…よ」
俯いたまま、ぼそぼそと零子は喋る。
覚醒終了栄一郎「あ? 何だって?」
笑
ここは栄一郎の絵を見た零子が焦燥感を覚えるシーンなんですけど、この第一村人みたいなリアクションには砂の城をグレネードランチャーで破壊するみたいな笑いを感じます。
その後、教室に現れた来栖先生が栄一郎の絵を評価したのがコチラの文章
「これ以上に分かりやすい例えなんてないよ。僕らからしてみればバグやチートとか、そんな風にしか見えないんだから」
栄一郎にチート疑惑が浮上(笑)
ドーパミンに頼った作品ですから先生の指摘は的確ですね。
先生は外の世界を美しく描いた栄一郎は僕たちと見えているものが違うのかもしれないと評価し、反対に零子は人間の内面を描いているのだと評価しました。
だからこそ零子は栄一郎の見える世界が羨ましいと感じているのではと言うのでした。
変態教師から褒められたのが嬉しい栄一郎はその言葉に納得しつつ、最後に学校の風景を描こうと考えます。
夜になって(=゚ω゚)ノ磯野!野球やろうぜ!みたいに零子を誘いに行くと、なんと零子が倒れています。oh…
すぐに救急車を呼び病院へと急ぎます。
原因は過労という診断でしたが、父の一郎のセリフから察するに家族としてもどう接していいのか分からない。倒れている姿を見た時に最悪の事態(自殺を隠喩している)を考えたと話しました。
それは変化の兆しだった
絵の世界に入ってしまうと倒れてしまうので零子には絵描き禁止令が下ります。
今まであったことを来栖先生に説明しながら、屋上でグラウンドの風景を描く主人公。
来栖先生は零子の気持ちが少なからず理解して、上木田は心の底から自分を生んでくれた母親を、父親を殺したいと憎んだことがあると言います。
そんなやり取りのあと、栄一郎の描いた絵をベタ褒めして、零子を連れて美術館に行こうと提案してこの章は終了。
この先生にも影があるというか、爬虫類みたいな湿気を感じます。
わたしはおまえたちみたいには、ならない
人混みで気分が悪くなるから、行く時は手を握って欲しいと零子は栄一郎に頼む。
来栖先生は後部座席をバックミラーでチラ見しながらニヤニヤするのでした。
美術館ではマーク・ロスコ、ジャクソン・ポロック、キルヒナー、ニコラ・ド・スタール、ベーコン、ゴーキー、ユトリロ、デュシャン、カンディンスキーといった画家の展覧会を見ました。
私にはどこの球団の助っ人外国人なのかさっぱりわかりません。
零子は人混みと絵の影響を受けてサイコモードへ入ってしまいます。
片手で手をつなぎ、もう片方の手の親指の爪を噛み、目はせわしなく行ったり来たりを繰り返す。
来栖先生が感想を聞くと零子はこう答えます。
「…吐き気がする」
「わたしは、おまえたちみたいには、ぜったいならない」
「だから、わたしに、これ以上、つきまとうな」
はたから見れば胡散臭い心霊番組みたいですが、私なりに解釈すると不遇な生涯を遂げた画家たちに対する挑戦状だと解釈しました。
それに、普段なら心の叫びを絵に描くことができますが今はできないので、口から零れたのだと思います。
フォーリング・ダウン
この章で再び栄一郎が覚醒します。
零子はそれを見ているしかできない。
描いている絵はグラウンドで練習している野球部の力強さを、燃えるような赤とオレンジの空の下で命の輝きとして表現したもの。
見ていられなくなった零子は途中で退室。完成した絵を目にした来栖先生は目頭を抑える。
被写体はどこにでもあるような風景なのに…一体どんなレベルの絵なのか気になりますね。
家に帰った栄一郎は、ふと零子が気になり自宅を尋ねます。アトリエの電気はついていなかったから、部屋まで足を運ぶ。しかし、そこには丸められた掛け布団があるだけだったーー
まっ、まさかっ‼︎
アトリエに行くとそこには暗闇の中で一心不乱に絵を描くサイコの姿が…
とうとう流血する事態へと発展。
この場面はサイコホラーですね。
(あれっ、おかしいな。感動するって聞いたんですけど…)
零子が急に愛情確認をするシーンがあるのですが、流血している栄一郎は思わず言葉を飲み込んでしまいます。
すると零子はーー
「やっぱり、栄くんは、そうなんだね」
「うん、じゃあ、しょうがない、ね」
綺麗な微笑みを浮かべると、今まで描いてきた自分の作品をバキバキに壊していくのでした。
「…もう、いい」
「もう、私は、絵を描かない」
この引き金は理解者である栄一郎が技術的に遠くに行ってしまった事と、絵を描いている自分に対して愛情を確認できなかったことに思います。
自分の唯一の表現方法を破壊するということは人格を殺すのと同等ですよね。
この先の展開が気になります。
あと、章のタイトルである「フォーリング・ダウン」って「堕落論」とかかっているんですかね?
言葉を話せない美人も出てきますし。
作者さんに聞いてみたいところ。
みにくいもの=きれいなもの
栄一郎はあの日から零子に会っていなかったし、本人から避けられているようだった。アトリエの電気が付いていることはなかったし、零子がいつか咲かせようと水をあげ続けていた植物も枯れてしまっていた。
このことから完全に零子が絵を描くことを捨てたことが分かります。
夏休みが終わり、教室に向かった栄一郎の目に飛び込んできた光景は、長い髪をショートカットにして薄いメイクを施した、誰もが羨むような美貌を身にまとった零子の姿でした。
栄一郎は息を呑むような美しさに一瞬目を奪われますが、本当の彼女の姿とかけ離れた現実に吐き気を覚えます。
零子にしてみれば「ちゃんと生きられますように」という願いを叶えるために、サナギがドロドロに身体を溶かして蝶にメタモルフォーゼしたんですよね。
栄一郎の助けを一切必要としない人間を意味しますから。
この姿を目にした来栖先生も「上木田は、もう駄目だよ」と言うのでした。
栄一郎にしてみれば胸に穴が空いた状態です。
そこに飛び込んできたのが後ろの席の美馬川さん。紹介文がひどくてね、普通で記憶に残らない人ですって笑
でも、このあとの展開が切なくて。
昇降口で零子と視線がぶつかった時にシカトされるんですけど、栄一郎の後ろに居た美馬川さんに気付くんです。
そのあと、零子の周りのモブ女子たちがこう
モブ「あれ彼氏じゃないの?」
零子「ただの幼馴染」
美馬川「内心(やったでおい)」
絵に描いたような修羅場。
なのに、栄一郎の愛しさと切なさとMOTHR2…(あなたならこの洒落を理解してくれると信じて私は書いている)
最後のパートで帰り道に零子の姿を目にするんです。友達とカラオケから出てきて一人になったところで路地で吐いてる。
無理矢理に社会に適合させようとしているので、人混みは地獄に違いないんです。それに隣には手を握ってくれる人間はいませんから。
フラフラしながら公園のトイレに向かう零子を見守る栄一郎。出てきたところで何て声をかけたらいいのか分からない。
「触らないでーー!」
悲鳴のような声に、俺の手は、零子に触れる寸前で停止する。倒れ込むかに見えた零子の身体は、何とか堪えて、その足がしっかりと大地を踏みしめる。
猫背になりそうな背を真っ直ぐ伸ばして立つその後ろ姿からは、表情は窺えなかった。
「お前、そんなのが」
いつまで続くと思っているんだ。
そう続けてようとして、口を噤む。
「だ、だったら、他に、どうすれば、いいの」
そんな言葉を返されることが、わかっていたから。
「………」
そして、それに対する答えを、自分が持ち合わせていないことを、わかっていたから。
零子は俯いて、しかしすぐに顔を上げると、一度も振り返らずに公園を出ていった。俺はそれを見ていることしかできなかった。
後に取り残されたのは、俺と、結局一度も口をつけられなかった、ペットボトルだけだった。
今まで零子を形容するワードは「無機質 」でしたが、周りの生徒と同じように生活しようとする姿からは人間味が溢れているように感じます。
喩えが適切かどうか分かりませんが、あしたのジョーの力石みたいな強さと脆弱さが諸刃の剣となってるイメージです。
このあと、零子の家の前を通るとパパが外でタバコを吸ってるんです。要は娘の変わり様が信じられない。一方でママは娘と一緒に料理をするのが嬉しくて仕方ない。
だから冷静を取り戻すためにタバコを吸っていたんですね。そこへ栄一郎がやってきて、何があったのかを話す。
一郎と栄一郎がアトリエの中に入るとあの日のままの光景が広がっている。
せっかく冷静を取り戻した一郎はどうしたらいいのかわからなくなる。
栄一郎は答えを探す様にアトリエの中を見渡すと、一枚だけ壊されずにいた絵があることに気付く。
それは栄一郎が描いた絵でした。
もう彼女との接点はこの一枚の絵しかありませんから、栄一郎はこの絵を完成させようと決意するのでした。
彼はきっと
栄一郎の中で完成のイメージは決まっていました。それは一生描くことはないと自分を押し殺した零子を被写体とした絵。
今までの全てを一枚の絵に表現するにはどうしたらいいのかを考えるのでした。
彼はきっと、まちがっては
栄一郎は全ての感覚を絵に集中させていますが、時折アトリエを訪れて零子の近況報告に来る弟や零子の父や母からの言葉を耳にすると、容易に苦しんでいる零子の姿が浮かんでくる。
目頭が熱くなったり、指が震えた時には気持ちを落ち着けて描くの繰り返し。
彼はきっと、まちがっては、いなかった
ここで零子の母親が私には分からない比喩表現を言い放ちます。
「あの子、よく、自分の部屋から見下ろしていたのよ。アトリエから漏れる光を、まるで年老いた老人のような、疲れ切った顔で」
「………」
「人類が絶滅した後の太陽の塔っていうのは、あんな感じなのかしらね」
どういうことだってばよ?
人類が絶滅したら神の概念なんて意味がないということでしょうか?
うーん。わかんねっす。
降り、ふり、積もり、消えていく
ここは感動パートになりますから、
涙腺がゆるい方はハンカチの容易をして下さい。
栄一郎は絵の世界に没頭するあまり、時間の流れも忘れてしまいます。
まるで自分が世界でたった一人の生き残りのような感覚で、気づいた時には余白はなくなっていて、絵は完成していたのでした。
絵は、完成していた。
完全がそこにあった。
一瞬にして永遠が、目の前にあった。
あいつの全てが、そこにはあったのだ。
それを見て、深い理解が、俺を支配する。
ああ、そうなのだ。たしかに、そうだった。これが答えだった。
これが、俺の、あいつの、俺達の求めたものなのだ。
本当にこれで問題が解決するのかどうか分からない気持ちと達成感とが入り混じりながら、栄一郎は何時なのかも分からない世界で夜空を見上げます。
そこにあったのは零子の影でした。
こっちに来いと手を差し伸べて、アトリエの中へと歩みを進めます。
その瞬間、昔にも同じようなことがあったとフラッシュバックします。
世界に絶望する零子の手をとって花咲き誇る丘の上から見た景色。二人はその美しい景色を共有していたのでした。
会話部分を抜き出して並べてみます。
『あなたが、あなたがいる世界(そこ)が、あまりにもキレイだったから。私はその手を掴んでいれば、ここではない何処かへ行けると、信じてしまったのです』
「そっか…栄くんの目から、私は、こんな風に、見えてたん、だね」
「なあ、俺は思うんだよ」
「うん」
「お前はさ、無理に変わる必要なんて、ないんじゃないかって」
「…うん」
「変わろうとして、自分の中のどうにもならないものをどうにかしようと無理をするから、破綻するんじゃないかって」
「………」
「それは、もう、そういうものとして受け入れるしかないんだろう。そうやっていきていくしかないんだよ」
「…誰にも理解されないまま、ひとりぼっちで?」
「俺がお前を見てるよ」
「俺はお前を理解しない。けど、ずっと傍で見ていてやる。お前は生きてるってーーちゃんと生きてるって、教え続けてやる」
「あの、ね。栄くん、やっぱり、ね」
「やっぱり」
「太陽がないと、人は、生きて、いけなかったよ」
「ごめん、ね、栄くん。もう少し、待ってあげられれば、よかったのに、ね」
「栄くんの手を、離してしまった、あのときから、きっと、決まってたん、だよ」
「ほら……そと、見て。そろそろ、夜明けの、時間だよ」
「だから、ね、栄くん、の、夜も、明ける頃合い、だよ」
「本当に、ごめん、ね」
「寒……い」
「大丈夫、もう、夜は終わるから」
「…おいおい、何だよそりゃ。いったい、これは何の冗談なんだ」
「ねえ、栄、くん」
「私は、あなたが、好きでした。嫌いになるぐらい、大好きでした」
重要に感じた部分を太字にしてみました。
ああ、零子はもう死んでいるのだと気づきます。
ページをめくり読み進めると、零子は三ヶ月も前に学校の階段から落ちて頭を打ち亡くなったそうです。
学校に行くたびにやつれて、水を飲んでも吐いてしまう状態でも学校を休むことはなかったと書かれています。
つまり、栄一郎が描いている時にアトリエの中へ来た人々は、亡くなったことを知らせるために語りかけていたことになります。
その衝撃もあって、まるでいつかの零子のように一心不乱に絵を描き続けたのでした。生涯で一番の完成度の絵が遺影になってしまうなんて切ない展開ですよね。
もっと早く好きと言っていれば…
零子が最期に描いた絵。
それが「ここではない何処かへ」
この過去を背負い、栄一郎は画家の傍ら講師をやっているのでしたーー
全てが過去になった後で、
このパートは冒頭の「全てが過去になった後で」の続きになります。
だから「、」が付いてます。
零子が亡くなって15年後の世界です。
個展の会場に来栖先生と美馬川が現れます。なんと、二人は結婚していました。
新ヒロインの座につくかと思われた美馬川のポジションもまた、特別な能力を持っていないという苦悩があったのでしょう。その心の隙間に入ってきたのが変態先生だったということでお幸せに。
そして終わりかけには上木田一家が現れます。
歳をとった一郎と諒子の間には14歳ぐらいの少女がいて、栄一郎は一見、零子と見違えてしまいます。
どうやら栄一郎の父が頻繁に連絡していたそうで、栄一郎の活躍を気にかけてくれていたみたいです。お互いに話したいこともありファミレスへと移動します。
一家はあのあと、一郎が仕事をやめて地方の田舎へ引っ越し、ここで新たな家族が生まれます。その土地でしばらく生活したあと転勤が決まって都内に引っ越ししてきたとのこと。
零子の妹にあたる少女の名前は歩実。
栄一郎は「ここではない何処かへ」を夫婦に手渡しました。すると、夫婦はあの日のことを思い出して言葉を詰まらせます。
この絵を見た歩実は自分の姉はこんな辛そうな現実が見えていたのかと理解します。また、自分が美術部に入ろうとした時に両親が反対したことを漏らします。
夫婦が未だに癒えない傷を持っていることに気づいた栄一郎は、歩実に絵をひっくり返してごらんと言います。
そこにあったのは、アトリエに籠って全身全霊をかけて描き上げた、零子に見せることができなかった美しい零子の絵でした。
栄一郎は零子の絵の裏側に自分で描いた絵を貼り付けて一枚の作品にしたのです。
両親は自分の娘をいつも近くで見ていてくれた栄一郎が最期まで一緒にいてくれたことと、素晴らしい絵を描いてくれたことに涙を流します。
父は自分たちもどう接していいのか分からなかった娘の、唯一の理解者であった栄一郎に心から感謝をして、零子はきっと最期は笑っていたに違いないと栄一郎に言うのでした。
過去を変えることはできないが、それをどう捉えるかは自分次第で、起きてしまった事実に意味を与えることができるのは、生きている者だけの特権なのだから。
「あいつが最後に笑うことができたのなら…俺は、あいつのために何かをできたのかも、しれませんね」
だから、そう言って、俺は笑った。
そうだったらいいのにな、と思って。
ーーようやく、肩の荷が、軽くなったような気がした。
そうして、また少し、あいつの記憶が過去になったのだった。
両親と栄一郎は記憶を補完し合って、零子が最後に抱いていたであろう感情に納得して、15年後にようやく彼女の死を乗り越えたのでした。
周りの一般客からしてみれば、ファミレスで何ともヘビーな話をしているなぁと思ったでしょうね。
彼は今を生きている
栄一郎は大学での講師を生活の基盤にして毎日を生きます。
ある日、事前申請もなくアトリエを使う生徒が居て「ったく、こんな時間まで残ってるガキはどこのどいつだ」と悪態を吐きます。
そこにいたのは他人を拒絶するような鋭さを持ったハリネズミみたいな女生徒。
その姿を見て「本質的に似ている」と感じて、放っておけなくなるのでした。
「絵は、決してお前を、救いやしない」
だから、俺はその言葉を口にする。間に合わなかった何かを間に合わせるために。
愕然とした顔で、こちらを振り向いたそいつを見て、ああ、きれいだなと、いつかのように俺は思った。
ーーそして、あの日々は、またさらに過去になった。
「本質的に似ている」という言葉を具体的に書くとこうです。
他人に興味のないはずの栄一郎が他人に惹かれる理由というのは…
- どこか自分に似ている不器用さを持っている
- 自分とは間逆に誰かの助けがなければ生きていけない不安定さを持っている
- その上でどうやっても自分には描けない絵を描く個性
この調和がたまらなく美しいと感じるから、助けずにいられないのだと思います。
これ以降、栄一郎の主観から物語が
語られることはありません。
精神的な繋がりではありますが、栄一郎は最期まで零子を一人にはしませんでしたし、描き上げた絵は小さい頃に二人で見た景色にも負けない鮮やかな記憶ですから、零子の死は報われる死であったと言えるでしょう。(もちろん、零子が亡くなったことは最悪に違いありません)
ゼアー・ユアー
この章は他の章と比べて異質です。
というのも、ここから綴られる物語はこの世にはもう居ない零子の主観から語られるものであり、シードペーパーに綴られた「遺書」であります。
始まりはこの街に引っ越してきた栄一郎が零子の手をとって、小高い丘から景色を見せる記憶。
そこから、幼少期の栄一郎と零子の面倒を見てくれた栄一郎の伯母の存在が語られています。
沖澄家はもともと裕福な家庭でしたが、栄一郎の父が高校生の頃に事業で失敗し、多額の借金を抱えることに。財政的な余裕がなくなり、音楽に打ち込んでいた父と伯母のいずれか一人が辞めざるを得ない状況になりました。
才能的には栄一郎の父のほうが上だったので、伯母は自分が高校を辞めて働くと申し出ます。しかし、父もそれを譲らずに自分で話をつけて高校を辞めました。
伯母は後に引くことはできません。
ひたすら前に進みました。しかし、伯母の願いはずっと二人でヴァイオリンを弾いていれたらそれでよかったのです。
要は、自分のせいで弟の可能性を閉ざしてしまったことに呵責を持っていると同時に孤独を抱えているんですよね。
結果的に伯母は零子の見ている目の前で車道に飛び出して絶命します。
零子はヴァイオリンを弾く伯母に憧れを持っていました。いや、正確に言うのであれば栄一郎に好かれている伯母が羨ましかった。
だから、彼女から音楽を習いました。
しかし、全く上手くできなくて他の楽器にも手を出しますが、やはり結果は同じでした。
そこで伯母は零子にクレヨンを持たせました。思ったまま自由に描くことが最初は楽しかったのですが、出来上がる作品はどれも悲しい世界でした。栄一郎と同じものを見ているのに自分には描けないのです。そうやって零子のアイデンティティが形成されていくわけですが、その最中に伯母はまるで零子を道連れにするかのように死んだのでした。
「自分のせいで栄一郎の憧れの伯母が死んだ」という呪いがかけられた瞬間です。
『才能の原石』という言葉がありますが、それで言えば零子はブラックダイヤモンドに違いありません。
自分のせいで周りの人々が不幸になっていく。それを理解するや否や、生きることに対して罪悪感を覚えるのです。
当初は伯母の死に悲しんでいた栄一郎も2ヶ月後には笑顔を見せるようになりました。零子はそれに恐怖します。
恐ろしい、と思いました。
あなたはきっと私がいなくなったところで、そうやって過去にして生きていくのだろうということを、理解してしまったからです。
理解したところで、到底、受け入れることなどできませんでした。
認めるわけにはいきませんでした。
けれどあなたを変えることなどできるはずもなく、結局のところ私にできるのは、ひとつしかなかったのです。
きっと、いつか。
あのキレイなものを描くことができれば、もっとちゃんと生きることができて、もっとましな自分になれて、全てはうまくいくのだと、信じるしかなかったのです。
零子にとって世界には絶望しかないのですが、それでもちゃんと生きようと思えるのは栄一郎がいるからなんです。
ですから「栄一郎に忘れ去られた時」こそが零子にとっての「死」なのです。
零子の遺作となる「ここではない何処かへ」の御手の正体は、小高い丘まで連れてきてくれた、キレイな景色を見せてくれた栄一郎の手であることが書かれています。
恐らく栄一郎は、零子が生涯最後に描いた絵の被写体が自分の手であることを理解していません。
同じようにこの時点でアトリエに籠っている栄一郎が自分のことを描いていることを零子は知らないのです。
零子は最後のシードペーパーをアトリエの入り口に植えようと考えます。
仮に自分を忘れ去ったとしても、その花を見た栄一郎がキレイだと思ってくれさえすればいいと。
わたし(ここ)とあなた(そこ)をつなぐもの
ここで描かれているのは零子の絶命シーン。或いは作者の読者を裏切りのテクニック。
零子が学校で亡くなったというのは嘘です。
絵を描き上げて顔をのぞかせた栄一郎を一目見るために、零子は二階から落ちてしまったのです。
ここから先ほどセリフを抜き出したシーンに繋がるわけですが、お互い意識がはっきりしない中で行われた会話は、最後まで互いの事を想い続けた魂のやりとりです。この部分は是非、本を読み返して整合性を確認してもらいたいので書き出しません。
恐らく、死因を栄一郎に伝えないのは栄一郎が死んでしまうからでしょう。
少しの記憶障害を患った栄一郎が目覚めて、アトリエから一歩踏み出した足の横に咲いていたのは勿忘草(ワスレナグサ)。
花言葉は「私を、忘れないで」「真実の、愛情」
あとがき
私達自身は、本当は、もっと簡単に生きていけるものなのだと思います。
たとえば甘いお菓子と美味しいコーヒーがあれば、それだけで小さな幸せを感じることができるように。
そんな風に、今日も私はこの世界で、自分なりに幸せを感じながら、生きています。 小野崎まち
読み終えると同時に作者である小野崎まちという人がどんな人なのか気になったのは私だけではないはず。
衝動的な本文と打って変わり、あとがきではとても優しい文章が広がっていて、私には全く人物像がつかめません。
ギャップの激しい方なのでしょうか。
ちなみに先生へのファンレターは以下の住所にどうぞ。
〒101-0003
東京都千代田区一ッ橋 2-6-3 一ッ橋ビル2F
「小野崎まち先生」係
おわりに
今まで読んだ本に出てこなかったキャラクターだったので、感情移入が難しかったのですが、読み進めるうちにアイデンティティの深い部分が分かったので問題なかったです。
途中、私がミスリードしたのは零子が絵を捨て去った要因です。
これは零子の遺書に描かれていましたが、絵が上手くなっても自分の本質は変わらないという絶望でした。これには気づきませんでした。わりと零子の視点で読んでいたつもりなんですけども。
タイトルについてはあとがきで触れられていて、子供の頃にここではない何処かへ行きたいと思っていたのが由来だということなんですが、それを読む前に私の中にあったのは中島美嘉の「永遠の詩」です。
内容で重なる部分があるので、コレが着想かなぁ。と思ったんですけど違いました。てへぺろ。
あとは、栄一郎が「絵は、決してお前を、救いやしない」って言いましたけど、救いましたよね。
死ぬほど自分を自己否定していた少女に、ずっと君を見ていたけど僕には君がこう見えると提示したことで、世界は一つではないとブレイクスルーさせたわけですから救いましたよ。
だから「お前」っていうのは栄一郎自身を指しているのかもしれません。
誰かがネタバレで教えてあげればいいんです。
『あれ、お前の手じゃね?』って。
それさえできればハッピーエンドになると思うんですけどねぇ。
うーん。
ただ、栄一郎の評価基準の中に「零子」というジャンルができているのは間違いないですから、零子にとっての死はない。まさに永遠の一瞬として残ってる。
零子視点では救われてるけども、栄一郎が気づいてさえくれればなぁ。
ネタバレさえできれば…笑
このむず痒さは意地悪ですね。
映画化するとしたら、まぁ玉木宏は決まりで、零子の父親を三浦友和さんにやってもらいたい。妻は木村佳乃さんだな。
零子は難しいですね。藤原竜也みたいな狂気じみた演技ができる女優さんいないじゃないですか。富士急ハイランドでゾンビの役をやってる無名の人とか、着眼点を変えたキャスティングしないと難しいですね。
来栖先生役はリリーフランキーさんを若返らせた感じの人だから…星野源。
美馬川はふつうの人でありつつも、若干のあざとさが必要なので嗣永桃子さん。
伯母さんは宇多田ヒカルさんね。
BeMyLastで死んでますし。
姉は宇多田ヒカルでつりあう人いますかね。音楽の才能と頑固さと愛情のある人。
ライムスターのMammyDさん行きましょう。ありでしょうこれ?
零子が難しいなぁ。
髪の毛ロングで猫背でガリガリでありつつもすらっとしてる。
遺書の構成も文才を感じる。
重要なのは絶望の中でも生きようとすることですよね。他の作品でしばしば見られるようなオーバードーズやリストカットなどの描写がないというのがこの作品の特徴だと思うので、ただ単に狂気じみた演技をすればいいという問題ではないです。
このハードルは高いですねぇ。
実写化は無理なんですかねぇ。
音は決まってるんですよ。
スーパースケベタイム師匠の「知らない」
選曲としては完璧でしょう?
「温もりが消えるその時まで」の歌詞で二人が手を繋ぐシーンでFin…ですよ。
観客が涙腺崩壊して顔が直らなくなる姿を見たい。
もちろん、私には何の力もないんですけどね( ・´ー・`) へへへ
サムウェア・ノットヒア ~ここではない何処かへ~ (マイナビ出版ファン文庫)
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