モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

11月13日 ボロとロボとbot

00-06 BHH

06-12 H

12-18 ×

18-24 B

 

B. 東北地方 -1-0-0-1=2

 

H.九州地方 -2-1-0-0=3

合計回数     -3-1-0-1=5

 

00:46 宮城県沖        50/3.6 ①

01:33 熊本県阿蘇    10/1.8 ①

04:49 熊本県熊本    10/1.9 ①

06:32         〃          10/2.6 ②

20:02 ニュージーランド付近 M7.4

23:02 福島県浜通り 10/3.1 ①

 

USGS Earthquake Hazards Program

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スーパームーンによる引力のせいなのか、ニュージーランドで大きな地震が発生した。3メートルの津波があったという情報を見かけたが、被害の詳細については明日には分かるだろう。
どうかご無事でと願う。

 

折り返し点(宮崎駿)の感想 - モブトエキストラ

 

今夜は宮崎駿監督の最新作の裏舞台が放映された。

何年も前からずっと温め続けていた一粒のタマゴに全身全霊を注ぐ姿に衰えは感じなかった。

CGの技術はハードルを越えるものであったが、具現化するスタッフの再現率がもどかしいようだった。

イメージの世界であるし、長年付き合ってきた仲間ではなくて、若手のクリエイターとの仕事でもある。

ハウルの動く城の時も、火の動き方を知らないスタッフに教えるのに骨が折れたと言っていたことがある。今回はCGだから、動き方の違和感と見せ方の違和感の二つを修正する際に自分で操作ができないもどかしさに頭を抱えていた。

若手スタッフも吸収しようとしていたし、学ぼうという姿勢だったけど「時間がない」という言葉が「寿命」という制約を感じさせた。

今でもコンロとヤカンでお湯を沸かす人がペンタブを持つ姿は新鮮だった。

 

番組の最後のほうで最新の技術を監督に見せるシーンがあった。

それは機械学習を用いてコンピューターが自分で「歩く」という動作を考えるものだった。(ゾンビゲームに使うと言っていたかな)

その時にドワンゴの川上さんが「面白い」という言葉を使った時に監督の表情が変わった。

知人に身体障害の方がいて、ハイタッチするにも一苦労だと監督は言った。

それを考えると面白いなどとは言えないし、これを作っている人間の中に「痛み」を考えた者はいるのか?と。

先ほどまで、監督の喜ぶ顔を想像していたであろうクリエイター達は水を打ったように静まり返る。

横で見ていた鈴木プロデューサーが「何がしたいの?」と疑問を投げる。

若手クリエイターは「人間が描いたような絵を描く人工知能が作りたい」と返した。

その場を取り繕うとした川上さんが「あくまでこれは実験で世間に出るものではありません」と言うも「分かっています。それを仕事でやりたくはありません」と監督は答えた。

ジブリが作り続けてきた命が、無造作に表現され、嘲笑されることに我慢ならなかったのだろうと思うし、何より痛みに対して無自覚な人間が、それによって誰かを傷つけることに責任を持てるとは思えない。

だから、仕事でやるべきではないという判断は適切に思った。恐らくこれは「ズートピア」を作ったジョン・ラセターも同じ目を持っていると思う。

偏見や差別というのは無自覚に行っている側面もあるので、表現者は常に気をつけないといけない。鈴木Pの言葉はその犠牲のうえで何を表現したいのか?という問いであって、AIに描かせるというのは無自覚そのものだし、ある意味で責任転嫁とも取れる。

法的な権利の話ではなくて、誰が痛みに責任を持っているのかという自覚です。

 

こうやって書くとやはり長文になってしまうのは仕方ないけど、Twitterで短縮すればするほど不細工になってしまいます。

切れ味鋭い文章にするにはどうしたらいいのでしょうか。