第二回となる今回はガンディーの生い立ちを紹介するなかで、自己の中に眠る欲望と近代文明の関係性について焦点を当てた内容でした。
引き続き解説は中島岳志先生。
公式サイトではコラムがアップされているので必読です。
番組冒頭で一枚の写真が紹介されました。なんとこのイケメンは19歳のガンディー。当時のガンディーはイギリス紳士になろうとしていたそうです。
そこに至るまでに何があったのかというと…
幼い頃のガンディーは友人から「なぜイギリス人が強いのか分かるか? 肉を食べているからだ。俺を見てみろ」なんて言われて、ガンディーはその気になってしまう。
そしてヤギ肉に手を伸ばしたそうです。
その日の夜は良心の呵責で眠ることができませんでした。
ーーが、その後もヤギ肉を食べるガンディーボーイ。
さらにはタバコを吸ってる大人を見てタバコを吸うようになり、家政婦のヘソクリをくすねたりしたそうです。
ヘソクリですからね。家政婦にしてみればバレないと思って隠しているわけで、それをまんまとパクる感じが目に浮かびます。
その後、19歳でイギリス留学。
現地の老夫婦の家でお世話になり、心遣いで若い女性も同席することに。
ガンディーはしきたりで既に故郷で結婚していたのですが、独身のように振る舞ったそうです。
この絵の顎のあたりをパリパリ掻いてる感じがたまりませんね。
動画が終わりスタジオにカメラが移った瞬間の「あっ、こいつゲスだな!」って気づいた伊集院さん。
その後、弁護士の資格を取ったガンディーの元に南アフリカで弁護士をやらないかというオファーが届きます。
当時は仕事でアフリカへと向かうインドの方が多かったそうです。
新天地での生活を思い浮かべながら汽車に揺られていると、白人の職員がやってきて「貨物室へ移れ」と言うのです。
何度もチケットを見せましたがガンディーの言葉は聞き入られません。
とうとう汽車から降ろされてしまうのでした。
ガンディーの前に根深い人種が立ちはだかったのでした。
一晩駅で夜を明かすことになり、この現状について考え、これは病気であり根治しなければならないという結論に至るのでした。
翌朝すぐに鉄道会社へと抗議文を書き、他のインド人の声を聞き自分以外にも不当な扱いをされている人がいることに気づくのでした。
イギリス人と同じ知識を持って、同じ服を着たとしても絶対に同じ地位にはつけない。これは異なるコミュニティがぶつかり合うというか、肌感覚じゃないと分からない差別に思いました。
普通だったら外圧に対して政治的なシステムに目を向けるところを、ガンディーは自分の中にある欲望に気づいて自問自答したと中島先生の解説。
この考え方は第一回の「またイギリスを作ってどうするんだ」という発言に通じていますね。
ガンディーはこの欲望についてこう書き記しているそうです。
性欲と結婚についてーー
朗読は引き続きメレブことムロツヨシさんです。
一人の男が一人の女を、一人の女が一人の男だけを愛するとしたら、二人以外の世の人びとに、何が残こされるでしょう。
それはただ、「肝心なのは二人だけ、あとのみんなはどうでもござれ」と言っているだけです。
食欲についてーー
食物は摂(と)るがごとくに摂収(せっしゅ)されなければなりませんーー
すなわち、美味か否かを考えず、また肉体の必要に限られた分量だけを摂らなければなりません。
親たちは間違った愛情から、子どもたちにいろいろな食べ物を与え、子どもの健康を損ない、人工的な味覚に慣れさせてしまう。
そこでわたしたちは、多額の金を(健康のために)浪費し、薬師(くすし)の恰好(かっこう)の餌食(えじき)になってしまう。
所有欲についてーー
富者は要りもしない余計な物をふんだんに貯め込み、結局はそれらをなおざりにして浪費します。
いっぽう、幾百万という貧者は、食べ物がなく餓死するのです。
もし各人が必要な物だけを所有するなら、ひとりとして困窮する者はなく、万人が満足に暮らしていけましょう。(訳 森本達雄)
ガンディーは一人一人が欲望を制限することを提唱したのでした。
性欲、食欲、所有欲を制限し、その究極が自我を捨てることであるというのです。
富も家族も肉体も、いまあるごとく、そこに存在することには変わりありません。
したがってわたしたちは、それにたいする態度を変えさえすればよいのです。
これらはすべて、わたしたちの所有物ではなく、神のものです。
この世にはひとつとしてわたしたちの物はありません。
わたしたち自身ですら神のものなのです。
この一文はすごいですね。
無宗教の人間からしてみれば難解で仕方ないのですが、政教分離をすべきではないという考えの根拠になる部分ですよね。
つまりは、宗教は違ったとしてもこの世を創り、私たちを作ったのは神様であるからして、奪い合うことは許されず、万人が満足して生活するために必要の限度を決めましょうと説いていると理解します。だから今そこに在るモノに対して、態度を変える必要があると。
文章にするとまどろっこしいので分かりやすいイラストがあるので貼っておきます。
✳︎banksyがリツイートしてたものです。
↑ガンディーの説く欲望の制限とはこういうことだと思います。
何のために欲望を満たすのかという話ですね。
人のためだとしても、簡単に欲望の拡大を止めることはできません。
そこでガンディーは「誓う」という行為の重要さについて説くのでした。
「誓う」という行為についてーー
「できるだけ」
なにかをおこなうという態度は、事に当たって初めから、すでに誘惑に屈していることになります。
ビジネスマンが「できるだけ」この日に「できるだけ」の金額を支払います
というような手形を相手(問題)にしないように、神もまた「できるだけ」真理に従い、これを実践しますという人の約束手形は受け取りを拒否なさることでしょう。
誓いをたてるというのは、弱さの証拠ではなく、強さの証拠です。
これもまたどんな宗教であっても、神に対する忠誠というのは共通項であり、原理主義なんですよね。
中島先生はガンディーの考え方に近いのはエマニエル・カントだと例を挙げました。私も平等性についてのところで、カントの悪魔とケーキの話を思い出してしまいました。
また、理想についてあーだこーだ、現実についての不平不満に着目するのではなく、理想と現実をいかに埋めるか議論すべきだという態度はサルトルの実存主義を思い出しました。
伊集院さんはガンディーは昔に悪いことをした事があるから感情移入ができるし、その過去があるからこそ弁護士の資格を得て逆の立場の人間のことを考えることをできるのではないか。ハイブリッドですよねと感想を述べていました。
第二回は以上です。
最後はゲスの極み乙女の「ノーマルアタマ」でお別れしましょう。(なんじゃそりゃ)