モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「動物農場〔新訳版〕/著 ジョージ・オーウェル/訳 山形浩生」の感想

 700円+税で買える悪夢

書店の一角で『劇場アニメ「虐殺器官」公開記念 ディストピア小説フェア』というのをやっていた。トランプ政権になってから「1984」がアマゾンでベストセラーになる世の中。こういう企画も面白いかもしれないと足を止める。

そこにあったのが今回の「動物農場」で、最近長編小説を読んでいた私にとってはちょうどいい薄さでした。

700円+税で買える悪夢のはじまり、はじまり。

 

第1章

 舞台はイギリスのメイナー農場。

ジョーンズという農夫が経営していて、最近は経営が悪化していました。

物語はヨークシャー種のオスブタの老メイジャーが見た、人間がいなくなった地球の夢と、昔に忘れた『イギリスの獣たち』という歌を夢の中で思い出したことをきっかけに始まります。

イギリスの獣たちよ、アイルランドの獣たちよ

あらゆる地域と気候の獣たちよ

輝ける未来の時代を告げる

我が喜びの報(しら)せを聞け。

遅かれ早かれその日はくる

圧政者人類が追放され

イギリスの肥沃な農場を歩くのは

獣たちだけになるだろう。

我々の鼻からは環が消え

背中のくびきも消え

馬勒(ばろく)や拍車も永遠に錆つき

残虐な鞭の音ももはやない。

思い描けもしないほどの富

小麦に大麦、カラス麦に干し草

クローバー、豆、砂糖大根が

その日我らのものとなる。

イギリスの畑はまばゆく輝き

その水は清く澄み

そよ風はなお甘くそよぐ

我らが解放されるその日には。

その日目指してみんながんばらねば

実現以前に死んだとしても

ウシやウマ、ガチョウや七面鳥

みんな自由のために苦闘しなければ

イギリスの獣たちよ、アイルランドの獣たちよ

あらゆる地域と気候の獣たちよ

輝ける未来の時代を告げる

我が喜びの報せを聞け。

集会でこの歌を聴いたメイナー農場の動物たちは胸を高鳴らせるのでした。

歌詞を見てみると人間の支配から動物が解放される日、いわばユダヤ教における「約束の地」の予言にあたりますね。

イギリスだけではなく世界の全ての動物に向けて歌われているのが分かります。

一つ気になったのが「砂糖大根」というワード。

テンサイ - Wikipedia

調べてみたらマイクラに出てくるビートルート種の植物みたいです。

(=´∀`)へぇー

 

第2章

予言の三日後、老メイジャーはこの世を去りました。

その後を継いだのが三匹の豚。

  • スノーボール→演説力があり創意工夫の資質があるオス豚
  • ナポレオン→欲しいものは手に入れる性格の大柄のオス豚
  • スクウィーラー→小型で太っている甲高い声の持ち主。白を黒に丸め込めるという悪知恵があるオス豚

 

この三匹を中心に「動物主義」を掲げ、動物たちは反乱に向けて秘密活動を続けました。

そして、エサが与えられなかった6月24日、我慢できなくなった動物たちは夜になって暴れ出し、あっさりとジョーンズ夫妻と使用人を農場から追い出すことに成功。それはまるで京料理のようでした。←最近私はいらない一言を足したくなるのです。

 

動物主義の七戒

1.二本足で立つ者は全て敵。

2.四本足で立つか、翼がある者は友。

3.すべての動物は服を着てはいけない。

4.すべての動物はベッドで寝てはいけない。

5.すべての動物は酒を飲んではいけない。

6.すべての動物は他の動物も殺してはいけない。

7.すべての動物は平等である。

豚達は人間の文字を理解して、この戒律を書き上げます。ここでその他の動物を知能の高い順に紹介をしておきましょう。

  1. 豚=ロバの老ベンジャミン(ベンジャミンはボクサーを崇拝してる)
  2. ヤギのミュリエル(新聞を朗読できる)
  3. イヌのブルーベル、ジェシー、ピッチャー(そこそこ字を読めるが七戒以外に興味がない)
  4. ウマのクローバー(白いメスで言葉を書けないが読めるレベル)、ボクサー(大型のオスで命令に忠実、いろはしか分からない)、モリー(自分の名前だけしか分からない)
  5. ヒツジ、メンドリ、アヒル(理解できない)

スノーボールは七戒を理解できないものがいるので「四本足はよい、二本足は悪い」という言葉に集約しました。以後、ヒツジはこのフレーズを連呼するようになります。(馬鹿の一つ覚えというと印象悪いですが…)

また、それと同時に農場運営のために組織もつくりました。

  • 卵生産委員会→メンドリ
  • 清廉尻尾同盟→ウシ
  • 野生同志再教育委員会→野生のネズミとウサギをおとなしくさせる狙いがあったが一瞬で崩壊
  • 羊毛純白化運動→ヒツジ
  • 教育委員会→全ての動物を対象としたもの 

そうした取り決めをしている最中、搾乳されずにいたメスウシが苦しみだすハプニングが起こり、豚が乳搾りをしました。(器用だなおい)

「ミルクのことは気にするな、同志諸君!」とナポレオンが叫び、バケツの前に立ちはだかりました。「それは対応しておくから。収穫のほうがもっと重要だ。同志スノーボールが先導してくれる。私もすぐに続こう。同志たちよ、前進だ!干し草が待っている」

そこで動物たちは干し草畑に行進して収穫を開始しました。そして晩になって戻ってくると、ミルクはいつの間にか消えていたのでした。

第2章にして早くも動物農場終了のお知らせが…笑

リボンなどを身につけることは奴隷の証明だという考え方を持ちながら、アルファベットを学んでいることにも矛盾があるし、そもそも奴隷解放というのであれば農場という概念をやめるはず。

この時点で、豚達は本気で人間から独立しようとは思っていないのではないか?と私は感じました。

 

第3章

 ヒツジやメンドリ、アヒルといった動物は七戒を暗記することができません。そこでスノーボールは動物主義の原理を「四本足はよい、二本足は悪い」という言葉に集約したわけですが、それを聞いたトリの中から自分たちは当てはまらないのではないかという反論がありました。

「同志よ、トリの翼は推進器官であり、操作器官ではない。したがってそれは足と解釈されるべきだ。人を区別するしるしは手だ。手は人間がその悪行すべてを行う道具なのだ」

トリの反論に対してスノーボールはこのように返答し、トリはこの言葉が難しくて理解できないのに納得しました。(あかんやんけ!笑)

スノーボールに反論するとすれば、推進器官と操作器官をどのように区別しているのかを明確に示すべきであるという点。人間の指の間には水かきの名残りが残っており、完全な操作器官ではないのでは。(豚のさじ加減にマジレスする私)

 ナポレオンは、スノーボールの委員会にはまったく興味を示しません。すでに大きくなってしまった動物に何をするよりも、幼い動物たちの教育のほうがずっと大事なのだと言うのです。たまたま、ジェシーとブルーベリーが干し草の収穫後に出産して、元気な子イヌをあわせて九匹産みました。乳離れと同時に、ナポレオンは子イヌを母イヌから引き離し、自分が責任をもって教育にあたると言います。そして、馬具室からはしごでしか上がれない屋根裏に子イヌたちを入れて、完全に隔離してしまったので、農場の他の動物たちは、子イヌたちがいたこともじきに忘れてしまいました。

スノーボールが実務に関する取り決めをする裏で、なにやらナポレオンは子イヌ育成ゲームを開始。この溢れ出る森友学園フラグはなんなのか。もう嫌な予感しかしないっていう…笑。

同じような裏の社会の話で、暗殺者を育成するために孤児院から引き抜いてくるっていう噂話ありますけど、保身の為に組織を作って都合のいい人間を作るために洗脳するって「自由」とは程遠い思考ですよね。

さて、話はミルク泥棒疑惑へと戻ります。

「同志諸君!我々ブタたちが、これを利己性と特権の精神で行っているなどと諸君が思っていないことを願いますぞ! 我々ブタの多くは、実はミルクやリンゴなど嫌いなのです。私だって嫌いだ。こうしたものを食べる我々の唯一の狙いは、我々の健康維持なのです。ミルクとリンゴは(これは科学で証明されたことなのですぞ、同志諸君)ブタの厚生に絶対に不可欠な物質を含んでいるのです。我々ブタは頭脳労働者です。この農場の管理と組織はすべて我々にかかっているのです。我々は日夜、諸君らの厚生を見守っております。我々があのミルクを飲み、リンゴを食べるのも、諸君のためなのです。我々ブタがその責務に失敗したら何が起こるのかわかりますか? ジョーンズが戻ってくるんですぞ! そう、必ずやジョーンズが戻ってきます、同志諸君!」 

政府で言う所の官房長官(プロパガンダ担当)を務めるスクウィーラーは、知能が低い動物たちを騙して、自分たちの考え方を納得させるのが仕事でした。

日本における霞ヶ関文学はこれと同じ性質ですね。見え透いた嘘を一度でも許してしまうと、こいつは簡単に騙せると思わせることになるので、ブリブリざえもんa.k.aブリざえが調子に乗らないように気をつけないといけません。(ちなみに私はクレしん映画の中でヘンダーランドの大冒険が好きです)

 

第4章

スノーボールとナポレオンは農場からハトを送り出し、反乱の物語と歌を各地へと伝えました。

  • ピルキントン氏が経営するフォックスウッド(森林に覆われた荒れた農場。釣りと狩りに使ってる)
  • フレデリック氏が経営するピンチフォールド(よく管理された小さい農場。強気の交渉をすることで有名)

ピルキントン氏とフレデリック氏はいつもいがみ合っていましたが、隣のメイナー農場が「動物農場」となったことに危機感を覚えました。そしてジョーンズと使用人全員&6人で農場を取り返すドンパチを開始。

豚達はそれに備えて予め準備を整えていました。

スノーボールとトリ達が突っ込みつつ、ウマとヒツジが続き、撤退したと見せかけて庭に誘い込み、スノーボールと牛たちが突撃。

カウンターでジョーンズが散弾銃を発射し、スノーボールは背中を負傷し、一頭のヒツジが即死。

人間たちはパニックを起こし、ツノで突かれ、噛まれ、踏みつけられ、猫に切られながら逃げていきました。動物達はこれをウシ小屋の戦いと名付け、勇敢に戦ったスノーボールと殉死したヒツジに勲章を与え、葬儀を行いました。 

このパートは映画でいうと「ホームアローン」みたいなタワーディフェンス型ゲームと同じようなスリリングさがあって、読んでいて面白かったです。

 

第5章

ここでスノーボールとナポレオンの内部対立が鮮明になってきます。

 論点は農場の経営方針と防衛の二点について。

スノーボールは風力発電によって労働を週3日間にすることが可能で、ハトを使った反乱の拡大を呼びかけることを継続しようと言いました。

一方、ナポレオンはその風力発電の建設期間中に餓死をする者が出ると反対し、防衛に関しても銃を使うべきだと反対しました。

そこで日曜日の朝に行われていた会合で投票が行われることになったのですが、スノーボールが持ち前の演説力と風力発電の実現性を提示したことで投票せずともスノーボールが空気を支配しました。

ここでナポレオンが甲高い鼻声をあげると、初代バイオハザードでゾンビ犬が窓をぶち割って侵入する例のシーンばりに、狂犬化したいつかのわんわんおーたちがスノーボールに襲いかかりました。

スノーボールはイヌたちとチェイスして、命からがら逃げることに成功。そして、二度と本編に出ることはないのでした。

いわばナポレオンによるクーデターが行われたわけです。これからは自分が特別委員会の議長になると言い放ち、(しかもその委員会は非公開)日曜日の朝の会合は行わないと発表。スノーボール側に居たオスの去勢豚四頭はこれの決断に意を唱えましたが、イヌの唸り声を聞いて黙りました。

「勇敢なだけでは不十分なのです。忠誠と服従のほうが重要。そしてウシ小屋の戦いはといえば、いずれあのときのスノーボールの役割がずいぶん誇張されていたことがわかるはずですよ。規律ですよ、同志諸君、鉄の規律! いまは重視すべきはこれなんです。一歩間違えば、敵がまた襲いかかってくる。同志諸君、まさかジョーンズに戻ってきてほしくはないでしょう?」

と、スクウィーラーがそれらしいことを言いますが、ウシ小屋の戦いでこいつが戦う描写は一瞬もなかったような…

それと、どんな愚策であっても過去よりも今の方がいいに決まっているというレトリックは責任を取らない政治家がよく使いますね。

この後の展開がめちゃくちゃで、実は風力発電の提案者はナポレオンで、風車に反対したのは危険因子であるスノーボールを始末するためだと支離滅裂をばら撒いて、疑問を抱く動物にはイヌで威嚇して受け入れさせました。

「恫喝する動物どうかしてる」と思わず韻を踏んでしまいませんか?

しませんね。しませんとも。ええ。

 

第6章

この章の冒頭で動物たちの生活リズムが書かれていました。

  • 「動物たちは奴隷のように働きました」
  • 「みんなは週六十時間働きーー」

→つまり週に60時間働くと奴隷 

日本の労働法では1日8時間以上、週に40時間を超えてはならないという取り決めになっていますが、1日の労働時間だけを見ると動物農場の労働時間に近いですよね。いやー。ブラック無糖。

この環境の中で誰よりも奮起したのがボクサーでした。彼は「わしがもっと働く」というスローガンを掲げる仕事人で、ここに「ナポレオンは常に正しい」という追加のスローガンを掲げて風車の建設を行なっていました。

労働と目的の達成の中でアイデンティティを保っている彼にとって、労働を与える者は神格化されていたのかもしれません。

一方、ナポレオンは他の牧場と取引するために法務弁護士のウィンパーという人間を仲介人にすることに決めました。

これについてスクウィーラーは「お金を使ったり、取引してはいけないという決議の記録でもあるのか?」と反論し、動物たちは「自分たちが間違っていた」と納得しました。←おいおい…

その後、豚たちはジョーンズ邸に住むようになります。

壁に書いてあったはずの戒律をミュリエルが読み上げるとそこには「すべての動物は、シーツのあるベッドで寝てはいけない」と書かれてあったのでした。

議会の決議もなく戒律は豚の都合のいいように書き換えられていくのです。もはや老メイジャーの見たズートピアは存在しません。

その後、なんとか風車が半分完成しましたが強い風に見舞われて倒壊。これをナポレオンはフォックスウッドから忍び込んだスノーボールがやったのだと言い、それに屈しないためにも1日の遅れもなく完成させるのだと、今まで以上の重労働を命令しました。

どうせ動物に風車なんてできっこないという人間の考えに対して、動物たちは反発心を持っています。それを豚が利用しているという構図が見てとれます。

 

第7章

冬の寒さの中で飼料不足になり、このしわ寄せがメンドリたちへと向かいます。

孵化させるはずの卵さえ代金の支払いのために売り払うというのです。

これにメンドリたちは産み落とした卵を落下させる抗議活動をしました。ナポレオンは聞く耳を持たず、すぐにエサの配給を止めます。メンドリたちは五日間のストライキのあと、一羽の犠牲と引き換えに産卵箱へと戻りました。

この後、スノーボールと接触している内通者がいるとしてーー

  • 若いオス豚4匹
  • メンドリ   3羽
  • ガチョウ   1羽
  • ヒツジ      3頭

が処刑されました。

また、もう反乱は必要ないという理由で老メイジャーの教えた「イギリスの獣たち」も廃止され、代わりにミニマスという詩人の豚が新しい歌を作りました。

 

ガクガク(((i;・´ω`・人・´ω`・;i)))ブルブル

 

俺がルールだ!と言わんばかりの傍若無人な振る舞いは独裁政治のテンプレですね。(北朝鮮を頭に浮かべた人もいるはず)

実は処刑のシーンで、頭に血が上ったイヌ三匹がボクサーに襲いかかるシーンがあるのですが、その際にイヌたちはボクサーに一蹴されるんです。しかも、その時ボクサーはイヌを踏み潰すかどうかナポレオンに視線を送る。ボクサーには正しい指導者になれる資質があると思うのですが、ナポレオンを崇拝してしまっているからもどかしいです。

 

第8章

処刑から数日後、すべての動物は他の動物を殺してはいけないという戒律を思い出した一部の動物たちが確認してみたところ、戒律はすべての動物は他のどんな動物も理由なしに殺してはいけないと書き換えられていたのでした。

さらにナポレオンは「我らが指導者」 「同志ナポレオン」と呼ばれるようになります。

 

もうこの農場やだ_:(´ཀ`」 ∠):

 

経営のほうはといえば、定期的に取引を重ねていたフォックスウッド農場のピルキントン氏に売るはずの木材を12ポンド安く売れるからという理由でピンチフォールド農場のフレデリック氏に売却。

ナポレオンはさらにフォックスウッド農場と交流を断絶すると意味不明な発言をし、『ピルキントンに死を!』という過激なスローガンを掲げます。それを英断かのように下僕どもは持ち上げたのでした。

しかし、木材と引き換えに手に入れた紙幣が偽札だったことが判明。(豚だけにぷぎゃーな展開)

フレデリック氏の策略にまんまとハマったナポレオンはどうにかピルキントン氏をこちら側の味方にできないかとハトを飛ばしました。返ってきたのは「いい気味だ…」という返信だけ。(ですよねぇ)

そして、フレデリック氏との戦争が開始されます。(2回目のタワーディフェンスゲーム)

 

6丁の銃を持った人間15人が農場に侵入。

動物たちは震えていました。

そのうち2年かけて作り上げた風車がダイナマイトで跡形もなく破壊され、殺意の波動に目覚めた動物たちは応戦しました。(スクウィーラーはどこかに隠れてる)

ボクサーは3人の人間の脳天を割り、ウシは角で腹をえぐりました。

なんとか退却させることに成功しましたがーー

  • ウシ       1頭
  • ヒツジ   3頭
  • ガチョウ2羽

が死亡し、ほぼ動物全員が負傷してしまいました。ボクサーは膝から血を流し、蹄は裂けて蹄鉄を一つ失い、後脚には散弾12発を浴びました。この絶望の中、自分は11歳だからもう重労働はできないかもしれないという思いが脳裏をよぎりました。

 反対に、どこからともなく出てきたスクウィーラーは「我らの勝利だ!」と騒ぐのでした。

 この数日後、物置にあったウイスキーを見つけた豚たちは二日酔いになるまで酒を飲み、禁止された「イギリスの獣」を歌ったりしました。

そしていつものように、戒律はすべての動物は酒を過剰に飲んではいけないと書き換えられていたのでした。

 

第9章

ボロボロの身体を引きずりながらも、ボクサーは自分が引退する前に風車を完成させたいと願いながら歩みを進めました。

奴隷の日常には子豚の学校建設も加わり、ボクサーはいつもと変わらずやる気でいましたが身体は衰えていました。

そしてとうとう夏のある晩、一匹で作業していたボクサーが倒れました。

「肺がもうだめだ。でもかまわん。わしがいなくても風車は完成させられるだろう。石はもうかなり集めておいた。どうせあと一ヶ月で引退だったんだ。正直いって、引退は楽しみだったんだ。それにベンジャミンも高齢になってきたから、あいつも同時に引退させてもらえて、わしといっしょに過ごせるかもしれん」

すぐに助けなければ!とかけよった動物たちはスクウィーラーに報告し、ウィリンドン町の病院に搬送するとの発表がありました。

まさか、これがボクサーの最期の言葉になるなんて誰が想像したでしょうか… 

「このバカ者ども、バカ者どもめ」とベンジャミンは、みんなのまわりを飛び跳ねて、小さな蹄で地団駄を踏んでいます。「このバカ者ども、あの馬車の横になんと書いてあるか読めないのか?」

これで動物たちは動きを止めて、押し黙りました。ミュリエルは単語を一文字ずつ読み上げました。でもべんはそれを押しのけ、不気味な沈黙の中でこう読み上げたのです。

「『アルフレッド・シモンズ、馬肉処理およびにかわ製造業、ウィリンドン町。皮革および骨粉販売。イヌのエサ販売』。どういう意味かわからんのか? あいつら、ボクサーを解体業者のところに連れて行こうとしているんだ!」

ロバの老ベンジャミンは、馬として力強く仕事をするボクサーを尊敬していました。普段は物静かな彼がこのシーンでは、いつになく怒りを露わにしていることがわかります。それによって動物たちはようやく何が起きているのかに気づきますが時すでに遅しーー。

ボクサーにかつての脚力があれば「逃げて、ボクサー、逃げて!」と聞いた瞬間に馬車のドアを蹴破ることができたでしょうが、ドナドナ状態のままさよならバスよ。

そして三日後、スクウィーラーはいつものように嘘をつきます。あれは獣医が解体業者から馬車を買い取ったもので、ボクサーは可能な限りの治療を受けたと言うのです。

「私は臨終にいたるまでそばについていた。そして間際にかれは、弱りきっていてほとんど口がきけなかったのだが、唯一悲しいのは風車が完成するより先に他界することだと私の耳に囁いたのだよ。『同志たちよ前進だ!反乱の名において前進せよ。動物農場永遠なれ!同志ナポレオンよ永遠なれ!ナポレオンは常に正しい』これがボクサーの今際の言葉だったよ、同志諸君」

農場で一番の功労者と言っていいボクサーをどうして解体業者に売り渡したのかといえば、定年を迎えた動物が過ごすはずのスペース(年金)でビールの大麦を作付けすると決めたから。そのうえ、事もあろうに豚達はボクサーを売った金でウィスキーを買うのです。

ゆ、許せねぇ!ゲスどもめ!

これだけでも腹が立ちますが、スクウィーラーの言葉を信じた動物たちは存在しないボクサーの安らかな死を想像して納得するのです。

洗脳された動物たちは簡単に殺人幇助をするという認識でいいと思います。

ボクサーが哀れでならないのは、彼自身「ウシ小屋の戦い」で最初に人間を傷つけた時に「殺すつもりはなかったんだ!」(気を失っていただけ)と涙するほど心が優しかったし、心優しいからこそみんなの分まで働くと言い続けたんです。

豚達はその大きな存在をウィスキーのために売って、現実を嘘で塗り固めたんです。

この展開は腹が立って仕方ないです。

 

 第10章

生存者一覧

  • クローバー
  • ベンジャミン
  • モーゼス(カラス)
  • 数匹の豚

かつての反乱を記憶している動物はほとんどいなくなり、買い入れられた動物は口承で知っているだけです。

風車が完成して農場は繁栄していますが、週三日労働の話も引退という概念もありません。教育を受けるのは豚とイヌだけで、新しい動物はいろはも書けません。

「昔と比べたら今のほうがいい」という考えの証拠となる文書も当然のことながらスクウィーラーが改ざんしていますから、まともに比較することもできないのです。

長い生涯をこと細かに記憶していると主張するのは老ベンジャミンだけでした。かれは、物事は昔もこれからも、大して改善もしなければ悪くもならないに決まっていると言いますーー空腹、労苦、幻滅こそは、生の不変の法則なのだよと言うのです。

動物たちは現状が悪化しているのにどうして農場から逃げないのかというと、動物が人間から独立した世界に唯一の農場だったからです。この自尊心だけで生き抜いていたと言っても過言ではありません。

さて、ナポレオンはクーデターによって覇権を握ったわけですが、最後にもう一度クーデターを起こします。

全ての豚を二本足で歩けるように教育したのです。

死んだような沈黙が漂いました。驚愕し、恐れおののき、身を寄せ合い、動物たちはブタたちの長い行列がゆっくりと中庭を行進するのを見つめました。まるで世界が逆立ちしたかのようです。そして、最初の衝撃がおさまり、あらゆるものを抑えてーーイヌの怖さも、長年通じて培われた、何が起ころうとも決して文句を言わず、決して批判しないという習慣も抑えてーー何か抗議のせりふを口に出しそうな瞬間がやってきました。でもまさにその瞬間、まるで合図でもあったかのように、あらゆるヒツジたちが大音量でメエメエと叫び始めたのですーー「四本足はよい、二本足はもっとよい! 四本足はよい、二本足はもっとよい! 四本足はよい、二本足はもっとよい!」

 そして、壁に書かれていた戒律も「すべての動物は平等である。だが一部の動物は他よりもっと平等である。」と書き換えられていたのでした。

この戒律の解釈ですが、動物というカテゴリーの中で種別に関係なく平等であるべきだが、豚は動物ではなく人間に近いというニュアンスですね。

その後、ジョーンズ夫妻が着ていた服を着たナポレオンの元にピルキントン氏などが集まりパーティを行い「メイナー農場」の繁栄を祝いました。そしてこの物語は人間と豚がトランプ遊びで、どちらもスペードのエースを出したことをきっかけに醜い争いをしてどちらが豚なのか見分けられなくなったというオチで締めくくられるのでした。(1943年11月ー1944年2月)

 

豚は自分たちの知能は動物ではなく人間に近いことを証明するために、他の動物を利用してきました。そして最後のクーデターは動物からの完全な独立を意味していて、そのうえで「動物農場」ではなく「メイナー農場」と呼び、家に人間を招待して効率化された農場と二本足で歩く自分たちの振る舞いを見せ認めさせようとしたわけです。

最後のオチの「二枚のスペードのエース」は中盤の「偽札」を踏襲したもので、豚を馬鹿にしている人間を表していると思います。ただ、この場合は豚が人間を騙した可能性もありえます。明確にどちらが偽物のトランプを使ったのか書かれていないことから、「豚が人間に近づくこと」と「人間が豚に近づくこと」が同じように「腐敗」を意味していると解釈できると思います。(具体的に言うと他人を騙して利用し切り捨てるという反人道的な行為)

だからこそ私は感想を書くにあたって、本文で「ブタ」と表記されているのを、にくづきのある「豚」と表記したのでした。

 

おわりに

本の終わりにはジョージ・オーウェルが「動物農場」を出版するにあたっての過程、社会の背景、本書が意味することと自身の思想とが述べられています。

これまた非常に傾聴すべき内容で、普遍的な警告に思うのです。

 出版社や編集者たちが自らある種の話題を出版されないようにするのは、刑事処罰が怖いからではなく、世論が怖いからだ。この国では、物書きやジャーナリストが直面する最悪の敵は、知的な臆病さであり、私に言わせればこの事実は正当な議論を受けていないように思う。

〈中略〉

「この本は出版されるべきではなかった」などというのは、単にできの悪い本については言われたりしない。なんといっても、ゴミクズが毎日のように山ほど印刷されているのに、誰もそれを気にとめないのだから。イギリスの知識人たち、あるいはその大半は、本書が自分の指導者を中傷し、(かれら的には)進歩の大義にとって有害だといって反発するだろう。もし本書に正反対のことが書かれていたら、かれらは文学的な欠点がいまの十倍もひどかったとしても、まったく批判しないだろう。

〈中略〉

でも自由とは、ローザ・ルクセンブルクが述べたように「他の人の自由」なのだ。同じ原理が、ヴォルテールの有名な言葉にも含まれている。「私はきみの言っていることが大嫌いだ。でもきみがそれを言う権利は命にかけて守ろう」。知的自由は、間違いなく西洋文明を傑出したものとしている条件の一つだ。

〈中略〉

自由というのは何を置いても、みんなの聞きたくないことを語る権利ということなのだ。一般の人々はいまでも、漠然とこの教義をしじしているし、それに基づいて行動している。私たちの国ではーーあらゆる国で同じではない。共和国時代のフランスではちがったし、いまのアメリカでもちがうーー自由を恐れているのはリベラル派なのであり、知性に泥を投げつけているのは知識人だ。私がこの序文を書いたのも、この事実に注目してもらうためなのだ。

一九四五年

素晴らしい文章です。ぜひぜひ買って全文を読んで欲しい。

昨今、森友学園問題について籠池氏が外国人特派員協会で会見を行った際に「海外には忖度という言葉が無くて翻訳に困った」という一幕がありました。

しかし、ジョージ・オーウェルは1945年の時点でそれを「知的な臆病さ」であるとしていたわけです。その意味するところはこれまたジョージ・オーウェルが言うように知識人の劣化ではないでしょうか?

たまにどこぞの学者さんが「頭がいいから嘘をつく」みたいな発言で嘘つきの自尊心を満たしていますが、心なき人間の振る舞いはガンディーに言わせれば大罪です。(理念なき政治&労働なき富&良心なき快楽&人格なき学識&道徳なき商業&人間性なき科学&犠牲なき信仰でお馴染み)
その学者もまた「人格なき学識」つまり、オーウェルが指摘するリベラル派の劣化の産物に思います。

どうして劣化したのかを考えると、これは「武力の均衡」を「平和」と呼ぶ人間がいるように、言論空間における「侵食の均衡」を「自由な言論」と認知しているからではないでしょうか。

動物農場で考えてみると、仮にスノーボールとナポレオンとスクウィールが最初から「豚による豚のための政治」をやろうと画策していたとしても、スノーボールとナポレオンの力が拮抗していた時は議会制民主主義が機能していました。

ところが、ナポレオンは子イヌとヒツジを洗脳し、スクウィールはNo.2の位置と引き換えにクーデターを起こし、独裁に移行してから最後まで言論空間を支配したのは、実は一番知能が低いヒツジたちの声だったのです。

つまり、自己保身のために言論の自由を切り売りする知識人とそれを真に受ける無知な大衆が過半数を占めた場合、立場の弱い労働者が真っ先に切り捨てられる。このカーストを維持するために独裁者は「教育の自由」や「知る権利」を奪い去るわけです。

現在の世界はスクウィールと化した知識人に対して「Fake News」と呼ぶ傾向が強まり、真実を報じるジャーナリストが狼少年扱いされるという悪循環に陥っています。(Post Truth)

ヒツジの性質が変わらないと民主主義の衰退を招くことに繋がるならば、教育の場で情報との接し方を学ぶべきですよね。

私が中学生の時に「情報処理」という科目がありましたが、パソコンの使い方を学ぶだけで情報との接し方は学びませんでした。

動物農場」を絵本にしたり挿絵を多めにしたり、人形劇とかにアレンジして学校で扱えないですかねぇ…。

登場人物が動物なので取っ付きにくさはないと思うんですよ。早い時期に触れて「ふーん」とか「へぇ」でもうっすら記憶に残っていれば、18歳に選挙権を持った時に政治や憲法学を理解するヒントになると思います。

んー。でも、パン屋を和菓子屋に書き換えるような教科書を作ってるうちは無理っぽいか。(空腹、労苦、幻滅のスパイラル)

 

そんなあなたにオススメの動画がこちら!

「戦争のつくりかた」はMONKY MAJIKやMr.ChildrenのPVでおなじみの映像作家である丹下紘希氏らが作った作品です。

動物農場は革命後からの独裁(ロシアを比喩したもの)を描いていますが、こちらは民主主義社会が独裁者を生み出し軍国主義に至るまで(ナチスが一般的ですね)を描いています。視覚的にも分かりやすいデザインですし、現在の日本と照らし合わせたり、動物農場との共通点がどこなのか考えるのも面白い(ダークツーリズム的だけど)ので見てみて下さい。

 

まぁ長々と書いてきましたが、一言でいうととても面白かったです。(名著ですし)

 

これからはことあるごとにジョージ・オーウェルの名言をツイートしていきたいと思います。(虎の威を借る狐とパンダとナマケモノというオチで…)

 

_(┐「ε:)_ズコー