モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

4月18日 アラン・コットーさん

00-06 BH

06-12 ×

12-18 FE

18-24 ×

 

B. 東北地方 -1-0-0-0=1

E. 近畿地方 -0-0-1-0=1

F. 中国地方 -0-0-1-0=1

H.九州地方 -1-0-0-0=1

合計回数     -2-0-2-0=4

 

01:53 福島県浜通り 10/3.7 ②

05:31 福岡県筑後     10/2.4 ①

15:10 島根県西部     10/3.0 ①

16:26 和歌山県北部 10/2.5 ①

 

見れんかった。

 

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コミュニティの中で何か紛争があった時、仲裁の必要性に応じて空気を読むというのは否定しない。ただ、現代では「自分の身に火の粉が降りかからないようにする」という意味が強くなっているのではないか。これが「平和主義」と「事勿れ主義」の違いだと私は思う。
今の政治は常に強い者の味方である人間が増えてしまったが為に、汚職や暴言やセクハラがまかり通り、常に弱い者の味方である人が多数決に勝ちにくくなっている。腐敗は加速度を増すばかりである。(今回の財務次官のセクハラは、名誉毀損とか言う前に、その日常的に行っている品性下劣な行動を反省しろと上司が一人の男性として言うべきだったと私は思う。麻生氏にはそれができなかったし、理解されているのかさえ疑問だ)

ここで指摘しておかなければならないのは、弱い者の味方が必ずしも正義ではないという事だ。分かりやすい例で言えば、大統領選ではハイチ地震の被災者に救済を約束しておきながら、当選後は難民に冷遇するという手のひら返しをトランプは行った。
ここに信じられる事があるとすれば、政治家の中には多くの嘘つきがいて、選挙に勝つ為にあらゆる問題や団体を利用するという事だろう。
しかしながら、どんなに政治に失望させられようとも歩みを止めてはならない。なぜならそれは『絶望』の思う壺だからだ。
『何をやった所でダメだ』
『諦めろ』と自分の肩を叩かれても、その言葉を発する存在を説得できれば状況は変わる。微々たる変化を繰り返すうちに。その正体は自分の中にある恐怖心だと気付くだろう。
何でもできるヒーローは存在しない。誰でも欠点がある。その欠点をどう補うかが民主主義の果たす役割ではないのか。
組織腐敗が蔓延する社会の中で主権者の心の中に自浄作用があらんことを。