モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

「ノックの音が / 著 星新一」の感想

短編しか読めない病

先日本屋に行きました。今回はとくに買う本を決めずに発掘していくパターンで、まぁ色々と見て回って、石ノ森章太郎さんがジョージ・オーウェル動物農場とか、古事記を漫画化してるのが目にとまりました。古事記に関しては帯でクイズ王の伊沢さんが推薦していて、「あっ!この人『勇者ああああ』で工業高校選抜に負けた人だ!」と思いました。←そして私は本を元の場所に戻した
小説が読みたいなぁと思ってそちらのコーナーに行ってみたものの「文章が長くて読めないなぁ」と判断。ここで短編集に絞ることにし、星新一さんのコーナーへ。
星さんの作品はけっこう持っているけど、全てを持っているわけではなく、気になったものがあれば買うという感じで、今回の「ノックの音が」も初めて見かけた作品です。優生思想の国会議員を弁護した『新潮45』の問題があってから、新潮社の本は買わないと決めていたのですが、私にとってのレジェンド星新一さんの作品群のほとんどがココにあるという…。
悪手ではあるものの、仕方なく買うことに。(出版社がヘイト本で金稼ぎなんかしなければ気持ちを害する事もなかったのになぁ)

「ノックの音が」の感想

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収録されている15のショートショートの全てが「ノックの音がした」という一文で始まり、星さんの作品では珍しく、登場人物に名前があったので、ページをめくった瞬間の期待値は高めでした。
テーマに沿って異なる作家の作品を収録したアンソロジーものはよくありますが、「ノックの音がした」という縛りがあるほうがカッコよく感じます。
15作品のうち、私が面白いと思ったのが
「現代の人生」「夢の大金」「金色のピン」「しなやかな手」「華やかな部屋」「盗難品」「人形」の7作品。
それぞれ感想を書きたいと思います。

「現代の人生」

主人公は山下友彦という27歳の男で、薄暗い部屋の中で眠れずにベッドに横たわっていると、窓から泥棒が押し入ってきます。

P26
「あんたは、くよくよしすぎる性格のようだな。それはよくないぞ。悩んだからといって、なんの役に立つ。現代に生きるのに必要なのは、強い神経、それに自信と行動あるのみだ」
「そんな性格になりたいものだよ。自分でも、つくづくそう思う」
「なれるとも。だが、性格とは、他人が与えてくれるものではない。自分で努力し、築きあげるものだ。しかし、いったいなんでそう絶望的になっているんだ」

この後、ノックの音がして警察がやってきてます。山下が応答した場合、泥棒の事を話してしまう可能性があるので、泥棒は仕方なく自分が山下に成りすまして扉を開けます。すると警察はストーカー殺人の容疑者として山下(泥棒)を逮捕し、山下は悩んでも仕方ないと考えて明るい表情でドアから出て行くのでした。

引用部分は自信に溢れた泥棒の言葉を、簀巻きにされた山下が聞いているシーンなのですが、オチを知ってから読むと味わい深い場面です。

二人の人間を使うならば、たいていの場合は『善意』と『悪意』で対比して描くでしょう。この作品の裏切りは、自信のない山下のほうが泥棒よりも重罪を犯している点にあり、これが「自信を取り戻した殺人犯が自由を謳歌する」という物騒極りないオチに通じているのです。
トリックの効いた『羅生門』みたいだなぁと思うし、羅生門を叩いたという意味では表題である『ノックの音が』ともかかってますよね。それに人間が善悪で葛藤する『普遍性』についても『現代の人生』というタイトルに込められているのではないでしょうか。
さすがレジェンド。がーさす。

「夢の大金」

主人公は町はずれの一軒家に住む山田庄造という70歳近い老人。10年前に妻は亡くなっており、子どもも居ませんでした。詐欺師に騙されて退職金はほとんど無くなってしまい、再婚もできず家主から立ち退きを迫られているという、物語の始まりとは思えない空間にノックの音が響きます。

P55
二人は満足と期待とで、大笑いしつづけた。庄造は無理にでもとめようと、そばへ寄った。しかし、若い二人にはかなわない。またも突き飛ばされてしまった。
さっきから何度もなぐられ、倒れ、おまけに神経痛だ。起きあがるのも一苦労だった。なんとか身を起こした時は、すべて手おくれだった。

先ほどは泥棒が出てきましたが、この作品では税金を横領した元官僚の兄弟が押し入ってきます。取調べでは黙秘を貫き、刑期を終えた二人は山田が住んでいる家の下に隠しておいた金を掘り起こしに来たのでした。
その後、二人は山田が自殺する為に用意しておいた毒入りのウィスキーを飲み干してしまい、山田は二人をその穴に埋めて大金を手に入れるというオチです。

泣きっ面に蜂の状態から好転して、罪がバレるまで余生を高級な老人ホームで過ごすわけですが、その隠居生活はどんな気持ちなんでしょう。
読んでいて森友学園問題の佐川と太田かな?」なんて考えてしまいましたが、現実の悪人は誰も捕まってませんから小説のほうがマシですね。

「金色のピン」

この物語の主人公は25歳の二人の女性。資産家の娘である宮下由紀子は、学生時代の同級生である西野文江と避暑地の高原のホテルで待ち合わせ、久しぶりに会った二人は同じ部屋に泊まっていました。
そこでノックの音がします。
二人が止まる部屋の扉を叩いたのは隣の部屋に泊まる年配の女性で、お金が足りなくなってしまいチェックアウトできないので「金色のピン」を買って欲しいと相談してきます。宮下は彫刻が施されたその美しいピンを気に入って買うことにしたのですが、それはただのピンではなく、ピンを床に刺して糸を結んだ片方にカブトムシを結んで呼び寄せたい人の名前を唱えるとその人が来るというのです。

P68〜69
「曽根さんは来ないのよ。来るはずがないのよ」
ドアでは、またノックの音がした。ゆっくりした、弱々しい音だった。
「でも、だれか、たずねてきたじゃないの。それなのに、なぜ、来ないっておっしゃるのよ」
「死んだからよ」

カブトムシが出てきた時点でコミカルな話かと思いきや、急転直下で嫌なミステリーに早変わり。
宮下は西野も知っている曽根明男という男を呼ぶ事にしました。この男は宮下と3回デートしており、宮下もその気があった男です。
そしてカブトムシを糸に結ぶとノックの音がします。
この音を聞いて青ざめたのが西野です。宮下はその異変に気付いて彼女に尋ねると、自分と付き合っていた曽根が宮下に乗り換えたのを理由に曽根を毒殺したのだと告白します。気が触れた文江がカブトムシを窓から投げて静寂を迎えて物語は終わります。

女同士の友情を軸にしつつ、裏に怨恨殺人があり、ストーリーを密室の中でスクロールさせるために降霊術をギミックに使ったという構成。
こうして分解してしまうと「無理があるんじゃないか?」と感じますが、金色のピンにカブトムシを糸で繋ぐというシーンでぶっ飛んでしまうんですよ。笑
このカブトムシって恐らく『わらしべ長者』の比喩で、困った人を助けると良いことがあるというフリで使っているんでしょうね。(良いことがあると見せかけてバッドエンドを迎えるっていう)
あと、星さんが生前に作品の寿命を伸ばすために、時代を限定する言葉を除いて、読者が解釈可能な言葉に置き換えたというのは有名な話ですが、この作品の中にも気になる一文があります。

P62
「ーー由紀子は机の上のハンドバッグから、むぞうさに高額紙幣三枚を出した。」

星さん、これからキャッシュレス化が進んで、人間の人生は生まれてから死ぬまでデータ化されるかもしれません。
事実は小説よりも奇なり。

「しなやかな手」

主人公はゴシップ誌の出版社を経営する駒沢という40歳の男です。
ノックの音の主は、クソ記事を書かれてブチ切れた香木町子という歌手に雇われた犬塚信子という殺し屋。
駒沢は逃げ場のない室内で彼女に命を狙われるわけですが、部屋の中の会話はすべて金庫の中に繋がっているテープに記録されていると言って、犬塚に交換条件を持ちかけます。しかし、暗殺業をする前は金庫破りが得意だったというオチを迎えるのでした。

全体的にはそれほど個性的な作品ではありませんが、喉に刺さった魚の骨のように新潮45の問題が頭の片隅にある私にとって、この主人公がボロ雑巾のような末路を辿って欲しいと願いつつ読んでいました。それが運の悪い事にギャグ路線のオチを迎えてしまい、若干の不完全燃焼です。
では何故この作品を選んだのかというと、テープという記録メディアの方が実はスゴイんじゃないかと思ったからです。
ショック…30年前のCDをケースから出してみたら見るも無残な姿に「こんなになるの!?」「悪夢だ」 - Togetter
先日、保存していた昔のCDが溶けてしまったという嘆きの声を見かけました。
CDが売れない時代に入って、音楽は配信がメインの時代になりました。しかし、作り手のミュージシャンからすると、配信になったからといってネット環境もなく再生機器もないオフラインにはリーチしないんですよね。CDには劣化の問題があるから、今でもアナログレコードでリリースすると聞いた事があります。
カセットテープを見た事のない子どもはザラにいるし、海外だったか車に備え付けのカセットの部分にiPhoneを差し込んだ人が居たなんて話もあります。
ただ、今は廃れたモノだとしても寿命の長さを再評価される日が来た時、結果的に小説の中で最適化された言葉として輝くのではと期待してしまいます。

「華やかな部屋」

舞台となる部屋の住人の名前は25歳の草町佐江子という女性。不倫関係にある波野鉄三という某会社の重役をスポンサーにつけ、香水の専門店を経営していました。
この部屋を訪ねてきたのは香水店の横でカメラ屋を経営している須藤優平という青年。エロ展開に行く直前で波野が現れ、須藤は洋服ダンスに隠れます。
波野は酒と精力剤を飲んで絶倫おじさんに変身しようとしますが、そこへ主人の尾行を依頼していた波野夫人が現れます。

P153
こんどは佐江子があわてた。店の権利が完全に自分のものになるのはうれしいが、洋服ダンスは困る。すでに満員なのだ。

波野にトイレに隠れるように促した佐江子が夫人の対応にあたり、夫人は部屋を物色し始めてタンスの扉を開けてしまいます。須藤も驚きますが、自分の夫とは別人が出てきたので夫人も言葉が見つからず、自分は精神薄弱で相手をしてくれるのは佐江子さんだけなのですと話す須藤の手を握り謝ります。その瞬間閃光が走り、その光源の主は離婚の材料を探していた波野が雇った男でした。

物語はこれでオチを迎えるわけですが、説明文にしてしまうとどうしても面白味が削がれてしまいます。そこで私は『絶倫おじさん』というワードを足してみたのですが、パワーワードすぎて感想が頭の中から飛んでいってしまいました。
面白い話ではありますが、自ら不倫しながら妻の素行調査を依頼する波野氏の狂人ぶりも注目点ですね。

「盗難品」

主人公は高級マンションの一室に住む坂田順平。45歳でカメラ関係の仕事をしており妻は留守でした。
ノックの音が聞こえ、ドアを開けると作業着姿の男が非常ベルの検査だと言います。作業を見ながら、なぜそんな検査をするのか尋ねると、自分は泥棒で非常ベルを止める必要があったのだと正体を明かします。

P179
「じつは、さっき、あるバーから連絡があった。お客が紙幣を気前よく使っているが、どうも変な紙幣だという。そこで急行し、この青年をつかまえた。事実、たしかに変な紙幣だ。厚ぼったく、ごわごわし、色がおかしく、印刷が不鮮明だ。一見してにせ札とわかる。それに、番号が同じものばかりだ」

泥棒は封筒に入った紙幣を持ち去ると、しばらくして再び部屋に戻ってきます。後ろに警察を連れて。結果としてこれは偽札ではなく、坂田が開発した水に溶ける感光印画紙だったというオチです。
読んでいる途中で私はまんまと騙されて「どうせ偽札で警官に捕まるんでしょう?」と思ってしまいました。
冒頭の『現代の人生』の展開をフリに使っているわけですね。
やられた感。

「人形」

この物語の主人公は、非合法の商売をしていた者を殺害して大金を奪った男で名前はありません。組織を敵に回した事で都会から離れた山沿いの地方の小屋に潜伏していたのですが、ノックの音が聞こえてきます。

P190
「わら人形を知らないのかね。呪いのわら人形を。これは本物なんだよ。作り方を知っているのは、もうわたしだけになってしまった……」

訪ねてきたのは老女で、男にわら人形を売りつけます。最初は半信半疑だった男も、自分の髪の毛を入れられたわら人形が針で刺された位置と同じ部分に痛みを覚えたことから、呪いの効力を信じざるを得なくなります。老女の話では特定の人間を呪う他に、わら人形は自らの分身として機能すると説明されます。
男は組織から自分の身を守るために、自分の髪の毛を再びわら人形の中に押し込んで、金庫の中にわら人形を入れます。わら人形が安全な限りは自分にダメージはないだろうという考えです。さらに男は、万が一にも金庫が開かないように鍵を潰します。そしてさらに金庫を安全な場所に隠そうと、地面に埋める事を思いつきドアノブに手をかけますが、ドアは開かず、窓を拳銃で叩いてもビクともしない。床も壁も天井も同じように頑丈で、まるで金庫の中に閉じ込められたようだというオチを迎えます。

個人的には15作品の中でぶっちぎりで好きです。
人間の凶暴な部分と不思議な話という取り合わせって、なんでこんなに魅力的なんでしょうね。加えてこの話にはわら人形というギミックが登場しますが、まるで能力者バトル漫画みたいな使い方をしているのも見どころだと思います。
結果的に、男は脱獄不能な刑務所という安住の地で一生を終えるというのもブラックユーモアに溢れています。
こういう小説がもっと読みたいのですが現代にあるんでしょうかね?

おわりに

私は不思議な話が好きなくせに、異世界でハーレム状態になるとか、グルメ漫画に派生するとか全く面白いと思わないんです。なぜかというと、例えばお化け屋敷に行ったらお化けが出てくるのが当たり前のように、ジャンルの時点でオチが見えてる作品って魅力が半減していると思うんですよね。一方でショートショートというジャンルは、あくまで長さであって結末は千差万別です。ページの厚さから逆算するという事もできるかもしれませんが、たった数ページしかないショートショートもありますから難しいと思います。
物語に力があれば登場人物に名前が無くても成立するというのを星さんの作品で学びましたし、細部を描かずに凝縮している分だけ読者に解釈の余地を残しているという部分も時代を選ばないという所に繋がっていると思うのです。
スマートフォンが当たり前の現代では写真屋なんてほとんど見かけませんし、現金もデータ化される時代です。想像できる最先端は技術が追いついた時に役目を終える運命だとしても、まだ面白いと感じます。つまり、星さんの技術に追いついている文章を私は読めていないという事なのでしょう。

ちなみに「あとがき」にはタイトル決めの際に、以前フレドリック・ブラウンの短編集を翻訳した際に「Knock」という作品があったのが頭に浮かび、星さんも室内完結型の形式が好きだった事から「ノックの音が」にしたと書かれています。

日本にこうした作品が姿を消しつつあるとしても、星さんの影響を受けた海外のクリエイターがいるかもしれませんね。

エンディングテーマは「星のかけらを探しにいこう」で終わりましょう。