モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

7月12日 暗黒タマタマを思い出した

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合計回数     -0-1-0-0=1

 

06:22 与那国島近海 30/5.4 ② 

 

今日の地震は一回のみ。

一昨日、紀伊水道が揺れている。ドカンはやめて欲しい。

熱波の次は嵐?

海外のニュース

国内のニュース

 

コレラは地方のニュースの扱いになっているが、これだけ長期的に流行しているのだから途中経過でもいいので、もう少しメディアは取り上げて欲しい。

どれだけの豚が殺されたのか。どれだけの人が泣いているのか。そういう声に耳を傾けて欲しい。

子供たちは頭をぶつけ、確認のために滑った女性スタッフは足首を骨折。どんな設計ミスなんだ。

雑記

最近読んだコンビニ人間の感想記事がようやく完成した。記事として長くなるので、前置きと本編と終わりの3つに区切って書きつつ、最後に全体を読んで違和感のある部分であったり言い回しを修正した。その際に、言葉が足りない気がして何度か書き足した部分があったけど、そうせずともスマートに通じるような文章にしたいと思った。

その後、金曜ロードショー未来のミライを見た。

主人公は4歳ぐらいの男の子なんだけど、声が女性すぎて違和感が消えなかった。(事務所のゴリ押しなのかキャスティングミスなのか)

女性は育児も家事もできて当たり前で、男性がそれをやると褒められる(褒められたい男)という負の価値観に焦点を当てたり、親が子どもに育てられる部分を描いて家族が成長してるのは理解できた。

でも、何で庭の木にタイムリープさせる力があるのかは分からなかった。

それに、主人公のくんちゃんは気に入らない事があるとすぐに癇癪を起こすのに、場面がいきなり昔や未来に変わってもすぐに順応するのはご都合主義に感じた。そのルールに従うのであれば、「帰りたーい!帰りたーい!」とか言って喉から血が出るぐらいに叫んで手足をばたつかせて映画が終わるぐらいじゃないと納得できない。

あとは気持ち悪いぐらいに性癖が溢れていて、誰に何を伝えたいのかが明確にあるとは思えなかった。

例えば、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」はジブリ作品の中でも評価が低いと思うんだけど、でもそれは評価軸を大人のために作るのではなく子どものために作るんだと設定したから仕方ない部分もあると思う。

だけど、未来のミライは子育て世代に向けて描いているとしたら、なぜくんちゃんを主人公にしたのかが分からない。

私の中で唯一、この映画と比較できる作品があるとすればクレヨンしんちゃんの「暗黒タマタマ大追跡」(なんちゅうタイトルなんだ笑)

しんちゃんにひまわりという妹ができて、自分へ注がれる愛が薄れて兄貴にならなければならないというテーマ設定が同じ作品。それでも、飽きる事なく最後までおバカの濃度を保って楽しませてくれる映画。

これと比べると未来のミライは楽しくないし、「あのシーン面白かったよね」みたいな部分もとくにないから、映画を見終わって友達や恋人と食事をしながら語り合う部分がほとんどない気がする。

もちろん、人によって楽しいかどうかは違うと思うけど、最初に書いた声優さんの声の違和感に関しては映画が終わるまでずっと続くからね。

新海誠監督もそうだけど、チケットを売るために女子高生と日本のモノを組み合わせているんだろうか。日本スゴイ系の見方が仮にあったとしても、「未来のミライ」で描かれた未来(ややこし)の電車は、現代とデザインが変わらずパーソナルスペースが確保されていなかったし、プラスチックストローなんて寧ろマイナスだろう。

細田監督が誰に向けて何を伝えたかったのか私には分からなかったし、という事は私はターゲットではないという事だから分からなくて当たり前なんだろう。

高畑監督の系譜は片渕監督が継承するとして、宮崎監督の後継者は不在だ。