モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

とあるAIについて思うこと

中国ではクローン技術を用いたペットビジネスが行われてる。亡くなったペットと瓜二つの個体を作り出す事には違和感がある。失われた命は蘇らないのだし、代替可能な存在であるという考え方でビジネスをする事は倫理的にどうなのかと疑問符がつく。独裁国家だからこそ、デザイナーベイビーのような非人道的な研究が可能なのかもしれない。
話は変わって、NHKヤマハ美空ひばりさんのAIを作ったらしい。私はこれにクローンと同様の違和感を感じる。特にアーティストが亡くなった場合は遺作を求めるファン心理も働いて、故人が生前にお蔵入りさせた楽曲を「幻の音源」とか言ってセルアウトさせる事がある。エイミー・ワインハウスなんて亡くなった後に家を泥棒に荒らされた。思い出すだけで本当に胸糞悪い話だけど、何処の国でもそういうビジネスは確実に存在する。
こうした事を踏まえると、美空ひばりさんのAIは、紅白歌合戦で視聴率を取るための道具にしか見えないし、死体蹴り以外の言葉が浮かんでこない。テレ朝でも黒柳徹子さんのAIを作ってイベントの集客に使ったりしているけれど、徹子さんは存命であるしジャッジは受けている。一方で美空ひばりさんは亡くなっているので話が違う。死者に人格権は存在しないとしても、故人は思い出の中に生きるからこそ普遍的な存在へと昇華されるのだと私は思うし、それを具現化する場合は納得できる目的が必要だと思う。
ただ、この技術自体は悪いものではない。例えば存命中に戦争体験を残すために記録して、音声認識技術を用いて博物館を訪れた入館者と会話をしながらAIが語るという事が可能になっている。すでにこの世を去った証言者とQ&A方式の会話をする事で、遠い過去を身近に感じられる画期的な技術だと私は思う。
三者がフェイクに使うのと、本人の意思をタイムカプセルに詰め込んで言葉の鮮度を保つことは、一見同じように見えても大きく意味合いが異なる。いかにして道具を使いこなすかが、技師と詐欺師の差だと思う。