モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

10月7日 共有できる前提と言葉はあるか

00-06 CB
06-12 ×
12-18 ×
18-24 HBE

A. 北海道地方-0-0-0-0=0
B. 東北地方 ---1-0-0-1=2
C. 関東地方 ---1-0-0-0=1
D. 中部地方 ---0-0-0-0=0
E. 近畿地方 ---0-0-0-1=1
F. 中国地方 ---0-0-0-0=0
G. 四国地方 ---0-0-0-0=0
H. 九州地方 ---0-0-0-1=1
I . 沖縄地方 ---0-0-0-0=0
合計回数 ------2-0-0-3=5

01:43 茨城県南部 50/3.3 ①
02:20 宮城県沖 50/4.3 ③
18:41 トカラ列島近海 10/2.2 ①
19:47 岩手県沖 60/3.3 ①
23:33 和歌山県北部 浅/1.8 ①

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国内のニュース

雑記


越境と虐殺から1年が経過し、NHKでは報道番組などで特集が組まれている。
昨夜のNHKスペシャルイスラエルという国の狂信的な態度が浮き彫りになる内容で、特筆すべきは入植政策を映し出した事だろう。
ブルドーザーで家を破壊して、抗議するパレスチナ人を殴りつけ、それでも向かってくる人間には銃口を向けて気まぐれに引き金を引く。イスラエルの兵士たちは入植者たちの蛮行を傍で見ているだけで止めやしない。
破壊された家から使える物を持って避難する人。頭の中が真っ白になって動けない人。
銃弾に撃たれる一部始終をスマホで撮影しながら泣き叫ぶ人。
これが日常なのだ。

なぜハマスによる越境攻撃が起きた直後に同じ内容を放送できなかったのか?と考える。
放送自体はできるが、その時点で時系列を知らない私を含めた視聴者には理解ができないというのが1つ。
それを見た視聴者から向けられる「偏向報道だ!」というハレーションに耐える構成と言葉遣いが非常に難しいのが2つ。(パレスチナに自由を!という言葉が反ユダヤ主義であるとして取り締まる国は一年経過した現在もある)
面倒臭い事には巻き込まれたくない怠惰な編成の人間の損切りが3つ。
そんな感じで、できるけど放送できなかった。のではないだろうか。
それから少し経ってから「映像の世紀 バタフライエフェクト」で、イギリスの二枚舌外交によってもたらされた事だとか、住処を追われたナクバの話であったり、壁に囲まれたガザの日常をバンクシーがアートを介して啓蒙していたりと、大国の利害に基づいて人為的にもたらされた地獄あると示された。
私はニュースを見る習慣があるから、少ない脳みそで解釈に努めるが、興味がない人々からすれば、あまりにもむごたらしく、辛くなる番組を継続して見ようとは思わないだろう。
これを踏まえるとテロリストと虐殺国家のどちら側でもない立場をとりつつ、一つの番組に落とし込み、見終わった時に視聴者の理解度が上がっている状態にするというのは非常にハードルが高い。
それに無理解である事や無知である状態から能動的に変化しようとする時というのは、少なからずの共通点をたどって知識を得たいと求める時だ。

2023年10月7日以降、ハマスに殺されたイスラエル人1200人超。
イスラエル軍に殺されたパレスチナ人は4万人超。

4万人という数は日本でいうと豊田スタジアムの観客全員が死体になる状態だ。
政治と宗教が結びつけば論理に飛躍があっても議会でブレーキは効かず、さらにポピュリズムと結びつけば個人個人が犯罪を肯定し、巨大な殺戮機構の歯車として稼働し始める。
その機構は理性を用いて効率的に死体の山を高くしていく。
これも文明の一つの形なのだ。

話し合えば分かるというのは前提を共有して初めて成り立つ選択肢。戦後の人類は「もう戦争は嫌だ」という前提を共有していたのだろう。だからこそ、冷戦による核戦争もどうにか回避できたのだろう。
では、愛国教育という改竄された歴史を学んだコミュニティが核武装していて、国際法違反である入植を続け、世論の声にも耳を貸さない場合どのような前提ならば共有できるのか。
また、憎しみの塊となり自爆テロを繰り返すコミュニティに対して、恵まれた環境にいる国々の人々はその心に届く言葉を持っているのだろうか。都合の悪いあらゆる事を、立場の弱い国に押し付けた大国は懺悔する言葉を持っているだろうか。