モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

11月17日 文化性崩壊論

00-06 CG

06-12 DH

12-18 HHBH

18-24 F

 

B. 東北地方 -0-0-1-0=1

C. 関東地方 -1-0-0-0=1

D. 中部地方 -0-1-0-0=1

F. 中国地方 -0-0-0-1=1

G.四国地方 -1-0-0-0=1

H.九州地方 -0-1-3-0=4

合計回数     -2-2-4-1=9

 

01:02 千葉県北西部                80/4.1 ②

01:49 徳島県南部                   10/2.5 ①

07:38 山梨県東部・富士五湖 20/2.7 ①

11:00 熊本県熊本                   浅/2.1 ①

12:00 奄美大島近海               40/3.3 ①

15:04 熊本県熊本                  10/2.4 ②

15:50 岩手県沖                      30/3.9 ①

16:29 熊本県熊本                  浅/1.5 ①

21:42 鳥取県中部                  10/3.9 ②

 

 

最後のJヴィレッジ会見はわずか13分で終了。質問者はたった2名/凍土壁の掘削作業は測温菅から85cm離れた凍土壁が本当に凍っているのかどうかの確認|海老原いすみ|note


はたして、節目となる会見がこんな内容のないものでいいのだろうか。Jヴィレッジに記者はおらず福島会場からの質問もない。質問したのは二人だけーー

今日の会見の収穫は「記者が疑問を持たなくなったら終わり」だと思わせるものであった。

 

Jヴィレッジ復興プロジェクト

 

サッカーに関わらずスポーツ界の繁栄には、電力会社をスポンサーにしてきた背景があることは言うまでもない。地方でありながら立派な設備がある場所には原発がある。夢のエネルギーだとか事故は起こらないという言葉を多くの人が信じていたはずだし、事故直後に東電をかばった鮫島選手はネットで炎上していた。

サッカー選手が姿を消した建物は防護服を着た作業員を送り出す場所となった。

中にはまだあどけない10代、20代前半の男性もいたし、最近では女性作業員の雇用もある。

F1では毎日6000人近い作業員が必要になり、初期には放射線量を誤魔化すために鉛カバーが使われていた。

正直なところ今でも労働環境はブラックボックスになっていて、本当に作業員の権利が守られているのか分からない。

 

CHEF - 広野町レストラン アルパインローズ

Jヴィレッジが姿を変えても、西芳照というコックさんはずっとコックさんだった。

作業員のためにずっと料理を作り続けたこの方にもう少し拍手があっていい気がする。

 

軍人(国のために死んでくれという契約の職業)に対して事故現場へ行けと命令できたチェルノブイリは作業員に勲章を送っていた。

日本には軍がないから全ては「自己責任」になる。(これは南スーダン自衛隊が民間人を誤射した場合も同様だ)

作業員は国家と電力会社の大罪を自己責任で作業しなければならない。

現状を知れば知るほど、 なんだこの国はと思った。

立場の弱い自治体に原発を押し付けて洗脳し経済的に依存させ、事故が起きても被害者でもある地元の住人を作業員として雇用する。

どれだけの人間が理不尽に対して「仕方ない」と心を折って今に順応してきたのだろうか。

多くの人々を不幸のどん底に、自殺に追い込むほどの大罪がそこにあるのに、無限責任という言葉遊びで加害企業は黒字経営で存在し続ける。(東電水俣病チッソを真似たように思う)

弱者を守るために存在するはずの法の秩序はこの国には存在しないらしい。金が全てという力学がまかり通る社会だからこそ、脆弱性を放置したままでいられるのだろう。

パナマ文書にもTEPCOの文字があり、海外へ蓄財している可能性もゼロではない。しかし、電事連がスポンサーとなっているメディアには追及できず、多くの報道は政府のプロパガンダとゴシップと天気予報で構成されるようになった。

政治は献金する企業や宗教家の為にあり、警察は差別意識を持った暴力装置に、司法は立場上、政治の管理下に、記者クラブは国会記者会館という犬小屋を与えられ政治の管理下にある。 三権分立は嘘だ。

 

加害企業の中にも使命感を持って福島で生きる人がいるのは事実だが、罪の意識もなく東京に生きる人がいるのも事実だ。

これは加害企業だけの問題ではない。

2020年東京オリンピックに向けて都会人は拍車をかけて無責任になっていくだろう。

現在は公共広告機構のCMで星野源が歌い、NHK宮藤官九郎が五輪のドラマをやる話が出てる。なんとも無責任な大人計画ではないか。

歴史を積み重ねてきた国立競技場を潰し、先ほど覚えてきたようなレガシーという言葉を連呼する政治家や御用学者が市民権を得る。

中間貯蔵施設はどうするのか?

立場の弱い外国人作業員を使い捨てるのか。

なぜ東電の敷地である福島第二原発や柏崎にフレコンパッグを置かないのか。

なぜ加害都市である東京は無責任で回っているのか。

ヒートアイランドで運動をさせようだなんていう発想をするのもどうかしているが、それを見て感動だとか拍手をするつもりでいる人間は選挙に行ったのだろうか。感動すれば何もかも許される国の知性を疑う。

 

事故前から継続して変わらず善人でいる人と、善人に変わろうとする人よりも、変わらず悪人で居続ける人の方が多いのが現実だ。

強い者の味方や部下であり続ければ、安定した生活が約束される。安定した悪でいることが肯定される精神だ。

本来の意味の公民もそのうち姿を消すだろう。ドナルドトランプが大統領になる時代だ。

政府は高齢ドライバーに免許の返納を呼びかけているが、老朽原発は運転し続ける。多くのライフラインが老朽化しているように倫理もまた音を立てて崩れ去る。

この文化性崩壊の半減期は何年だろうか。

 

私はそうはならないために書いている。

誰に読まれなくとも書き続ける。