モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

う、うん。

今日は通院日。
フライング気味の小春日和だったので、歩いているうちに汗をかいた。
正月ということもあり、しめ縄を飾っている家も見かけたし、病院にも門松が飾られていた。
正月特有の閑散とした雰囲気と小春日和をぶっ壊すように待合室の温度設定は高く、気持ち悪いほどの空気が充満していた。
「なんだ、地獄か」と思った。

幸い患者の数が少なかったのですぐに診察室に入ることができた。

最近の私のメンタルは今までとは違う。
毎年、死を考えてきたので「新年」なんてものは自分とは関係のない時間軸で動く社会の上辺だけの演技に感じられた。
それはペシニズムに違いなかった。
しかし、サルトルの「実存主義」という考え方によって「生きるということは絶望への抵抗」という一つの答えを得た。
「嘔吐」の話はそれまで私が感じていたこととかなり近かったので、自然と頭に入ってきた。
「死」を考え続けて一周すると、そのクリアデータを使って「生」のコースが出現するのだ。
衝動にかられてビルから飛び降りたり、線路に入ってしまうと、恐らくこの考え方にたどり着くのは難しい。

勘違いして欲しくないので書いておくが「生きてることは素晴らしい」だとか、
「みんなハッピーになろうよ!」なんて事を言うつもりは毛頭ない。
世の中はクソで、格差を作り出すことでしか共同体は優越感を感じられなくなっている。
「あいつみたいになりたくなかったら、俺に感謝しろ」
そんな井の中のトノサマガエルにひれ伏すことに意味を見出せなんて、よっぽどの楽観主義者か信者でなければ適応できやしない。
それを踏まえて、あえて挙げるとすれば、いかに線路に飛び込む優秀な人々を救えるかが大きなテーマだ。

「救う」だなんてお前何様だよと、もう一人の私が言うので、「この空想を現実にするには経済圏が必要だ」と答える。
煩わしくて仕方がない人間関係は、いくらでも代わりのいる仕事にシフトしてしまった。
私が欲しい経済圏はどうやら煩わしく、融通がきかない面倒なものらしい。
まだ抽象度が高いので、もう少し考えたい。

こんな長ったらしい話を医師にしても理解されないから、「少し考え方に整理がついたので、今年は楽しいことを考えようかと思います」と話した。
すると医師は「それは薬の力ではなく〇〇さんの力ですよ」と言った。

う、うん。知ってる。

あとは、脳に刺激を与える為に福袋を買いに行くとかしてみては?なんて言っていた。
残念ながら「ど田舎」にはそんなものないんだよ。あなたの見てる世界と私の見てる世界は違う。

いかに無理解な人間を理解して、現実に還元していくか。
なんて難しい作業なのだろうか。
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