モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

自由律の哲学

 

 

Happy verse day by ebiharaism - made with Figure by Allihoopa | Allihoopa

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引っ越して一ヶ月が過ぎた。

私はきれい好きなのに、どこからともなくゴキブリの幼体が部屋に入ってくる。まるで住人のように歩き回るのは勘弁してもらいたい。

 

近所には老人が多く、耳が遠いのか互いに大きな声で喋っているのが生活音として聞こえてくる。近所の野良猫の話だとか、煮物ができたとかそんな話をよくしている。

 

ここは風が強い。

夜になると雨戸がよく揺れる。

 

近くには何もない。

少し行くとコンビニがあるが、歩いて行って帰ってくるまでにアイスが解ける距離にある。本屋も図書館も遠い。

無いのも同じだ。

 

今日は曇り空が広がり夜になってからは雨が降っている。でもそれほどの寒さはない。

 

今日は誕生日だった。さっき気づいた。

ド鬱の時は誕生日が来る前に死のうと考えて、できないうちに明日が来てしまい絶望するを繰り返していた。

 

今はどうだろうか?

 

それはないな。哲学を持った。
目に見えて何かが変わったわけでもなければ裕福になったわけでもない。
ただ、これは大きな変化だった。

虚無感の発生は鬱の苦痛に対する抗体なのだという答えに至った。

「もうやめてくれ」というシグナルを受け取って機能停止をするのだ。

マイナスをゼロに戻す自己保存のシステムだ。

次はゼロからプラスに重ねる作業が必要になる。

 

私は恐らく、そこにいる。

「何もないなら作ればいい」

そう思うことがある。

 

Evernoteの整理をしていたら書きかけの小説があった。

自分で書いたのは間違いないが、ほとんど記憶にない。恐らく無意識で一気に書いたのだろう。

読んでみると少し面白くて続きが気になる。

「早く書いてくれないか?」と思った。

少し書き足した。いつ完成するのか分からない。

他にも書きかけの小説はたくさんあるらしい。

これが自分に対するプレゼントになるかもしれない。無いのも同じ…

 

人それぞれ継続の形は違う。

ある人は一本の道を行く。

ある人は点を打って、しばらくして戻って線にする。

ある人はレイヤーを重ねる。

ある人は描いては消してを繰り返す。

ある人はジョン・ケージ4分33秒のように別の概念で表現する。

 

どこに自由があるのか。

完成は自分にしか決められない。

そこに理由がある。