モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

News23の『ニュース砂漠』という特集が良かった話

Twitterに連投しようと思ったけど、長くなってしまうのでこちらに書いておこうと思う。(短文投稿サイトに長文って変だしね)

 

賞味期限が切れたと判断したのか分からないが、沖縄については全く触れずに芸人のスキャンダルをトップに持ってきた昨日のNews23は最低だった。
ただ、今夜の放送で灰原豊記者が報じた『ニュース砂漠』の特集はとても良かった。

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前半はアメリカ各地で姿を消す地方紙の現状として、1898年から100年以上続く「ワー・ロード・パイオニア」という新聞社の最期の日をカメラが映した。

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経営は火の車で編集長が自らの貯金を切り崩してこの日を迎えた。

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最期の紙面のデータを印刷所に送信した後、スタッフと抱擁を交わしてからカメラに向かって「私たちは終わってしまいますが新聞は続けてほしい」と涙を流した。

後半では、こうした知る権利の消失に警鐘を鳴らす記者達の取組みとして、非営利報道協会が紹介された。

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同協会に加盟する「テキサス・トリビューン」ではテキサス州の議会と行政にのみ焦点を絞って情報を発信している。

個人や財団からの寄付やイベントによって年間10億円以上の収入があるそうだ。

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また、記者も各SNSごとに情報の発信の仕方を変えて新たな読者or視聴者の発掘をしていて、デジタルに場所を移しても「記事を書く前に自らに問え。それは政治家や公務員の責任を問うものか、それとも州の多くの人々に影響を与えるものか」という掟は守っていて、彼ら、彼女らにはパブリックサーバントとしての誇りがあった。

SNSが存在しない時代を考えると、地方紙は顔見知りの人々のコミュニケーションツールだったのかもしれない。その血の通ったジャーナリズムの最期の日をカメラに映した事はとても有意義だと思うし、新聞が果たしているジャーナリズムの継承に目を向けた灰原記者の解説も良かった。

 

近年、日本でも地方議会の杜撰さが話題になる事があるし、森友学園問題も地方議員さんの追及が最初で、イージスアショアのデータ誤りも秋田県の地方紙が指摘した。ニュース砂漠の現象が起きたら、不正を追及する声が聞こえなくなり、腐敗は社会に大きなダメージを与えると思う。

ただ、日本の教育カリキュラムでは人権を多く学ばないし、原始人について詳しくても近代史を知らないから、政治が誤った判断を下した時の破局的な痛みを知らない。

だから非営利報道協会のように、一次情報をオープンアクセスできるプラットフォームを作って各媒体に発信しても、金と食い物とゴシップにしか興味のない人間にとっては無味乾燥な砂漠でしかないのだろう。


別に何でもかんでも西洋文明が良いとは思わない。でも、逆進性の強い消費税の増税に賛成しておきながら、自分たちは政治家に服従して軽減税率が適用されるというダーティーな新聞社とは大違いだ。ポジショントークは処世術ではあるかもしれないが、これが政治になってしまった日本は腐敗した。
憲法』を憎たらしく思ってる政治家達が存在するのはある意味で一貫性があるが、テレビ局や新聞社は『鉄の掟』をいつ捨てたんだろうか?
東京五輪のメダルを作るために、都市鉱山とか言って小池都知事が収集した時に出したのかもしれない。(スポンサーだし)

とても考えさせられる内容だった。