モブトエキストラ

左利きのメモ魔が綴る名もなき日常

4月13日 さよーならまたいつか!

00-06 AHEHA
06-12 D
12-18 G
18-24 D

A. 北海道地方-2-0-0-0=2
B. 東北地方 ---0-0-0-0=0
C. 関東地方 ---0-0-0-0=0
D. 中部地方 ---0-1-0-1=2
E. 近畿地方 ---1-0-0-0=1
F. 中国地方 ---0-0-0-0=0
G. 四国地方 ---0-0-1-0=1
H. 九州地方 ---2-0-0-0=2
I . 沖縄地方 ---0-0-0-0=0
合計回数 ------5-1-1-1=8

00:40 釧路地方中南部 130/3.4 ①
01:59 奄美大島近海 30/3.0 ①
02:17 紀伊水道 10/2.3 ①
02:27 大隅半島東方沖 40/2.9 ①
04:48 釧路沖 50/3.9 ②
10:58 石川県能登地方 10/2.2 ①
16:43 愛媛県南予 40/3.5 ②

紀伊水道がゆれてしもうた。

能登半島地震に関する報道量が少なくなっている中で、両陛下が現地に向かえばメディアは否が応でも取り上げざるを得ないので災害が発生した時にこのスポットライトの効果は貴重だと思う。
ただ、少し前にラジオで聞いた話。天皇陛下が見学される場所は失礼がないよう綺麗に清掃されていて、それ以外は手付かずという現実にモヤモヤすると語ってる方がいた。スポットライトの外側で苦しむ方々が救われる政治が必要。(まぁ、災害が起きれば自分自身がそうなるからね)

海外のニュース


パンデミックを超えた先で殺し合う人類。
貧困に喘ぐ国が真っ先に食糧難に晒される。
地下資源をめぐる搾取と差別の歴史があるアフリカではヨーロッパとアメリカに対する不信感があり、それがロシアと中国の影響力の増加に繋がっている。「西側の国々は先進国」という前提でつくられた「グローバルサウス」という言葉もどうかと思うが、中国とロシアに付いていっても同じ部屋にたどり着く。
ウクライナでは兵士不足を背景に徴兵制の帰還制限に関する議論が白紙に戻り、家族からは徴兵については理解するが自分の夫や息子を返してくれという声がある。長い方で2年も家族に会えていない。
戦地で役に立たなくなった時に返される残酷が横たわっている。
アメリカの情報筋はイスラエルが48時間以内にラファでの地上侵攻に踏み切ると見ている模様。
日米首脳会談では岸田総理はガザに関して一切言及しなかったうえ、台湾有事が迫っているかの言動を口にするのに原発のリプレスを含めた再稼働に突き進んでいる。
「私たちが目にしている虐殺と、政治家達の頭の中の認識とか食い違っている」
そう感じるという事が世界各地で起こっているのではないか。

国内のニュース


関西万博まであと1年。

雑記


さよーならまたいつか!の落書き。

教授の最期を追ったNHKのドキュメンタリー番組を見た。少し前に放送されたもので、録画してあったんだけども見る勇気がなかった。
今日は東北ユースオーケストラの番組をやるという事で見なければと再生。
何より印象的だったのは、坂本龍一という人はクジラやコウモリのエコーロケーションのように、音で世界を知覚していたのだと改めて思った。
生前に自分はピアニストとしては下手だと教授は言っていたけど、事切れるまでピアニストであったという事に何とも言えない感動を覚えた。
切なくてたまらない。

米津玄師の春の曲というと『春雷』が浮かぶ。
『さよーならまたいつか!』は朝ドラの主題歌。
「地獄の先に春が来ると信じて、たとえ口に血が滲んでも、お上に物を申し、100年先で会いましょう」てな感じの内容で。
春雷は目と目が合って雷に打たれるような一目惚れソングだったのに対し、こちらはそもそも人を愛する環境が整っていないという前提があって、その中で心を許し合える人々と出会い、また生まれ変わっても出会いたいと思える強さを感じる。クソみたいな人間でも、そのどこかに可能性を信じたいというヒューマニズムの部分の愛情。
MVは割れ窓現象と再生と巻き戻しを繰り返す演出が特徴的。進歩したと思ったらまた戻される。それでも進んでいる。
もし生まれ変わっても坂本龍一と米津玄師の音楽がある時代に生まれたい。なんて書いたら、こんな強制スクロールのクソゲーも最高の時代に生まれたと思えるかもしれない。
そう思えない私の愚かさよ。