前回、他者との間に共通点を見つけ、違いを認め、愛を持って接するという「アヒンサー」が紹介されました。
今回のキーワードは「スワデーシー」と「カタツムリ」 最後には全てが一本の線に繋がり、観客は立ち上がり鳴り止まないカーテンコールが響き渡る(脳内再生)
スワデーシー
番組冒頭で糸を紡ぐガンディーの写真が紹介されました。
解説は引き続き中島岳志先生。
なぜガンディーが糸車を回すのかといえば、綿花をイギリスに安い値段で売り、イギリスから高い値段で買っていたから、富の流出を防ぐために国産品を作ることがインド独立につながると考えたそうです。
今回のキーワード「スワデーシー」
「スワ」=「自らの」
「デーシー」=「国、大地」
スワとデーシーで意味が違い、日本では国産品愛用運動と訳されることが多いそうです。ただ、ガンディーは大地との繋がりを重要視していたと解説がありました。
「スワデーシーは隣人たちへの奉仕の心である」
イギリスは産業に機械を取り入れますから、手作業で糸を紡ぐことはアンチテーゼを体現していますよね。
今回も朗読はぱっと見ムツゴロウと読みそうになるムロツヨシさんです。
スワデーシーの信奉者は注意深く自分をとりまく状況に目をくばり、たとえ外国製品より品質が劣り、あるいは値段が高くとも、土地の製品を優先することで、できうるかぎり隣人たちを援助することになるでしょう。スワデーシーの真正(まこと)の信奉者は、外国人にたいして悪意をいだくことはありません。
スワデーシー(国産品愛用主義)は憎悪崇拝ではありません。それはこの上なく純粋なアヒンサー(愛)に根ざした無私の奉仕の教理です。(訳 森本達雄)
排斥運動に陥らないように牽制しているのは先回りした制度設計というか、弁護士の視点に感じました。
日本でいうところの「地産地消」がスワデーシーにあたり、自分たちで造り隣人と分け合い相互補完していくことを説いているそうです。
独立論を唱える指導者の中には、機械を導入した大量生産をすべきだという意見もあったようですが、イギリスがとらえられている近代国家になってしまっては意味がないとガンディーは思っていた。
その近代国家を超える国をつくるために、隣人たちと協力をしようと呼びかけたそうです。
仮にインドの中で消費のスピードがあがると、イギリスがインドにしていたことと同じことを他国にしなければならないということですか?と伊集院さん。
インドは40度を超える暑い国なので、休むことも重要で、スピードがゆっくりあることの意味をガンディーは文明として捉えていたのではないかと中島先生。
ガンディーはパンのための労働とよく呼んでいたそうです。
この労働はほんとうは、農業だけを指すことになります。しかし、ともあれ目下のところは、だれもかれもが農業にたずさわるわけにはまいりません。
そこで土地を耕す代わりに、糸を紡ぎ、機(はた)を織り、あるいは大工仕事や鍛治職に従事することも許されますが、いずれにせよ、つねに農業を理想とみなさなければなりません。
なぜ農業を理想とするのかについて解説がありました。
命の成り立ちに「食べる」ことは欠かさず、ガンディーは肉食をせずに大地からできたものを食べ、大地と繋がっている感覚を持つことが重要だと捉えていたそうです。
そのうえで、全員が農業をするわけにはいかないから、それぞれの仕事をして相互補完していきましょうと。
また、医者が治してくれることが暴飲暴食につながるのではないかと考え、 近代的な医学はいらないという考えも持っていたそうです。
医学の進歩については色々と考えるところがありますが、基本的には見境なく病人は助けるべきだと私は思います。
「ガンディーは便利になることが欲望の後押しをしていると考えた」と中島先生が解説すると、伊集院さんは自分と照らし合わせて「僕、ジムに行くのにかみさんに車で送ってくれって言うんです。それでジムに着くとランニングマシンの上を歩くんです。歩いて行け!って話です笑 カロリーで考えるのが分かりやすくて、農作業をして採れたお米を食うということは健康状態を害する暇がないという事だと思うんです。ただねぇ、美味いものが楽してたくさん採れることに人間はあがなえるのかってことですよね」と。
また、磯野アナも「おっしゃることは分かりますが、現代の私たちに実践できることはなんでしょうか?」と。
「ガンディーの想定する範囲というのは身近な範囲で、手の届く範囲の意味を取り戻そうとしました」と中島先生。
「 あれっ、宮崎駿さんの作品が生まれる範囲と重なるなぁ」と私←
奉仕の範囲
ガンディースマイル!
隣人への純粋な奉仕は、奉仕というものの性質そのものからして、結果的に遠くの人びとに仇なすことではなく、むしろその逆です。
「個人にたいするように、世界にも」というのは、不変の原則であり、それを肝に銘じることこそ賢明です。
けれどもいっぽう、「遠くの景色」に惑わされるままに、世界の涯(はて)まで奉仕活動に駆けずりまわる人は、大志をくじかれるだけでなく、隣人への義務(つとめ)にも失敗するのです。
自分を囲うドミノから身を乗り出して、隣のドミノに手をかけた瞬間に足元のドミノが音を立てて崩れる演出よかったです。
「昔、商店街に買い物に行くというのは、単に買い物をするのではなく、挨拶をすることで確認し合い、人との繋がりを保つうえで重要な社交場でした。けれども、大型スーパーでは無言でレジを通過して家まで帰れてしまう。こういうことに対してガンディーは効率よくなって幸せですか?と思っていて、誰から買うのかが大切だから都市に住む人間は農村を支えなさい。熟慮しなさいと言っていた」と中島先生。
ちょうどこれと似た話があって、イラストレーターの中村佑介さんが日曜日にツイキャスで配信してるんですけど、先日その中で課金の話をしていたんです。
店が潰れちゃうとか、誰かがきまって「応援してたのに残念です」って言うけど、最後に店に行ったのはいつなのか、本当に応援していたのか、本当に応援していたのなら店は潰れないって言っていたんです。
消費動向を何に対して行うのかで、経済的な体力がない店や産業って簡単に無くなってしまいますから、ガンディーの話というのは今でも当てはまるなぁと感じました。
「いい子になるつもりはないのは、でも便利という言葉は魅力的ですよね? 安いも魅力的だし」と伊集院さん。
中島先生「労働力も効率化されてきた一面があります。例えば近年では派遣労働の問題がありました。代替可能性をつきつけられる労働形態だと思うのです」
伊集院さん「派遣労働ってたぶん、最初は自由だなって思ったと思うんです。生涯同じ人と顔をつき合わせて、生涯同じ職場で働くなんてオレには向かないな、こっちのほうが自由だなって思ったら、その反面があって、色んなものに一長一短あると思いますが、痛いほど感じます」
中島先生「日本の問題として大きいのは居場所のなさという問題です。色々な社会現象に繋がっていると思うのですが、ガンディーはそういう世界のなかに人間はなかなか生きられないのではないかと考えたのです。もっと生きることの意味を考えた、壮大的な思想家であり、具体的な活動家だったのだと思います」
これには共感しますし、なおのこと既婚者を隠してキャッハウフフしていたのが嘘みたいですね。
よいものはカタツムリのように進む
ガンディー著「真の独立への道」より
この言葉はスワデーシーを説く中で語られた一言で、スピードの中には人間の思い上がりが含まれているとの考えがあったそうです。
永遠の微調整というのを考えたのがガンディーという人で、世界や社会を一変するような魔法はないと思っていたのではないか。スピードを上げることにより社会に大きな歪みが生まれるから、一歩ずつ進まないと着実な変化は生まれないと考えていたのだと思います。若い指導者からすれば遅いと感じたのでしょうが、これがインド独立の近道だから早まるなと説き続けたのだと中島先生は解説しました。
とてもよく分かりますが、今の日本の政治に目をやると野党の離合集散は近道なのかどうか、最大野党の民進党は寄せ集めでしかないのではないかと思ってしまいます。どこぞの教祖様なら降霊術でガンディーを呼んでなりすまし、金儲けをするのでしょうが、試行錯誤を繰り返してカタツムリのように動いてこそ意味があるのでしょう。
生涯の終わり
1946年、インド独立が目前に迫るとガンディーの教えを守る人々とイスラム教を軸にした独立を唱える勢力が対立し、8月になると交渉は決裂。
そればかりかベンガル地方のカルカッタで激しい抗争が起こり、約4700人の死者が出る事態へと発展。
ガンディーは地方の村を周り、沈静化を図ります。
同じことを繰り返す人々を目にして、以前のガンディーなら落胆して運動から身を引いたでしょう。しかし、今回は例え死ぬとしても事態が収束するまで飲まず、食わずの断食をすると宣言したのでした。
イギリスに対して行った抵抗をたった一人で、運動を共にした人々に対して行ったのです。
この一人の老人の非暴力的な命をかけた抵抗は、ゆっくりと人々を武装解除へと導くのでした。
村のどこにも煙が上がっていないのを確認して、ガンディーはゆっくりとジュースを飲んだそうです。
しかし、その願いは虚しく、1947年に内部対立の勢力はパキスタンというイスラム教徒の国を樹立することになりました。
インドとパキスタンが分離独立するという、ガンディーの理想とはかけ離れた形になってしまいます。
翌年の1948年1月30日。
一人の青年が群衆をかき分けてガンディーに近づきました。
青年は銃口をガンディーの心臓に向けると引き金を引きました。彼はヒンドゥー教の原理主義者で、あまりにもイスラム教に寛容なガンディーを暗殺したのでした。
多くの人々はガンディーの死に涙を流しました。
こうしてインドのために捧げた78年の生涯を閉じたのです。
最後の一撃は、せつない。とは (サイゴノイチゲキハセツナイとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
有名なゲームのキャッチフレーズに「最後の一撃は、切ない」というのがあるんですけど、ガンディーの最期はまさにそれで、独立間際にイスラム教徒が離れていって、その直後にヒンドゥー教徒に殺されるって切なすぎますよね。
伊集院さんも悲痛な面持ちでした。
中島先生「結果的にはインドとパキスタンはいまだに争い、核実験をやっている状態なので問題は残っています。ただ、それでもイスラム教徒とヒンドゥー教徒の対立を食い止めたことは事実であり、まだほんの70年前の話」
中島先生 「これはたった一回のガンディーの奇跡なのかといえば、私は違う気がします」
伊集院さん「飛び降りるのも、首を吊るのもスピードが早すぎてみんなに考えさせる時間を与えないけど、みんなの前で貧しい格好をして痩せ衰えていくことは奇跡的に方法として正しい気がします」
中島先生「ガンディーを殺すのは私なのではないかという、自己をつきさせる問いを芽生えさせる。自分は一体なにをやっているのかという反省が内発的な力でやめさせていく。それが平和(暴力が無いだけではなく、みんなの心が平穏で繋がり合う世界)につながるとガンディーは考えました」
My life is my message
(私の人生こそが私のメッセージです)
みんなが理解でき、なおかつ実行されるためにガンディーはこの言葉を残したそうです。
歩く、食べる、糸車を回すという普遍的な宗教を取り戻すために行動し、その中に生きた人であると中島先生は力説されてました。それが手の届く範囲ということですね。
伊集院さん「人間はあくまで入れ物だという理屈をガンディーが持っていたなら、銃弾によって身体が滅びたことよりも、ガンディーの教えが中島先生の手によって伝えられたことのほうが終わってない感はデカイ気がします」
中島先生「私も全くガンディーのように生きられていない人間の一人ですが、常に思うのはガンディーの人生に照らされているということです。あそこまでやってみた人がいる、お前はどうなのか?という感覚があって、そこから自分を見つめ直し社会を見ていきたいと思います」
いかがでしたか?と磯野アナにふられると伊集院さんは「デカイ目標は、照れもなく言い訳ゼロで言うならば、良い世の中にしたい。自分と関わる人は幸せになって欲しい。って思う一歩が明日宅配便を届けてくれた人にただ、ありがとうっていつも言わないことを言えたりとか、宅配便を届ける人たちのストレスを軽減することで、もしかしたら最終的に世の中良くなるかもしれないみたいな」
磯野アナ「一歩、一歩、相手を許したり、コミュニケーションをとったりってことが動かしていくということかもしれませんね。本当に深いお話ありがとうございました」
中島先生「ありがとうございました」
以上で番組は終了です。
おわりに
感化されやすい私の頭の中では、アカデミー賞の作品賞は「獄中からの手紙」 主演男優賞は「ガンディー」で決まり。
中島先生の解説はとても分かりやすかったし、アダチマサヒコさんのアニメーションもよかったので、4回通して見やすかったですね。
以前に姜尚中さんの「悪の力」を読んだことがあって、その時にどうして悪の方が強いのかに気づいたんです。悪のほうが常に目的を持っているんですね。
これが顕著なのは例えば「戦争」と画像検索すると銃を持った兵士が何人も現れるのですが、「平和」と画像検索しても抽象画しか出てこないという点に現れていて、私たちは平和を望んでいるのに、何をどうすれば平和になるのかを具体的には考えていないのです。
だから、今回のガンディーを見てなぜ人々がガンディーに付いていこうとしたのかとても納得しました。
ガンディーは明らかな目的を持って運動を行い、反対する人々に対しても哲学を持って議論し運動を拡大していった。
仮想敵を作って対立軸を煽り、勢力を拡大していく従来の運動とは違うわけですが、私はここでドナルドトランプを思い出してしまいました。
アメリカ国民は二大政党制のシステムの中で共和党から民主党へと「チェンジ」をしました。それでも格差を止めることはできず、戦争への介入も継続されました。黒人初の大統領であるオバマでもできないと知った人々の前に現れたのが、共和党の候補者までも仮想敵へと作り上げるドナルドトランプと、自らを社会主義者を名乗る民主党のバーニー・サンダースの二人。
どちらも行き過ぎた格差に対して警鐘を鳴らし、トランプは人々の憎しみを煽り、バーニーは社会制度改革を軸とした再分配政策を唱えました。
ウォール街は早々にヒラリーを民主党の代表へと選び、絶望したバーニー支持者がトランプへと投票し、ドナルド・トランプという破壊神が誕生したと私は見ています。
ここでガンディーのアヒンサーの考えにフィードバックしてみると、アメリカ国民は「欲望」に支配されていたことが分かります。
医療保険を払えない人々が民間保険へと強制加入させられるオバマケアで苦しみ、大学の授業料を払えない学生が経済的徴兵制の餌食になる。溜まりに溜まった憎しみはウォール街へと向かい、また富を独占したいウォール街は再分配政策や社会保障を嫌い、また男尊女卑の労働環境を好む人間は当然、ヒラリーよりもトランプのほうがマシだと考える。
さらに政治家のマニフェストも大手マスコミも信じていない有権者は、政治家ではないドナルド・トランプを選びました。
こうして人々の欲望に着目して、漁夫の利を得たのがトランプやスティーブン・バノンだと私は思うのです。
その結果、街を歩く誰もがフラストレーションを抱えている状況になった。
レディ・ガガは「愛は憎しみに勝る」というメッセージを掲げてデモを行ったり、アカデミー賞の中でも差別はすべきではないと意見を表明する監督がいたり、報道が機能しなくなった分だけ、芸術がその役割を果たしているように感じます。
サンフランシスコ在住の日本人が感じたアメリカの空気の変化「どこに行っても誰かしらが怒ってる。」 - Togetterまとめ
インドは植民地でしたが、アメリカは搾取する側に位置します。この先、どのように怒りや憎しみが世界に波及するのか分かりませんが、ガンディーが戒めていた搾取の連鎖の果てに今があると感じます。
また、獄中の外にいるのに不自由で、どうして強い立場にいる人間ほど臆病になるのかを学べてよかったです。