塩を作ることさえ許されなかったインドの独立
「歩く」「食べない」「糸紡ぎ車を回す」といった日常的行為を通して、人々の中に眠る「内発的な力」を呼びさまそうとしたガンディー。その代表的な実践が「塩の行進」だった。わずか数人の行進が数千人もの人々を巻き込むまでのうねりとなったのはなぜか。それは「政治の中に宗教を取り戻す」というガンディーの思想の根幹に関わっている。特定の宗教を政治の中に取り込むのではなく、あらゆる宗教が違いを超えて共有できる象徴的な行為を見出し、それを政治行為に転換したガンディーの思想は、私たちの既存の「宗教観」「政治観」を大きく揺るがす。
中原中也の次にガンディーが来る感じが、この番組の振り幅の大きさというか、文学の持つ汎用性の高さに感じます。
中国の経済成長が飽和した現在では、インドが次の投資先になっていて、企業が優位な契約を結んでしまった農民が遺伝子組み換えの綿花をめぐり苦しんでいたりします。
今回の特集でガンディーがどのように人々の意識を目覚めさせたのか勉強したいですね。
1930年、ガンディーは刑務所の中から弟子に向けて手紙を書いた。
その中にはヒンドゥー教に基づく生き方の心得が書かれており、それをベースに今回の名著は構成されているという。
刑務所を修行場だと捉えて、自分の考え方を整理し、弟子に伝えたそうです。
この時点で強い精神力を持った人間であると感じますね。
当時のインドはイギリスの植民地で、何人もの指導者が現れて団結を呼びかけても、イスラム教とヒンドゥー教といった宗教の主導権を巡る対立が起きてしまう状態でした。
そこで1916年にガンディーは非暴力による団結を訴えました。これは今までにないアプローチだったので注目を浴びたそうです。
1919年になるとイギリスはインド人を逮捕状もなく、また裁判も行われることもなく投獄できるローラット法を成立させるのでした。911後にアメリカで立法された愛国者法みたいですね。
それでもガンディーは誰もが運動に参加できるように、生活習慣に根付いている「断食」と「祈り」の中で運動を継続させようと呼びかけ、1919年4月6日にはインド中が祈りに包まれたそうです。
その7日後、非武装のデモ参加者2万人に対して、治安部隊が発泡を行い1200人が死亡しました。怒りに震える農民の一部が警察署に火をつけ、今度は警察22人が死亡。
暴力に暴力で応戦した人々に対し、ガンディーは背を向けて運動から身を引くのでした。
「こんな独立には何の意味もない、もう一つのイギリスを作ってどうするんだ」とガンディーは言葉を残しているそうです。
その後、ガンディーは獄中に繋がれることになり、その間に若い世代が成長し再びガンディーの元を訪れて、どうか指導者になってくださいと頼まれたそうです。
そして、その答えが「塩の行進」だと。
1930年3月12日から4月5日にかけて「塩の行進」と言われる運動を行うことにしました。
運動の内容は380キロの道のりをひたすら歩いて、「一緒に塩を作りに行きましょう」と呼びかけながらダンディ海岸を目指すというものでした。
当時はイギリスが塩の専売制を握っており、イギリスの承諾がなければ塩を売ることもできなかったのだそうです。
天からの恵みであり、生きるために必要不可欠なものをなぜイギリスが握っているのか。この現状についてガンディーは意見を持つわけですが、若い世代には塩を作ることがどうして独立に繋がるのかが理解できずにポカーンとしてしまったと中島先生が解説していました。
確かに、政治は高尚なものだという考え方がメジャーで一般人の目線になって考えることがない時代では難しいですよね。しかも、口ばかりではなくガンディーはそれを行動に移せることができるのですから。
当初は10人くらいの弟子と歩いていた一行は徐々に人数が多くなり、ニューヨークタイムズが報道するまでになりました。人々はその姿を巡礼と呼び、数千人規模の連なりはとうとう4月5日に海岸に到着したのでした。
これがすごくて。当時のフィルムが残されているんです。ぜひ映像で見て欲しいと思います。
そして人々は海水から塩を作り、約1ヶ月の5月4日にガンディーは逮捕されました。
それでも人々は歩みを止めず、警官隊から警棒で殴打されようとも塩を作り続けたそうです。
非暴力の教えに対して忠実に行動していますね。
参加者の中には一般人の他にジャーナリストがいたり、老若男女、違う宗教の人々も参加していたそうです。
中島先生はガンディーが「歩く」という行為の持つ宗教的な意味に着目していたのだと指摘していました。ガンディーは人々と同じ格好をして炎天下を歩いていたので、あらゆる階層の人々を取り込むことができたと分析できるそうです。
そこから「宗教家であると同時に戦略的な政治家でもあった」といえると。
真理についてーー
わたしたちの一挙手一投足は、しんりをめぐっておこなわれなければなりません。
真理がわたしたちの生命の息吹そのものでなければなりません。
このガンディーの考え方について「法律と真理があった場合、真理に基づいて行動すべき」との解説がありました。
つまり、「塩を作る事は違法であるが、人間は平等であるべきなので塩を作ることが正しい」という考え方です。
朗読は勇者ヨシヒコでメレブ役を務めたムロツヨシさん。
ある人にとって真実と思われることが、他の人によって虚偽に思えることがしばしばあります。
しかし求道者は、そのことをくよくよ思い悩む必要はありません。
真摯な努力を重ねていけば、一見異なる真実に見えるものが、結局は、同じ樹に繁茂する見かけの違った無数の木の葉のようなものであることがわかるでしょう。
神ご自身が、人それぞれに、それぞれ違ったお相(すがた)で現れるのではないでしょうか。
それでもなお わたしたちは、神は一つであることを知っています。
そこで、真理が神の正しい呼称となるのです。
「神は真理なり」と言うより、「真理は神なり」と言ったほうが、より的確です。(訳 森本達雄)
この言葉について伊集院さんは無宗教の人間のほうが頭に入ってきますねと感想を述べました。
ガンディーは異なる宗教の中にも統一された考え方があることに着目したそうです。
人間が考え出した宗教が、どれもみな不完全だとすれば、宗教の優劣を比較するといった問題は起こりえません。
どの宗教もみな、真理の啓示によって成り立ってはいますが、同時にみな不完全であり、過ちを免れません。
「真理の所有はやってはいけない」 と言う言葉を聞いて、私はサルトルの他人のまなざしは牢獄であるという考え方を思い出してしまいました。
人間がそれぞれに神を他有化することで、ガンディーの言う真理から遠ざかっているのだと感じます。
政治と宗教についてーー
ガンディーは宗教の中に真理が包括されているので、政治と宗教を分けるべきではないと考えたそうです。それを「歩く 」ことや「断食」によって、万人が分かるようにしたことでインドの独立に繋がったそうです。
アメリカのトランプ大統領が選挙期間中から発言していたような排斥主義を乗り越えるための考え方をガンディーは示してくれていると中島先生は解説していました。
カミさんと自分のケンカですら落としどころが難しいけど、相手の顔を立てつつ落としどころを探すことが解決への道ですねと伊集院さん。
第一回の内容はここまでです。
以下は個人的な感想になりますが、なぜ日本で宗教分離が行われているのかというと、特定の組織や団体に対して利益供与が行われる可能性があるからですが、ガンディーの考え方はその先を行っていて、宗教により真理を追究することが全体の幸せになるのであれば利益相反にはならないということですよね。
かなり難しいと思いますけど、事実インドは独立したわけで…
この後が気になります。
それと、今回のアニメーションはアダチマサヒコさんが担当されているそうです。
舞台がインドということもあって、赤と黄色をベースとした配色がいいなぁと思いました。ガンディーの登場シーンがヨーダっぽくてカッコよかったですね。