本の表紙にはヤギのような動物がいて、インパクトのある帯とのギャップが。
「何度読んでも衝撃ダ」なんて言われたら読みたくなってしまいませんか。
平積みされた本の中で異彩を放つこの本を読むことにしました。
こちらあみ子
一体、どんな内容なのか全く想像できませんでした。少しわくわくしながら読み進めていくと、何とも言えないノスタルジックな残酷が書かれていました。
そうですねぇ…「火垂るの墓」属性の「じゃりン子チエ」みたいな。(想像つきませんでしょ?)
冒頭、とある少女が引っ越し先で知り合った小学生の少女のためにすみれの花を摘むところから物語は始まってます。
こうやって一文にしてみると、幼さの残る心優しい女の子のイメージを浮かべるかもしれませんが、あみ子は誰からも疎まれる存在で前歯も折られているのです。
先に内容を言ってしまえば、この物語は意思疎通のできない女の子がネグレクトされるまでを描いた作品です。
人とコミュニケーションを取れない人がこの本を読んだら「もしかしたら自分はあみ子なのかもしれない」と思うかもしれません。文章自体は爽やかなのですが、人の神経を逆撫でる無邪気さと残酷さが『子供は悪魔である』と証明しているのです。
山田家。
父と母の間に長男とあみ子が誕生しますが、何らかの理由で離婚。親権は父が持つことに。
その後現れた新しい母は敬語で接する節度のある人で、自宅(山田家)で書道教室を開いています。兄の同級生や近所の子どもがその教室に通っていて、ガサツなあみ子は参加することを禁じられていました。問題行動ばかりするので、母は兄に対して登下校の際に監視してくれと言いつけるほどでした。
そんなあみ子は同級生で母の生徒でもある「のり君(鷲尾佳範)」に恋をしていて、積極的に話しかけて嫌われてを繰り返し、最終的にのり君に前歯を折られてしまうのでした。(折られるまでに紆余曲折あるんですけどね)
あみ子は興味のある方へと、自由きままに歩き回る少女です。それが彼女の性質なので仕方ないことなのですが、新しい母は『自分を嫌っているのではないか?』と思ったかもしれません。
そんな中、母が妊娠して期待感が一家を包みます。母からしてみれば血の繋がった自分の子供への期待感は大きかったに違いありませんし、兄妹にとっても新しい家族が増えることにソワソワしてるのでした。あみ子の夢はオモチャのトランシーバーで、生まれてくる弟とスパイごっこをすることでした。
しかし、その夢が叶うことはありませんでした。生まれてきた「妹」は死産だったのです。
あみ子は金魚やカブトムシが死んだのと同じように墓を作ろうと思いつき、綺麗な字を書くのり君に頼んで「弟の墓」と墓標に書いてもらいました。
母は自分の中で気持ちに区切りをつけて、何かを取り戻そうとするようにあみ子に優しく接していましたし、習字教室も再開しました。
そのタイミングであみ子は母の手を引いて、庭に作った「弟の墓」を見せたのでした。これをきっかけに母の心は粉々になってしまいます。
誰とも通信できないトランシーバーは、一方的に相手に気持ちをぶつけて齟齬を生じさせるあみ子を隠喩する存在です。
「こちらあみ子」はスパイごっこで使うはずだったセリフでもあります。
母はうつ状態になって、まともにあみ子の顔を見ることができなくなり、寝たきりの生活になります。
あみ子の生活は母の美味しい手料理と、口うるさく注意されることで清潔を保っていましたから、生活が機能しなくなるのです。ガリガリに痩せますし、不潔な姿のまま、気まぐれな時間に学校に行くのです。体臭もしますから隣の席の生徒は精神衛生を保つのが辛いのです。
一方で兄のほうにも影響が出て、学校で一目置かれるほどの不良生徒になってしまう。
私には何がそこまで兄に影響を及ぼしたのかイマイチ理解できていません。
もともと、潜在的に新しい母のことを良く思っていなかった(退院した母に箸をプレゼントしているので考え辛い)とか、あみ子に優しく接したことでジェラシーを覚えて不良になったとか、いくつか考えられると思うのですが、そこまで変わってしまうのか疑問です。
今のところ「自分が不良になることで、あみ子をイジメから守った」という説に落ち着いていますけども、それでも書道教室の授業料を盗む描写があるので何とも言えません。うーむ。
のり君も変わりました。
なんといっても墓標の文字を書いたことを自分の両親に叱られて、あみ子の家に一家で謝りに来ました。のり君はあみ子のことが好きではなかったですし、好きだった書道をする場所も同時に失いましたから、あみ子の存在は完全なトラウマになったでしょうね。
体調が悪くて保健室に来た時にあみ子と再開するのですが、この時に「好きじゃ」って何度もあみ子が言うんです。
のり君の中には怒りを通り越した殺意が芽生えて、ボコボコにあみ子を殴って前歯を折るんです。その時のあみ子の心情は、好きな人が自分に返信(殺意ですけど)してくれて喜んでいるんです。
あみ子の父はこの家庭内の問題をどうにか解決しようとしていました。
朝から夜遅くまで仕事をして、帰ってきたら妻の身体をタオルで拭いてあげる。
タバコを吸うようになった長男には火に気をつけろと言うだけで叱ることはしなかった。
あみ子が部屋の外から幽霊の声がするなんて言っているのには怒りを感じていたようです。ちなみにその音のシーンで『これ鳩でしょ?』って読者に分かるような親切設計になっているので、読者の中にもあみ子に対して苛立つ人がいてもおかしくないと思います。
その後、父は引っ越しを決断します。
あみ子はまた離婚するのだと思っていたようですが、まさか自分だけが祖母の家で暮らすことになるとは微塵も考えていなかったでしょう。不良の兄は高校に進みますが、あみ子は中学卒業とともに祖母の家で農業を手伝うことになります。
学校の最後のシーンで、通りすがりの名前も分からない男子生徒との会話が印象的です。
「どこが気持ち悪かったかね」
「お前の気持ち悪いとこ? 百億くらいあるでー」
「うん。どこ」
「百億個? いちから教えてほしいか? それとも紙に書いて表作るか?」
「いちから教えてほしい。気持ち悪いんじゃろ。どこが」
「どこがって、そりゃあ」
「うん」
笑っていた坊主頭の顔面が、ふいに固く引き締まった。それであみ子は自分の真剣が、向かい合う相手にちゃんと伝わったことを知った。あらためて、目を見て言った。
「教えて欲しい」
坊主頭はあみ子から目をそらさなかった。少しの沈黙のあと、ようやく「そりゃ」と口を開いた。そして固く引き締まったままの顔で、こう続けた。「そりゃ、おれだけのひみつじゃ」
引き締まっているのに目が泳いだ。だからあみ子は言葉を探した。その目に向かってなんでもよかった。やさしくしたいと強く思った。強く思うと悲しくなった。そして言葉は見つからなかった。あみ子はなにも言えなかった。
父は嘘をついたわけではない。あみ子に引っ越しするかと訊ねたが、一緒にとは言わなかった。離婚するとも言っていない。
たくさんのひとたちの顔を忘れた。名前すら、もともと知らない人もいる。「卒業しても忘れんなよう」と、あのとき坊主頭はあみ子の肩を小突きながらそう言った。彼はあみ子の返事を聞かずに教室から出て行った。忘れない、と約束しなくてよかったと思う。実際すっかり忘れていたから。
祖母の家の庭先で、夏の初めに竹馬に乗ってやってくる友達を待っているとき、前進してるとは思えない、小刻みに揺れているだけの影を見つめているときに、いきなり名前を呼ばれて驚いた。あみちゃんな。
「あみちゃん、あみちゃんな」
すみれの入った袋を落とした。あみ子はまだびっくりしている。でも呼ばれたのだから、はあいとこたえて祖母の声がする家の中へと向かう。途中、気になって振り返り、すぐにまた前を向いて歩きだす。だいじょうぶ。あの子は当分ここへは辿り着きそうもない。
目の前にある世界のことしか見えなくて、自分に没入していたあみ子が、人々との関係が切れるときになって、ようやく他人の価値観や考え方に気づきます。
それを教えてくれるならきっと誰でもよかったのでしょう。坊主頭の男子生徒からしてみれば、自分の嫌いなところを教えてくれと訴えるあみ子の気持ちを傷つけたくはなかったのでしょうし、「そういうところだよ」なんて言ったところで気付かないからはぐらかす。
「卒業しても忘れんなよう」というのは「当たり障りのない優しさ」だと私は思いますが、あみ子にとっては無味乾燥の一言なんですよ。アスペルガー気質ですよね。
周りにいた誰かしらが、あみ子に対して没入し続けていいモノや世界を提示できたらハッピーエンドになったでしょう。
個人的には「考古学研究家とか向いてそうだなぁ」なんて思います。
最後にあみ子の名前を呼んだのは誰なのかという謎が残ります。祖母の声でしょうか。
私には、自分なりの供養の気持ちを表したあみ子に対して話しかける妹の姿が見えた気がしました。
ピクニック
ある日、主人公の働くガールズバーに新しい従業員が加わります。七瀬という少し年上で礼儀正しい女性でした。
物語は七瀬が同郷出身の人気お笑い芸人と付き合っているのをガールズバーのみんなで見守っていくという内容です。
読んでる途中でオチが分かってしまってから『ですよねぇ』という感じでした。
具体的に言うと、七瀬の住むアパートにみんなで集まって生放送のテレビに映る芸人を見るシーンがあるんです。
そこの描写で「部屋が汚い」というワードと、テレビに向かってダメだししてる七瀬の姿が描かれているんです。
その瞬間『あれっ? これイタいファンじゃないか?』って。
「携帯電話を川に落とした」と芸人が言ってからずっとドブさらいしてるから、これは個人情報目当てのストーカーでしかないと思いました。
人気お笑い芸人との遠距離恋愛を応援するほのぼのとした話と、実はイタいファンの妄想劇場という二面性でできているわけですね。
意味が分からないのは川の近くのおしゃれな家に住むお母さん(通行人)が、その川に生ゴミを不法投棄してるんです。
この描写がなにを意味してるのか私には分かりませんでした。
結局、嘘がバレる前に七瀬は引っ越します。それでも主人公たちは居場所をつきとめて玄関の扉の前まで行くと、芸人が出ているテレビ番組の音が聞こえてくるというオチです。
自分の中の幻想が現実と辻褄が合わないのは当たり前ですが、その幻想の隙間に他人が入ってくるとややこしいですね。
この話の場合、妄想に侵入してきてる側は善意ですから。
チズさん
主人公は「チズさんという近所に住む老人を面倒見ている人」です。
最初は介護ヘルパーさんかと思ったんですけど、明確には書かれていません。
チズさんは足が悪くて真っ直ぐ立つことができなくて、認知症なのか日常生活では孫の「みきお」の名前しか喋りません。
米寿を迎えたチズさんのもとに、遠くに住む親族が訪ねてきます。
孫のみきおは大きくなってて、プチ整形してオーディションに出るとか言ってましたけどチズさんには馬耳東風。
ラストシーンでチズさんは家を抜けて主人公の家に行きたいと言って、まさかの展開で一人で立ち上がるんです。
クララばりに。
これは私の推察でしかないんですけど、変わり果てた孫の姿がよっぽど嫌で直立できたと思うんです。
主人公はつかまり立ちしかできないはずのチズさんが一人で立ったから感動していて、このまま自宅に連れていってしまわずに直立しているチズさんを親族にも見せてあげようと、そのまま玄関先に置いて帰るんです。威嚇するコアリクイを思い出してしまいました。(画像検索してくれたら分かると思う)
町田康さんの見方
巻末に町田康さんの解説が載っていました。ここで一つの言葉が取り上げられています。読者の多くがきっと頷くであろうマジックワード「一途」
全てを書くと著作権的にアレなので前段は私なりにまとめてみたいと思います。
- 勇気や力を与えるための小説はどうあるべきか。
- 本書には一途な人が一途であり続けると、この世界から何をされるのかが書かれている。
- 一途であり続けるには世界の外側にいなければならないので、多くの人は適度にバランスをとって愛し、愛されている。この世に居場所を確保しておきながら、自分は一途に愛しているというのは嘘である。
- 一途なものはそれ自体に力があるので、世間を生きるうえで希望という言葉や希望の切れ端を掴もうとする人間には耐えられやしない。
- ピュアであることを肯定できずに疑念を抱くものは、一途なものに追い詰められ、ぶっ壊れそうになるとき、自分たちを守るために放逐しようとするし、それに至るまでの間も一途なものは好奇の目にさらされ、嘲罵を浴び、打擲されることもあるかもしれない。
この小説を読んで私たちは、簡単な言葉で表しがたいものが確実に自分のなかに残っていることに気がつく。世の中で生きる人間の悲しさすべてを感じる。全ての情景が意味を帯び、互いに関係し合って世の中と世の中を生きる人間の姿をその外から描いていることにも気がつく。
なぜ、この小説ばかりがそうなるのか。
それは、人に何かを与えようとして書かれているのではなく、もっと大きくて不可解なものに向けて書かれているからであろう。
「ピクニック」は乾いていてなおかつ切ない。幸福なお母さんから遠いところにいる者たちの信仰は尊くて惨めで。「チズさん」も向こう側から描かれて、この世の人間の言葉や動きが、ひどくぎこちなく、不自然で、しかし、実際に私たちがその通りであるようにも感じて眩暈がする。
いまのところ私たちが読むことができる今村夏子の小説はこの三編だが、いずれも時代を超えて読み継がれるべき名作であると私は思う。
(まちだ・こう/作家)
もともと日本の根底には全体主義の思想があって、この思想が異端児を作り上げてしまうのだと思います。
今でもイジメの問題は絶えませんが、集団に馴染めない個人こそが今までの枠組みを変える、町田さんの言葉を借りれば「外の世界」に新しい価値観や文化を作ることができることができると私は思うので、あみ子のような少年少女たちに教育を与えてもらいたいと思いますね。
あと、母親が川に生ゴミを捨てているヒントがありますが、上流から流れてきたゴミが下流に溜まることが何を意味しているのか私にはイマイチまだ分かりません。
最後に書かれている「時代を超えて読み継がれるべき名作」は今村夏子さんに対する町田さんのアンサーですね。
帯にはこれ以外に、一週間で書けると思っていた小説が完成したのが半年後だったとも書かれています。
「こちらあみ子」だけでも子どもの目線と大人の目線の両方から描かれているので単純に言えば、一つのストーリー×2になりますし、母親が「何が食べたいの?」と訊いて「ホットケーキ」と答える温かい家庭の雰囲気をガラリと変える展開力があったりする。
今村夏子さんは半年で書いたそうです。
どれだけ頭を悩ませたのか想像できませんが、最後の一文を見たときはさぞかし嬉しかったでしょうね。