2021年の狂気じみた夏
冒頭のこの部分を書いてる今現在は2021年8月1日です。
夏ですよ。夏。学生達は海に行ってさ、人ごみの中でさ、サンオイルを塗ってさ、ビーチバレーで顔面にボールが当たって鼻血出ちゃってさ、友達に「大丈夫?」って心配されてさ、「焼きとうもろこし買って来たから食べなよ」って渡されてさ、「ありがとぉ」ってかぶりついたら前歯折れてさ、鼻から口から血だらけでさ、強風が吹いて血の部分に砂へばりついてさ、その友達芸大出身でさ「うわぁ。サンドアートみたい!インスタにアップしよっと」って勝手に写真撮られるみたいな散々な夏休みの記録も残らないのです。なぜなら、COVID-19の感染拡大中にIOCとJOCと東京都と菅義偉総理大臣が東京オリンピックを強行した事で関東は毒の沼地みたいになってしまい、8月2日から31日まで緊急事態宣言が拡大延長されたから。守らない人達は守らないでしょうけど、昨日の全国新規感染者数は12,341人
東京4058人、神奈川1580人
埼玉1036人、千葉792人、茨城172人
栃木170人、群馬136人といった状況で、茨城県以外は最多を更新しました。
空気で支配される日本で緊急事態宣言下に東京五輪を開催するという誤ったメッセージが正確に受け止められた結果、「みんなやってるんだから自分もいいだろう」という絵に描いたような割れ窓理論を誘発しました。
でも確かに、今年に入ってから常に何かしらの警報が出た状態が続いて精神的にキツいのは事実です。私の場合は妹が亡くなって1年が経過して、ずっと喪失感が続いているし、その間も情報の川の上流からは腐敗したニュースだけがどんぶらこっこと流れてくるだけだし、そこに輪をかけて東京五輪が加わって報道がほとんど息をしていませんし、生きていても何もいい事がありません。
お手上げです🤷♀️🤷♂️
そんな中、許された精神安定剤は読書。今月は安部公房の短編集を読もうと決めていたので、さっそく読んじゃうじゃうじゃうですよ。
『水中都市都市・デンドロカカリヤ』
発行日は昭和48年7月30日
48年前のちょうど今の時期です。
表紙の樹は分かりませんが、植物はパッと見た感じエアプランツとか寄生植物みたいです。内容と関係あるのでしょうか?
(これはブルータスの珍奇植物特集より)
さぁ、読むべし。
『デンドロカカリヤ』
先に書いておきますが、この小説は読者の理解を待たずに突き進むタイプの作品なので私の解釈が合ってるか分かりません。一応、読書を続けてきたので人並みの読解力はあるつもりなんですがぶっ飛んでるので自信がありません。笑
まずこの小説は「コモン君がデンドロカカリヤになった話。」という一文から始まります。続く内容はーー。
ある春の日、主人公のコモンくんの空っぽな心に植物みたいなものが生えてきて、足が地面に張り付いて顔が裏返しになります。慌てて顔をはぎとって元に戻したら全てが元に戻りました。
↑冒頭2ページを要約するとこんな感じです。
『コモン』と聞いて想起するのはマルクス経済学の『公共財』ですね。(今年の初めに斎藤幸平さんを講師に『100分de名著』でやってたの見た)
つまり冒頭の文章が意味するのは「管理者不在の空き地に草が生えてきた」と解釈できると思います。
それでコモン君は翌年の春に同様の症状に襲われます。今度は
P10 あなたが必要です。それがあなたの運命です。明日の三時に、カンランで……
Kより
という手紙が届くのです。その手紙の文字は女性が書いたような筆跡をしていて、コモン君はスケベ心に花を咲かして、自分には超可愛い彼女がいたんじゃないか?とか思い込んで待ち合わせ場所の喫茶カンランに到着します。約束の時間になると、店の中に大男が入ってきてコモン君のテーブルの席につきました。コモン君はこんな訳はないと、K嬢がいるはずだとパニックになり、1年前と同様に植物になり顔が裏返しになります。顔を戻した時には約束の時間は過ぎ去って、大男も居なくなっていました。そのまま店を出て、人の流れに従って歩いているうちに辿り着いたのは焼跡でした。
P20 ここで一本の植物になり果てよう。そう決心してしまえば、植物になることも、やはり一種の快感なんだよ。なぜ植物になってはいけないんだ!
ここまでの流れを見ると、現代で言うところのネカマに引っかかった純粋な少年に見えなくありません。後にKの他にMが出てくるので実況者の幕末志士っぽさに草生えてきますwww
それは本筋ではなくて「手紙を受け取る→騙される→自分の意思ではなく人の流れに従う→焼け跡に辿り着く」というストーリーですから「赤手紙→夢の国だと思ったら満州えぐい→敗戦」という比喩だと私は思います。とくに植物になると顔が裏返るというのは、個人の思想が公共に塗りつぶされる滅私奉公を描いているのだと読みました。
合わせてコモン君のパーソナリティについてはーー
P11
まだちょっと早かったが、一時過ぎ、アパートを出た。振返って、部屋の窓ガラスの割目の魚の形と、何んのために使ったのか軒に下っている腐った縄とを想出にとどめてから、びちょびちょと黒くしめった道の、それでもところどころまだらに残ったアスファルトの部分を選んで踏んでゆく。はっきり事態をたしかめておきたかった。たとえコモン君の場合でなくたって、いささかの感動もなかったなどと言えるだろうか? 風が這ってたよ。コモン君は肩で息をしていた。
↑この作品で一番キラキラした描写に対比させるように「腐った縄」というアイテムが出てきます。つまりは自殺志願者であったコモン君がそれを捨てて、人間性を持って突き進んでいる描写です。命が躍動する文体ですね。
それと気になるのが、この小説の三人称視点です。いわゆる神様視点ですが、普通は「○○であった」という黒子に徹っする無機質な書かれ方をされますが、この小説は「○○してしまったんだ」という語り方をするのです。
以前に読んだ『棒になった男』と同じ匂いがします。そちらの作品では神様と弟子がアパートの屋上から落下する男を見ているという感じだったのですがこちら『デンドロカカリヤ』の場合は悪魔が嘲笑っているような感じがします。「重力」というキーワードも共通点で。
この後にコモン君は焼跡で先ほどの大男に採集されそうになりますが、男の肩がコモン君の顔に当たり偶然、現実に戻されます。自宅アパートに戻ったコモン君は翌日に窓の外を通り過ぎる大男を目撃し尾行。見失ってしまい、人間が植物になる現象を調べる為に図書館に行くと、図書館の職員が大男で、これを読めとダンテの神曲 地獄篇第13歌 ピエエル・デルラ・ヴィニアの物語を調べます。
P26
つまり、地獄に堕ちた人間は、地獄にあっても、決して罪の意識を持たないものなのだ。ここには罰だけがあって罪はない。してみると、コモン君は判断せざるを得なかったわけさ。つまり俺は知らずに、既に自殺してしまったのかもしれないとね。
ここまで違和感があるのは、大男は最初に遭遇した時にコモン君を採集できたはずなのになぜしなかったのか?という事と、なぜ図書館で遭遇したのにご親切に採集しなかったのか?という事。前者は他にもお客さんが居たからできなかったのか、後者はコモン君の幻覚でそう見えているのか…。まぁ分からないですが、一番最初の手紙と同様に一定の方向に誘導していると考えるほうが自然かもしれません。
で、私はダンテの神曲を知らないし、ギリシア神話に関する知識は『ゴッド・オブ・ウォー』という血まみれのゲームと、最近に見た山田五郎さんが絵画を解説するYouTubeチャンネルの知識しかありません。
そこでWikipedia先生にお世話になった結果
恐らくここの事を言ってるんだなと。
コモン君はギリシア神話になぞらえてK(植物園園長)の事を怪鳥「アルピイエ」と呼び、Kはコモン君の事を「デンドロカカリヤ・クレピディフォリア」と呼びます。ここのあたりは分裂しているというか、話が噛み合わない感じが会話劇としては奇妙に感じました。何か別の意味があるのかもしれませんが。
その中でこの物語の核心部である「なぜKはコモン君を狙っているのか?」という疑問が分かります。
P32
「しっ! 誰にも言っちゃいけませんよ。貴方方はねらわれているんだ。商売人にね。しかし私のところは違う。安全だ。政府の保証ですからな。私に目星をつけられた人々はみんな幸福ですよ。」
私のここまでの解釈だと軍国主義の後に資本主義がやってきたと。時代は虚無感に満ちていて、みんな植物みたいになっている。そこへ植物園の園長が現れてコモン君の身柄は保証すると言ってるわけです。
また、P31では「植物と動物は科学的に質的な相違はない」というティミリヤーゼフの『植物の生活』をコモン君に紹介するシーンがあり、これに対してコモン君はこう反論しています。
P34
「何が駄目だ。内臓を葉にして表面に引きずり出し、お前のついばみ易いようにしてあるんじゃないか。」
「ああ、デンドロカカリヤさん。もう何も言わない。とにかくティミリヤーゼフを読んでごらんなさいよ。そしたらもっと気が落着きます。〈中略〉きっといらっしゃいますよ。賭けてもいいくらいだ。」
「行くものか!」
この後にコモン君は焼跡で遭遇した際に大男から盗んだ海軍ナイフを持って、殺される前に殺し、そのついでに温室の人間を解放しようと植物園を訪れるのですが、園長はコモン君がナイフを構えた瞬間に「それ返して」みたいなノリで取ってしまい、助手のMと一緒に無抵抗となったコモン君を鉢植えに植えて
〔Dendrocacalia crepidifolia〕とカードに名前を書いてコモン君の幹に鋲で止めました。おしまい。って。笑
戦争の末期の日本人は戦争に負けるとか何とか言う国民を非国民として密告したり、撲殺したりしていて、それでも内心は戦争に反対だったとか、政府の事を信じてなかったという体験者の話はザラにありますよね。それなのに「政府に騙された」という現実を踏まえると、軍国主義から民主主義と資本主義の時代になっても考える事を放棄してしまえば「政府の保証ですからな」という甘い言葉を信じてまんまと従属してしまうというディストピアに見えました。
ただ、コモン君は自殺志願者で心が空っぽという前提があります。それでも手紙をくれた空想のK嬢に想いを馳せてる瞬間は自由意思を持っていて、P18では「自分で自由を終わらせるなんて思いつかない」と内心が語られています。後半には「植物と動物は科学的に変わりがないのだ」という方程式が出てきて、そこにコモン君を当てはめると園長側は「植物になる事で葉っぱという心臓をたくさん手に入れる事ができるじゃないか」というわけです。その対価として園長はP30に書かれている「貴方が、母島列島以北に存在するとは驚きましたよ。まったく珍奇なことですわ」と書かれている通りに、珍しいデンドロカカリヤ・クレピディフォリアを手に入れてほくそ笑む。
でも、コモン君に対する評価は「菊のような葉をつけた、あまり見栄えのしない樹が立っていた。」と書かれています。
つまり、母島列島以北に存在するから珍しいのであって、温室という環境に置かれてしまえば観賞価値は下がってしまうという事。(某俳優で例えれば『水曜どうでしょう』だから面白いのに東京の番組に出ても面白くないよと安部公房先生は言ってるわけです←言ってねーよ!)そして、コモン君はそれに抗うこともせずに価値観を上書きされてしまった。
果たしてハッピーエンドなのか、ディストピアなのか。映画『マトリックス』の培養液の中で人類が生きてる感じもするし、独裁と新自由主義とが行き着く先は同じだと予見しているようでもありました。
それにしても相変わらず安部公房さんの文章表現は上手いですね。恐らくKはケンタウロスでMはミノタウルス。あと大男から海軍ナイフを盗んで取り上げられるという関係性は敗戦後の日本とアメリカを意味してるのかなと考えながら読みました。全体としては地獄を創り続ける人類がどうやって平和と自由を手に入れるかという命題に感じました。
『手』
この作品の冒頭は吹雪の中で台の上に立っている主人公。そこへ犬の毛皮のマントで顔を包んだ小さな男が近寄ってくるというシーンで始まります。
「主人公は政治家で演説でもしてるのか?」なんて考えながら読んでいたら、小さな男がノコギリとヤスリを取り出して主人公の足首を切り出したというではありませんか。ここで読者は主人公が銅像か何かである事を理解します。
P43
そのとき、おれは男が誰であったか、すぐ想出した。あの男だ。これはあの男の手つきであり、あの男にしかできない手つきだ。いや、それ以上に、おれを変形し、おれに運命を与えた、「手」そのものだ。おれにとって、あの男は、その「手」の付属品にすぎなかった。
↑なぜこんなにも「手」が強調されるのかという疑問については、このあと主人公が足を切断される5分の間に説明していきます。
もともと主人公は美しく血統も良い伝書鳩で、戦争が終わると同時にそれまでが嘘だったような「無規律と混乱」が襲い、鳩舎は放置され野良猫とイタズラ小僧により仲間は死んでいきます。(或いは隙間から逃げた可能性も)
そこへ飼主であった鳩班の兵隊が訪れ、見世物小屋に連れて行く。シルクハットの底から引っ張り出されて、鳩舎に戻ると一合の豆を貰えるという生活が始まりました。
ここまでの流れを見ると、戦争が終わると兵隊という職業は無くなって生活ができなくなり、見世物小屋でマジシャンとして生計を立て生きていたというのが分かります。また鳩の目線から描かれているから、鳩舎と外の世界を繋ぐ「手」の存在が大きい事も分かります。
この後、平和の像を作ろうとしている男が出てきて鳩は売られて剥製にされしまうのです。ハートウォーミングな話だと思ってたらいきなりグロテスクな描写になるで驚きました。(鳩だけにハートウォーミングってね←)
防腐処理が不完全で鳩の剥製は夏に蛆虫が湧いて焼却処分されますが、主人公は他者の手によってのみ存在できる「平和の鳩」にメタモルフォーゼします。
兵隊だった飼主はというと、鳩を売った事に罪悪感を抱きながら生きてきました。それを利用したのが反平和主義者である男達で、飼主に「平和の鳩」を盗んでくるように依頼したのです。
ここから冒頭のシーンに繋がっていきます。
それでこの小説の特徴は主人公の鳩が感情を表現していない事だと気付きます。再開できて嬉しいとか、飼主に裏切られて悲しいとか、メスで肉を切られて痛いとか、一切そういう事が語れられていないのです。
兵隊に所属していたからなのか?と考えてみましたが、飼主は後悔していたという事が分かるのでこれは違うなと。そうすると「鳩だから」以外の答えが見当たりません。
この後、飼主は盗んだ「平和の鳩」を反平和主義者に再び売り、反平和主義者を裏で操っていた政府から指名手配として追われクライマックスを迎えます。
P53
おれは「手」に向って真っすぐ走り、いくらかの肉と血をけずり取って、そのまま通りぬけ、街路樹の幹に突き刺ささってつぶれた。おれの背後で、「手」がうめき、倒れる音がした。そしておれは最後の変形を完了した。
「平和の鳩」は溶かされて銃弾となり、飼主を貫いて変形を完了した。というラストはぐらぐらと揺さぶってくるものがありました。
先ほども書きましたけど、この作品も軍国主義と資本主義というものが色濃く反映されていて、生き残った軍人はアイデンティティを失って資本主義の中で生きてゆかざるを得ない。一方で命を落とした軍人(この作品では鳩)は英霊として讃えられる。つまり、死んでようやく評価されるという理不尽な現実があるわけです。像が溶かされるという事については、日本では廃仏棄釈がそれに当たります。
これを踏まえるとこの作品のラストは、非国民となった兵隊を銃弾となった平和の鳩が貫いて殺すというかなり暴力的な内容ですね。この場面に似た描写をウラジミール・ナボコフが『ロリータ』の中で描いているんです。それは、老人の身体を銃弾が貫いて、銃弾が老人にエネルギーを与えて若返ったかのように身体が動いて絶命するというシーン。(うろ覚え)
ナボコフが『ロリータ』を書いたのが1955年。その4年前に安部公房が書いていたという事はこれまた驚きでした。それほどまでにこの作品が描かれた時点では戦争が生々しいものだったという事でしょうね。
『飢えた皮膚』
P61
動物学で《保護色》と呼ばれているあの現象が、貴女の皮膚にも起ころうとしているのです。インキのように青くなったり、コーヒーのように黒くなったり、草のように緑色になったり、新聞を読んでいたら活字の縞が顔の上に現れたりする御自分を想像してごらんなさい。恐ろしいことではありませんか! 貴女にその症候が現れているのを、一目見たとき、私は見抜いてしまったのです。私は貴女を、その不幸から守らなければなりません。
このペースで書いていくと記事がかなり長くなって8月が終わる可能性があるので、ここからは省略しつつ書きます。
『飢えた皮膚』の冒頭は『羅生門』に似ています。乾燥した大地の上で主人公の男は食べ物にありつけず(犬や猫を食料にするしかないレベルの飢餓)ゲロを吐きながら日陰を目指して門の下で休憩していると、車が停まりその家に住む金持ちの女性が降りてきます。男の存在に気付きますが眼中になく、運転手が男を蹴って強制的に排除。そして男の復讐が始まります。
主人公:仕事も食べ物もなくアパートから立退きを迫られている。
日本人女性:門のある家に住む奥さん。34〜35歳。主人公はキムと呼ぶ
運転手:主人公を蹴った。朝鮮人
饅頭売りの老人:主人公がナイフで脅して饅頭を奪って逃げようとした時に、同情して小さな肉入りの饅頭を与えた。中国人
↑これを見て分かるように、主人公は門の下で自分を蹴った運転手ではなく、雇用主の女性に対して復讐心をたぎらせています。そして手紙を書くのです。
P64
つまり、人間は、自分の皮膚が社会の発展にとても追いつけなくなったので、代用の衣装でもってその補いをつけようとしているわけなのです。
ユニフォームという言葉は姿勢を束ねるという意味ですが、敗戦を迎えて時代が移り変わる中、人々の着る衣装の変化について着目した作品だというのは分かります。植民地支配していた日本人の男が飢えているというヒエラルキーも。
手紙の内容についてざっくりと書くと、自分は世界的に流行している病を解明しようとしてる人間であって、闇の秘密結社がそれを阻んでいると。あなたも感染しているかもしれないが「レパーゴ(復讐)・A」があれば治る。というカルト教団のような内容なのです。
安部公房さんの筆の力があるから読めますが、そうでなければ似非科学の塊というか煮こごりみたいな匂いがプンプンする超あやしい手紙です。
それでまんまと女性は主人公のアパートにおびき寄せられて、10円(主人公の2ヶ月分の食費になる)で「レパーゴ(復讐)・A」という阿片を買わされ、服用して幻覚を見ている間に強姦されるというエグい展開に…。
お金持ちをターゲットにする作品は『ルパン三世』のような義賊的な作品だったり、腐敗した権力者を裁く『必殺仕事人』だったり、映画『パラサイト』だったり数多くありますが、ここまで読むと『飢えた皮膚』の主人公は金持ちを薬漬けにして金づるにしたうえで性的暴行を加えていますから、正義の味方には見えませんし、感情移入もできません。
それでも復讐は止まらずに、主人公は夫が不在の時に屋敷の中を出入りし、資本家の全てを奪い去ろうと、洗脳とオーバードーズと禁断症状とで、精神がぶっ飛ぶ手前の女性から印鑑のありかを聞き出して書類を整え北の大地へ逃走。
P80
一週間後に、おれは北の国境に近い田舎町にいた。
〈中略〉
三日遅れの新聞で、おれは女が発狂し、キムが謎の破産をとげたという記事を見た。
〈中略〉
おれはもう飢えていないのだろうか?
おれは女のことを書いてあるその記事を、毎日舐めるように繰返して読んだ。するとある日、不思議なことに気づいた。いつの間にか女の名前のところが、おれの名前に変わっているのだ。
そしてある日、おれの皮膚は死の不安に似た冷たさを感じ、暗い緑色に変わっていた。
↑この「暗い緑色」についてですが、作品の中で「緑は死の不安に似た冷たさ」「黒は腹立たしい痛み」と書かれています。ここで思い当たるのが『デンドロカカリヤ』の主人公です。彼も緑色になって、殺される前に殺してやるという考えをしていました。作者は死ぬまで奪い合いを続ける資本主義の姿を描いていると解釈できます。そして『飢えた皮膚』の主人公はキムという名前を知っていた事から、資産家に奪われた過去があり、その復讐として奪った。
「おれの名前に変わっている」というのは次は自分がまた狙われる側になったという意味ですね。
ループ性のある作品でした。
『詩人の生涯』
P88
人は貧しさのために貧しくなる。
そんな不合理な貧しさにも、何か理由があったのだろうか? いったいお前は何者? どこからやって来たのだ?
〈中略〉
太陽の足は膝をかがめ、影は長く淡くなって、冬が来た。蒸発していった夢や魂や願望が、空中で雲になって、一日じゅう貸与の光をさえぎるので、ひとしお寒い冬が来た。
P88のこの文章は核心部であり、表現がとても綺麗。まぁこの後に白い息をタバコと勘違いした先生が生徒を、職長が労働者を鞭で打つという、『ガキの使いやあらへんで』で呼ばれすぎて、とりあえず近くにいた奴にタイキックを食らわせて帰るみたいな描写があります。読んでみて下さい。
全体的にいうとこの作品は解釈が難しいです。
まず「三十九歳の老婆」という言葉に時代の流れを感じました。朝から晩まで糸車を廻して、とうとう身体が巻き込まれて糸になってしまう。その糸はジャケットになり、買い手がつかずに質屋の倉庫でネズミに噛まれ、血が出て赤いジャケットになる。本来ならばジャケットが必要な人たちは、値段が高くて買えずに凍ります。赤いジャケットは意志を持ったように移動して、凍りついた息子を温めると、息子は自分が詩人であると自覚し、詩集を完成させるとその中に消えてしまったという話です。
シベリアの強制労働と原爆投下で商品を買わせるアメリカの姿勢とを描いたような描写がありつつ、モノに魂が宿るアニミズムが特徴的。「平和の鳩の像」の場合は自分では動けませんでしたが、この赤いジャケットは息子を助けるために動くんです。ここのシーンは読んでいると頭に風景が浮かびました。(ディズニーのアナ雪みたいな背景で)
ただ、最後のほうがよく分からなくて、村のみんなもジャケットを着られるようになって詩人(弱い者の声がわかる)が姿を消しているという点を見ると解放運動のように感じました。今の私には分からない比喩なのでしょう。
一つだけ思い当たったのが、洋服に血を染み込ませるというシーンで、もう何年も前に見た『キルラキル』(2020年に放送されていた『BNA』というアニメに若干エッセンスが受け継がれていた)というアニメがそうだったなと読んでて思ったけど多分ちがいますね。
『空中楼閣』
主人公のカラキは失業保険が切れるかどうかという時に、アパートの前の電柱に貼られた求人広告に目を奪われます。
P102
求む工員
空中楼閣建設事務所
ビラに書いてあるのはそれだけで、詳しいことは分かりません。それでも気になっている事を友人のKに話します。Kは気象台に勤めているのですが、その気象台は空中楼閣建設事務所の研究室だと言うのです。
うーん。わかるようなわからない話。
この後、主人公のカラキが下の階に住む独身のタイピストの女性に唾を吐いて、空のタバコの箱とマッチ箱を投げるという意味の分からないシーンがあり、さらに主人公は三毛猫の後をついて行く。
頭おかしいじゃないですか?
幕末志士の実況者である坂本さんが、小さい頃にバブルでお父さんがブイブイ言わせていて、一家はマンションの最上階に住んでいたそうです。坂本少年の楽しみは通行人に屋上から唾を吐くことで、バブルが弾けて転落人生を歩み、今は三毛猫のミケのケツを舐める毎日を送っています。嘘みたいな本当の話で、主人公と坂本さんがダブって見えてしまいます。
話を戻します。猫の後をついていくと主人公はとある屋敷にたどり着き、そこの主人から「空中楼閣」というものが、国家的な世論統一の方法論であって、地上にそびえ立つバベルの塔を超える空中楼閣をつくる目的があるのだと知らされます。
P126
ナイフは奇妙な手ごたえで、途中までささって止った。男は静かに振向き、小さな声で何か言った。それから何事もなげに腕をまわしてナイフを引抜くと、その傷口から、さらさらと白い砂がこぼれた。
今度は男がそのナイフを、ぼくの胸につき立てた。ぼくの胸からは血が流れた。もう一度気を失い、それから今度はもう何も見えなかった。
↑これがエンディング。
軍国主義→敗戦→資本主義という価値観の移り変わりを経て、果たしてこれでいいのか?という焦燥感がある。共産主義に目をやると、同じ価値観の者同士で大声をあげて歌を唄っていきなり沈黙するという不気味な描写があり、これも違うのではないかと考える。そして最後に、空中楼閣のビラを貼っている軍服の男が登場し、主人公がナイフを刺すと砂に突き刺す手ごたえで、反対に主人公は男に刺されてしまう。つまり「軍国主義が違う事は分かっているけど、資本主義も共産主義も怪しいとなると先が見えないよね」という内容なのではないかと解釈しました。
ただ、下の階の女性に興奮して主人公が上から唾を吐くという意味の分からない演出(『羊たちの沈黙』の牢屋じゃねーか笑)とは別に、屋敷の主人が猫を捨てた意味も分からないのです。その捨てた猫を追って主人公が屋敷にたどり着いているので、ただのギミックなのか、もっと別の意味があるのか。例えばこの三毛猫がオスだとしたら、金持ちはそんなに珍しいものでさえ捨ててしまうという意味付けができるでしょうけど、とくに性別に関する記載はないし…謎い!
『闖入者ー手記とエピローグー』
主人公はアパートの10号室に住んでいる男。眠ろうとしているとゾロゾロと鳴り響く足音で目をさまします。時間は夜中の3時20分 扉を開けると9人の家族が部屋の中に入ってきて「帰ってきた」と主張し、多数決の結果、主人公の主張は否決されます。資本家であるアパートの大家からすれば金をくれれば住人は誰でもいいし、一方的な主張を信じるわけにはいかないと警察に追い返されるしどうすればいいのかーーという始まり。
あれっ?これどこかで読んだ?という不思議な感覚。
https://twitter.com/ebiharaism/status/1161989714166947840?s=21
実は私、この作品が2019年にNHKのラジオで放送された高橋源一郎さんの『戦争の向こう側』で紹介されたのを聞いていました。紹介者はヤマザキマリさんで、イタリアに行った時にこれを読めと言われて読んだそうです。放送の内容はTwitterにメモしてありますが、詳細なものは公式サイトの『読むらじる』を検索してみて下さい。その放送の中では多数決の暴力性について紹介されていたのですが、自分でちゃんと読んで見ると違うレイヤーというか奥域があって、クリア後のRPGの宝箱を探すのと似た感じの楽しみがありました。
登場人物を書いておきましょう。
「主人公K」
→恋人のSと幸せな未来を生きるはずが、押しかけてきた9人家族の奴隷にされる。
「8号室」
→足の曲がった売春婦が住んでいるらしい
「9号室」
→くたばりぞこないの運転手が住んでいるらしい
「未亡人」
→下の階に住んでいる。主人公はシカトしてた。次男とデキる
「S子」
→主人公の恋人だったがいつの間にか長男に寝取られてしまい、口も聞いてくれなくなる
「父親」
→9人家族の大黒柱。キリスト教徒で柔道五段。警察学校の教官だった。
「母親」
→いやらしい事に嫌悪感を抱きながら、自分の事は誰も相手をしてくれないのだと精神を病んでいる。次男の被験体
「老婆」
→皺くちゃで言葉は発しないが一番下の赤ん坊をあやしている。男性心理研究家で、デパートの売り子の心理的盲点に関する研究の権威だった。
「長男タロ」
→20貫≒75キロはあるたくましい肉体をしている。実験的犯罪心理学の研究をしてる。主人公がS子に渡した給料袋を回収しに行き、S子と映画館に行く約束もして主人公から奪う
「次男ジロ」
→無頼の相をしている。未亡人と仲良くなる。更年期女性の性愛心理学の研究をしている。
「長女キク子」
家族の中でただ1人だけ主人公の味方だった。詩を書くのが得意。主人公と一緒に資本主義の中で愛を貫いて生きて行こうと言うが、主人公が奴隷にされる前の男にも恋をしていたし、その男は結局死んだので主人公は泣きながらキスをする
「一番下の赤ちゃん」
異議なし!の挙手ができる。
まぁ、こんな感じなんですけど。
疑問なのが父母、婆ちゃん、長男、次男、長女、赤ちゃんって、7人しか登場していないのです。これは何か意味があるのか、それとも書いててめんどくさくなったのか…。笑
最後に主人公がアパートの住人達に団結を促すようなビラを貼ったらお金を請求されたという話をしていて、その後に主人公はさらに抵抗して窓からビラを撒いたら、闖入者達が逆に団結して「ビラ散布禁止法」というのを立法して、とうとう主人公の心は折れて首をくくるという終わり。
でも、この作品の核の部分って
P156
「この人をこんな具合に育てた古い社会が悪いの。食器を洗うことなど、女の仕事だっていう、封建的な考えかたから抜けきれないのね、きっとそうだわ。」
というキク子の言葉だと思うんです。
なぜ彼女は抜け出そうとしているのかを考えると、基本的に財布の紐を握っているのは男で、女性は従うしかない環境。だから資本主義の中でも愛という価値基準で生きたいと思っている。
でも、主人公はいきなりやってきたシステムに順応はしたくないから、キク子とは話が合わないわけです。
でも最初のほうを読むと分かりますけど、家賃を滞納してない時の主人公は生活が苦しい他のアパートの住人を見下しているんです。つまり、主人公は資本主義には順応してるけど多数決に反抗している。と読める。
民主主義というと多数決という数の暴力が頭に浮かびますが、本当の姿は議会の合意形成をして少数派の意見も取り入れるシステムのはずです。しかし、この作品では主人公は屋根裏部屋に押しやられてしまい、何もかも奪われる存在でしかありません。なのでこの作品は民主主義の暴力性というよりも「議会の暴力性」を描いたと捉えたほうが良いと思います。
また、少数派の意見を無視するのであれば、この家族を「移民」と解釈した時に排斥的な選択をする事になってしまいます。隣人愛を説くキリスト教徒が収奪をする滑稽な話にしつつ、核心部では少数派の意見を取り入れろというフェミニズムに通じる構成に感じました。
『ノアの方舟』
ノア先生は村長であり、校長であり、税務署長であり、警察署長であり、裁判長であり、司祭長でしたという始まりを読んで「独裁者じゃないか」と気付いてからは旧約聖書をモチーフにしたディストピアだという予想がつきます。
ノアの箱舟というのは、洪水が起こると知らされたノアが舟を作って洪水を生き延びるという内容ですが、この作品では独裁者の老人ノアが村人を虐殺してしまい、舟を造るものが居なくなるというオチが待っています。
P200
今となっては、私にねがえることはただ、この愚かなアル中患者に関する伝説が、せめて誤り伝えられぬことをねがうだけでした。
この作品のトリッキーなところはエホバとサタンの誕生のところで、実はエホバになったのはサタンなんじゃないか?と思わせる部分。これによって地上に地獄が誕生し、自分以外の家族を殺された主人公は村を出る。(10年後に戻ってラストのオチに繋がる)
安部公房さんは救世主を独裁者に置き換えてユーモラスに仕立てています。これまで「脱出」する事にテーマ性を置かれている作品が多いですが、この作品では地上という地獄に独裁者を繋ぎ止めるオチなので比較すると楽しいです。
『プルートーのわな』
オルフェイスとオイリディケというネズミの物語。
ギリシャ神話のオルペウスとエウリュディケの話とイソップ物語の『ネズミの相談』の亜種みたいな作品で、カロンの役割を果たすのがプルートーという猫。
検索してみるとエドガー・アラン・ポーの『黒猫』という作品に同じ名前の猫が出ているので、マッシュアップしたのかなぁなんて思いました。
『水中都市』
P210
ショウチュウを飲みすぎると、人間は必ず魚類に変化するんだ。現におれのおやじも、おれの見ている前で魚になった。
〈中略〉
水に沈んだその風景がおれの空虚さを埋めようとしているのか、おれがその風景の空虚さを埋めようとしているのか、……いずれにしても、魚にだけはなりたくない。むしろ、消えてなくなったほうがいい。
表題となっている作品なのでワクワクしていたのですが、予想の斜め上を突き抜けていきました。
どんな話かというと、一人暮らしのタローのアパートに死んだと言われていた父親(満州から引き揚げてきた)がやってきて、妊娠して身体が膨れ上がって脱皮のように割れたと思ったら平べったい大きな口の魚になるのです。そして人の頭を食べる。
えっ? 意味わかんない? 私も。
窮地を救ってくれた間木という製薬会社の同僚がいるのですが、間木は3枚の絵を描いています。
1枚目は堤防から見た職場の工場が水の中に沈んだ廃墟となってる絵
2枚目は水の中に沈んだ工場があって、水が空に向かって沸き立っている絵。首のない男が窓から上半身を乗り出しているのも描かれてます。
3枚目は描き途中。どアップで工場が描かれていて、空間をガラスの粉のようなものが満たしている。一部屋ずつが氷塊のようで透き通っていて、それぞれの中心に何組かの男女が絡み合って凍りついてる。側には巨大なクレーン があってこちらをのぞきこんでる。
だってさ!
意味わかんないですよね。笑
でも、山田五郎さんのYouTubeチャンネルを見てる私はアレ?まさか…。みたいな。
たぶんこれ『三連祭壇画』の事だと思うんです。三連祭壇画は創世記→現世→地獄という構成をしているのですが、3枚目、つまり地獄が描き途中。
この作品のなかで「h」という文字が出てきて、前半では「h野郎」を私は「変態野郎」と読んでいたのですが、変なタイミングで「h」が出てくるんです。そうなると代入可能な言葉として解釈できる。
間木は自身の絵についてこう言ってます。
P124
資本が生物として完成するために、おれたちの現実は無機物の破片のようにばらばらにされてしまったんだ。最近現実を連続的に考えるのは間違いじゃないかと思い始めたよ。
ここでヒエロニムス・ボスの地獄をご覧あれ!
『快楽の園』では地獄にしか人工物がないという特徴があるんですね。先ほど間木は自分達の現実が「無機物」つまりは、自然に帰らないものにされてしまったと言ってましたがかなり符合しています。
「いやぁ。でもこじ付けでしょ?」
じゃあ2枚目『干し草車』を見てくださいよ。
現世で人間が魚に変化して、地獄で頭から人間を食べてるんですよ?
こんなに小説の内容とシンクロしてるものありますかね?
ヒエロニムスのhであり
地獄=Hellのhでもあるわけですよ。
まぁ「モチーフはこれかも知れないね」という私の推理です。
感想としてはここまでの作品同様に、時代の変化における「順応と抵抗」について描かれた作品だと感じました。地獄に順応した時の絶望感を読者に問いかけているのだと思います。
【ヒエロニムス・ボス】奇妙すぎる絵「快楽の園」には何が描かれている?【オランダの水木しげる】 - YouTube
みんなも山田五郎さんのYouTubeを見よう!
『鉄砲屋』
P258
この外国人は、おそらく世界漫遊の途上にある大金持にちがいあるまい。もしかするとこれを機会に観光地"馬の目"島の名が世界に宣伝されることにならないとも限らぬではないか。そう、ここで一もうけしてやろう。
鞍の島と馬の目島という2つの島があり、国王は世襲。島長になるのは国王の弟と決められていました。平和な民族で勤勉ではありましたが、財政難が続き貧困状態にあり、それを理由に海外の地理の教科書には無知で凶暴な劣等民族であるという偏見が記載されていました。(そもそも存在さえ知らないので教科書に載らない場合もあるとか)
そこを訪れたのが主人公。カラバス丸に乗り世界一周航路の途中、小型ヘリくまん蜂号から上陸する。
というのが冒頭。なぜ主人公はこんな島に来たのか?という疑問が残ります。
上記引用文にも対応するのがーー
P264
「さあ、握手をして、いっしょにお屋敷まで参りましょう。この場をとりつくろうためには、私たちがいかにも親しげにしてみせることが第一です。私は商人です。取引が目的なんですから、さあ安心して、一つ堂々とやって下さいな。」
列強カラバス国から来た主人公は自らを商人だと名乗ります。そして、国民は島長とカラバス人が腕を組んで歩いていくのを見て外国の風習なのだと思ったと書かれています。
このシーンはマッカーサーと天皇をモチーフにしている感じがしました。
さらに読み進めると、主人公の名前はトム・Bでその商品が銃である事が判明。
なんという事でしょう!安部公房さんは人気お笑い芸人「トム・ブラウン」の登場を予言していたのです!
トム・ブラウン、ガンアクション好きが高じすぎて「本物の銃で撃たれたい」 : スポーツ報知
なんでもこじつければいいってもんじゃない。笑
さらに読むとトム・Bの国には「瓢箪から駒」という諺があるとか「サムライ」
という言葉を発しているんです。
つまり「マッカーサーと天皇」或いは「黒船と徳川幕府」という構図を引き継いでいるパラレルワールドです。
実際、現在の日本は原発事故を起こしながら海外に原発セールスして失敗した挙句、自然エネルギーの分野で大きく出遅れたうえ、学術も人権も軽んじた事で先進国とは言えないレベルに低下し、嘘をついたうえ皇族を利用し、裏金で誘致し、感染症災害下での開催はどうなのかという国民の反対を押し切って強行した東京五輪では、昨日8月6日(金)の競歩では10人もの選手がリタイア。言葉を壊してきた政治家のトップである総理大臣は、広島の平和記念式典で広島をヒロマと言ったり、原爆を原発といった挙句、1ページも原稿を読み飛ばしました。感染拡大と五輪は関係ないとも発言した裏で、副総理の運転手が陽性となり接触者の副総理は自宅隔離になった。原子力非常事態宣言とCOVID-19の緊急事態宣言が同時に出ているのに、政治が全く機能していないというフィクションみたいな現実が広がっているのです。
果たしてこの現実に勝てるのか?
ご安心を。安部公房という品質保証がスゴイんだ。
主人公トム・Bは何をセールスしに来たのかというと、まず「私有財産を認めない共産主義よりも自由主義がいいですよね?」という揺さぶりをかけて仮想敵(red purge)を構築します。そして、「鳥肉加工トラスト」という会社の契約として、馬の目島の上空を8万羽の雁もどきが通過するので1羽あたり112円30銭で取引させて欲しいというのです。そして雁もどきが通過したあとにはコンコン鳥が20万羽飛来する。1羽あたり342円として、全て来たら7,738万4000円になると持ちかけるのです。この時点で財政難に陥っていた島長は心が踊ってウハウハ状態。
さらにトム・Bは「しかし、あなた方は捕らえるための鉄砲を持っていませんよね? もし、鉄砲を買ってくれれば無料で猟友会を指導しますよ?」というのです。そして島長はまんまと型落ちした旧式の鉄砲を買う契約を結んでしまうのです。
これについて新聞社が社説で、契約を検証する必要があると書き「雁もどきという鳥は存在せず豆腐を油で揚げたものだ」という豆腐屋の意見も掲載されました。
これに対してトム・Bは反対してるのは国家の秩序を乱そうとする赤だと主張し、平和な国で弾圧が始まるのでした。
P289
新聞で、号外で、言いつたえで、繰返されているうちに、雁もどきの飛来に対する島民の感情は次第に統一されていった。
それでもおかしいと「雁もどきは豆腐の油揚げだ」という論文を書いた学者は裁判にもかけられず投獄され、新聞はあたかも民主的プロセスがあったように偽ります。
結局、鳥は訪れないまま馬の目島は独立を主張して、国土も人口も2倍ある鞍の島政府に宣戦布告を通達。
(疲れてピンボケの写真しか撮れません)
この島って「目玉」の地形をしているんです。圧倒的な実力差があるのに開戦に踏み切ったのって「真珠湾攻撃」じゃないですか? 真珠と涙が対応してるのかなと考えました。
そしてラストは祖国カラバスで成長している子どもに手紙を書いているトム・Bが、栄養失調の子ども達が目障りだから殺せと命じて物語は幕を閉じるのです。
民意を読まぬ安倍元首相のレッテル貼り 「反日的な人が五輪に反対」に批判殺到 :東京新聞 TOKYO Web
高度なインテリジェンスで歴史を寓話に変える安部公房。東京五輪に反対しているのは反日であると主張する安倍晋三氏。(前総理大臣。「桜を見る会」を利用した集票活動と私物化を巡り、検察審査会が起訴相当に次ぐ「不起訴不当」とし捜査が始まった)同じアベでこんなに違うのかと驚きました。これだけではありません。「反日」という言葉は朝日新聞社阪神支局が襲撃されたいわゆる「赤報隊事件」の犯人が使っていた言葉です。反対する人間は非国民であるという姿勢、そして否定的に報じるメディアを弾圧するという行動までもが、『鉄砲屋』には書かれているのです。
『イソップの裁判』
P311
イソップが言うには、腹のへった犬と狐が力を合わせて一匹の兎をつかまえた。つかまえてみると欲が出た。犬と狐はつかみ合いをはじめ、兎はそのすきに逃出した。……その兎はむろん自分たちドレイのことである。独立運動は、徐々にではあったが意識づけられはじめていた。
イソップは「噂」を意味する概念であって、鬱屈した人々がイソップにやられたと存在しない犯罪を口にする。するとイソップの罪はどんどん重くなっていく。
そしてイソップが捕まります。捕まったのは、「ゼウスの神話なんていうのは空想であって、存在しない為政者によって統治されている。イソップというのは民衆の声だ。権力を打ち倒さないといけない」と主張する学者でした。
ーーといった感じの内容。
いやぁ、この話は難しいです。ギリシャ神話についての知識がないうえに人の名前が覚えられない私には「チンプンカンプン」が分裂して、「チンプン」と「カンプン」になったと思ったら「チン」と「プン」と「カン」になって、紀元前589年の春に奴隷たちは民主政治が始まったという感じ。
自分が生まれる前に作られた概念に従って生きる事は、生まれながらに奴隷になる可能性があるので民主政治によって是正されるべきだと読みました。
感想は?と訊かれると…うーん…私の理解力が追いつかないので難しいです。
おわりに
巻末にはドナルド・キーンさんの解説があるのですが、自分の感想に影響されてしまうのでこの記事が書き上がったら読みたいと思います。
で、途中で気付いたのは魚を使った比喩表現が多い事です。ちょっと書き出してみましょう。
『デンドロカカリヤ』
P11 部屋の窓ガラスの割目の魚の形
P19 まるで、生きた魚をつかんでるようにいやらしいのさ。
P23 ずんぐりの黒服が魚のように身をひるがえしたのが見えた。
『闖入者』
P137 下手にはいだ魚のうろこのように見えるのでした。
P168 むすめは岩影を泳ぐ魚のような白い手を
『水中都市』
P237 やつはまるでバタ屋の籠から這出してきたジュゴンのようだった。
ジュゴンは哺乳類ですが、父親が魚になるお話の表現ですからこれもカウントに入れましょう。そうすると形、質感、動作といった6個の表現がありました。
短編集の名前が『水中都市・デンドロカカリヤ』だから意識的に増やしたのか、それとも安部公房さんのブームだったのかは分かりませんが魚だけでこんなにバリエーションがあるわけです。今回もまぁ多彩だなぁと驚きます。
とくに驚いたのが『闖入者』のP147にある「S子はピカソの肖像画のような顔をして」という比喩。こんな昔にピカソを取り入れる前衛的な勇気が凄いし、結果として2021年の現在でもこの表現は通じているわけです。これはすごい。感動しました。
全体的に言うと、変化する事と父親を殺す事って超カフカっぽいんですけど、現実に回帰しようとする姿勢が特徴に思います。親と同等に生まれる時代は選ぶ事ができません。しかしながら、政治によって時代を選び勝ち取る事はできるはず。なのにできないもどかしさと、死にたくなるような現実を生きなければならない感覚は共感しました。
読みやすくて内容も良かったのは『鉄砲屋』と『ノアの方舟』
アニメ化して欲しいのは『水中都市』
コントでやって欲しいのは『闖入者』
アングルが面白かったのは『手』
クライムサスペンスが『飢えた皮膚』
ネタバレしておいて読者を連れて行く力があるのは『デンドロカカリヤ』
といった感じです。ギリシャ神話に詳しかったらもっと楽しめるのでしょう。
私は死を扱った作品はどうしても暗いイメージがあって、あまり読む気になれないのですが、今回改めて思ったのは混沌が日常にあって、その訳の分からない時代を生き延びた作品には今の文学にない生命力と力強さがあるということ。
8月1日に読み始めて今日8月7日に読み終わりました。テレビやラジオを一色に塗りつぶした東京オリンピックは明日、閉幕します。パラリンピックは8月24日から9月5日に行われるようです。
とりあえず今日まで生き延びました。
(おわり)